二波、三波と容赦なく襲い来る、パーフェクト・ピースの手先連。
獣に占領された、西の首都サンクリストシュア。
そして友喜が守るMSの本拠地レヴォノースもまた、MSの襲撃に遭っていた。
一番奥の部屋。
すなわちエジカ博士のいる部屋へ駆けつけた友喜が一番最初に目にしたものは、血を流して床に倒れる研究員。
そして完膚無きまでに破壊された、機材の数々だった。
「しっかりして!何があったの、エジカ博士はどこ!?」
まだ微かに息のある一人を抱き起こして尋ねると、息も絶え絶えに彼は答えた。
「うっ……MSが突然入ってきて……」
「襲われたのね!それで、博士は!?」
「……は、博士は、襲われる、ちょっと前に部屋を……」
「部屋を!?」と友喜は尋ね返したのだが、そこで研究員の意識は途切れてしまった。
部屋を――の続きは、恐らく『出ていった』に繋がるのだろう。
しかし部屋を出て、そして、彼はどうなった?
研究室が、この有様だ。博士も襲われて、何処かで屍を晒しているかもしれない。
気絶した研究員を元の通り床へ寝かせると、友喜は踵を返す。
さらに奥の間を覗き、サリア女王の姿が見あたらないのを確認してから、部屋を飛び出した。
「ギャウンッ!」
「きゃ!」
出会い頭に誰かとぶつかり、そいつが見覚えのない相手と判るや否や友喜はドラゴンへ変身する。
たちまち頭が天井につかえたが、相手は勿論そんなことはお構いなしに襲いかかってきた。
口から涎をまき散らし、白い狼が噛みついてくる。
だが狼の鋭い牙もドラゴンの鱗を貫通するまでには至らず、鈍い音を響かせただけだ。
それでも諦め悪く組みついてくる狼の頭に、友喜は思いっきり爪を振り下ろしてやった。
「しつっこいのよ!」
「ギャヒィッ」と情けない断末魔を残し、狼の鼻から上が綺麗に跳ね飛んだ。
背後の壁にベチャッと張り付いた狼の頭を振り向くことなく、友喜は再び人の姿に戻って廊下を疾走する。
人間であったものを殺すことに関して、心が痛まないわけではない。
しかし、これは戦争なのだ。
MSを滅ぼそうとする組織と、それに荷担するMSとの。
割り切って戦わなければ、やられるのは自分だ――!
走りながら、友喜の心には焦りが生まれる。
敵はエジカの居た場所まで入り込んでいた。そして、そこにはサリアの姿もなかった。
サリアは一国の女王だから簡単に殺されないとは思うが、問題はエジカ博士だ。
敵にとって、博士を生かしておくメリットは皆無である。
もし博士を殺されたと知ったら、ツカサは友喜を許さないだろう。
おまけにサリアまで見失った事がバレたら、追放だけでは済まないかもしれない。
視線の先にMSを数人見つける。
味方じゃないと一見して判るのは、狂気に彩られた奴らの目つきだ。
「……もうっ。急いでいる時に限って、次から次に邪魔ばかり入るんだから!」
走りながらドラゴンに変身するのは容易ではない。角が天井に突き刺さる危険もある。
向かってくる牙をかいくぐり、爪をギリギリのところでかわすと、友喜は大きく後方へ飛びずさる。
「グルルル……」
立ち止まった小娘の行く手を真っ向から塞いでいるのは、二頭の茶毛犬。
勿論ただの犬ではない。改造MSだ。
どちらも喉の底で唸りながら、友喜を威嚇している。
だが野生の獣ならともかくも、同じMSである友喜を牽制するのは無意味であろう。
言っても無駄と知りながら、友喜は彼らに一言漏らさずにはいられなかった。
「あなた達もMSなら、人の言葉ぐらい話しなさいっ」
彼女の言葉をどう受け取ったものかは判らないが、茶色い弾丸が一気に間を詰めてくる。
そいつを友喜は小さな体躯を駆使したフットワークで軽々とかわし、彼らの頭上をポーンと飛び越えた。
「あなた達の相手は、あとでしてあげる!ついてきたければ、ついてきなさい!!」
言い捨てて再び走り出す彼女の後ろを、犬達が追いかけてくる。
逃げながら、不意に友喜は悲しくなった。
人の言葉も忘れて、ただ、敵へ牙を剥くだけのMS。彼らは本当に人間と言えるのか――?
首都で起きた長き乱闘にも、そろそろ決着がつく頃合いだった。
街に生きた普通の人間は一人もいない。息のある者は、全て森方面へ避難した後だ。
ガツンと鈍い音を立てて鉄兜が地に落ちる。
爪も牙も通さぬ金属といえど、何度も繰り返される真下からの押し上げには勝てなかったようだ。
何度も何度も、しつこくアタックを繰り返した該の執念が勝った瞬間とも言える。
晒された顔が、よく見えるようにと相手を引きずり倒してから、該は朗々と叫んだ。
「見ろッ!人でもなくMSでもない者が、武力を盾に何の平和を求めるというつもりだ!?」
兜の下から出てきた顔は、まさに異形という他はなく。
目を奪われるほど鮮やかな真紫の肌。口の両端からは、鋭い牙が見えている。
額には一本の角が生えていて、目は異様なほど釣り上がっていた。
なるほど人間とは言い難く、さりとてMSとも言い難い容姿に、戦っていた仲間の誰もが息をのむ。
「な、なんじゃ、こいつは?改造というには趣味が悪すぎるぞい」
彼らも改造MSであることは間違いない。間違いなかった……と過去形で呼ぶべきか。
人の言葉をなくし、姿も異形のバケモノにされてしまい、残っているのは闘争本能だけ。
鎧を被った殺戮兵器――人でもMSでもないものに改造されてしまった、成れの果てだ。
「……人の姿である必要はない。そういう結論に陥ったのか、奴らは」
鎧を剥がされ横倒しに転倒させられても、まだ戦闘意欲を残した相手に該が目を伏せる。
「お前は何の為に戦う?人の平和の為だというのなら、何故もっと早くに出陣しなかった。この国に軍隊がないことなど、首都を守る名目で出撃した、お前なら知っていたはずだ」
一言も言葉を発さぬ相手に、とくとくと該は話しかける。
横合いから別の鎧が向かってきたが、ドーンの一撃の前に、そいつは大きく弾き飛ばされた。
「ぐわっはっはっ、ガイ殿!心おきなく説得かませぇ、おはんの背中はオイが守るばい!!」
真紫の生き物は、じっと該を見つめている。
その唇が微かに動いたような気がして、該はハッとなって耳を澄ませた。
該の見ている前で、すぅっと大きく息を吸い込み、次の瞬間。
異形の者から飛び出た言葉は――
「ッシャアァァァァッッ!」
空気と声の入り交じった叫びで、起き上がりざまに噛みつこうとする牙から該は難なく身を退いた。
「話す言葉はない、ということか?」
やはり一言も話さぬまま、目だけは剣呑に該を睨みつけて、紫の奴が体勢を立て直す。
四つんばいになり、牙を剥いて威嚇してくる。
涎を垂らし、目を爛々と輝かせ、しゅうしゅうと息を漏らす。
人であった痕跡など何一つ残っていない。心も体も完全にバケモノと化してしまったのか。
「獣以下の存在か……哀れな」
小さく呟くと、該も四つ足で低く構える。
人から獣に変身するMSも、普通の人から見ればバケモノ以外の何者でもない。
しかしMSには人の心が残っている。
普通の人間と同じように、他人を愛したり哀れんだりする心が。
改造されたMSには、それがない。人に使われ、人を殺すだけの兵器と成り下がった。
彼らに救いの道はあるのだろうか。ないとすれば、殺すしかない。
人を襲うバケモノと人間は相容れない。
東大陸の奥地に住まう人間と、原生生物が相容れないように。
だが、ここで彼らを殺すことが、本当に彼らを救うことになるのだろうか?
相容れないからといって殺してしまうのは、パーフェクト・ピースと同類ではないのか……?
「該ッ!」
名を呼ばれ、ハッと我に返る該の前に、ボトリと黒い塊が落ちてくる。
それが角の生えた頭であると目視で確認する頃には、側に美羽の姿があった。
「戦場でボサッとしていては、いけませんわぁ」
「すまない、美羽」
すでに紫の奴は、事切れていた。
横倒しになった体には頭がついておらず、頭のあった場所からは緑色の液体が、こんこんと溢れ出ている。
「血の色まで改造するなんて、よっぽどMSが人間ではないと強調したい ご様子ですわねぇ」
皮肉に彩られた一言を吐き捨てて、美羽の舌がペロリと該の傷を舐めてくる。
くすぐったさに身をよじりながら、該は彼女へ尋ねた。
「この改造を施したのはトレイダーだと思うか?」
「断言できませんけれど、恐らくは」
蛇は頷き、目を細める。
「彼はMSの改造に、ご執着でしたもの」
「だとすれば」
角をくわえあげ、取れてしまった頭を、そっと体の側へ降ろすと、黙祷するかのように、じっと佇んで該が小さく囁く。
「俺はトレイダーを許さない。人をバケモノに改造する権利など誰にもないはずだ」
足の間を縫って美羽が這ってくる。
「相変わらず、お優しいこと」
でもねと付け加えて、鎌首を持ち上げた。
「該、戦争に感傷は無用ですわぁ。昔も言ったと思いますけど、敵に同情してはいけませんわぁ。つまらぬ感傷で相手に手加減を加えれば、死ぬのは自分でしてよ」
「……判っている」と頷いたものの、納得のいかない表情で該は彼女を見下ろした。
昔も今も、ここだけは二人の意見が食い違う。
それも判っていたことだ。彼女に協力すると決めた時から。
美羽は絶対に自分の意見を曲げないだろうし、彼女の意見を鵜呑みに出来るほど該も素直な男ではない。
意見が合わずとも、彼女のことを守りたいという気持ちは変わらない。
たとえ彼女のミスで自分が命を落とそうとも、彼女だけは守ってあげたかった。
何度目かの襲撃、何度目かの戦闘を乗り越えて、友喜は、やっと表へ飛び出した。
葵野力也、及び待機していたはずのアリアやタンタンの姿もなく、友喜は内心大いに焦る。
たった十五人で本拠地を守れというツカサの命令も、無茶なものがあった。
だけど、こうも簡単に内部突入を許した挙げ句、ごっそり中の人間を奪われたんじゃ友喜の立場がない。
どうしよう、どうすればいいの?
さっきから彼女の頭を巡っているのは、そんな言葉ばかりで具体案が一つも出てこない。
いくら龍の印の記憶を受け継いでいるといっても、友喜はまだ、十六かそこらの少女である。
十二真獣という誇りだけを支えに生きてきた少女の精神は、今や崩壊寸前にあった。
またしても前を塞がれる。次の相手は巨大な熊と牙の長い虎のペアだ。
「もぉ、しつっこいなぁ!」
ここなら天井もない。
友喜はドラゴンへ変身しようとしたのだが、一気に間合いを詰めてきた虎にタックルをかまされ、大きく後ろへ吹っ飛んだ。
「く……ぅっ」
苦しげに呻く友喜の髪を掴んで、熊が自分の元へ引っ張り寄せる。
しばし無言でニヤニヤ笑いを浮かべていたが、何を思ったのか、熊は急に変身を解いた。
「おい、見ろよ相棒。よく見てみりゃあ、可愛いオンナノコじゃねぇか」
変身を解いた姿は年の頃三十半ばといった中年男性で、人の言葉を話している。
薄れかける意識の中で朦朧と、友喜は彼らの話を流し聞きした。
「そいつ、十二真獣ってやつだろ?」
虎も人の言葉で受け答えている。
襲ってきたのは全員改造MSだとばかり思っていたが、普通のMSも混ざっていたのか。
彼らがパーフェクト・ピースに荷担する理由とは、なんだろう?
不思議に思った友喜だが、言葉を発しようとした途端、胸が急激に痛んで何も言えなくなる。
先ほどのタックルが効いているようだ。
友喜の服を、いきなり何の前触れもなく、中年男性がビリビリと引き裂いた。
キャアと叫ぼうにも、胸や腹が痛くて友喜は声も出ない。
真っ平らよりも多少は膨らみのある胸が露わになった。
下は産毛といってもいいような薄い毛で、うっすらと覆われている。
小さな裸体を好色な目で眺めながら、中年が答える。
「そうだ、龍の印ってやつだ。神龍様だよ」
「神龍様って中央国の?死んだんじゃなかったのか」
話している間に中年は自分のズボンを降ろし、みっともないものが顔を出す。
彼が何をしようとしているのか、ようやく虎も気づいて止めに入った。
「おい、こんなところでおっ始める気か?やめておけよ、ヤッてる最中に首を噛みちぎられても知らないぞ」
「なぁに。噛みちぎる元気があるなら、とっくにやってるさ。そうだろ?神龍様」
男の指が友喜の乳首を軽く撫でる。
友喜は再度悲鳴をあげようとしたのだが、出たのはヒュウという息漏れだけだ。
ここまで人の姿で戦い駆け抜けてきた疲労は、本人が思っていた以上に重かったらしい。
「こんな、毛も生え揃ってねぇような子供とヤるってのか?物好きだねぇ〜」
――バカ、何でもいいから注意を促して、このスケベを止めてよォ!
友喜は目で虎に合図を送るが、残念ながら相手に彼女の意志は全く伝わらず。
虎は一度だけ友喜を見たが、それ以上は止める気もなくなったのか、肩をすくめて黙ってしまった。
「毛も生えてねぇから、いいんじゃないか。誰も踏み入ったことのない新雪だぜ?」
意味の判らない言葉と共に、ふぅっと股間に息を吹きかけられて、友喜はゾクッと身を震わせる。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ!
殺されるならともかくも、こんな雑魚、しかもオッサンに犯されるなんて絶対に嫌!
小さく身じろぎする少女を、がっしりと上から押さえつけ、中年がのし掛かってくる。
股間に、ぴったりと張りつく生暖かい感触。それが何であるのかを、友喜の理性が激しく拒絶した。
「俺の子を産んでくれよな、神龍様。ボテッ腹になっても可愛がってやるからよ」
男の顔が迫ってくる。
キスするつもりだ、と判っても振りほどけない。それでも最後の最後まで、諦めたくない。
キスするなら、してみなさいよ。舌を突っ込んできたら、そいつを噛みちぎってやる!
友喜の両目に獰猛な光が浮かんだ瞬間。虎のあげたであろうと思われる絶叫が、辺り一帯に響き渡った。
「っあぁぁぁぁぁぁ――――ッッ!!!」
続いて、ブシューッと何かが激しく噴き出る音。
慌てて振り向くも一瞬遅く、飛びついてきた何者かに首筋を噛み切られて、どうと中年が横倒しになる。
涙に滲む目で、友喜は見た。
真っ赤な返り血を浴びているが、元は真っ白だと判る毛並みの犬。
耳をピンと立て、背中に白い羽根を生やした犬が四つ足で踏ん張っていた。
「……ツカサ?」
「大丈夫か?ユキ」
ゆっくりと起き上がり、友喜は司を見つめる。
司も見つめ返し、上から下まで友喜が裸だと気づくや否や、泡をくって後ろを向いた。
「……だ、大丈夫だったみたいだな。怪我もしていない、みたいだし」
その後ろ姿に抱きつくと、友喜は何度も何度も彼の名を呼ぶ。
「ツカサ!ツカサ、助けてくれたのね!ありがとう……本当にありがとう、ツカサ!」
「ちょ、ちょっと!? 抱きつく前に、何か服を」と慌てる司の耳に、堰を切った泣き声が聞こえてくる。
「わぁぁぁ〜〜んっ、ツカサ、ツカサァ……怖かったよ、ホントに怖かったよぉ……」
振り返ってみれば、友喜は号泣していた。
恐怖や不安が今になって押し寄せてきて、安堵とごっちゃになった涙だ。
少し考え、人の姿に戻った司は、自分の服を彼女の肩へかけてやる。
なおも泣き続ける友喜を、そっと抱き寄せてやった。
「ごめん、ユキ。危険な戦いを君に任せたりして、すまなかった。でも、もう大丈夫だ。僕が戻ってきたからには、二度と君を怖がらせたりするもんか」
その様子を離れた場所で眺めていたサリア女王は、ぎゅっと胸の辺りを手で掴む。
友喜を襲っていたMS二人に対する、司の残虐な行為には驚いた。
だが、それにも増して己の中で生まれた黒い感情に、彼女は更なる驚きを隠せずにいた……