世界が平和になって、だいぶ経つ頃には、人々の心にも祭りを祝う余裕が生まれた。
その一つが、ハロウィンだ。旧時代、剣持博士存命時代にあった祭りが復活した。
遥か昔、空の彼方よりアムタジアの地を踏んだ移民がいた。
ハロウィンは彼らが齎した祭りだ。
研究所でも、ささやかに祝った記憶がある。
お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ――を合言葉に、お菓子を作って交換したり、悪戯で脅かしあったりした。
あの頃の自分は泣き虫で臆病だったから、気の強い有希やミスティルには散々いいオモチャにされた。
成長して、少しは我慢強くなったし、臆病も治った。
そうしなければ、生き残れない戦争だったから。
二回も戦争に参加して、二回とも生き残った。
その意味を、これからも美羽と二人で考えていきたいと思っている。
テーブルに所狭しと並べられた料理の数々が、暖かな湯気を立ちのぼらせる。
焼きたての香ばしい匂いが該の鼻孔に入り込み、彼の腹をグゥと鳴らした。
「あらぁ該ったら、お腹を鳴らしてペコペコでしたのねぇ。さ、席につきなさぁい?」
かつて戦場を共にした美羽は、今では該の良き妻となった。
紙ナプキンを膝に敷き、向かい合わせに腰掛けると、グラスを重ね合わせる。
「ハッピーハロウィン、ですわねぇ。如何かしら、今日の為に取り寄せた果実酒のお味は」
果実酒はアムタジアで最もメジャーな嗜好品だ。
果実を絞って発酵させた飲み物で、数年置けば置くほど味わいは深くなり、高値にもなった。
酒瓶には599と記されている。アムタジア歴599年。千年戦争中に作られた代物か。
栓を抜いた瞬間、芳醇な香りがダイニングいっぱいに広がり、それだけでも味の良さを確信させた。
グラスに注がれた果実酒を、一口含んでみる。
ほどよい甘みの中に渋さを感じる。古き時代の良き酒の味だ。
「……あぁ。さすがは美羽、よい目利きだ」
「お褒め頂き、光栄ですわぁ」と美羽は喜び、じっと該を見つめてくる。
「この後も、二人きりでハロウィンを楽しみましょう?途中で居眠りしたら、お仕置きですわよぉ」
お仕置きと聞いて、該は密かに唾を飲む。
新婚生活から始まって今に至るまで、美羽が該をお仕置きしなかった日は一日たりとてない。
何かにつけて、お仕置きされるのが常であった。
汚れた衣類を床に放置した罰。
うっかり帰りが遅くなった罰。
昼寝の時間が長すぎた罰。
美羽をほっといて趣味に没頭していた罰なんてのもあり、該の自由な時間は、ほぼ美羽に占拠されているといっても過言ではない。
それでも、該は幸せであった。
戦いに明け暮れて、いつ死が二人を分かつか判らなかった、あの頃と比べたら。
美羽は終戦間際に死にかけた事もあって、こうして二人っきりで穏やかな時間を過ごせるだけで、該は満足なのであった。
二人で食べきれるかという量を、該は片っ端から口に入れる。
どの料理も、漏れなく美味しい。
日夜戦乱に明け暮れていたというのに、美羽の料理は完璧であった。
パンは外側パリッとして内側は、ふんわり焼けていたし、肉の焼き加減は血の滴るレアで二人好みだ。
いつ酒を取り寄せたのかも該は知らず、家事は全て美羽が一手に仕切っていた。
該は何もせず美羽の世話になっていればいいのだと、彼女は言う。
該の世話をするこそが自分の幸せなのだから、と。
家事を免除された礼は、外で働くことで返すのが自分の役目だと該は考えた。
午前中は家を出て、午後までに家へ戻るのが日課となった。
外で野菜売りの手伝いをするのが、彼の仕事だ。
該が働くと決めた時、美羽は大層不服なようだったが、暮らすのに金は入用だと説得した。
自給自足でも暮らせないことはなかったのだが、美羽に野良仕事をさせたくない意思もあった。
美羽には、いつも綺麗でいてほしい。その為には自分が労働して食い扶持を稼がねばなるまい。
……といった該の決意も、何のその。
美羽が該と一日の半分を一緒に過ごせないのを、いつも内心憤っているのは公然の秘密である。
だが、本日は祝日で仕事もない。
テーブルいっぱい山盛りの食事、実は夕食ではなく朝食なのであった。
本日は朝から晩までハロウィンパーティ開催の予定であり、居眠りや早寝は許さない体制だ。
一分一秒たりとも目を離さずに監視していた美羽は、もぐもぐ鳥の詰め物を頬張っていた該が、ぽろりと食べかすをナプキンの上にこぼすのを見計らい、声をかける。
「あらぁ、こぼすだなんて行儀の悪い人。これは、さっそくのお仕置きが必要かしらねぇ?」
「お、お仕置きは、その」
ごくんと口の中にあった鶏肉を飲み込み、該が言い繕う。
「……食事の後に、いくらでも受ける。今は君の作ったごちそうを食べていたい」
該は大食漢ではない。
にも拘わらず焼きたてのパン二枚と厚切り羊肉焼きを完食し、今は腹に麦飯を詰めた丸々一匹の鶏肉に齧りついた処だ。
美羽は自分では、あまり食べず、該がモリモリ食べるのを見たがった。
それでいて太るのは許されないのだから、外での働きにも精が出るというものだ。
「フフ、それでこそワタクシの該ですわぁ。たくさん食べたら、夜はベッドの上で、たっぷりお仕置きしてさしあげてよ」
つぅっと顎を撫でられて、夢見心地に入りかけた該は、落としそうになっていた鶏肉の破片をハシッと片手で受け止める。
危ない、危ない。うっかりしていたら、今日は、お仕置きだけで夜が終わってしまう。
祝日の夜ぐらいは、美羽とじっくりたっぷり愛し合いたい。
仕事疲れでクタクタな状態でやるよりは、彼女を楽しませてやれる自信がある。
「食事もいいですけれど、メインイベントは、これではなくてよ。そう、メインはプレゼントですもの。アナタは覚えているかしらぁ?子供の頃のハロウィンを」
話を振られて、該は素直にコクリと頷く。
「あぁ、覚えている。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ……だったか」
「その通りですわぁ。では、あの時ワタクシがアナタに仕掛けた時、どういう結果になったかも覚えているのでしょうね」
該は再び頷き、美羽を見据える。
「忘れるはずがない。君は、お菓子を受け取ってくれた。俺が作った、つたない菓子を、美味しそうに頬張ってくれた」
「記憶力は衰えていらっしゃらないようね」と微笑み、美羽が後ろを向く。
すぐに振り返った彼女の手元には、綺麗な包装紙で包まれた小箱があった。
「これはワタクシが用意したお菓子……アナタも用意しているのでしょうけれど、今年はアナタに選択権を与えます」
意味が分からず「選択権とは?」とオウム返しな夫へ、悪戯っぽい目を向けて彼女が言うには。
「お菓子を受け取るか、それともワタクシに悪戯をするか。あるいはワタクシに悪戯をされるのを望むかの三択ですわぁ」
なんと、驚異の三択だ。しかも、どれもが魅力的で迷ってしまう。
美羽に悪戯をした覚えは一度もないし、美羽のお菓子は美味しいし、美羽に悪戯されると考えただけで興奮してしまう。
はやる心臓を手で押さえ、期待に満ちた目で該は答えた。
「で、では……悪戯を」
「悪戯を、アナタがワタクシにするんですの?それとも、アナタに施しましょうかぁ」
「し……して、ほしい。美羽の、手で、俺に……悪戯を」
最後のほうは尻すぼみで、よく聞こえなかったけれど、予想通りの回答に美羽はニンマリ微笑んだのであった。
「そうですわねぇ」と手元の包装紙を紐解き、一つキャンディをつまみ上げる。
「では、さっそくですが該、服をお脱ぎなさぁい?そして両手を床につき、おしりを高くあげるのですわぁ」
言われた通りに服を脱ぎ、全裸となった該は床に両手をつく。
お仕置きも悪戯も服を着た状態でされるから、全裸での行為は初めてかもしれない。
高くあげた尻を、ぺちぺち叩かれ、ひんやりした美羽の手が心地よい。
「では該、お菓子をあげるから下のお口で存分に味わいなさぁい」
下の口とは?
聞き返す暇もあらば肛門にキャンディを押し込まれ、質問の代わりに「うっ」と呻き声が出た。
それほど大きくもないのだが、キャンディなんぞを尻の穴に突っ込まれるのは生まれて初めての体験だ。
おまけに、ぐりぐりと奥へ突っ込まれるたびに、えもしれぬ感覚が太腿を伝って這い上がってくる。
「み、美羽……!」
たまらず助けを求める該へ、美羽は無慈悲な笑みで応える。
「たまりませんわぁ、そのお顔。該、アナタの泣きっ面は世界で最も尊くて美しいですわねぇ」
二つ三つと次々にキャンディを押し込まれて、あまり奥へ押し込まれたら取れなくなるんじゃないかと該は不安にもなったが、突っ込まれた箇所は排泄の穴だ。
いずれ糞と一緒に出てくるであろう。
それよりも、キャンディが穴いっぱいに詰まっている感触が、どうにも耐え難い。
便秘で苦しんでいる時よりも、圧迫感を覚えるのは気のせいか。
尻から腹にかけて、体中がキャンディで埋まってしまいそうな錯覚さえ抱いた。
腹に詰まっているのは先ほど食べた鶏肉と羊肉なのだが、尻の圧迫感のせいで全体が苦しい。
「美羽、こ、これは……」
「悪戯ですわぁ。ワタクシの、ささやかな。お仕置きよりは痛くないはずですのに、アナタったら涙を流して痛がりさんですのね」
痛くはない。
今の該を支配するのは恐怖だ。
このままキャンディ人間になってしまうのではないかという。
普通に考えたら、ありえないし子供じみていて馬鹿馬鹿しい考えだ。
だが、混乱に陥った彼は普通の常識すらも見失っていた。
もっとワクワクするような悪戯を期待していたのに、これじゃ、お仕置きと変わらないか、それよりも酷い。
恐怖の涙が悲しみに塗り替えられて、ようやく美羽も該の異変に気付いたか、キャンディを詰め込むのを止めてくれた。
「あらあら。怖がりなのは治っていらっしゃらなかったのですわね。ごめんなさいねぇ、ワタクシの愛しい人」
土下座の姿勢で尻を高く掲げたまま、該は涙目で尋ねた。
「キャ……キャンディは、どうすれば、取り出せる……?」
「そうですわねぇ。思いっきり踏ん張れば」
床の上で踏ん張ったら、出てはいけないものまで出してしまう恐れがある。
そう思ってトイレへ行こうと立ち上がった該は、美羽に腕を引っ張られて、たたらを踏んだ。
「ここで、お出しなさい。トイレで出したら、トイレが詰まってしまいますわぁ」
「ここで出せば粗相をする羽目になるかもしれないぞ」と、一応抵抗しても梨のつぶてというやつで。
美羽には再度「ここで出すのです。ワタクシの命令を無視するのは悪戯続行と同意語ですわよぉ」と脅されて、仕方なく床の上で踏ん張った。
全裸で嫁に見られながら踏ん張るのは緊張する。
しかし彼女を振り切ってトイレへ向かえば、夜通し尻の穴に飴を詰められてしまう。
余計なことを考えるな。
雑念を振り払え。
該は、ひたすらキャンディが尻からコロンと抜け出るイメージを脳裏に浮かべて踏ん張った。
「ふ……うっ……むぅ……っ」
踏ん張っても出てくるのは空気ばかりで、肝心のキャンディは尻の奥にへばりついてしまったのか、出てくる気配が一向にない。
どれだけ顔を真っ赤に気張っても、ウントモスントモだ。
「美羽。もしキャンディが俺の穴から一生出なくとも、俺を嫌いにならないでいてくれるか……?」
早くも弱音を囁く該を見、美羽は思わず吹き出してしまった。
「笑いごとじゃないぞ」と涙ぐんだ彼に怒られても笑いは止まらず、お腹を押さえて美羽が答える。
「ご、ごめんなさいませ。なんにでも従順なアナタがおかしくて、つい。エェ、からかったりして、それもごめんなさいませね。キャンディは踏ん張っても簡単に出てきやしません。ワタクシが出してさしあげますわぁ」
踏ん張っても出てこないなら、何のために踏ん張らせたのか。
内心憤る該の気持ちなど知ったこっちゃないといった風情で、美羽が該の背に両手をかける。
指を突っ込んで掻き出すのかと思いきや、舌を突っ込んできた。
ヒャッとなって振り向こうにも「じっとしておいでなさぁい?」と命じられては、そのままの体勢で耐えるしかない。
隙間なく詰まっている圧迫感があったのに、舌で舐められている今はキャンディが体内で回転しているような感覚がある。
「ん……っ、はぁっ……」
踏ん張った際のヒリヒリした痛みも美羽の舌が和らげていると感じられて、該は小さく喘ぎを漏らす。
これでもかと中を舐めまわされ、うっとりしているうちに圧迫感が消えてなくなり、もう一度、尻を軽く叩かれた。
「……さ、これで全部取れましたわぁ。怖がり猪さん、もう大丈夫ですわねぇ」
床に転がった三つのキャンディを黙して眺めていた該は、ややあって、やっと安堵の溜息をつく。
やれやれ。
えらい目にあったが、本をただせば全部美羽へ悪戯をリクエストした自分が悪いのであって、自業自得の結果だった。
それでも、まぁ。舐めまわされたのは気持ちよかったので、ヨシとしよう。
「来年は、俺に悪戯をやらせてほしい」
「あらぁ」と驚き、美羽が該を見やる。
「ワタクシの悪戯は、お気に召さなくて?」
「……君のは、悪戯というよりもお仕置きだ。お仕置きはハロウィンじゃなくても受けられるからな。来年は俺が君へ本当の悪戯をお見せしよう」
不敵な笑みを浮かべる該を一瞥し、美羽は、そっと独りごちる。
すっかり威勢を取り戻して、先ほどまで涙ぐんで情けなかった人物と同一だとは思えない。
素直で従順な彼や可愛くて情けない彼は好きだが、かっこいい彼も捨てがたい。
何年、何百年、何千年一緒にいても、絶対に飽きることのない相手だ。
「その言い方ですと、お仕置きを楽しんでいらっしゃるようにも聞こえましてよ?該。まぁいいですわぁ。本物の悪戯、来年まで楽しみにとっておきましょう」
該に服を着せてやりながら、美羽も不敵に口の端を釣りあげて笑い返したのであった。