Beyond The Sky

23周年記念企画:猫に転生した栄太郎

気がついたら、縁側で寝そべっていた。
日差しが暖かい。だが、いつ、ここへ移動したのか記憶にない。
起き上がって驚いた。己の顔ほどにある草鞋、これは何だ?
違う、家自体が大きいのだ。
柱も、障子も、ふすまも、何もかもが。
改めて考える。
ここは、どこだ?
うろたえる俺を、巨大な手が掬い上げる。
「にゃああぁう」
変な声が出た。
「可愛い黒猫ですね。どこから来ましたか?」
天上から降り注ぐ艶やかな音色――この声は、タオ殿?
上空を振り仰いだ俺の目が、巨大化したタオ殿を捉える。
「みぎゃーー!」
思いっきり絶叫したはずが、猫の鳴き声になった。
「だっこされるのが嫌な子でしたか。では膝の上にお乗りなさい」
足は空をかき、やがて柔らかな大地へストンと降ろされる。
否、この柔らかいのは……タオ殿の太腿!?
おお……夢にまで見たタオ殿の太腿に、俺は思わず頬を擦り寄せる。
ごろり、ごろりと寝返りを打った拍子に、パタン、パタンと揺れる何かを尻に感じて、見てみると。
なんと尻尾が生えているではないか。
黒い。真っ黒だ。だから、先ほどタオ殿は黒猫とお呼びに?
というか。先ほどの黒猫は、俺を呼んだのか?
俺は、一体……
正面の窓に映るのはタオ殿の膝小僧、そして膝の上に寝そべる黒猫――

信じられないが、俺は猫になってしまったらしい。
昨夜おかしなものを食べた覚えなどなければ、猫になるきっかけすらも思い出せぬのだが。
否。人が猫になるなど、ありえない。
これは夢だ。それも、俺に都合の良い夢だ。
タオ殿の手が俺の背を優しく撫でている。心地よい。
平素のタオ殿であれば俺に触るなどあり得ないし、逆も然り。
それが猫になったというだけで、どうだ。
太腿に触り放題の、体中触られ放題。天国か。
やがて、俺の視線は太腿の先に釘付けとなる。
これだけゴロゴロすり寄っても怒られなかったのだ。
もっと奥を触っても大丈夫なのでは……?
大きく欠伸をする。
欠伸が出た拍子に足が伸びてしまったふりをしながら、俺はタオ殿の膨らみに前足で触れる。
布越しにフニフニ、だが確かな肉厚を感じるフニフニ、これがタオ殿の、夢にまで見たタオ殿のッッ。
「おや、そこに爪を立てられては困りますよ」
前足を掴まれ、引き戻される。
くっ……長く触りすぎたか、不覚ッ。
「そうだ、お腹は空いていませんか?確か冷蔵庫に昨日の残りが」
そう言ってタオ殿は立ち上がり、気持ちの良い太腿ベッドとも、お別れだ。
夢だというのに、いやに現実的じゃないか。
腹など減っていない、もっとスリスリゴロゴロしていたいというのに。
台所へ向かう彼を追って、俺も四つ足で歩く。
不思議なものだ。四つん這いで歩いても、腰に疲れを覚えないのは。
タオ殿は冷蔵庫から残り物を取り出し、皿へ盛り付けてゆく。
昨日の晩飯は焼き魚と白米か。
ずいぶんと質素な夕食だ。いや、これは残りなのだったな。
ジャネスの野良猫は魚を食べない。主に野生動物を捕らえて食べる。
タオ殿は、このあたりの野良猫、その生態をご存じないようだ。
それとも、これは俺の夢だから、生肉など食いたくない本音が表れているのだろうか?
「さぁ、お食べ」
ことりと皿を床に置かれて、俺は口をつけた。
んむっ、んむ、塩を振って焼いただけだというのに、やたら美味い。
しょっぱさの中に微かな甘みを感じる。
一つ、二つ、舌にしびれる辛味もある。ジャネスにはない味付、カンサー流と思われる。
こんなものを本来の猫にやるのは良くないが、俺ならば問題ない。んむんむ。
「ふにゃあぉ」
差し出された手を遠慮なくベロベロ舐めた。塩っけを感じるのは汗であろう。
タオ殿の汗を味わえるのは猫の特権だ。
次に抱き上げられた際には、さり気なさを装って頬を、そ、そして……唇をッ、舐めてみたい。
猫のする所業であればタオ殿も許してくださるはずだ!さぁ、早く抱き上げてくれ!
だがタオ殿の手が俺を抱き上げる前に、世界全体がうっすらとした霞で覆われる。
待て、まだタオ殿との接吻が終わっていない。
夢よ、醒めないでくれ――!


「――にゃあぁ!」
がばっと身を起こした栄太郎を見て、バドは微笑む。
直前まで一体どんな夢を見ていたのだろう。にゃあと猫の物真似をして飛び起きるなんて。
「おはよう、栄太郎さん。今日の朝飯は焼き魚だよ。メイツラグで捕れた魚をカンサー流の味付けでピリ辛にしたんだってさ」
「カンサー流……?」
ぼんやりする彼の横で、せっせと朝食の支度を進めながらバドが頷いた。
「うん。昨日、市場で売られていて、このへんじゃ珍しいなと思って買っといたんだ」
カンサー風味付け焼き魚。
だんだん栄太郎の記憶が蘇ってくる。
昨日仕事から帰ってきたら、それが食卓に置いてあって、カンサー繋がりでタオを思い出したのだった。
タオとはレイザースでの魔族退治以降、全く会っていない。
噂では斬率いるギルドの一員となって、レイザース近郊でモンスターの飼育をしているとか、なんとか。
会いたい。会って手合わせをしたり、お互いの近状報告をしあいたい。
そんな想いを、寝る寸前まで思い描いていた。
だが、あんな美味しい、いや、恥ずかしい夢で再会の願望が表れてしまうとは。
夢ではなく、本当のタオと会いたい。
いずれ暇を見て会いに行こうと栄太郎は考え、夢で見たタオの穏やかな笑顔に想いを馳せるのであった。


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