気がついたら、縁側で寝そべっていた。
日差しが暖かい。だが、いつ、ここへ移動したのか記憶にない。
起き上がって驚いた。己の顔ほどにある草鞋、これは何だ?
違う、家自体が大きいのだ。
柱も、障子も、ふすまも、何もかもが。
改めて考える。
ここは、どこだ?
うろたえる俺を、巨大な手が掬い上げる。
「にゃああぁう」
変な声が出た。
「可愛い黒猫ですね。どこから来ましたか?」
天上から降り注ぐ艶やかな音色――この声は、タオ殿?
上空を振り仰いだ俺の目が、巨大化したタオ殿を捉える。
「みぎゃーー!」
思いっきり絶叫したはずが、猫の鳴き声になった。
「だっこされるのが嫌な子でしたか。では膝の上にお乗りなさい」
足は空をかき、やがて柔らかな大地へストンと降ろされる。
否、この柔らかいのは……タオ殿の太腿!?
おお……夢にまで見たタオ殿の太腿に、俺は思わず頬を擦り寄せる。
ごろり、ごろりと寝返りを打った拍子に、パタン、パタンと揺れる何かを尻に感じて、見てみると。
なんと尻尾が生えているではないか。
黒い。真っ黒だ。だから、先ほどタオ殿は黒猫とお呼びに?
というか。先ほどの黒猫は、俺を呼んだのか?
俺は、一体……
正面の窓に映るのはタオ殿の膝小僧、そして膝の上に寝そべる黒猫――
信じられないが、俺は猫になってしまったらしい。
昨夜おかしなものを食べた覚えなどなければ、猫になるきっかけすらも思い出せぬのだが。
否。人が猫になるなど、ありえない。
これは夢だ。それも、俺に都合の良い夢だ。
タオ殿の手が俺の背を優しく撫でている。心地よい。
平素のタオ殿であれば俺に触るなどあり得ないし、逆も然り。
それが猫になったというだけで、どうだ。
太腿に触り放題の、体中触られ放題。天国か。
やがて、俺の視線は太腿の先に釘付けとなる。
これだけゴロゴロすり寄っても怒られなかったのだ。
もっと奥を触っても大丈夫なのでは……?
大きく欠伸をする。
欠伸が出た拍子に足が伸びてしまったふりをしながら、俺はタオ殿の膨らみに前足で触れる。
布越しにフニフニ、だが確かな肉厚を感じるフニフニ、これがタオ殿の、夢にまで見たタオ殿のッッ。
「おや、そこに爪を立てられては困りますよ」
前足を掴まれ、引き戻される。
くっ……長く触りすぎたか、不覚ッ。
「そうだ、お腹は空いていませんか?確か冷蔵庫に昨日の残りが」
そう言ってタオ殿は立ち上がり、気持ちの良い太腿ベッドとも、お別れだ。
夢だというのに、いやに現実的じゃないか。
腹など減っていない、もっとスリスリゴロゴロしていたいというのに。
台所へ向かう彼を追って、俺も四つ足で歩く。
不思議なものだ。四つん這いで歩いても、腰に疲れを覚えないのは。
タオ殿は冷蔵庫から残り物を取り出し、皿へ盛り付けてゆく。
昨日の晩飯は焼き魚と白米か。
ずいぶんと質素な夕食だ。いや、これは残りなのだったな。
ジャネスの野良猫は魚を食べない。主に野生動物を捕らえて食べる。
タオ殿は、このあたりの野良猫、その生態をご存じないようだ。
それとも、これは俺の夢だから、生肉など食いたくない本音が表れているのだろうか?
「さぁ、お食べ」
ことりと皿を床に置かれて、俺は口をつけた。
んむっ、んむ、塩を振って焼いただけだというのに、やたら美味い。
しょっぱさの中に微かな甘みを感じる。
一つ、二つ、舌にしびれる辛味もある。ジャネスにはない味付、カンサー流と思われる。
こんなものを本来の猫にやるのは良くないが、俺ならば問題ない。んむんむ。
「ふにゃあぉ」
差し出された手を遠慮なくベロベロ舐めた。塩っけを感じるのは汗であろう。
タオ殿の汗を味わえるのは猫の特権だ。
次に抱き上げられた際には、さり気なさを装って頬を、そ、そして……唇をッ、舐めてみたい。
猫のする所業であればタオ殿も許してくださるはずだ!さぁ、早く抱き上げてくれ!
だがタオ殿の手が俺を抱き上げる前に、世界全体がうっすらとした霞で覆われる。
待て、まだタオ殿との接吻が終わっていない。
夢よ、醒めないでくれ――!
「――にゃあぁ!」
がばっと身を起こした栄太郎を見て、バドは微笑む。
直前まで一体どんな夢を見ていたのだろう。にゃあと猫の物真似をして飛び起きるなんて。
「おはよう、栄太郎さん。今日の朝飯は焼き魚だよ。メイツラグで捕れた魚をカンサー流の味付けでピリ辛にしたんだってさ」
「カンサー流……?」
ぼんやりする彼の横で、せっせと朝食の支度を進めながらバドが頷いた。
「うん。昨日、市場で売られていて、このへんじゃ珍しいなと思って買っといたんだ」
カンサー風味付け焼き魚。
だんだん栄太郎の記憶が蘇ってくる。
昨日仕事から帰ってきたら、それが食卓に置いてあって、カンサー繋がりでタオを思い出したのだった。
タオとはレイザースでの魔族退治以降、全く会っていない。
噂では斬率いるギルドの一員となって、レイザース近郊でモンスターの飼育をしているとか、なんとか。
会いたい。会って手合わせをしたり、お互いの近状報告をしあいたい。
そんな想いを、寝る寸前まで思い描いていた。
だが、あんな美味しい、いや、恥ずかしい夢で再会の願望が表れてしまうとは。
夢ではなく、本当のタオと会いたい。
いずれ暇を見て会いに行こうと栄太郎は考え、夢で見たタオの穏やかな笑顔に想いを馳せるのであった。