BREAK SOLE

∽後日談∽ 二十年後


宇宙人との戦いから、二十年が過ぎた――

うだるほど暑い、夏の日。
道路には陽炎が立ち上っている。
その道を、男が一人歩いていく。
男の名は白滝竜。今は日本で、しがない大工をやっている。
竜が向かっているのは、刑務所だ。
刑期を終えて、今日、出てくるのだ。
世界裁判で投獄された、昔の知り合いが。
そいつの名前はメリット。
女だ。だが、竜の女ではない。
かつて、宇宙人と手を組んで地球を滅ぼそうとした組織があった。
メリットとは、そこで知り合った。
仲間というだけで、それ以上でも、それ以下の関係でもない。
それでも竜は彼女の解放を待った。待ち続けていた。
その日が今日、やっときたのだ。
すぐに日本を発ち、刑務所のあるアメリカまで飛行機で飛んだ。
メリット……
それが本名なのかも判らない女性へ会う為に。


子供だった少女が大人になり、子持ちになるほどの長い年月を、メリットは刑務所で過ごした。
戦いが終わった時、彼女には何も残されていなかった。
愛した友達も、家族も、恋人も。
それでも、死刑になりたくない――
そう思ったのは世界政府への苛立ちもあったが、一番大きかったのはKへの慰霊があったからかもしれない。
最後まで本名を名乗ることなく、死んでいった反地球組織のボス。
仲間でいられたのは短い間であったが、メリットは彼に対して確かな友情さえ感じていた。
Kばかりではない。共に戦った同志に対しても、信頼していた。
多くのメンバーが宇宙人へ荷担した罪で死刑ないし終身刑になったが、メリットは、そのどちらも免れる。
二十年という長い刑期を終えた今日、晴れて人間社会への復帰を許された。
しかし社会は、前科持ちに厳しい。刑務所を出たって、再就職のアテがない。
天涯孤独の彼女には、財産も家も残っていなかった。
これから、どうやって生活すればいいのか。
途方に暮れながら刑務所を出ると、誰かに呼び止められた。
「よぉ」
振り返ると、そこにいたのはサングラスの大男。
メリットには、よく見覚えのある男が立っていた。
かつてはKと同じ組織に所属していた仲間、白滝竜だ。
頭には白髪が混ざっちゃいるが、子供っぽい笑みを浮かべる処など二十年前に別れた時と全く変わっていない。
「どうして、ここに?あなたは日本に渡ったと聞いているけれど」
「迎えにきてやったんだよ」
「わたしを?どうして」
「お前、迎えにきてくれる家族も恋人もいねぇんだろ?だから代わりに俺様がきてやったってワケだ。それとも何か?お迎えはクレイのほうが良かったか?だが、そいつぁ〜無理な相談だな。春名ちゃんと愛の巣つくって、あいつも今じゃ三児のマイホームパパだぜ。パパッていうにゃ、老けすぎたかもしんねーが」
二十年前と変わらぬマシンガントークに、メリットの鉄仮面も僅かばかり綻ぶ。
「あなたは?今でも独身なの」
「ん?あぁ、まぁな。誰かさんが、なかなか出てきてくんねーから、いつまで経っても独りぼっちだったぜ」
「誰かって、誰のこと?」とメリットは尋ねたが、尋ねる前から答えは出ている。
こうして竜が、わざわざ自分の出所を待っていたこと。
明らかに、メリットを嫁のターゲットにしているとしか思えない。
「物静かな男が好きだと、前に言わなかったかしら」
「さぁね、俺は聞いちゃいねーな」
竜が肩をすくめ、手を差し出す。
「それより、いつまでもムショの前で立ち話ってのもなんだ。場所を変えようぜ」
「どこへ行くの?」
「日本だ。俺の家まで、一緒に来て貰うぜ」
強引なところも、全く変わっていない。
嫌だと断ったって、どうせ行くアテのない身である。
それに日本には、ブルー=クレイもいる。
竜の話では大豪寺春名と結婚したらしいが、クレイの真っ青な髪の毛を思い出し、メリットは密かに苦笑した。
黒髪の日本人と青い髪の男との間に出来る子供は、一体、何色の髪の毛を持って生まれるのだろうか?

日本の空港に降り立ち、タクシー乗り場へ向かうまで、メリットは何度「すごいわね」を呟いたか判らない。
宇宙人に壊滅寸前まで追いやられたというのに、二十年の間に街は、すっかり活気を取り戻していた。
無論、元通りというわけにはいかない。
空襲で死んだ者は大勢いたし、人々の心にも深い傷跡を残したであろうから。
それでも二十年前、メリットが刑務所へ放り込まれる前に見た地上の景色とは一変していた。
メリットの感嘆に「すごいよな」と、竜も合わせてくる。
「どんなにやられても、復興しちまうんだからよ」
タクシーを降りて坂道をあがってゆくと、こじんまりした一軒家へ到着する。
表の表札には『白滝』とかかっていた。
「ここが俺ンチだ。ま、狭いけどあがれよ。飲み物は麦茶でいいか?」
「あなた一人で住んでいるの?」
「まーな」
ここまで来る道のりは、とても暑かったのに、部屋に入ると、ひんやりと涼しい。
広い土間で待っていると、やがて竜が麦茶を持って現われた。
「で、だ。さっそくだが本題に入るぜ?」
「えぇ」
単刀直入だが、元々おしゃべりが好きではないメリットには、ありがたい。
竜は現在の地上の様子と経済について一通り語った後、メリットの身のふりについて尋ねてきた。
「お前、どうせ再就職のアテもねぇんだろ?」
二十年も牢屋に放り込まれていた奴に再就職のアテがあったら、それはそれで凄いコネである。
Kが死に、馴染みの仲間もバラバラになった今、メリットに後ろ盾などありゃしない。
「そんで、だ。我が白滝大工店じゃ只今有能な計理士を募集しているんだが、どうだ?お前、俺に雇われてみる気はねぇか?」
「計理士?……わたしを?」
意外な誘いに、メリットの目も点になる。
Kの組織で竜の相棒をやっていた時だって、メリットが経理を担当したことは一度もない。
何を思って、彼は素人を自分の会社の計理士に仕立て上げようなんて考えたんだろう。
「経理の知識なんてないわ」
「知識がないなら得ればいいじゃねーか。きょうび、知識がないで就職できると思ったら大間違いだぞ」
なるほど、確かに彼の言うことも一理ある。
しかし、計理士か――考えたこともなかった。しかも大工の経理とは。
メリットの沈黙をどう受け取ったのか竜が付け足してくる。
「なぁに、大丈夫だ。今の経理は全部ソフトがやってくれる」
ならメリットを雇う必要もないんじゃないかと突っ込みたくなるが、今は文句を言える立場にない。
竜の好意を蹴って決まるかも判らない再就職を探すぐらいなら、ここらで妥協した方が無難だろう。
「いいわ、やってあげる」
「よーし、決まりだ!じゃあ、お前の就職を祝って、さっそく祝賀会といこうぜ」
面接も書類作成もなしとは、随分いい加減な就職先である。
こりゃあ安月給でこき使われるのも覚悟せねばなるまい。
メリットは尋ねた。
「祝賀会は、ここで?」
「いぃや」
首を真横に振り、竜が懐から携帯電話を取り出す。
「お好み焼き屋だ。最近、新宿に二号店が出来たんだよ。そこの店長に会ってみろ、お前でもきっと驚くぜ?」
「……誰なの?わたしの知っている人?」
メリットは更に尋ねたのだが、会ってからのお楽しみだと軽く流されてしまった。
――かくして。
ついて早々、麦茶を飲む暇もなく再びタクシーに乗り込んだ二人は、一路新宿へ。


新宿、歌舞伎町。
空襲前は雑居ビルがひしめく歓楽街だったが、復興後は美味いもの市場として生まれ変わった。
各地から評判の良い飲食店を集め、タダ同然の資金で店舗を置かせる代わりに収入の何パーセントかを徴税する。
これから竜が行こうとしている、お好み焼き屋も、その一つ。
はるばる広島から出向してきた、本場のお好み焼き店だった。
「よぉー、いるか?店長」
気安い挨拶で暖簾をくぐった竜に続き、メリットも店へ入る。
そして、あっとなった。
「いらっしゃいませ、リュウ兄さん」
二十年の年月が多少の老いを感じさせるが、見間違えようもない青い髪の毛、青い瞳。
腰にエプロンを巻いた中年店長こそはアストロ・ソールの元パイロット、英雄ブルー=クレイであった。
「お前な、客に向かって兄さんはないだろ、兄さんは」
竜に頭を軽く小突かれて、クレイが言い返す。
「でも、兄さんは兄さんです」
「へっ、相変わらずなやっちゃ。どうだ?繁盛しているか?」
店は客で、ごった返していて、竜とメリットの座る席もなさそうだ。
あちこちで煙があがり、店内を白く染めている。
「はい。兄さんの予約した席は二階にあります、今から案内します」
この堅苦しい言い回し、全然変わっていない。
二人の遣り取りを見ているうちに、メリットの瞳には、じんわりと涙が浮かんできた。
懐かしい。
つい、この間の出来事のように思えるけど、あれは、もう二十年も前の戦いなのだ――
竜の背後へ目をやって、ようやく気づいたのかクレイが首を傾げる。
「メリットも一緒だったのですか?」
「ですか?じゃねーだろ、気づくのが遅ェんだよ、クレイ。戦場を離れてから、勘が鈍くなっちまったんじゃねーのか?アァン?」
「すみません」と素直に頭を下げるクレイの元へ近づくと、メリットは声をかけた。
「久しぶりね、クレイ」
「あぁ。いつ、刑期を終えた?」
「今日よ」
「おめでとう」と、クレイが笑顔で会釈する。
ありがとうを言いながら、メリットは胸の内が熱くなるのを覚えた。
クレイが自分を覚えていた、たったそれだけのことで。
今度はメリットが質問する。
「結婚したそうね」
「あぁ」
「……幸せ?」
「あぁ」
打てば響く返事の良さに、再びメリットは目頭が熱くなる。
知り合いが結婚した。それだけで、こうも涙腺が緩くなるなんて。
二十年も経ったせいで、自分もすっかりオバサンになってしまったらしい。
「朔也、こちらへ来い。挨拶しろ」
クレイが厨房へ手招きすると、奥から及び腰で現われた者がいる。
ビクビクオドオドと不審者さながらの少年は髪の毛が黒く、どう見ても純血の日本人だ。
年の頃は、十五、六ぐらい。クレイと同じく腰にエプロンを巻いている。
「息子の朔也だ。大豪寺 朔也」
息子というが、クレイとは全然似ていない。
がっしりしているクレイと比べて見劣りするほど貧弱な体格だし、イケメンなことはイケメンなのだが、どこか暗い印象を受ける。
それに人見知りが激しいのか、先ほどから父親の影へ寄り添うように立っている。無論、退け腰で。
「朔也、白滝 竜さんは覚えているな?こちらは白滝さんのお連れで、メリットさんだ」
「よぉ」と片手をあげて挨拶する竜、無言で会釈するメリットの二人を見比べて。
「あ……ど、ども」
朔也少年は口の中でゴニョゴニョ言うと、後は一目散に厨房へと逃げ込んでいってしまった。
「なんだ、相変わらずだな朔坊は!人見知りが全っ然治っちゃいねぇ」
ガハハと笑う竜の横で、メリットが言う。
「あなたが子持ちになるなんて、二十年前は想像もつかなかったわ」
「俺もだ」
コクリと頷き、クレイの目は厨房へ逃げていった息子を追いかける。
「朔也は俺の悪い部分を、凛子は春名の良い点を全て引き継いだ」
「子供は三人いるって聞いたけど?」
もう一度頷き、クレイがポケットから財布を取り出す。
中に入っていた写真には、赤ん坊を抱いた大豪寺春名が微笑んでいた。
「末子の友那だ。まだ、どう育つかは判らない」
「そう」
末っ子も、やはり黒髪の茶色い瞳で母親似だ。
クレイの血が余程薄いのか、それとも日本人である春名の血が濃すぎるのか。
「なんだ、なんだ?その淡泊な反応はよッ。ガキの写真を見せられたんだ、お世辞でも可愛い子ねって言ってやるのが大人の社交辞令だろうが!それとも何か?クレイとは欠片も似てなくて、ガッカリしたのか?そういや、お前もクレイにゃ惚れていたもんなぁ〜。似ていたら、一人ぐらいはテイクアウトするつもりだったんだろ、エッ、コノ!」
竜には冷やかされるが、メリットは冷ややかに言い返した。
「気があったわけじゃないわ。あの時は、ああいう態度を示すのが一番最適だっただけ」
再びクレイへ振り向き、尋ねる。
「大豪寺の苗字を受け継いだということは、あの家の婿養子に入ったの?」
それに対するクレイの返事も簡潔で。
「俺にはファミリーネームがない。だが日本で暮らす以上、苗字は必要だ」
「そういうこった」
ポン、とメリットの肩を叩き、竜が会話に割り込んでくる。
「お前も日本で暮らすなら苗字の一つや二つ、必要だよな?」
「わたしは別に――」
苗字がないわけじゃない。
だが、本名は既に捨てた身だ。戸籍も捨てた、Kへついていくと決めた日に。
途中で黙り込んだメリットの目を覗き込むようにして、竜が歯を見せて笑う。
「そっこっでっだ!お前にゃ今から、栄光ある白滝家の苗字を名乗ることを特別に許してやる!」
「メリットを妹にするのですか?」とは、クレイ。
すかさず「お前は黙ってろ」と竜に怒られ、彼は大人しく口をつぐんだ。
「どういうこと?わたしを養子にしたいの?」
メリットにも同じ内容で聞き返され、はぁっと大きく溜息をついた後、竜は、やれやれとでも言いたげに首を真横に振ってみせた。
「そーじゃねーだろ、お前が俺の養子って歳かよ?男が女に自分の苗字を名乗らせたい。そっから、すぐに答えが出ないようじゃメリット、お前さん、女として失格だぜ」
「失格でも構わないわ」
憎まれ口で反撃しながら、メリットは目の前の男をじっと見つめる。
いつになく大真面目な顔で、竜も、こちらを見つめている。
その表情からは、嘘も茶化しも見あたらない。
「……本気なの?」
「本気だ」
「後悔、しない?」
「するもんかよ」
二人の会話を、クレイも黙って聞いている。
ただならぬ緊迫感を察したか、質問で割り込む事すらしてこない。
「……そう」
小さく溜息を漏らし、メリットが視線を逸らす。逸らしたまま、クレイを促した。
「予約した席に案内して。続きは、そちらでやりましょう。いいわね、リュウ?」
先ほど、気がついたのだ。
店内中の視線という視線が全て、こちらを向いていることに。
これ以上、野次馬の好奇心に晒されるのは心外だ。
竜も気づいたか、案外素直に頷いた。
「おぅ」
「では、こちらへ。階段を登って一番奥の和室となります」
淡々としたクレイの説明を聞き流しながら、メリットは今一度、竜を見た。
竜もメリットを一瞥する。が、すぐに視線を逸らしてしまう。
怒ってしまったのかと思えば、そうではなかった。
「こちらです。メニューがお決まりになりましたら、テーブルのブザーを鳴らして、お呼び下さい」
そう言い残し、クレイがいなくなるのを見計らってから、竜が話を再開する。
「……二十年だぜ、二十年。二十年も待ったんだ、今更冗談なんて言うかよ」
「じゃあ、本当にわたしを妻に迎えたいの?」
「あったりめーだ」
ふんぞり返る、かつての相棒へメリットは尋ねた。
「わたしの、どこが気に入ったの?……わたしが、クレイに似ているから?」
「バッカ、んなわけねーだろ!」
すぐさま否定された。
「クレイとお前と、どこが似てるっつぅんだよ?」
鼻息荒くテーブル越しに迫ってきた竜を、やんわりと押しのけながらメリットが呟く。
「……大人しい処、かしら」
「大人しい?お前が?お前が俺の頭にビール瓶を投げつけたこと、俺ァ一生忘れねーからな!」
いつの話だろう。二十年以上も前の些細な出来事など、もう忘れてしまった。
「じゃあ、どこが気に入ったの」
「そうだな、まずは俺様好みの美人なトコ。それから、よく気が回るトコ。そんでもって利己的、且つ理性に抑えられた行動の取れるトコなんかも大好きだぜ?」
ふぅん、とジト目になりながら、メリットは淡々と応えた。
「それだけなら、他にも候補がいたでしょう」
ところが竜は、あっさり「いねぇよ」と否定して、メリットの瞳をジィッと覗き込む。
心の中まで見透かされそうな視線に、ついつい目線を外すメリットへ、彼は言った。
「確かに今、俺が言ったような長所を持つ奴は他にもいるかもしれねぇ。だが、俺が好きになったメリットってぇ女は、お前一人しかいねーんだよ」
Kと活動していた、あの期間だけの仲間だったのに、出所するまで待っていたというならば、とんでもない大馬鹿者だ、白滝竜という男は。
またしても目頭が熱くなり、メリットは目元を慌てて拭う。
その手を不意に掴まれて、涙を浮かべたまま、彼女は掴んだ相手と見つめ合った。
「だからよ、俺と大工店を切り盛りしようぜ。第二の人生ってやつだ……いいだろ?」
優しい笑顔で微笑まれて、メリットにはもう、断る口実も残っていなかった。

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