BREAK SOLE

∽過去話∽ ブルー=クレイ観察日記


そいつの担当が俺に回ってきたのは、きっと、あの中で一番俺が若かったせいだろう。
そうじゃなければ、理由が思いつかない。
何しろ、当時の俺は子供嫌いを自称していたぐらいだからな。


ドイツにある、とある研究所内にて――
まん丸頭の眼鏡野郎、Q博士に呼び止められて、俺は渋々振り返った。
なんだよ、全く。こちとら新しい回路の実験がしたくて、うずうずしているっつーのに。
そうしたら、だ。
イライラする俺の前で、あの禿頭ときたら「人工人間の飼育係を誰にするか、迷っておったんじゃがのぅ。シラタキ君、君がやってみないかね?」などと抜かしやがる。
冗談じゃねぇ。俺は、自慢じゃないが子供は嫌いだ。
いくら人工人間っつってもよ、ベースは人間の子供だろ?泣かれたりしたら、たまったもんじゃねぇな。
人工人間っつーのは博士の作り出した人工の生命体なんだが、こいつがまた、見ておったまげだぜ?
髪の毛が、青いんだ。いや、冗談じゃなくマジで。
ったく、Qの禿頭が何を考えて青くしたんだか知らねぇが、クレイのやつも可哀想に。
あぁ、クレイってのは人工生命体の名前だ。
正式名称はブルー=クレイ。
え?ブルーが名前でクレイが名字じゃねぇのかって?
チッチッチッ、違うんだなぁ、これが。
ブルーってのは製造ネームなんだよ。博士は称号だと言い張っていたけどな。
青き星、すなわち地球を守る戦士としての生命体ってわけだ。こいつはシリーズ化も計画されている。
ま、やっと一弾目が完成したばかりなんで、二弾三弾が、いつになるかは俺にも判んねぇけどよ。

総責任者の決定とあっては逆らう事もできず、俺は仕方なく飼育室へ向かった。
……飼育室っつーとウサギやアヒルを飼育してるみたいでアレだから、言い直すと幼児部屋、だな。
幼児部屋ったって、ガラガラやオシャブリが置いてあるわけじゃねぇ。ここも研究部屋の一つだ。
ただ、ほかの部屋と違うのは、中央にベビーベッドが置いてある点だった。
まったく。このベッド、誰が購入したんだろうな?
女性研究員ならいいんだが、ハゲ博士や野郎どもだったりしたら、目も当てられねぇぜ。
で、そのベッドの中央に、でんと乗っかっているのが、ブルー=クレイってわけだ。
おーおー、何考えてんだか判らない目で、俺を見上げてやがる。泣いていないのが唯一の救いだね。
「こいつのおむつも俺が取っ替えなきゃいけねぇのかよ?」
だとしたら、たまんねぇ。夜逃げしたい気分だ。
俺の憂鬱な呟きに反応したのは、簡易水場に立っていた女性研究員のトア。
「あなたが頼まれたのは教育係でしょ。生活は、今まで通り私たちが担当するから安心してね」
コーヒーでも煎れてんのかと思っていたら、違った。彼女はミルクを温めているのだった。
「人工ミルクで育ててたのかよ」
人工生命体なだけに、か?
「そうよ、だって、ここには乳母さんなんていないもの」
さらりと答えた彼女の胸に視線を注ぎながら、俺はからかってやった。
「そのデッケェおっぱいは飾りものか?あんたが出してやれよ」
すると彼女、ふくれっつらで振り返り、胸を隠す真似をする。
「いやァねェ。出るわけないじゃない、あたしまだ、結婚もしてないのよ?」
揉めば出るんじゃねぇか?なんて言葉が脳裏をよぎったが、これ以上からかうと、アツアツのミルクを頭からごちそうになりそうなんで、やめておく。
代わりにクレイの寝ているベッドをのぞき込んだ。
……なんだよ、にらみ返してきやがって。しかもガン見じゃねぇか。かわいくねぇなぁ。
「ね〜、かわいいでしょう?ほっぺなんか、プニプニしていて柔らかいのよ」
トアは、いかにも女の言いそうなことを言ってやがる。
そりゃあな。自分の作った子供なら、俺だって、そう思うかもしれねぇさ。
でも、こいつと俺は血のつながりなんて一滴もない。いわば、赤の他人状態だ。
他人のガキだと思うと、途端に可愛くなくなるのは何故なんだろうな?
「よし、少しさまして……と」
トアがブツブツ言いながら、コンロの火を止める。
ほ乳瓶を持っているトコ見ると、後は、おきまりのコース一直線ってわけだ。
何故か「はい、ミルクでちゅよ〜」と幼児語になりながらミルクを与えるっていう、アレ。
あの大人特有である謎の行為を、この女も絶対やらかすだろうと俺は睨んでいる。
「しかしよ」
俺は髪の毛をかきあげながら、トアに尋ねた。
そういや髪の毛、だいぶ伸びてきたなァ。そろそろ切らねぇと、いい加減前も見えねぇぜ。
「教育係ってな、具体的には何をすりゃあいいんだ?」
「幼稚園と同じよ。人間として基本の一歩を教えてあげるの」
だから、その具体的な内容を教えろってんだ。
「でもクレイの場合、急いで大人にしなきゃいけないから」
「大人になるのは急いだって無理だろ?時が解決してくれるさ」
すかさず突っ込む俺にジト目をくれると、トアは言った。
「肉体的な大人じゃないわ。精神的な大人よ。あー、でも、あなたにできるかしら?精神的な大人じゃないもんねぇ、あなた」
だから、俺も言い返す。
「俺?俺は大人じゃねぇよ。まだ未成年だぜ?まだ子供も、子供だ」
トアは大げさに溜息をつき、俺から視線を外した。
「どうせ来年には大人になるんでしょうが。減らず口だけは一人前なのよね、あなたって」


次の日から、俺は手が空くたびにクレイの様子を見ることになった。
なに、見たくて見てるわけじゃない。
博士が行ってこいと催促すっから、仕方なく行ってやってるんだ。
通っているうちに、世話係の奴らと仲良くなれっかもしれねぇしなっ。
――だが、そんな俺の淡い期待を打ち砕くかのように、部屋にいたのは野郎が二人。
もとい、クレイと、もう一人。
ほ乳瓶を手に俺を待ち受けていたのは、男性研究員のジャックだった。
「待ってたぜ〜、シラタキ。今日から君が晴れてブルーの親代わりだっ」
まず、俺は聞いてやった。
「その、ほ乳瓶は何だ?」
するとジャックの野郎、満面の笑みで答えやがる。
「君が親だと言っただろ?親は子供の食事を面倒みてあげるもんさ」
突き出されたほ乳瓶を渋々受け取り、俺はベビーベッドの中へ突っ込んだ。
すかさずジャックが後ろから指示してくる。
「抱きかかえてあげなきゃ」
うるせぇな、今そうしようと思ってたトコだったんだよ。
しかし、赤ん坊なんて生まれて一度も抱いたことがないんだ。できるかな?
そっ……と体の下に手を入れて持ち上げようとすると、クレイに異変が起きた。

なんと、俺の手に、きゅっと掴まるようにしてきやがったのだ!

何度覗き込んでも、うつろな目でこっちを見ていた、人形みたいな赤ん坊がだぜ?
もちもちした、ちっちぇ指で、しっかと掴まってきやがったのだ。
そりゃあもう、驚いたの何のって。
ビビる俺の背後で、ジャックが笑っている。
「へっぴり腰だなぁ〜、お前、赤ん坊抱いたこともないってか?だめだめ、そんな抱き方じゃ床に落っことしちまうよ。こうやるんだ、見本を見せてやる」
なんだ、その手慣れたポーズ。
「姉貴に子供がいてさ、昔はよく世話をしてやったもんだよ」
オーヨチヨチとか何とか言いながら、奴は要領よくクレイを抱き上げる。
なるほど、背中とお尻に手をつければ上手く抱きかかえあげられるのか。簡単じゃねぇか。
クレイは脅えた目でジャックを見ている。
さっきまで、そいつに世話されていたんだろうに、恩知らずなやっちゃ。
「さ、シラタキ。次はお前の番だ」
サッと赤ん坊を差し出され、俺は恐る恐る受け取った。
うっ……柔らかい。それに、なんて生暖かいんだ。
まるで、でっけぇ猫を抱いているような気分だ。
青い毛並みの子猫ちゃんは、俺の腕にしっかとしがみついて、俺の顔を見上げてくる。
なんだよ、そんな情けない顔で見つめてくるんじゃねぇや。
ジャックがほ乳瓶を俺の手から取り上げると、クレイの口元に突っ込んだ。
「はーい、ブルーちゃぁん、ご飯でちゅよー」
トアと同じような真似を、こいつもやっている。
……なんで大人ってのは、幼児が相手だと幼児語になるんだろうな?
だが、クレイはほ乳瓶を飲まなかった。いや、咥えようとすらしていない。
脅えた目でジャックをチラ見したかと思えば、すぐに視線を俺の顔へ戻した。
「あれ?今はおなかいっぱいなのかなー」
先ほどは育児に慣れているふうを装っていたが、こいつも大したことねぇな。
「おう、俺がやってみるよ」
少し調子に乗った俺はジャックにほ乳瓶を渡して貰い、片手でクレイを抱き上げ、もう片方の手でほ乳瓶を握るとクレイの口元へ差し出してやった。
「ほら、飲めよ」
駄目だ、全然飲もうとしない。
やっぱジャックの言うように、今は腹が減っていないのか?
クレイを抱いている腕もしびれてきたので、俺は言ってやった。
「飲まないなら俺が飲んじまうぞ?」
すかさず「お前が飲んでどうするんだよ」とジャックが突っ込んでくるが、俺は無視した。
だが、ほ乳瓶を上に持ち上げようとした時、クレイの指が俺の指にタッチした。
まただ。また、じっと俺を見上げてくる。
ったく飲みたいのか?飲まないのか?早くどっちかに決めやがれってんだ。
あぁ、腕がブルブル震えてきやがった。こいつ、結構重たいなァ……
「三秒数える間に飲まないと、俺が全部飲んじまうぞォ、オラァ!」
半ば脅すような口調で再度ほ乳瓶を差し出してやると、今度こそクレイは、おずおずと、ほ乳瓶へクチをつけた。
「うわ、飲んだ!ブルーが飲んだ!」
ジャックの野郎、失礼にも驚いてやがる。
自分が差し出して飲まなかったからって、そこまで驚く事もねぇだろうが。
腕の中のクレイは一心不乱に、チュウチュウとほ乳瓶を吸っている。
両眼つぶって両手でしっかり瓶を抱えやがって、誰も取りゃしねぇよ、そんなもん。
「……な、可愛いだろ?」
ジャックが囁いてくる。
甘いな、この程度じゃ俺を頷かさせるこたぁできねぇよ。
「ちょっと揺すってあげなよ。トアがやってあげた時は喜んでいたからさ」
背後の奴がうるさく呟いてくるので、仕方ねぇ。
ジャックのリクエストに応えて、ミルク食事中のクレイを、ゆるやかに揺すってやる。
すると、どうだ。
クレイは瓶からクチを放し、じっと俺を見た。
やべぇ、食事の邪魔したから怒ったのか?と慌てる俺の前で、奴は、ほんのりと微笑んだ。
見る者の心を、ほんのり暖かくするほどの柔らかい笑顔で。


俺は、たちまちクレイの虜となった。

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