BREAK SOLE

∽番外∽ ブルー=クレイのバレンタイン


二月中旬――
サロンでは、一騒ぎ持ち上がっていた。
人垣の中心にいるのは、ツンツンと跳ねまくった金髪頭の少年。ピートだ。
彼を囲んでいるのも、少年ばかり。彼らに囲まれて、ピートは声を潜めた。
「さっき、食堂で確認してきたんだが……」
一呼吸置いて、絶叫。
「ハルナちゃんが、チョコを作っているらしぃぃぃッッ!!」
人垣に衝撃が走る。
「なッ、なんだってェェェェ!!!?」

大豪寺春名。
有雅致中学卒業生であり、皆の仲間でもある少女。
学生時代、常に家庭科では満点ランクの成績を誇ったと噂に高い。
調理実習では授業終了後と同時に、飢えた男子生徒に囲まれたという伝説もある。
彼女の作る料理は、どれも絶品。味だけではない、盛りつけも完璧にこなす。
家庭科の先生は勿論のこと、校長先生ですら舌鼓をうったとか、なんとか。
そういうレベルの、超!クッキングマスターなのである。

その彼女が、チョコレートを作っているらしい。
となれば、男子の注目も集まるというもの。
どいつもこいつも、ギラギラと野獣のように目を輝かせている。
「や……やっぱり、本命と義理と、両方作ってるのかなぁ」
ドキドキしながら川村が言えば、猿山が当然だとばかりに頷く。
「大豪寺のことだ、用意してるだろうぜ!義理も、もちろん手作りでな」
「ど、どんなのだった?ピート、彼女が、どんなのを作ってたか見てないのか?」
鼻息荒く迫ってくる近藤を手で押しのけ、ピートはまたも声を潜める。
「それがさぁ……厨房の窓に紙が貼ってあったんだよ。中は見えなくて」
紙には、でっかく『バレンタインの準備中!男子は入室禁止!!』と、書かれていたらしい。
それでも隙間から覗けないものかとピートが頑張っていたら、後ろからポンと肩を叩かれた。
振り向くと、そこにいたのは有吉と優。
「大豪寺さん達、頑張ってるみたいだから。邪魔しないであげてね?」
有吉の有無を言わせぬ口調と視線に負けて、ピートは、すごすご逃げ帰ったという次第であった。
「二人とも終わったってことか?……いや、そうじゃないな。買い派って事も考えられるか」
晃が一人でブツブツ呟いている。
恋愛には興味ない彼でも、誰が誰に渡すのかは興味があるのか、人垣の中にちゃっかり混ざっている。
「あぁ、佐々木は買い派だろ。有吉さんも手作りってタイプじゃないしね〜」
判ったようなことを有樹が言う。
何しろ実際毎年、優からチョコを貰っていた本人だ。彼女のチョコは毎年、市販のチョコだった。
「佐々木さんのって確か、毎年10円チョコだったよな。あいつ、いつもお手軽思考で」
言いかける近藤に、有樹が疑問口調で遮る。
「え?10円チョコ?俺が貰ってたのは、そうだな、大体500円ぐらいしそうなやつだったけど?」
「ぐっはぁぁぁ!!自慢か筑間、それは自慢かッ!」
激怒する近藤にプロレス技をかけられ、有樹の悲鳴がサロンに響き渡る。
「あ、いたた!やめて、やめてよ〜」
「……そもそも、あの有吉くんがバレンタイン?イメージと合わないな」
じゃれる二人を遠目に吉田が呟き、晃も同意する。
「彼女、クールだからな。こういうイベントは好きじゃないだろ」
勝手なイメージで決めつけている。乙女に対して、なんという仕打ち。
「じゃあ、何が出来るかは、出来てからのお楽しみってことか」
当たり前のことを笹本が言って、皆も頷いた。


食堂の厨房には、甘ったるい匂いが充満している。
一時期、カレーの匂いも混ざったりしていたのだが、それはそれ。
「できたっ!」
春名が会心の笑みを浮かべ、横から覗き込んだ雲母も拍手喝采で褒め称える。
「わ〜っ!すっごぉい、大豪寺さん。力作だねぇ〜!」
春名の作っていたもの。
それは、大きなシフォンチョコケーキだった。
皆で切って分けられるように、と考えてチョコケーキにしたのである。
これなら義理も本命も関係ない。皆同じで平等だ。
ちなみに、先ほど雲母と倖のお菓子も完成した。
雲母のはホワイトデコレーション。春名と同じくケーキにチョコを塗るタイプを選択。
倖のは丸い小さなチョコレートで、中にブランデーが入っている。
一口サイズの小さなチョコだが、皆で分けられるようにと大量生産した。
「いっぱいできたね。でも皆、食べてくれるかなぁ?」
などと言いながら、春名は飾りをつけていく。
「大丈夫っ!こ〜んな可愛い女の子三人が作ったんだよ?断る人は死刑なんだから!」
雲母が物騒な事を言ってピョンピョン飛びはね、その傍らで倖も呟く。
「うん…………三時は過ぎちゃったけど、夕食後のデザートにすれば、いいと思う」
「それに、冷蔵庫に入れておけば少しは長持ちするし。ゆっくり食べよ?」
ラッピングをかけ、自分のをしまっている雲母に春名は尋ねた。
「しまっちゃうの?」
「私のはねぇ〜、明日の分!今日のデザートは、大豪寺さんと水岩さんのを食べるのっ」
勝手に予定まで決めている。倖と春名は顔を見合わせ、苦笑した。
ふと思い出したように、倖がポツリと呟く。
「これだけあっても、スタッフの人たちまでは、回らないかもしれない……ね」
そうだね、と春名が同意する前に雲母が遮った。
「あ、それなら大丈〜夫。前田さんがねぇ、配ってたから」
「前田さんが?何を?」
尋ね返す春名へ、ウィンクを飛ばして彼女は笑った。
「い〜っぱい、市販のチョコを!スタッフ全員に配るんだって、張り切ってたよ?」
「そうなんだ。すごいねぇ」
素直に感心する春名に気をよくしたか、さらに内緒の情報を教える雲母。
「工藤さんも参加してたよ。でね?お財布係は有田さんなんだって」
感心したのも、そこまでで。やっぱりか、と春名は呆れかえる。
「……ありゃぁ……自分のお金じゃ、ないんだ」
でも、しょうがないよ、と倖がフォローに入る。
「スタッフ……沢山いるもん」
そうだね、と春名も苦笑して、最後の飾りを乗せて完成させた。
「ね、ね。大豪寺さん。クレイ、喜んでくれるかなぁ?」
戸口に貼り付けた紙を剥がしながら雲母が問い、少し考えて、春名は答える。
「食べたことがあってもなくても、喜んでくれるとは思うよ。ね?」
倖にも同意を求めたが、彼女は「う〜ん」とでも言い出しそうな難しい顔で、悩んでいた。
つくづく、嘘のつけない正直者である。


夕飯は、何故かT博士主催によるカレーパーティーだった。
カレーの後にチョコレートケーキって変かなぁ、などと悩みつつ、春名は厨房へ向かう。
冷蔵庫からシフォンケーキを取り出し、一つ一つ切って皿へ乗せていく。
クレイがいる席には、早くも人だかりが出来ていた。
そこには瞳や秋子の姿もあったが、お色気ムンムンのお姉様パワーに押され気味である。
クレイの側は女性スタッフが密集し、押しくらまんじゅう状態だった。
お皿を洗いながら、横目に雲母が呟く。
「やっぱ人気あるよねぇ〜、クレイって」
比べて同窓生陣営は、少々寂しい展開になっている。有樹ぐらいだろう、人気があるのは。
「クレイにもあげるよっ。はい、10円チョコ!」
高級チョコレートが机に積み重なる中、優がクレイに最安価のチョコを渡している。
彼女こそ、真の勇者に違いない。
ちなみに今年も有樹にだけは、500円相当のチョコを渡している。
机に積まれたチョコをちらりと一瞥してから、有吉はクレイに尋ねた。
「どう?今の感想は。それとも、こんなのはもう慣れっこかしら?」
同じく山積みのチョコを一瞥して、クレイが答える。
『どうと言われても。何故毎年、皆は、この物体を俺に与える?』
「物体だなんて、ひどいわねぇ。チョコレートだって教えてあげたじゃない」
すかさず横からスタッフに突っ込まれ、ちょん、と頬を突っつかれる。
困惑のクレイに有吉も苦笑して、山積みから適当にチョイスした包みを一つ開く。
「へぇ……ブランドものかぁ。皆、結構奮発してるのね」
などと感心しながら、小さなハートの形をしたチョコレートを摘み上げて、クレイに手渡した。
「百聞は一見にしかず、ってね。食べてごらんなさいよ」
こくんと頷き、クレイは恐る恐る手に乗ったチョコレートを口の中へ放り込む。
その様が、あまりにもおかしくて、有吉はつい声をあげて笑ってしまった。
「あはは……もしかして、チョコを食べるのは初めてなの?ブルーは」
もにゅもにゅ、と口を動かしながら、クレイが答える。
こういう時は便利だ。通話機って。
『Q博士に食べるなと命じられていた。だから、今まで貰った分は全て博士が消化していた』
「なぁんですってぇぇぇ!!!?」
ガタンッ!と席を立ち、女性スタッフの何人かが博士の元へ走っていった。
彼女達の殺気に怯えるクレイを促すと、彼は初めてであると認め、嬉しそうに微笑む。
『だが、これからは自分で消化する』
おいしかったのね。
彼の表情から察し、有吉も嬉しくなる。
「知ってる?なんで女の人が、チョコをくれるか。その理由」
それには首をふるクレイへ、続けて言った。
「チョコには好きって意味が込められてるの」
彼女にしては乙女ちっくに決めたというのに、次のクレイの一言で台無しに。
『つまり、餌付けか』
ポツリと呟いた彼には、さすがの有吉も呆然。
「そ、そーじゃなくて!」
珍しく怒鳴った時、春名が厨房からワゴンと共に姿を現した。

「みんな〜、大豪寺さんのシフォンケーキが出てきたよぉ〜っ」
雲母が騒ぐまでもなく、ワゴンには同窓生とピートの顔がずらりと並んでいる。
どいつもこいつも涎を床まで垂らしそうなほど、飢えた目つきでケーキを見つめていた。
「だ、だだだ大豪寺、これ、全部食って良いのか?!」
「あはは、猿山くん。全部はダメだよ〜、一人一皿。ね?」
「俺、これ!これ取った!」
「あ、ちょっと待って、紅茶も煎れてあるから。それと一緒に食べて」
「これ、もーらいぃ〜!一番でっかいやつ、ゲットォォォ!!」
「全部同じだってば。近藤くんってば、欲張りなんだから」
「ぐおぉぉ!ずるいぞ近藤、それよこせ!それは俺が前から目をつけてたんだぁ!」
「うっせぇ筑間!お前は佐々木から貰ったチョコでもモリモリ食ってろ!!」
「全部同じって言ってるだろ?お前ら、少しは鈴木君や笹本君を見習ったらどうだ」
晃に窘められ、奪い合い合戦に入っていた連中が一斉に振り向く。
紅茶のカップを前に、笹本と鈴木の二人は大人しく着席していた。紳士だ。
「ほら、大豪寺さんを困らすんじゃない。とっとと席に戻った、戻った」
「チェッ」だの何だの文句言いつつも、ピートは席に戻っていく。
しっかりちゃっかり、一皿キープしつつ。
「大豪寺さん、ごめんな。皆ギラギラしてて……気持ち悪かっただろ」
紳士の笹本がフォローに回れば、春名は「うぅん」と首を振って笑う。
「皆が楽しみにしてくれてて、すっごく嬉しいよ。はい、二人ともどうぞ」
さっそくフォークを手にして「いただきまーす」と鈴木が一口。
「うん。おいしいよ、今年も頑張ったんだね」
紳士に感想を述べ、春名を喜ばせた。
がっついていた猿山やピートも、彼に負けじと褒め称える。
「大豪寺はクッキングマスターだ」だの「ハルナちゃん、来年はオレに本命を作ってくれよな」だのと。
褒めるというよりは、来年の本命を期待してるだけじゃないか――?
晃は呆れて、溜息をついた。
うん。それにしても、おいしい。
彼女が年々腕をあげてきているのは、晃も認めるところだ。
小学生の頃、いや、もっと前、幼稚園の頃から貰い続けている晃でさえ、太鼓判を押すチョコケーキ。
この味、クレイはお気に召しただろうか?
そっとクレイの様子を伺うと、彼も紅茶を飲み飲みシフォンケーキを食している。
傍らでは女の子達も一緒にケーキを食べている。
ケーキの皿は、同窓生全員とパイロット三人の分だけ用意してあったようだ。

――こんなにおいしいのを、秋生くんは毎年貰っていたのね。
春名の腕前に内心、舌を巻きつつ、有吉は尋ねた。
「どう?おいしい?」
今度また餌付けなんて言ったら、マジでクレイをぶっ殺しかねない目つきで。
最後の一欠片を飲み込み、紅茶を優雅に飲み干してから、クレイは答え――
ようとした時、皿を片付けに春名が目前へ現れたので、慌てて打ち込んだ文字を削除した。
まさかまた、餌付けって言おうとしていた?
有吉のこめかみはピリピリと引きつり、クレイは下を向く。
二人の様子に妙な違和感を抱きつつも、春名はお愛想で尋ねた。
「ど、どうだったかな、二人とも。くちに合った?」
「おいしかったわ、すごく。来年も食べたいな」
すぐさま有吉は笑顔に戻り、先ほどまでのは自分の見間違いだと春名も思い直す。
「ありがとう。有吉さんに褒めてもらえるなんて、嬉しいなぁ」
「あら、そう?私だって、いいものはキチンと褒めるわよ」
「そうじゃなくて。なんていうか、賞を取ったみたいで嬉しいの」
モジモジしながら言葉を探す春名を見て、倖もこっそり同意する。
優等生に認めてもらえるというのは、倖や春名のような凡人にとっては一つのステータスといえる。
『有吉澄子も認める世界のシフォンケーキ!』――みたいな、感じで。
本人からしてみれば、何だそりゃ?って思うかもしれないが。
クレイは少し躊躇してから、春名を見上げて、立ち上がった。
「え?」
真横に立たれ、びくつく彼女へ耳打ちする。
ぼそぼそと囁かれた春名は、すぐさま「違うよ!」と何かを否定して、クレイへ向き直る。
「これは、え、と、その……感謝?そう、感謝だから!」

――何を尋ねやがったのかしら、こいつ――

殺気立つ有吉の肩を、ぽむぽむと倖が叩く。スーちゃん、気持ちが表に出ちゃってるよ。
「皆に、感謝の気持ちを込めて作ったの。だから、その……好きとか、餌付けとか、そういうのじゃないんだから。も、もうっ!」
バシーン!とクレイの背中を景気よく引っぱたき、春名は真っ赤になって厨房へ駆けていった。
「餌付けじゃないって、さっきも言ったでしょう?」
再びピリピリした有吉が鋭い目つきでクレイを睨みつける。
彼は申し訳なさそうに、俯いて言った。
『だから確認を取った。春名がくれた理由の確認を』
「どう確認したっていうの。まさか、あなた餌付けするために渡したのか?なんて聞いたんじゃ」
コクリと頷くクレイを見て、心底こいつをぶん殴りたいと思った有吉だが、先を続ける彼を見ているうちに、怒りも、いつの間にか四散していった。
『だが春名は違うと言った。俺に感謝していると。感謝しているのは、こちらの方なのに。だから』
「だから?」
『次は、俺が春名へ感謝の気持ちを送る番だ』
なら、と、真っ向から彼を見据えて有吉は微笑んだ。今日の彼女の中では、最高の笑顔で。
「三月十四日。その日にあげるといいわね。大豪寺さんも、そのほうが喜んでくれるわよ」

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