BREAK SOLE

∽後日談∽ こどもの日


何年経とうと、人間というものは根本的に休日が好きな生き物である。
百年後の今でもゴールデンウィークという長い祭日期間は、人々の暮らしの中に残っていた。
「ね、クレイは何処に行きたい?」
旅行会社のチラシを広げて、居間に寝転んでいるのは春名。
宇宙人を退けて、やっと平和になった地球は、徐々に昔の生活を取り戻しつつある。
空襲中は全ての乗り物が運休していたが、今は電車もバスも通常通りに運行していた。
春名は二年遅れで高校に入学し、現在は元気に通っている。
家に帰れば祖母、そして祖父とお手伝いさんが出迎えてくれる毎日だ。
お手伝いさんといっても、ヘルパーセンターで雇った正式の家政婦ではない。
宇宙人が空襲を仕掛けていた頃に偶然知り合った青年を居候させていた。
そのお手伝いさんことクレイは先ほどから無言で部屋の掃除をしていたのだが、学校から帰ってきた途端、春名が畳一面にチラシをばらまくもんだから仕事もままならない。
仕方なく、掃除の手を休めて一緒にチラシを見ることにした。

『ハワイ・グアム一週間の旅』
『大阪京都・名所巡り』
『イギリス六日間の旅』

日本は勿論、世界各国に渡ってのツアー広告ばかりだった。
チラシに走る『ドイツ』の文字を見た瞬間、クレイの脳裏にはQ博士の顔が浮かぶ。
喧嘩別れのような別れ方をしてしまったけれど、博士は元気でやっているだろうか?
「予算は……えっと、今の貯金が五万円だからァ」
通帳を広げて春名がブツブツ言っている。
家族四人で予算は五万か。厳しい旅行になりそうだ。
「お爺ちゃんの貯金が……五百万でしょォ?」
玄也博士のへそくりも使うのか。
しかし腐っても博士、五百万も貯金しているとは侮れない。
「こりゃ、春名。はしたないカッコで、なぁにやっとるんじゃ?」
不意に襖が開いて、奥の部屋からやってきたのは白髪の老人。
この家の現主人であり、春名の祖父でもある大豪寺玄也だ。
「あ、お爺ちゃん」
春名は起き上がり、預金通帳を広げて見せた。
「今ね、クレイとゴールデンウィークの計画を話し合ってたの。どこ行こうかなって」
玄也はチラリと柱の日めくりカレンダーへ目をやり、小さく呟く。
「今から決めるのか?ちと、遅すぎるじゃろ」
カレンダーの日付は四月二十八日。祖父の言うとおり、今からでは宿の予約も難しかろう。
「え〜?」と、あからさまに不服そうな孫娘の頭を撫でてやり、玄也が続けて言う。
「別に、どこかへ無理に出かける必要などあるまい。五月五日の正しい在り方を、クレイに教えてやるって楽しみ方があるしのぅ」
春名は「五月五日の正しい在り方……?」と首を傾げ、クレイがジッと玄也を見つめる。
玄也もクレイを見つめ返し、ニカッと歯を見せて笑った。
「そうだ。端午の節句というのはな、クレイ。元来は男児の成長を祝う日だったのじゃ」


「……だからって、女の子を労働力に使う必要ないと思うんだけど、なーっ」
大豪寺宅、屋根の上にて。
祖父に引っ張り出され、無理矢理屋根の上に登らされた春名が文句を垂れる。
猫でもあるまいし、屋根の上で何をやっているのかというと、鯉のぼりを立てようという魂胆であった。
鯉のぼりを吊り下げるポールは、物干し竿で代用だ。
「文句を言うんじゃない、若い労働力が。ほれほれ、腰がヘッぴりになっとるぞ?」
後ろから玄也にペチペチとお尻を引っぱたかれ、春名は口を尖らせる。
「やだ、お爺ちゃんっ。お尻叩かないでよ、もぉー!」
玄也は聞こえぬふりをして、物干し竿を屋根の上で垂直に立てた。
「ほれ、ちゃんと支えておれ」
孫娘に命じると、竿を屋根へ取りつけにかかった。
大工道具を使っての本格的な工事に、下で見ている祖母やクレイは気が気ではない。
なんといっても玄也はご老体。春名だって、うっかりツルリと落ちかねない。
「ねー、お爺ちゃん、まだぁ?」
瓦屋根の上ともなれば足下が不安定で、春名の顔にも不安が伺えた。
一方の玄也は不安など何処吹く風、全く余裕の表情でトンカチを振るっている。
「もうすぐじゃ。……ほれ、これでよし、と」
スックと立ち上がると、二、三度、竿の安定を確かめてから先に降りろと春名を促した。
春名もスックと立ち上がり――続けてオットットと、よろめいた。
急に立ち上がったので、立ちくらみがきたのだ。
なにしろ本日はポカポカと、実に暖かい陽気だったので。
「……っとっと、ひゃ、ひゃあ!」
「春名!」と叫んだのは玄也だったか、それとも祖母の富美か、クレイだったのか。
ともかく足を滑らせて屋根から落っこちた春名は、クレイの腕にしっかりと抱き留められていた。
「あ、う……」
背中を、お尻を伝わって、クレイの力強い腕を感じられる。
そうと判った途端、冷や汗は一気に引いて、代わりに乙女心が春名の頬を赤く染めた。
抱きしめたまま、クレイがにっこりと微笑んでくる。
「大丈夫か?春名」
「う、うん。うん」
おかげで春名は、真っ赤になって水飲み鳥よろしくコクコクと頷くばかり。
梯子で降りてきた玄也が額の汗を拭う。
「ひやっとしたぞい。気をつけんか、春名」
富美も近寄ってきて孫娘の頭を優しく撫でた。
「無事でよかったのぉー春名」
「う、うん。ごめんね、皆……」
乙女心ばかりではなく羞恥心でも真っ赤になる春名を抱えたまま、クレイが玄也へ尋ねる。
「……ところで、あの旗には何の意味があるのですか?」
玄也は苦笑し、屋根の上を振り仰いだ。
「バカ、旗ではないわ。鯉のぼりよ」
「鯉のぼり?」
首を傾げるクレイへ、春名が早口に説明する。
このままクレイの温もりを感じるのは悪くないのだが、如何せん祖母と祖父の目がある。
だが会話の途中で割り込むのは気が引けたので、ならば、さっさと説明を終わらせようと考えたのだ。
「あのね、クレイ。鯉のぼりってのは男の子の成長と出世を願ってつるすものなんだよ」
「成長と出世……」
ぽつりと呟いたクレイも、屋根を振り仰ぐ。
そよとも風が吹かぬせいか、鯉のぼりは屋根の上でダランと垂れ下がっていた。
「でね……あの、そろそろ降ろしてもらえないかなぁ?」
何気なさを装って小さく呟いたつもりだったのに祖父や祖母にはバッチリ聞かれていたようで、背後から玄也の馬鹿笑いが聞こえてきたかと思うと、次の瞬間にはバシバシ肩を叩かれる。
「なぁに、お姫様ダッコも絵になっとるぞ?春名。どれ、今キャメラを持ってきてやるからな!」
「や、やだ!何、カメラって!?は、恥ずかしいからヤダ〜〜!!」
春名はジタバタ暴れたのだが、クレイはがっちり抱えていて、一向に降ろしてくれない。
やだ、クレイも写真に撮って貰う気満々なの?と焦った春名が見上げてみれば、クレイは目を閉じていた。
ややあって彼は目を開き、春名と目を併せて微笑んだ。
「今、鯉のぼりに春名の出世を祈願した。春名は男ではないが、この家の子供だ。きっと願いをかなえてくれる」
「え……」
思ってもみない答えで春名がポカーンとしている間に、カメラを持って祖父が舞い戻ってくる。
「シャッターチャンスじゃ、そりゃっ!」
ピカッと目映い光が二人を襲い、あっと思ったのも一歩遅く。
「も〜、お爺ちゃんのバカ〜ッ!」
世にも恥ずかしい、お姫様ダッコ姿を写真に撮られてしまった……


春名の家の屋根で鯉のぼりが、たなびいたりダランとしたりした数日後。
きたる五月五日は朝も早くから、春名と祖母の富美が割烹着で台所を占拠していた。
「ほっほぉ、春名ぁ、上手にまるめられたのォ」
二人して、目の前の皿へ、せっせと丸めた餅を並べている。
「えへへ……こっちのほうが得意なんだから」
お婆ちゃんに褒められて有頂天になった春名は餅を丸める傍ら、アンコの火を止めて掻き回す。
春名の家では、アンコも手作りであった。
市販のアンコを使った邪道な柏餅を、クレイに食べさせるわけにはいかない。
料理好きたるもののプライドである。
「ほっほぅ、随分と沢山作りおったのぅ」
のれんをかきわけて、玄也も様子を見にやってくる。
「春名がのォー全部作ったんじゃよ」
富美が嬉しそうに答え、玄也も微笑み返して、餅の一つを手に取った。
「綺麗な形をしておるわい。さしずめ愛の結晶といったところじゃのぅ」
「な、何、それ?そんなんじゃないもん」
照れてごまかす春名だが、クレイへ食べさせるためにと張り切ったのは事実。
「照れるな、照れるな。儂も婆さんに、よく作ってもらったもんじゃ。愛の柏餅をのぅ」
「ほっほっほ」と富美までもが照れてしまって、台所が賑やかになる。
一人、手持ちぶたさに部屋の掃除をしていたクレイも、何事かと集まってきた。
「あ、クレイ。もうちょっと待っててね?あんこが冷えてから冷蔵庫に入れるから」
クレイは皿の上に並べられた白くて丸いモノをジッと眺める。
続いて鍋の中で湯気をあげているアンコを見、何かを納得したようにコクリと頷いた。
「ほぅ、お主は柏餅を知っておるようじゃな。何処で見た?」
玄也に尋ねられ、彼は答えた。
「はい。ドイツの研究所に居た頃、リュウ兄さんが作ってくれました」
リュウ兄さん、というのは研究所時代にクレイの世話係を務めていた男である。
彼とは十余年の月日を経て再会した。
「なるほどのぅ……ククッ、春名よ、先を越されたな」
意地悪く玄也に笑われて、春名は思わずカッとなって言い返した。
「先とか後とか、そんなの関係ないもんっ。料理は愛情なの!!愛情のこもってるほうが、ずっとずっと、おいしいんだから!」
「フッフフフ、この柏餅が愛の結晶であることを認めおったか」
誘導だったと気づいて春名が赤くなるよりも前に、祖父は軽い足取りで台所を出ていった。
「では完成を待つとするか!春名の愛情料理をのぉ」と言い残して。
春名は、ちらっとクレイを見る。クレイも春名を見た。
「……春名、完成を楽しみに待っている」
彼はニコリと微笑み、台所を出ていく。
しかし先の発言に対しては驚くほど無表情だったので、春名は少しションボリした。
気づかなかったのか、それともクレイにとっては、どうでもいいのか。それが問題だ。
心持ち暗くなる孫を心配してか、横合いから祖母が励ましてくる。
「ほれ、ほれ、春名ぁ。料理は愛情、愛情」
「う、うん。そうだよね。愛情、愛情!」
ぎこちない笑みを浮かべると、春名も必死で気持ちを切り替えようと努めるのであった。

蒸して冷やすこと小一時間。
やっと完成した柏餅を皿に並べて、春名は叫んだ。
「おじいちゃーん!クレイ〜!できたよぉーっ」
キャメラことデジカメを手に抱えて祖父が戻ってくる。
続いてクレイも入ってきた。こちらは手ぶらだ。
「ほぉー!さすがは愛の結晶、見事な出来映えじゃ!」
「さっ、クレイ、席について!お茶入れるから早く食べよっ」
祖父の戯言を遮るように早口でクレイを促すと、春名は茶筒を手に取る。
早くも着席した富美が並べた湯飲みへ茶を注いでいる間に、祖父が手づかみで一つ掴み取った。
「ちょっと、お爺ちゃん!座ってから食べてよー」
「おふっ、んまっ。んまぃっ!もっちりしていて、それでいてアンコがつぶつぶで」
「グルメごっこはいいから、着席!」
もっふもっふと口を動かしつつ席に腰掛ける玄也に続いて、クレイも着席する。
一応立場の上ではホームヘルパーである彼は、玄也が先に座るのを待っていたようだ。
「はい、クレイもどうぞ。お口にあうといいんだけど」
満面の笑みを湛えて促す春名を、玄也が冷やかしてくる。
「口に合わんはずがないわ、春名の愛情がたっぷり詰まっておるからのぅ!」
「も、もう!おじーちゃんは黙ってて!」
「なぁ〜にを恥ずかしがっておるか!かくいう儂も若い頃は婆さんの愛情料理をたっぷり馳走になったもんじゃ、なぁ婆さん!」
「やぁーだよ、爺さん。そゆことは、ここで言うもんじゃないねぇー」
キャッキャとはしゃぐ大豪寺一家を横目に、クレイは柏餅を手に取り、かぶりつく。
玄也の言うとおり餅の部分は柔らかく、アンコはツブツブが残っている。
リュウ兄さんの柏餅はアンコが滑らかだった。ツブツブというのも味があると知った。
料理は愛情。春名、そして玄也も口にした、この言葉。
最も意味が伝わりやすく、料理を表現するのに適した言葉であると言える。
この柏餅は、おいしい。春名の気持ちが込められているおかげだろう。
もちろんリュウ兄さんのもおいしかったが、料理というのは比べてみるものではない。
リュウの作った柏餅は、リュウの作った柏餅として個別に評価するべきだ。
「……ね、どう?クレイ。おいしい……かな?」
春名が控えめに感想を尋ねてくるので、クレイは微笑んで答えた。
「あぁ。おいしい」
途端に春名の顔にはパァァッと光がさし、いそいそと一つ手に取ると差し出してきた。
「ホント?あ、お餅は一つだけじゃなくて二つ食べてもいいんだよ?よかったら、じゃんじゃん食べてね!全部食べてもいいから!」
「フッフフ、よかったのぅ春名」
祖父が微笑み、祖母も満面の笑み。
「えがったのぉー、春名」
それに答える春名も、やはり心から喜んでいるといった顔をしていた。
「うん!」
たった一言、感想を述べただけで皆の心が明るくなった。
愛情の籠もった料理を、粗末にしてはいけない。
……そうか、それが五月五日の本当の意味か。と、クレイは考えた。
男児の成長を願うというのは、親から子への愛情を示す行為である。
だが、愛情を表現するのは難しい。くちで言うだけでは伝わらない事も多々ある。
そこで柏餅の出番となる。愛情を柏餅に込めれば相手にも、それが伝わるはずだ。
今思いついた持論に、クレイは自分で満足する。
春名も玄也も富美もニコニコしている。
クレイが柏餅に秘められた、春名の愛情に気づいたからだ。
「春名」
二つ目も綺麗に平らげたクレイが言った。
「何?」
「来年の五月五日は、俺が柏餅を作ろう。春名の為に」
この一言で、またしても大豪寺家の食卓が賑やかになったことは言うまでもない。

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