BREAK SOLE

∽20∽ あなたを、守りたい


クレイに連れられて、春名が来たのは青い扉の私室。
扉にかかるプレートには、共通語で『クレイ』の名が刻まれている。
ここまで来ると、さすがに廊下には人の姿もない。
「あの……?」
春名が何か尋ねようとするも、クレイは戸を開き、無言で彼女を促した。
中へ入れ、と。

部屋の中は、青かった。
空色の壁紙に、家具は青色で統一されている。掛け布団も真っ青だ。
――ブルーだから、青なの?
だったらAソルも青く染めるべきだわ。
などと、どうでもいいことを考えつつ、春名は部屋へお邪魔する。
入ると同時に、背中で扉が閉められた。
「春名。受け取って欲しいものがある」
二人っきりになれた途端、クレイは自前の声で話し始める。
しかも、いきなり用件を切り出してくるあたり、猿山に負けず劣らず単刀直入だ。
「な……なに?」
心なし上擦りがちになりながらも春名が問い返すと、目の前に、ぶらん、と下げられたのは真っ赤な鍵。
「何?これ」
「Aソルのスペア起動キーだ」
「起動、キー?Aソルの?」
何だって、そんなものを春名に渡そうというのか。
てっきり何か、クリスマスプレゼントでも渡されるのだとばかり思っていたのに。
期待が、しゅるしゅると音を立てて萎んでいくのを、春名は胸の内に感じ取る。
ものすごく期待していた自分を改めて自覚すると同時に、目の前の男に腹も立てた。
彼は、クレイは本当に何を考えているのか、さっぱり判らない。
初対面の頃から、気があるようで気がない素振りばかり見せられて。
からかっているのだろうか。春名がアタフタ赤くなって慌てる姿を見て。
思わせぶりな態度を取るだけ取って肩透かしされるほど、女にとって嫌なものはない。
ピートのように、あからさまにアタックされた方が却って清々しいというものだ。
「あぁ」
コクリと頷くと、クレイは春名の手の中にキーを落とす。
「春名に持っていてもらいたい。いつでも、会えるように」
「会えるって、いつでも会えるじゃない。同じ基地に住んでるんだし」
むくれた気分が、ついつい表にも出てしまい、春名は少々喧嘩腰だ。
それに気づいているのかいないのか、クレイは横に首を振ると、言い直した。
「緊急事態が発生した時には、春名にもAソルに乗り込んで欲しい」
「え!?」
春名がソルに乗り込むような事態って、それこそが天変地異の前触れだ。
一体どういう危機に陥れば、そんな状況になるというのだろうか。
「離ればなれでいたら春名を守れない。そんな状況は嫌だ。基地が危なくなった時は、春名もAソルに乗り込めばいい」
「で、でも!ここ、海底だよ?海底にある基地が危なくなるって……」
宇宙人が海底まで攻めてくると?
絶対にありえないとは言い切れないが、しかし想像も出来ない。
「世の中には絶対などない、とQ博士も言っていた。事態は常に最悪を想定して動かなければいけない。俺は……春名を失いたくない。だから常に共に居たいと思っている」

……何か今、爆弾宣言をされた気がする。
それも、プロポーズと言ってもいいようなクラスの宣言を。

ちらっと上目遣いに彼を伺うと、クレイは真っ直ぐ春名を見つめていた。
澄んだ目には、一点の曇りもない。
邪心がない、つまりは本心で言っているということになる。
でも、常に一緒に居たいって――?
それって、それって、どういう意味?
あらぬ妄想に胸をときめかせ、春名がほんわり赤くなっているうちに、クレイは机の引き出しを開けて、何か鎖のような長い物を取り出した。
「それから、もう一つ。これは春名へのプレゼントだ」
起動キーとは別に、プレゼントはプレゼントとして用意してあったようだ。
彼に腹を立てたことが急に恥ずかしくなり、春名はショボンと項垂れる。
が、「春名?」と名を呼ばれて再び顔を上げ、心配そうな目と合い、慌てて誤魔化した。
「うぅん、何でもないの」
クレイは両手で銀色の鎖を持っている。
只の鎖じゃない。
真ん中に、キラキラしたものがぶら下がっているペンダントだ。
不意に金属の冷たさが首筋から伝わり、春名はビクッと身を竦ませる。
クレイの手も首筋に触れたが、それは一瞬のことで、春名は首にかけられたペンダントを、じっと見つめた。
キラキラしているのは小さな宝石であった。青い輝きを放っている。
「これ、もしかしてサファイア?」
図鑑でしか見たことはないが、青く輝く宝石といえば、それしか思いつかない。
クレイは頷き、照れくさそうに呟く。
「あまり時間がなかった。急造で済まない」
「急造って……このペンダント、クレイが作ったの!?」
急造という割には店で売られている貴金属と、そう大差ないように思えた。
少なくとも、ぽろっと何かの拍子で壊れたりするほどヤワではなさそうだ。
再び彼が頷くのを見て、春名は慌ててバッグの中を探った。
渡すなら、今しかない。
「あ、あの、これ。……受け取って欲しいの」
春名がバッグから取り出した小箱。
晃や猿山に渡した箱とは、包装からして違っていた。
落ち着いたシックな色合いの紙で包まれて、丁寧にリボンまで結んである。
猿山達のは、普通にカラフルな包装紙で包まれていただけだったのだが。
いかにも本命たるプレゼント。
これこそが、猿山も予想できる中身のプレゼント?
リボンを解き、包装紙をガサゴソ開けるクレイへ、春名がぽそっと囁いた。
「あ、あのね……猿山くん達とは中身、違うから……」
えっ。
では、一体何が入っているというのだろうか。
そもそも猿山達が何を貰ったのかも、クレイは知らないわけで。
それを尋ねると、春名は俯き加減に「クッキーが入ってたの」と答えた。
「でも、それは違うから。時間なくって、あまり上手じゃないんだけど」
箱の中に入っていたのは、ビーズで作られたキーホルダーであった。
正しくは、ビーズで作られた青い犬のキーホルダー。クレイと同じく手作り品である。
「なんか、ごめんね。しょぼくって」
クレイがくれた物とは釣り合いそうになくて、春名は恥ずかしげに下を向く。
だが次の瞬間には、驚きで息が詰まりそうになった。
だって。勢いよくクレイに抱きしめられたから――!


その頃、猿山は、しきりに通路の奥を伺っては一人ヤキモキしていた。
春名ちゃんをクレイと一緒に行かせるんじゃなかった。
きっと今頃は二人っきりでいるのだ。百パーセント間違いなく。
春名ちゃんは自分の恋愛にはニブチンだから、クレイの邪心にも気づくまい。
部屋へ連れ込まれ、ガバッと押し倒されて、チューぐらいはされちゃったかも!
いや、それだけならまだしも、その先まで……うわぁぁぁぁぁぁっっっ!
想像したくない、いや、できるわけがない。その先はまだ未経験だ。
……じゃなくて、頭が想像を拒んでいる。
あんなポッと出野郎に、春名ちゃんの純潔を汚されたくない。たとえ妄想の中でもだ。
「後悔するぐらいなら、止めれば良かったのに」
誰かが猿山の耳元で囁き、彼はハッと振り返る。
呟いたのは有吉だった。
「このままじゃ、ホントに取られちゃうかもね。誰かさんに、大豪寺さん」
「んなッ!何言ってんだよ、有吉ッ。俺は別に、別になぁ!?」
おたおたと取り繕っても、もはや猿山の恋心など皆にバレバレなのだろう。
有吉は「照れてる場合じゃないんじゃない?」と魔性の笑みを浮かべる。
「大豪寺さん、ブルーが自分を好きだって事は知ってるからね」
「んなァッ!?嘘だろ、だってあの大豪寺だぜ?気づくわけ――」
そうだとも。春名ちゃんが気づくわけないんだ。
だって、猿山の気持ちにすら気づいてくれないほど鈍感なんだから。
だが彼の淡い希望を打ち砕くかのように、有吉はニヤリと微笑んだ。
「私が教えてあげたのよ。だから、知ってるってわけ」
学生時代、彼女はここまで性悪ではなかったはず。
性悪どころか、潔癖といってもいいほどの真面目少女だったはずだ。
卒業してから性悪になったのか、それとも黒い面を隠していただけなのか?
「だって、そのほうが面白くなりそうだったから。まぁ頑張って」
愕然とする猿山の肩を軽く叩き、有吉は晃の元へ戻っていった。


「エッチです。大人は、やっぱりエッチな生き物です」
戸口から冷え切った声が聞こえ、春名はビクッと身を震わせる。
まだクレイには、しっかりと抱きしめられていた。
そのクレイは、さして驚いた素振りも見せず、視線だけを戸口へ向かわせた。
『ミカか。部屋へ入る時はノックぐらいしろ』
戸口に立っているのはツインテールの、ほっそりした少女。
ミグにそっくりだが、クレイが呼んだ名前によると彼女はミカというらしい。
大方ミグの双子の姉妹とか、そういう関係なのだろう。
「がっかりです。ブルーは硬派だとミグから聞いていたのです」
勝手に入ったことを詫びるでもなく、ミカは淡々と呟いた。
『硬派を名乗った覚えはない。ミグの勘違いだろう』
クレイの瞳も冷え冷えとしており、二人の間には感情が存在しないかのようだ。
少女が一歩、また一歩と近づいてくる。
春名を見上げ、クレイへ尋ねた。
「この人が、ハルナですか?」
『そうだ』
まだ春名を抱きしめたままの彼を見て、ミカは表情を暗くする。
「……ブルーが守る、と決めたのですね。でも」
キッと強い眼差しでクレイを睨みつけると、彼女は傲然と言い放った。
「ハルナは、わたしが守るのです。だから、ブルーにも渡しません」
驚いたのは春名一人だけ。
「え?えっ?」と、一人でオタオタしている。
何しろ見知らぬ少女に、いきなり「あなたを守る」などと宣言されたのだ。
驚かない方が、おかしい。
一方、クレイの表情にも変化が表れた。
彼は眉を吊り上げ、春名を一層強く抱きしめる。
『春名を守るのは俺一人で充分だ。ミカには別の役目があるだろう』
何故かは判らないが、ミカとクレイは春名を取り合って争っているようだ。
クレイの気持ちは先ほど聞いたから判るとして、この子は何故?
「あ、あのっ、あのっ!とりあえず、喧嘩はやめにしようよ」
一人蚊帳の外へおっぽり出された春名が抗議の声をあげるのも無視し、ミカは勇猛果敢にもクレイへ飛びかかってきた。
クレイの体にしがみつき、凶暴な山猫のように爪を振りかざす。
「駄目なのです。ハルナは、わたしが守るのです!」
鋭い爪が彼の目先一センチを掠めてよぎる。
危ないクレイ、手を離して!このままじゃ、やられちゃう――!

「やめなさい、ミカ。やめないとT博士に報告して、お仕置きして貰います」

淡々とした声、今度は誰?
戸口に立つのは、またしてもツインテールの、ほっそりした少女。
一人じゃない。後ろにもう一人、同じ格好の少女がいた。
「ミグ、それは勘弁なのです。お仕置きだけは、嫌なのですっ」
途端に泣きそうな悲鳴をあげて、ミカがストンと着地した。
「だったら攻撃など、しかけないこと。ブルーは我々の仲間ですよ」
やっぱり感情は欠片も籠もっていない、淡々とした口調でミグは言う。
ミグの後ろからついてきた、もう一人のツインテール少女もミカを叱った。
こっちは、ふんぞりかえり、なんだか偉そうな調子で高々と。
「ミカは攻撃的なのが玉に瑕ですわ。ミグお姉様の爪の垢でも煎じて飲むと宜しくてよ」
まだ、ぎゅうとクレイに抱きしめられたまま、春名はミグに尋ねた。
「あ……あの。ミグさん、この子達は……?」
それには答えず、ミグは冷たい視線でクレイを見る。
「ブルー、いつまで抱き合っているつもりですか?春名が苦しそうです」
指摘され、ようやく春名はクレイから解放される。
まぁ、確かに苦しかったのは本当だ。
息が苦しかったわけじゃない、胸がドキドキして破裂しそうだったのだ。
春名は彼を見上げてみる。
あれだけ長い時間抱きしめていたというのに、彼には照れも恥ずかしさも見あたらない。
別に、恥ずかしくなかったんだろうか。
クレイにとって抱き合うというのは、挨拶みたいなものなのかしら?
「この子はミカ、後ろにいるのがミク。二人とも私の妹です」
簡潔な紹介だが、それだけで充分だ。予想通り、二人はミグの姉妹であった。
「変態と約束したのです。ハルナは、わたしが守るのです」
泣きべそをかきながら、ミカはまだ言っている。
「変態?」と尋ねる春名へ、ミカはコックリ頷いた。
「途中で会ったのです。ハルナにエッチな妄想を抱いてました」
頭の中がハテナで埋まる春名に代わり、クレイが即座に応える。
『ピートか』
「確か、そのような名前だったと思うのです。変態は嫌いなのです。だから、ピートからハルナを守りたかったのです」
すんすんと泣きじゃくるミカを見ているうちに、だんだん彼女が可哀想になってきた。
「ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいよ」
ミカの頭を優しく撫で、春名は彼女を慰めてあげる。
するとミカは、ぱぁっと笑顔を輝かせ、弾んだ声と共に抱きついてきた。
「ありがとです!ハルナは優しいのです。やっぱりハルナは、わたしが守るのです!」
だが――ちらとクレイを見て、彼の眉間に寄る皺を発見したミカは言い直した。
「訂正します。わたしも、ブルーと一緒にハルナを守るのです」

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