黒い夜

◆3◆ 悪評

レイザース領土内――サンサード樹海。

「隊長は?まだ、お戻りにならないのか」
「えぇ……」
「仕方ない。当分は周囲警戒のまま待機か」

 宿舎を離れて陸軍黒騎士団は今、都心部から遠く離れた森林の中にいた。森の中で野営キャンプを張り、隊長達の到着を待っているのである。敵は正体不明の怪物。しかも、かなりの強敵だと聞かされている。腕に自信が全くないわけではないが、相手は騎士十余人分に匹敵する実力の隊長が「強敵」だと評価する敵である。隊長抜きで戦うのは、厳しいと予想された。

「引き続き見張りを頼むぞ、マリエッタ」
「了解」

 黒鎧に命じられ、同じく黒鎧に身を包んだ騎士が頷き返す。森は暗く重く静まっていて、小動物の僅かな気配すら肌身に感じられない。このような場所に、いくら騎士とはいえ女性一人を見張りに立たせるのもどうかと思うが――と、マリエッタは心の中で不満を言いつつも、ひたすら孤独に耐えた。隊長が戻りさえすれば、この憂鬱な任務から開放されるのだと信じて。


「野営は何処にいるんだ?」
「サンザード。樹海にテントを張って待機するよう命じてある」
「怪物の一匹目は、そこにいると?」
「通報によれば、そうだ。――シェリル、奴の気配は感じられるか?」
「え?う〜ん、ちょっと待ってね……気配は……感じないなぁ。まだ」

 一方。テフェルゼンはアレン達を引き連れ、森へと馬を走らせていた。眠たげな瞳のシェリルはキリーの背中にしがみついている。一旦は起きたものの、彼女は半分眠りかけといってもよい状態だった。馬に乗せても落ちそうな様子だったのでアレンが自分の後ろに乗せていくと提案したのだが、何故か彼女はキリーの馬に乗ってしまい、仕方なくキリーが連れていくことになったのである。

「おい、しっかりつかまってろよ?落ちても拾ってやんねーからな」
「ん。大丈夫。しっかりつかまってるから!」

 キリーは舌打ちしながらシェリルに尋ねる。彼は子供のお守りなど、大嫌いであった。女は好きだが、子供は好きじゃない。たとえ女の子供であってもだ。

「もうすぐ樹海につくぞ。気を引き締めていけ、キリー」
「わかってるよ、テメーに言われるまでもなく」
「ご機嫌ナナメだねぇ、キリー。まぁ、野営陣についたらアンタの好きな女騎士でも口説くといいさ」

 おまけに後ろからはアレンの小言やらジェーンの軽口やらが飛んできて、ますますキリーを不愉快にさせた。まぁ、なにはともあれ樹海だ。樹海につきさえすれば、この不快からも開放される。黙って馬を走らせる隊長の後ろを、キリーも黙ってついていった。

 サンザード樹海は、レイザース首都郊外にある広大な森林である。この森を抜けると、レイザース領クレイダムクレイゾンに出る。クレイダムクレイゾンは、ワインの産地として有名な街だ。怪物に壊滅させられるような事があっては、本国の収入にも支障が出よう。なんとしてでも怪物を森で仕留めておく必要がある。

「怪獣が、森のこっち側に来ることも考えられるよね」
「勿論だ。そうなる前に全力で叩く」
「できるかねぇ?言うだけなら優しいけどさ隊長、いくらアンタの腕があっても」
「できるさ」

 アレンの視線を追って、ジェーンは考え込む。キリーの腰にしがみついて、眠たげに瞼をパチパチさせているシェリル。アレンは彼女に期待しているようだが、正直な処ジェーンは半信半疑でいた。背丈はキリーの半分ほど。腕の太さだって、その辺を走り回っている子供達と大差ない。どこからどう見てもシェリルは、ただの子供だ。こんな小娘に倒されるモンスターなど、いるのだろうか?

「見えたぞ。野営キャンプだ」

 馬は真っ直ぐレイザース陸軍野営キャンプへと走り込む。テントの辺りで休息を取っていた騎士の何人かが仲間に知らせ、数人が駈け寄ってきた。

「異常はないか」
「はい、今のところ怪獣らしき姿は目撃しておりません」
「ただ――森の様子は異常が続いています。小動物の気配が全く感じられず、静まりかえっています」

 なるほど、耳を澄ませてみても、森からは物音一つ聞こえない。テントの前で煌々と燃えているたき火のはぜる音が、聞こえるだけだ。いくら夜といえど普通ならば、なにかしら生き物の息吹があるはずなのに。

「アレン、ジェーン。それからイクシードは北側の警備にあたれ」
「はッ」「了解です」「あいよ」
「ライザ、ジョン、ボギーは南側を警備しろ」
「了解ッ」「わかりました」「ただちに位置につきます!」
「マリエッタは東にいるのか。ならショアニ、お前も行け」
「は、はいっ!」
「アージェとミーアは西だ」
「了解!」「わかりました!」
「残りの者はテント内で待機。ただし武器の準備は怠るな」

 それぞれがパッと散っていく中、テフェルゼンはキリーを呼び止めた。彼はシェリルを馬から下ろして、どこかへ行こうとしていたところであった。

「キリー、何処へ行く?お前は俺と共にテント内で待機だ」

 するとキリー、憶することなく肩を竦めて答える。

「テント内で待機しようが見張りの側で待機しようが結果は同じだろ?アンタのツラを眺めてる事もねぇや、見張りの様子を見に行ってやるぜ」
「勝手を言うな。敵が何処から出てもいいようにテント内で待機するのだ。全員でかからねば、倒せる敵も倒せなくなるぞ」

 またも肩を竦めてみせると、キリーはさっさと森へ入っていく。

「あんたとシェリルがいりゃ楽勝だろ。俺の手なんざ借りるまでもねぇ」
「待てキリー!……まったく」

 キリーの姿は木陰に隠れて見えなくなり、隊長は深い溜息を吐き出した。彼の行った方向は東だ。とすると、マリエッタにちょっかいでもかけに行ったか。ショアニが気づいて注意してくれるといいのだが。

「あの野郎……!追いかけますか、隊長」
「いや、いい。ショアニ達と一緒に東を見張って貰おう」

 息巻いて追いかけようとする部下の一人を止め、たき火の側でぼんやりと佇むシェリルの隣へ腰掛ける。シェリルはキリーが立ち去った方角を、じーっと見つめていた。

「座ったらどうだ」
「――え? あ、うん」

 声をかけると、改めて我に返ったかのようにシェリルは腰を降ろす。しばらく黙っていたが、やがて彼女は真剣な顔でテフェルゼンを見上げた。

「あのね。さっきから嫌な気配が、こっちへ向かってきてるような気がするの」
「なんだと?それは本当なのか」
「でも皆の気配とごちゃごちゃになって、どこから来てるのか判らなくて……見張りを四方に分散させたのは失敗だったかも」
「どこから来ているのか判らない?――東からではないのか」
「え?東?……どうして?」
「君は、ずっと東を見ていた。そちらから感じたのではないのか?」

 違うのよ、とでもいうようにパタパタと手を振ると、シェリルは微笑んだ。笑顔といっても口元は引きつっている。それが緊張によるものなのか、それとも別のものから来る引きつりなのかは、テフェルゼンには判らなかったが。

「キリーがね、どこ行くのかな〜って思ってただけ。だって、さっき名前呼ばれなかったでしょ?見張りする人達の中に」
「……君は、随分と彼を気に入っているようだな」

 呆れたように首を振ってみせると、シェリルは――なんとしたことか、頬をポッと染めて恥じらったではないか。

「だって。キリーって格好いいんだもん」
「ブフゥッ!!」

 それとなしに話を聞いていた騎士の何人かが、口に含んでいた水を勢いよく吹きだした。中には、ゴホゴホとむせている奴まで。テフェルゼンも目を丸くした。いつもは冷静な彼でさえ、予期せぬ答えに戸惑いを覚えているようであった。


 木々に背を向け佇んでいる騎士が一人。同じく騎士の鎧に身を包んだショアニに一言二言話しかけられた後も、その場から動こうとせず律儀に見張りを続けている。ショアニが離れた場所へ立ち去るのを見届けてから、キリーは騎士に近づいた。

 足音を消して、背後へ回る。騎士は何か物思いにでも沈んでいるのか、茂みの微かな物音にも振り向こうとはしない。これじゃ見張りに立ってる意味がねぇだろうが、と心の中で苦笑しつつ、キリーは騎士の耳たぶへ手を伸ばした。

「ひゃんッ!」
「おっと。マリエッタ、大声をあげるなよ。怪物に逃げられちまう」

 軽く摘んだだけなのに、ぞくっと背中を震わせてマリエッタは飛び上がった。やはり女一人、森の中で見張りというシチュエーションが、彼女を心細くさせていたものらしい。予想以上の反応に、キリーは満足する。恐る恐る顔だけ振り向いたマリエッタは、小声ながらも裏返った怒りの声を上げた。

「キ、キリーッ!? あんた、何すんのよッ。び、びびったじゃないっ!」
「そう喚くなよ。ショアニに見られたら恥ずかしい思いをするのはオマエのほうだぜ」
「恥ずかしい、って……ちょ、ちょっと、どこ触ってんのッ!」

 露出した白い足をキリーの手で無遠慮に撫で回され、再び彼女は体を震わせる。今度は恐怖じゃない。怒りと――少しばかりの、快感で。怒りにまかせて振るった肘は、確かにキリーのボディに決まったはずだった。だが、彼の手は太股を撫で回すだけに留まらず、下腹部を覆い隠す布の下にまで侵入してくる。

「だ、駄目だったら!そんなとこ触っちゃ、ゥんッ!」
「イヤイヤって言う割に、感度はサイコーじゃんかよ。さっきまでボーッとしてたみたいだが、エロい事でも考えてたのか?」
「だ、誰がそんなこと……ッ」

 背後から抱きかかえられるという不名誉な体勢のまま、マリエッタは甘い息を吐き出す。キリーの指がマリエッタの大事な処をぐちゅぐちゅと掻き回している。じっとりとそこが濡れてくるのを感じ取り、彼女は羞恥で耳を赤く染めた。

「騎士が背後から襲われるなんて、ざまぁねぇぜ」
「お、襲うって、こ、こんな、襲い方、か、怪獣は……んんっ……」
「そうだな、怪獣ならしないよな。今頃オマエは腹ん中だ」
「あッ、はァんッ!だめェ!! もう止めてェッ!」

 指の動きが速まり、マリエッタは精一杯イヤイヤと身悶えする。きゅっと足を閉じられて、指が肉に挟まれた。さらに、ほどよく引き締まった尻がキリーの股間に押しつけられ、彼の心に更なる加虐の火を灯してしまったようだ。ぬるぬるになった指を引き抜き、これ見よがしにとマリエッタに突きつける。

「淫乱な騎士様だな。任務の最中なのに、こんなザマになっちまって」
「う、うるさいッ。そんな騎士にしたのは、誰なのよぉっ」
「おまけに尻まですり寄せて、そんなに俺に犯して欲しいってのか?」
「違うっ!すり寄せてなんか、いない!!」

 ただでさえ嫌いな男にイヤラシイ真似をされた上、騎士としての誇りまで侮辱されたのだ。怒りと屈辱と指が与えた快感とで、マリエッタは、すっかり涙目になっていた。煽るように、キリーは自分の股間を彼女の尻へ擦りつける。

「すり寄せてただろーが。オマエが誘惑してくるから勃起しちまったぜ」
「やだッ!やめてよ、へんなもの擦りつけないでェ!!」
「今更子供ぶるなって。へんなものって言わずにハッキリ言ったらどうだ」

 身動きすればするほどキリーの股間が密着するハメになり、堅く盛り上がった物を嫌でも尻に感じて、マリエッタは混乱する。その彼女を救ったのは、西南から聞こえてきた仲間の絶叫だった。

「出たぞ、怪物だッ!! う、うわ、こっち来るな!ぐはぁッ!!」

 一撃で撲殺された、或いは昏倒したといった感じの悲鳴は途中で途切れて聞こえなくなり、代わりに隊長以下数名が何か叫びながら走っていく足音が遠くに聞こえた。キリーはマリエッタの体を開放し、まだ甘い震えに余韻を残す彼女を置き去りに走り出す。

「チッ!遊んでる暇もねぇほど緊迫してくるたぁなッ。おいマリー、へたってんじゃねぇ!さっさと来ないと置いてくぞっ」

 彼女が返事をする間もなく、キリーの背中は森の中へと消えていった。へたりと力なく座り込んだまま、誰に言うともなく呟くマリエッタ。

「……誰のせいで、動けなくなったと思ってんのよぅ……」
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