不器用な恋と呼ばないで

不器用な女体化と呼ばないで?恐怖の女体が島を襲う!

興宮に誘われた島は、今、温泉郷に足を伸ばしていた。
勤め先なら問題ない。前もって有休をとってある。
二人きりの旅行なのに許可が下りたのは、婚約したのが大きな要因だと思われる。
誰と誰がって、島とおかみさんが、だ。
取られる心配がないからこその余裕であろう。
来年の夏には婚姻届を出す予定だ。
大蔵屋のホールで式を行うとも言っていたので、その時には是非とも自前の料理で祝いたい。
今回の旅行では、結婚式に使えそうな料理探しも兼ねている。
いつ如何なる時でも探求心を忘れない島であった。


夕暮れ時にホテルインした二人は、しばし部屋で寛ぐ。
「お前も、ついに結婚できる年齢になったか。はは、自分がえらく老けた気分になってきたぞ」
そう言って笑う興宮は島から見ても、出会った頃より確実に老けている。
知り合って二十年近く経っているのだから、当たり前っちゃ当たり前だ。
だが島の脳内では、興宮はいつまでも若々しい印象があった。
こうして間近で眺めてみると、昔よりも目尻や口元に皺が増えた。
声も以前より低くなり、張りが薄れたように感じる。
いつかは彼とも死に別れる日が来るのかと思うと、鼻の奥がツンとする。
そういや――興宮は一度も結婚していないのではなかったか。
忙しくて結婚する暇がなかったのか、それとも良き相手が見つからなかったのか。
プライベートに深く踏み入る内容だけに、ずっと聞けずにいたが、今なら聞けないこともない。
「興宮さんは、子供、好きですか?」
遠回しな質問に「おう、好きだ」と頷いて、興宮が笑う。
「お前とおかみさんの子供なら、男女どっちが生まれようと可愛いだろうなぁ。もし生まれたら、見せびらかしに来いよ」
「え、あ、はい……」
まだ結婚もしていないのに、気が早い。
子供を作るには前準備が必要なわけで、それを考えると島の頬は熱くなってしまう。
冷やかされる前に本題を切り出した。
「興宮さんは自分の子供が欲しいとは……思わなかったのですか?」
「んん?あぁ、俺が独身なのが気になるってか。まぁ、そうだな。子供は可愛いと思うんだが、自分の子となるとなァ」
興宮は顎をポリポリかきながら、窓の外へ目をやる。
「自分の店を守るのに必死だったもんだから、見合いをやる暇もあらなんだ」
多忙なうちに時期を逃して、それっきりだという。
経営が安定した後も店がある以上、子育ては無理だと割り切った。
「俺にとっちゃ、おきつが我が子みたいなもんだ。これ以上は手一杯、育てる余裕がありゃあせん」
しかし、と笑って島を見た。
「今になって聞くってのは、自分が結婚できる歳になったからか?」
「はい」
包み隠さず素直に頷いて、島は興宮を見据える。
「ずっと不思議だったんです。興宮さんは寂しがり屋なのに、どうして独身を貫いているのかと」
「別に貫いちゃあいないぜ?出会いがありゃあ、身を固めていた。そいつがなかった、それだけさ」と笑い、興宮が立ち上がる。
「夕飯の前に、ひとっ風呂いってくるか。お前はどうする?」
「俺も行きます」と答えて、島も彼の後に続いて部屋を出た。

二人が泊まった宿は、今時サウナがなく種類も一つだけのシンプルな温泉であった。
だが興宮は、それがいいのだと言う。
「何種類もあったって、入るのがしんどいんだよ。一つでいい。ゆったり入って温まる。それでいいんだ」
「そうですね」と納得して、島も横で足を伸ばす。
服の上からでは筋肉の塊のように見える肉体も、全て剥ぎ取ってしまえば太腿と背中に贅肉が目立つ。
ちらちら眺める視線に気づいたのか、興宮が島の身体に手を伸ばしてきた。
「お前も随分がっしりしてきたもんだ。うちに来たばかりの頃は、ほっそい子供だったお前がなぁ」
「……鍛えましたから。興宮さんみたいになりたくて」
俯きがちに本音を吐き出すと、頭をぐりぐり撫でられる。
「俺みたいに、か!お前が俺の体格にまで憧れていたとは初耳だが、師匠冥利に尽きるねぇ」
老いても力強さは変わっていない。抱き寄せられた時の温かさも。
興宮の腕に頭を持たれかけて、島は未来に想いを馳せる。
いつまで一緒にいられるか判らないけれど、別れが来る瞬間まで興宮とは一緒に過ごしたい。
店が合流した今、興宮は実家も畳んで大倉屋の近くに引っ越してきた。
琴と結婚したら新居は興宮の近くに決めようか。始終顔を突き合わせられる距離なら寂しくない。
帰ったら、琴とよく相談しなくては。
しばし無言で、ゆったり風呂に浸かった後は、浴衣に着替えて部屋に戻る。
そのつもりであった。
あった、のだが……
「ふぅ。風呂ってなぁ、入るだけでも疲れてくるんだよなぁ。気持ちいいんだが、そこが難点だ」
ブツブツ文句を漏らしていた興宮が、ざばぁっと立ち上がり、何の気なく見上げた島はポカンと硬直してしまう。
だって。
ない。
あるべきはずのモノが、いや、ついさっきまで確かにあったナニが綺麗さっぱりなくなっていた。
ナニとは何、興宮の股間に本来ぶらさがっているはずのアレだ。
何処に消えたんだ。湯の中を覗いても、何処にも落ちていない。
当たり前だ。こんなものが風呂をあがった弾みで取れるなんて事例、聞いたことがない。
島は狼狽えた。
本人は消失に気づいていないのか、呆ける島へ振り返って苦笑する。
「どうした、島。何か驚くようなもんでもあったか?」
「あ、あ、あの……その」
ごくりっと唾を飲み込んで、島は必死に異変を告げる。
「興宮、さん。股間、股間が」
「股間?」
島の股座を覗き込む真似をする彼に、再度伝えた。
「いえ、俺のではなく、ご自身の股間を、ご覧ください……」
風呂に入っているのが二人きりで良かった。
他にも誰かがいたら、大騒ぎになっていたところだ。
少なくとも「おわっ!?」と驚くのが興宮と自分だけで済む。
「な、何が起きやがった……待てよ、まさか温泉効果か!?島、急いであがれ!部屋で緊急会議だ!」
陰茎が取れる温泉効果なんて、あったら営業停止になっている。
温泉は冤罪だ。完全に。
それでも恐る恐る腰を上げて、己のは取れていないのを確認がてら、島も急いであがる。
興宮と一緒に慌ただしく着替えて部屋に戻っていった。


どうしよう。どうするか。
どうしようもない。
部屋に戻ったって考えがまとまるわけもなく、島の思考は堂々巡りだ。
何故なくなったのか。それが、まず判らない。
風呂に入っている間までは存在していたのだ。
あがった直後に消滅した。
同じ湯に浸かっていた島は無事だったのだから、温泉効果ではない事だけは確かだ。
興宮は無言で座布団に座り、たぷたぷと自分の胸を揉んでいる。
「あぁ、なんてこった。胸が脂肪になっていやがる」
死んだ魚の目で呟いているあたり、いつもとは感触が異なるのであろう。
興宮は女になってしまったのだ。
温泉に入って女になるってのは何かで聞いた覚えがあるが、それはアニメか漫画の話だったはずだ。
まさか実際に起きる事故だったとは――
「もう、こうなりゃヤケだ。残り人生、女で過ごすかァ」
絶望に瀕した被害者がヤケに走り始めたので、島は必死の形相で止めた。
「待ってください、興宮さん!きっと治す方法があるはずです」
「治すったって、お前、ポロリと取れちまったんだぞ!?取れたモンを、どうやって治すってんでぇ!」
ドッタンバッタン暴れていると襖がすいっと音もなく開き、従業員が入ってくる。
そして、何の前置きもなく言い放った。
「女体化を治すのに最良な方法は女体盛り!これを同行人が食せば、アラ不思議!失ったモノも戻りましょうぞ」

「……は?」

思わず二人して凝視してしまったが、従業員は「では失礼」と言うだけ言って去っていき、部屋には静寂が訪れる。
ややあって、興宮がポツリと呟いた。
「そこの刺身盛り、いつ用意されたんだ?」
普通に考えれば、風呂に行っている間だろう。
だが刺身の盛り合わせなんて、誰も頼んじゃいない。
サービスにしては豪勢だし、先の発言と併せて考えると、これの使い道は一つしかない。
「よし、島!俺の身体に刺身を盛りつけろ、そして完食してくれ!!」
ごろんと畳の上に寝転がった興宮に、島の悲鳴が降りかかる。
「本気ですか!?女体盛りなんて、フィクションでしか出てこない料理でしょう!」
人体に盛りつけたら刺身が生温かくなりそうだし、そもそも人の身体の上に盛りつけるなんて汚い。
たとえ、たった今、温泉で洗ってきた身体だったとしても。
「何いってんだ、お前!女体盛りは現実に食った奴もいるんだぞッ。日本青年会議所女体盛り事件って言ってなぁ!」
事件扱いされるぐらいだから、実際にやった奴は猛者という他ない。
やはり島には食べられる気がしない。
だが、どうする。これしか元に戻す方法がないのだとしたら。
興宮の残りの人生と気持ち悪さを秤にかけたら、気持ち悪さを押し通してでも完食すべきではないのか。
「お前、俺だから気持ち悪いと思うんだよ。おかみさんの裸体を想像しながら食ってみろ」
琴の女体盛りを脳裏に浮かべて、島は首をひねる。
盛るには凸凹が激しくて難しい。胸は急傾斜だし、足は細いし。
では女体化した興宮はどうかというと、胸以外は均等に盛りつけられそうではある。
「で、では……やります」
大皿から箸で刺身を摘まんでは興宮の上に乗せてゆく。
刺身が肌に触れた途端、「ひゃっ」と小さく叫んで身震いする彼に声をかけた。
「すみません、冷たいでしょうが我慢してください」
「や、すまん。判っちゃいたんだが、思った以上にひゃっこいな、こりゃ」
大皿から興宮の身体に移した刺身を再び箸で摘んで口に運ぶ。
外側は冷たく、内側は、ほんのり生暖かい。
ぬるま湯につけたら、このような温度になるのではないか。
眉をひそめて、ほぼ味わずにゴクリと飲み込んだ直後、がらっと勢いよく襖が開いて先ほどの従業員が飛び込んでくる。
「違います、お客人!失礼ながら女体盛りの食べ方を、ご存じないと伺える。僭越ながら私めが手本を見せましょう!」
マイ箸持参でやる気満々な勢いに負けた島は場所を譲り、従業員が興宮の側に膝をつく。
途端に格好を崩し、助平ニヤケ面を浮かべながら彼が言う事にゃ。
「おほほ〜ぅ、これは見事な器にございますなァ。どれ、まずはマグロをいただきましょう」
真っ赤な一切れを箸で摘まみあげて興宮の股間、もさもさ毛が生えた中に突っ込んだ。
大事な部分に刺身が触れて「ひきぃっ!?」と、あまりの冷たさに器が悲鳴をあげるのも何のその。
興宮が嫌がろうとどうしようと、ぐちゃぐちゃ中を掻きまわした挙句、ぬらぬら光る刺身を口に運んだ。
クッチャクッチャと嫌な音を立てて噛みしめる。
「これぞ甘露、甘露にございます。次は、そうですなァ、いくらをいただきましょうか」
いくらなんて乗せていない。大皿にあったのは刺身だけだ。
訝しむ島の前で、ついついと宙を摘まむ真似をしてから、従業員は徐に箸で摘んだ。
上に乗っていたマグロの刺身がなくなったせいで表に出された、興宮の乳首を。
「ひぃっ!?」と、またまた興宮の口からは悲鳴が飛び出して、見ていられなくなった島はストップをかける。
「もう、やめてください……!興宮さんが可哀想です」
すると従業員は不思議そうな顔で島を見つめ、箸を差し出した。
「これを、あなた様がやるんでございますよ?そうしないと、女体化は解けませぬ」
「どうして、こんな真似をしなきゃ……ッ!」と憤る彼の肩を気安くポンと叩いて、従業員が立ち上がる。
「手本通りにやってごらんなさい。上手くできたら、戻して差し上げます」
場所を変わられて、島は興宮の側に膝をつく。
哀れ女体盛りと化した先輩は、悲壮な表情を浮かべて島に懇願した。
「もう、なんでもいいから全部食べてくれ。刺身が、べったり肌にくっついて気持ち悪いんだ」
ぐちゃぐちゃに掻きまわされた箇所は濡れそぼり、肉の花弁がひくついている。
見事な赤に目を奪われたのも一瞬で、すぐに良心の呵責が島の両目を逸らさせた。
自分は、もうすぐ結婚する身だ。女体化であろうと、他の女性に下心を抱いてはいけない。
「で、では……これは、見事な器にございます。まずは……サーモンをいただきます」
マグロは一枚しかなかった。
さりげに高い魚を食べるとは、従業員の風上にも置けない奴だ。
しかし、そんなことよりも、このサーモン。
見るからに美味しそうな刺身を、興宮の股間に突っ込んで掻きまわさなければいけないのだ。
島は漁師と調理人に申し訳ない気持ちで、いっぱいになった。
人間の股間などに突っ込んだら、食感と味は酷いものになろう。
興宮は琴で妄想しながら食えと言ったが、琴が器だとしても無理無理、想像だけで吐き気がこみ上げる。
「島……無理せんでいいぞ。俺が残りの人生を女で過ごせばいいだけだ」
だが、泣き言は許されない。興宮を男に戻す為にも避けて通れない道だ。
心を無にして、島はサーモンの刺身を興宮の股間に捻じ込んだ。
たまらないのは興宮で、痛みに「ぎひぃっ!」と叫んでも、箸の勢いは留まることを知らず。
刺身が肉の内側を擦ったと思えば、箸の角が同じ場所を引っ掻いてゆく。
痛いんだか気持ちいいんだか、それすらも判らなくなってきた。
そのうち無遠慮にサーモンが、おまめちゃんの上を撫でていった直後。
「ァ、はぁんっ!」と情けない声が己の口を飛び出して、興宮は羞恥に頬を赤らめた。
全く。反対だったら良かったのに。
なんで俺なんだ、女体化。
刺身のせいで全身むず痒いやら、アソコはジンジンズキズキするやらで、一刻も早く完食して欲しい。
粘液、いわゆる愛液と呼ばれる体液でネトネトになったサーモンを、さも嫌そうな目で眺める島がいる。
これから、あれを口に含まなきゃいけないのかと思うと、ご愁傷様だ。
かなりの長い間、箸で摘んだ刺身を眺めていた島の目つきが不意に変わる。
「いただきます」と小さく呟き、ぱくりと箸ごと口に突っ込んだ。
口に含んだ瞬間、両眼をぎゅっと瞑ったのは、気持ち悪い食感と味に耐えきれなかったと見える。
噛まずに飲み込んだのが喉の動きで丸わかりだ。
「う……ぐ……っ、はぁっ……はぁっ……」
喉元を抑えて顔色は真っ青、このまま続けるのは島が緊急搬送されそうで心配になってくる。
「さぁ、次はいくらですよ、いくら!煮豆でも構いませんが、ふひひっ」
女体盛りを提案した奴は島の隣で続きを要請しており、ギブアップを許さない姿勢だ。
人の血が通っていないのか、この従業員には。
たまらず、興宮は叫んでいた。
「もういい、やめろ島!これ以上やったら、お前の料理人としての味覚が破壊されちまうッ」
味覚以前に精神を病んでしまいかねない。
こんなキテレツな料理が嬉しいのなんて、味音痴で変態趣味のスケベオヤジだけだ。
「し、しかし……やらないと興宮さんが男に、戻れません」
這いつくばって吐きそうな癖に、こちらを心配するなんざぁ、さすが自分を慕ってくれる愛弟子ならではだ。
だからこそ、興宮は言ってやった。これ以上、島を傷つけられたくないが故に。
「いいんだ、俺は男でも女でも!俺が、お前の師匠な点は変わんねぇんだからな!!」
島と末永く一緒に居られるのであれば、性別がどちらかなんてのは些細な問題だ。
なぁに、女になったって料理人は続けていける。料理の腕は性別と関係ない。
それに女になれば、或いは島を振り向かせることだって――


「……おう、大丈夫か?気持ち悪いようだったらトイレで吐いてくるか」
ゆっさゆさと揺り起こされて、島はハッと目を覚ます。
そこは風呂の近くにある休憩所で、自分が長椅子に寝そべっていたのだと知る。
「お前が風呂から戻ってこないってんで探しに来てみたら、ここでぐったりしてやがる。湯あたりしちまったんだな」
そう笑って、興宮が頭を撫でてくる。
大きな手、いつも通り男の身体で。
ふと気づく。
口の中に広がっていたはずの味や食感が、さっぱり消えうせていることに。
あれは全部夢で、実際には女体盛りなど食べていなかったのだ。
我ながら気持ちの悪い夢を見てしまった。
女体盛りもさることながら、興宮の女体自体ありえない。
彼は男じゃなきゃ駄目だ。だって、島にとって永遠に憧れの人なのだから。
「興宮さんの女体盛り……ありえないな」
小さく呟いた島の顔を覗き込み、興宮が「ン?なんだって」と尋ねてくるのへは黙って首を振る。
島は長椅子から降りると帰りを促した。
「もう大丈夫です。戻って夕食をとりましょう」
「おう。この旅館は新鮮な刺身が売りだそうだからな、さっそく味わうとするか!」
お互い身を寄せ合うようにして、二人は廊下を歩いていった。



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