不器用な恋と呼ばないで

2022誕生日短編企画:興宮のお誕生日

二人で働いていた頃、まさか彼が店を出ていく日が来るとは思っていなかった。
だから、島がおきつを辞めて出ていった日。
興宮は数日、どっぷり落ち込んだ。


月日が流れ、興宮は旅館の一店舗として小料理屋を続けている。
島は琴と婚約した後も、ちょくちょく店にやってきた。
立場は料理人のままのはずだが通常のタイムワークからは外されているようで、では厨房で働いている以外の時間は何をしているのかというと、琴を教師に旅館経営のイロハを学んでいるのだと言う。
おきつへ来るのは昼飯時と、夜食時。
要は飯を食いがてら、興宮の顔を見に来ているのであった。
「今日は興宮さんの誕生日でしたよね」と島が切り出す。
「おう、店を閉めたら祝おうかい、二人っきりで」
二人きりを強調する興宮へ頷き、島は微笑んだ。
「いいですね」
てっきり琴や他の従業員を呼んでの、どんちゃん騒ぎになるかと思いきや、島も二人でのお祝いを予定していたのか。
そう突っ込む興宮に、島は少し考える素振りを見せてから答える。
「店の人達とは別のイベントで、いくらでも飲む機会がありますから……それに、誕生日は個人的なものです」
相変わらず堅苦しい。だが、そこがいい。
飯を食べ終えた後も島はしばらく店にとどまり、雑談を振ってくる。
「どうですか?経営のほう」
「まぁ、ぼちぼちだな。前よかぁ客の入りは良くなったが、さすがに昔馴染みは足が遠のいちまったからなぁ」
一軒家だった頃とは客層が多少変わり、一見さんは若い層が減った代わりに落ち着いた年寄り層が増えた。
旅館の泊まり客が殆どで、おきつだけを目当てに来る客はいないと言っていい。
そこらへんは、ある程度予想がついていたので構わない。ただ、気安く話せる馴染みの客がパッタリ途絶えた。
やはり、あの場所に建っていたからこそ、ご贔屓にしてくれていたのだろう。
馴染みが来なくなったのは寂しいが、別に今の客が嫌だってんじゃない。
美味しい、次に来る時も食べたいと言ってくれる人が多くて、嬉しくなる。
大蔵屋へ泊まりに来る客は善良な人ばかりだ。つくづく、この旅館が団体客専用じゃなくて良かった。
「すみません、俺が我儘なせいで」と小さく呟いて項垂れる島には、首を振って否定した。
「違う、我儘なのは俺だよ。俺が、お前と一緒に働きてぇから場所を移したんだ」
厳密には同じ厨房ではないけれど、毎日顔を併せられるようになったんだから満足だ。
時間さえあえば、こうしてちょっとした雑談だって出来る。
一軒家で店を開いていた頃と比べて、島との距離が一気に縮まった。
いや、元に戻ったというべきか。
「どれ、久々にケーキを焼いておくか」
腕まくりして張り切る興宮は「今から、ですか?」と驚きを浮かべる島へ頷くと、ばしっと腕を叩く。
「客の相手をしながらだって作れるぜ。そのぐらいの余裕がなきゃあ一人で飯屋なんぞやってられんよ」

大蔵屋は夜十時で消灯、ロビーと売店が閉まるのも、その時間になる。
提携店舗にしても同様、閉店は夜十時厳禁だ。
客足は九時を最後に誰も来なくなり、客にも夜十時消灯ルールは浸透していると見える。
この辺は大蔵屋に限らず、どの店も閉店時間が早い。
一応部屋備え付きの冷蔵庫におつまみの類があるから、都会から来た若者は、それで我慢しているのかもしれない。
厨房の仕事を終えた島がやってきて、おきつの暖簾をしまい込んだ興宮は対面に腰掛ける。
誕生会のメニューは日本酒とつまみが少々、それとフライパンで焼いたパンケーキだ。
「日本酒、お好きですよね」と島が笑い、コップを併せてくる。
カチンと鳴らして、興宮は一気に飲み干した。
「まぁな。昔から、こっちのほうが合うんだ。お前は、どうだ?ちったぁ飲めるようになったのか、酒」
ちびちび口に含んで、島が答える。
「多少は……」
そうは言っても口に含むのが精一杯なようで、今でも酒は苦手なままだと興宮は合点する。
おきつで働いていた頃、島は未成年だった。
それでも興宮は飲み相手になって欲しくて、こっそり飲ませてみた。
ビールから始まって日本酒、ワインに果実酒、甘酒、サワーと全部試したが、どれも飲めずに終わった。
成人した後も島は酒に全く手をつけず、アルコールがどうというより酒の味そのものが嫌いなのだと思われた。
「一応ノンアルコールもあるぞ、烏龍茶だが」
「では、そちらをお願いします」
間髪入れずリクエストが飛んできて、興宮は苦笑する。
「お前、無理なら無理と素直に言っていいんだぞ?俺とお前の仲じゃないか」
「その……言われたんです」
少し照れた格好で、島が呟いた。
「おばさん……いえ、葉菜子さんに。興宮さんは飲み相手を欲しがっていると」
「てやんでぇ、あのババァ、な〜にを吹き込んでんだか!」
思わず悪態が興宮の口を飛び出して、驚く島に気づいたか言い直す。
「飲み仲間は欲しいと思っちゃいるが、何も飲めない奴に無理強いする気はないんだ。お前は前に言ってただろ、酒は美味しくないから飲めないんだって。それでいいんだ。無理に味覚を他人に併せる必要なんざねぇ」
葉菜子ってのは坂一の母親だ。
一時期は家族が同居していたから、母も父も島を知っている。
父の足腰が悪くなり、自分で歩けなくなった今は二人揃って老人ホームへ入居した。
母から聞いたということは、島は見舞いに行ったのか。実の息子でも滅多に行かないってのに。
なんで会いに行ったんだと問い詰めれば、坂一の誕生日を祝うにあたり、好きな嗜好品を聞き出そうと思ったのだと島は白状する。
「食べ物の好き嫌いは知っているつもりですが……贈り物の好き嫌いが判りませんでしたので」
そう答えて照れる島に、興宮は身を乗り出して顔を寄せる。
「本人が近くにいるんだから、直接訊きゃぁいいだろうが」
「サプライズにしたかったんです」と、島は大真面目に反論してきた。
それにしても、母が真っ先に思い出した息子の要求が飲み相手募集だったとは。
よほどノンベな想い出ばかりが強調されているらしい、母の脳内で。
なにしろ初めて酒を飲んだのは小学生の時分、父に半ば強制的に飲まされて、それで酒が好きになったってんだから、母の記憶に息子はノンベだと刻まれたとしても不思議ではない。
「大人にとって飲み相手の有無は重要だと、おじさんもおっしゃっていました」
「だから!周りに合わせる必要はないんだっての」
身振り手振りで騒ぐ興宮を、じっと見つめて島が言う。
「それに……俺も、知りたいんです。興宮さんや皆が知っている、酒の楽しみ方を」
「うぅん?」
島の本意が判らず、興宮は首を傾げる。
味自体が無理なら、どれだけ楽しみ方とやらを誰それに教わろうと無意味ではないか。
「……もしかしたら、俺でも飲める酒があるかもしれない。酒を飲めるようになれれば、もっと酒の場が楽しめるようになるかもしれない。俺が酒を飲めないのは体質じゃない、ただの好き嫌いです。偏食を直したいんです」
飲み物の好き嫌いが偏食かどうかは、さておき、島は酒が飲めないのを克服したいと願っている。
おかみさんが飲める人だから、それに併せたいのかなと興宮が考えていると、いきなり島が酒の入ったコップを一気飲みするもんだから驚かされた。
「お、おい、無理すんな!」
島は喉元に手をやって、苦しそうな表情を浮かべている。あきらか無茶な飲み方であった。
コップを机において、島が呟く。
「どれだけ飲んでも、アルコールの味しか感じられないんです。それが、悔しくて」
「アルコールの味がするのは当然だろ、酒はアルコールなんだから」と突っ込んでから、興宮は島が言いたかったことを自分なりに解釈してみる。
「つまり、アルコールは舌にピリピリくるから飲めないんだと、そういうことか?」
だとすれば、苦手なのは味じゃない。飲み心地、食感に含まれる。
舌に刺激のこない酒なら、島にだって飲めるかもしれない。
「ピリピリというか……それもありますが、苦い……?ともかく俺が美味しいと感じる味からは、ほど遠くて」
島は自分で言った言葉に自分で首を傾げている。
自分でも何をもって酒を美味しくないとしているのかが判らないせいだ。
ふむと興宮が考え込んだのを見て、島は話題を終わりにしてきた。
「すみません、自分の話ばかりして。今日は興宮さんの誕生日なのに」
「いや、いい。お前は俺に歩み寄ろうとしてくれたんだろ?わざわざババアの見舞いにまで行ってよ」
手を伸ばして、島の頭を撫でる。
昔は、こうやって何か話すたびに彼の頭を撫でていた気がする。
成人する前も、した後も。
そして島は、いつだって嫌がらずに受け止めてくれた。独り立ちした今でも。
「もっと、お前の本音を聞かせてくれ。そいつが今の俺にゃ最高のプレゼントだ」
「そ……そうですか?」と、上目遣いに遠慮がちな彼へ力強く頷いてやる。
「あぁ。俺の知らない、お前を知りたいんだ。俺が知ってんのは昔一緒に住んでいた頃の、お前だけだからな」
興宮の笑顔を見つめているうちに、島も記憶が次々と蘇る。
フライパンで焼いたパンケーキは島がおきつで働いていた頃、よく食べさせてもらった想い出の味だ。
あぁ。
毎日が忙しくて深く考えていなかったけれど、遠い昔なのだ。この人と同じ店で働いたのは。
「では……面白くないかもしれませんが、聞いてください」と前置きした上で、島は語りだす。
おきつを出て、大蔵屋に採用されてから今に至るまで、他愛もないけれど、個人的には驚きの連続だった日々を――



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