不器用な恋と呼ばないで

2022誕生日短編企画:島のお誕生日

今日は朝から厨房で先輩諸氏から祝いの言葉を投げかけられて、仕事後は飲みに行こうと誘われたり、後輩にはデートを申し込まれたりもしたが、それら全てをすげなく断った島は、仕事終わりに離れの自室で一息つく。
今日は島の誕生日だったのだ。
過去の誕生会を思い出すのは、両親への想い出と直結する。
しかし、思い出すのは苦痛ではない。二人が生きていた頃の、かけがえのない記憶なのだから。
両親の死後、島の誕生日を祝ってくれる人は興宮へと置き換わり、それも思い出すと心が温まる一ページだ。
今日の誕生日は大勢の人々に祝われたけれど、一つ不満があるとすれば、興宮の店へ行く暇がなかった点だ。
なんやかんやで足止めを喰らい、昼も夜も売店のパンで済ませてしまった。
「島くん、いらっしゃいますか?」
トントンと襖を叩く音で我に返り、琴を部屋に招き入れる。
琴が、この部屋へ来るのは珍しい。
改装工事で雨漏りが改善された時以来だろうか。
「お誕生日おめでとうございます」と丁寧に頭を下げられて、島は恐縮する。
琴はオーナー、雇い主だ。
島など所詮は従業員の一人なのに、わざわざ就寝前に部屋を訪れて祝ってくれるなんて。
「ありがとうございます」と返したら、琴にはクスリと笑われた。
「なんて、少し他人行儀だったでしょうか。もっと軽く言おうと思っていたんですけど、なかなか上手くいきませんね。緊張してしまって」
座布団の上に腰を下ろすと、彼女は荷物から酒瓶と四角い箱を取り出した。
「島くんはパーティ、あまりお好きじゃなさそうなので、ここでお祝いしましょう。二人だけで……ね?」
悪戯っぽく微笑まれて、島の心拍が跳ね上がる。
普段は年相応の淑女なのだが、時折少女のようにあどけない態度を見せては、こちらを驚かせてくれる。
今も足を崩して座布団の上に座っており、裾から見え隠れする素足の誘惑に負けそうだ。
夏の旅行以降、琴との距離が、ほんの少し縮まった。
好きだと、はっきり告白されたし、こちらも好意を伝えてある。
両想いである。
なら、もう少し距離を縮めたって怒られないのではないか――と思うのだが、どうにも距離の縮め方が思いつかない。
島は、これまでに恋をした経験がない。
恋愛対象として好きになったのは、琴が初めてだ。
彼女は自分より年上で、それでいて母親性ではなく性的な魅力を感じる。
夢の中でなら何度となく抱き合ってキスして、その後の行為も妄想できるのだが、如何せん現実でとなると、これが難しい。
最初の行為に出るきっかけを、どう作ればいいのやらだ。
身体の関係は一切縮まらないというのに、琴には婚約しようとプロポーズされた。
もちろん速攻で頷いたものの、一向に手を出さない島を彼女は内心どう思っているのだろうと心配になった。
会話にしても、そうだ。ずっと敬語で話している。
目の前では、箱から取り出したケーキを皿に並べる彼女がいる。
島が悶々考え込んでいる間に、誕生日祝いを用意してくれたようだ。
せっかく部屋へ遊びに来てくれたというのに、延々放置してしまって申し訳ない。
「あ、あの。ありがとう、ございます」
二度目の感謝を告げた島は、少しばかり身を乗り出す。
「今日だけではなく、いつも、俺を見捨てないでくださって……」
「見捨てる?何のお話ですか」と笑い、琴が島を見やる。
「島くんをクビにしないのが不思議だと言うんでしたら、あなたをクビにするオーナーのほうが私にとっては不思議の対象ですね」
琴も身を乗り出して、そっと島の手を自分の手で包み込む。
「感謝を言うのは、こちらですよ」
「か、感謝?何にですか」と狼狽える彼を、ひたと見つめて言葉を綴る。
「あなたが修行先に大蔵屋を選んでくれたこと。選んでくれなかったら、こうして出会うこともなかったでしょう?」
「あ……」
ぽかんと呆ける島へ顔を近づけ、琴は小さく囁いた。
「こうして仲良くなったり、未来を考えることも出来ませんでした。だから感謝しているのです、あなたには」
未来というのは、婚約した件か?
首を傾げる島へ微笑み、琴が言う。
「美代司さんが亡くなった後、私の時間は、ずっと止まっていたんです。どれだけ季節が過ぎても未来の自分像が思い浮かばず、ひらすら仕事のみを考えて生きていました。ですが、あなたという存在を知って、私の中で時が動き出した……未来を考える余裕が生まれたんです」
美代司というのは琴の前夫、大蔵屋の創立者である。
仲の良いお似合い夫婦だったと仲居の噂で聞いた覚えだが、そこまで愛し合っていたとは知らなかった。
彼の死は人生に絶望するほどだったのに、島と出会って、その悲しみを乗り越えたのだ。
琴が立ち直れたのは、良かったと思う。
そのきっかけが自分だったというのも。
「お、俺も……です。あなたが雇い主でよかった、と……」
ぽつり、ぽつりと島は自分の想いを吐き出す。
どこまで正確に伝えられるかは分からないけど、今を逃したら、きっと伝える機会はない。
「あなたが雇い主じゃなかったら、ここで誕生日を祝ってもらえることもなく、そして……誰かを好きになることもなかった、と思います」
「そうでしょうか?」と琴は首を傾げ、「島くんでしたら出会いのきっかけは、いくらでもありそうですよ」と一刀両断して、島を慌てさせる。
「ですが」と繋げて、彼女は笑う。
心から嬉しそうに。
「そう言ってもらえて安心しました。一人で暴走しているんじゃないかと、心配だったものですから」
だから握られた手を握り返して、島も微笑んだ。
「大丈夫です。俺も、同じ心配を抱いていましたから。俺達は似た者同士ですね。だから上手くやっていけます、これからも」
こちらも精一杯、嬉しいんだという気持ちを添えて――



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