悪役令嬢に転生したキース
――天蓋ベッドの上で微睡む朝。
チチチ、チチチと小鳥のさえずりが聴こえてくる。
ちらりと窓を見やると、温かな日差しが差し込んでいた。
今日も良いお天気ね。
……って。
ちょっと待て。
俺のベッドは断じて天蓋なんぞついていないし、朝日が差し込む方角に窓などないし、小鳥が鳴く時間に俺が目覚めていること自体がおかしい。
時計を見ると、午前七時。いつもなら惰眠を貪っている時間帯だ。
俺は大体、夜型なんだ。夜にこそ研究だって捗ると言うもんだろ。
パジャマを脱ごうとして、再び呆気にとられる。
どうして俺は女物のネグリジェを着ているんだ!?
それも淡いピンクでまとめた花柄だ。こういうのはナナたんが着てこそ映えるってもんだろう。
俺が着たって意味がないばかりか気持ち悪いだけだ。
勢いよく脱ごうとして頭がつかえ、もぞもぞ四苦八苦しながら、やっと脱ぎ捨てた。
続けて洋服ダンスを開き、みたび呆然となった。
見事に女物の服しかない。
全部が全部、レースでフリルでビラビラな服ばかりで、一体どこの舞踏会へ参加しろと言うのか。
パンツ一丁で立ち尽くしていると、扉がノックされてメイドさんが入ってくる。
大きな瞳がパッチリしていて、目鼻の整った美人だ。
俺を見るなり「まぁ、お嬢様ったらいけません!下着一枚で開放的になっている場合ではございませんわ」と叫び、タンスから颯爽と真っ赤なドレスを取り出した。
「今日のお召し物は、こちらで如何でしょう?お嬢様にお似合いのお洋服でございます」
「おい、ちょっとまってくれ」と声をかけてもメイドさんは俺の声を無視して、頭からすっぽりドレスを被せてくる。
どうやら着付けさせてくれるつもりらしい。
洋服ダンスに女物しかない以上、ここは逆らっても無駄だと踏んで、素直に着替えさせてやった。
メイドさんの細い指が俺の腰や乳首や尻に触れるたび、意味もなく胸がときめいてしまう。
一生懸命ドレスの皺を伸ばす姿が可愛いなぁ。
密着すると良い香りまで漂ってきて、そういうサービスなのかと勘違いしてしまうじゃないか。
だがメイドさんは俺をドレスに着替えさせると、さっさと身を離し、「やっぱりよくお似合いですわ、お嬢様」と手放しで褒め称える。
鏡の前まで引っ張ってこられて、俺は四回目の驚愕に襲われた。
なんと俺の髪はグリングリンの縦巻きロールになっており、口元には淡い紅、睫毛ビシバシの女が立っていた。
胸はナナたんばりの巨乳に加え、腰はくびれてキュッと細く、手足まで細くなっているではないか。
つまり、眼鏡以外は別人と化していたのだ――!
メイドさん曰く、本日の予定は学堂で授業を受けるんだそうだ。
俺扮する睫毛巨乳美人は学生なんだな。
学生時代か……取っ替え引っ替え学部のカワイコちゃんをナンパしまくって、デートの日々を送ったのも懐かしい想い出だぜ。
今の俺は女だから、男をナンパすることになるのか?断固お断りだな。
女が女を口説いたって問題ないはずだ。女同士の麗しき友愛、いいねぇ。
きらびやかな馬車で送り出されて、学堂へ入るや否や、大勢の女生徒が俺に向かって「キース様、おはようございます」と会釈をかましてくる。
なんだ、クラスのボス的存在なのか?今の俺は。
ざっと見渡しても女の子しかいない。女子スクールだったのか、そいつは好都合。
皆が格式張る中、一人だけ元気よく「おはよう!キース」とタメ口で話しかけてきた子が居た。
「まぁ……また馴れ馴れしくキース様に話しかけて、庶民の分際で」
「身の程知らずな小娘ですこと、さすが奨学金目当てで入学するだけはありますわ」
などと小声での陰口が囁かれるに、この子だけクラスの輪から外されているのは間違いない。
金髪を赤いリボンで結び、はつらつとした可愛い子なのにな。仲間はずれは可哀想じゃないか。
「おはよう、えぇっと……」
優しく微笑んで挨拶を返そうとして、俺は気がついた。しまった、この子の名前が判らない。
あちこちでクスクスと忍び笑いが起きて、いらぬ恥をかいてしまったと思ったが、違った。
「ほら、キース様にも名前を覚えてもらえないほど空気なのに、毎朝よく無作法に話しかけますこと」
笑われているのは俺じゃない。彼女だ。俺のせいで、彼女に恥をかかせてしまうとは。
だが、当の本人は全く気にしていないのか「エブリーナよ、覚えてね☆」と笑顔で名前を教えてくれた。
なんて良い子なんだ。この子はきっと、社会に出たらモテモテ人生間違いなしだ。俺が太鼓判を押そう。
「そうそう、そうでしたわね。ごめんなさい、お名前を忘れてしまうなんて。エブリーナさん、おはようございます」
「まぁ……キース様に微笑まれるなんて、図々しい庶民ですこと!」と小声なれど良く聴こえる僻みを呟くデブ、もといポッチャリ系女子にも、俺は微笑んで挨拶をしてやった。
「皆様も、おはようございます。さぁ、授業が始まりましてよ。お席につきましょう」
俺の号令で皆も素直に着席する。先生の手を煩わせることなく、授業が始まった。
休み時間、周りの女子があれこれ他愛ない雑談を話しかけてくる。
ふと戸口へ目をやると、エブリーナが廊下で誰かと話しているのが見えた。
なんだ、クラス外に友達がいたのか。なら、気を遣ってやる必要もなかったな。
などと考えながら、そっと伸びして彼女の話し相手を見て、ゲェッ、男?男もいたのか、この学校。
いや、でも彼女とは、だいぶ歳が離れているようだし、先生かもしれん。
先生しか友達がいないとなると、やはり挨拶して正解だったんだ。
「ほら、またクリス先生、あの子を依怙贔屓しています。私、あの先生、どうも好きになれませんわ」
俺の視線を辿ったのか、デブが拗ねてみせる。
デブに嫌われたところで、クリス先生だって痛くも痒くもなかろう。
クリス先生は眉毛だけは男らしく太いんだが、手足は華奢で胸板も薄い。
そのくせ顔は端麗で、いかにも女性にモテそうなタイプだ。
その先生だが、先ほどから廊下で延々エブリーナと立ち話で盛り上がって――いるのかと思いきや、なんだかつまらなさそうな顔で上の空、せっかく可愛い女の子が話しかけてくれているってのに、こいつは何が不満なんだ。
さっきのデブの台詞ではないが、俺もあの男には好感を抱けん。
俺とデブの不快に気づいたか、おさげの女の子が、そっと耳打ちしてくる。
「ね、キース様。私、いつものアレが見とうございますわ。あの先生に赤っ恥をかかせてやりませんこと?」
いつものアレ?
「キャー!素敵、キース様のアレがエブリーナの前で炸裂するなんて!」
他の子も喜び始めて、アレが何だか判らず一人途方に暮れていると、脳内にパッと閃く文字があった。
おめでとう!
キースは 『頭が高くってよ、この庶民風情が。オーッホッホッホ!』 を習得した!
……なんだこりゃ?
己の脳裏に浮かんだ言葉ながら、自分でも呆然としてしまう。
「私、一日に一回はキース様の高笑いを見なくては満足できませんの!さぁ、早くクリス先生の頭をヒールで踏んづけなさって」
三つ編みの子は興奮気味だ。俺がやると信じて疑っていない。
どうあっても、俺はクリス先生の頭をヒールで踏んづけて、先ほどの台詞を言わねばならんようだ。
こんな真似を教師相手にしたら成績に悪く響きそうな予感しかしないんだが、可愛い女の子達のリクエストとあれば答えねばなるまい。
「よろしくってよ。よーくご覧あそばせ」
俺は早足にクリス先生の真後ろへ回り込むと、奴を後ろへ引き倒した。
「うわぁっ!?」と無様な悲鳴をあげて転倒した先生の顔面をヒールでグリグリしながら、高飛車に言い放つ。
「誰の許しを得て私のお友達とお喋りに興じていらっしゃるのかしら、この庶民風情が!身の程を弁えなさいませ、オーッホッホッホ!」
キャー!と教室中の子が盛り上がる中、エブリーナだけはオロオロ、俺と先生を交互に眺めて慌てている。
そりゃそうだよな、先生相手にこんな真似するクラスメイト、どう対応したらいいのか判らないに決まっている。
で、踏まれている当の先生はというと。
「あ、あぁ……キースお嬢様、もっと、もっと卑しい豚を踏んで下さい、ハァハァ……」
うわぁ、キモッ。
思わずマジでドン引きしちまったが、クリス先生は恍惚とした表情を浮かべて喜んでいやがった。
足をのけた途端、先生は身軽な動きで立ち上がって会釈する。
「最高です、キースお嬢様。お嬢様の高笑いを間近で聴けるとは、光栄の極み……あぁ、今日も麗しい」
頭の狂った台詞のみならず、俺の右手を引き寄せるや否や甲にブチュッとキスしてきやがって、キッタネーなぁ、おい。
頭にきたんで、予定になかったアドリブを付け加えてやった。
「何をなさいますの、卑しい豚が!」
渾身のビンタをまともにくらって、再び転倒する先生へ高笑いを浴びせてやる。
「私の手にキスをなさるなど、身の程知らずにも程がありましてよ。オーッホッホッホ!」
「キャー!キース様最高ですわ」「しびれますぅー!」
教室は大喝采、クリス先生を心配しているのなんてエブリーナだけだ。
せっかく先生と雑談を楽しんでいたのに、変なプレイで邪魔しちまってごめんな。
だが、まぁ、可愛い子を邪険にしていた先生にも非がある。これは罰だ、エブリーナに対して失礼をかました。
「エブリーナ、そんな男に構う必要はなくってよ。まぁ、どうしても気になるというのでしたら、あなたが保健室へ連れて行って差し上げなさい」
エブリーナは素直にコクンと頷き、先生に肩を貸してやっている。本当に良い子だなぁ。
――その後もエブリーナと楽しく話す男を見かけてはデブが拗ねて、他の子が俺をけしかける。
そのたびに俺は高笑いで男のプライドをズダボロにし、エブリーナが後のフォローを引き受けた。
延々エブリーナと仲の良い男イジメを繰り返して、三日ほど経った、ある日。
メイドさんが顔色をかえて俺の部屋へ駆け込んでくる。
「大変ですわ、お嬢様!お父上が、お父上が――!」
なんと、俺たる睫毛巨乳令嬢の父親が喪に伏したらしい。
そう言われても顔も見た覚えのない親だ、全く実感がわかない。
「お嬢様、事業失敗についてのご質問が――」
「お嬢様、お父上の借金について――」
「お嬢様――」
途端に鳴り止まないクレーム電話と借金の取り立て、この家はセレブなのか貧乏なのか、どっちだったんだ。
父親の葬式も済まないうちに俺は屋敷を放り出され、気がつくと目の前にクリス先生他、これまで俺が高笑いで傷つけた男連中が立っていた。
「よぉ、キースお嬢様。いや、元お嬢様だったか、どうだい?落ちぶれ貴族の気分ってのはよォ」
ゲスい笑いを浮かべているのはクリス先生だ。こいつ、地はこんな性格だったのか……
「お嬢様じゃなくなったんなら、容赦しねぇ。おい皆、こいつをマワシてやろうぜ!」
男の一人が、とんでもない発言を往来で繰り出した。
冗談じゃない。男に輪姦されるなど、いくら巨乳美人になっているとはいえ勘弁である。
だが逃げようにも俺は男たちに退路を阻まれ、袋小路へと追い詰められる。
男の手が何本も伸びてきて、紙でも引き裂くが如くに容易くドレスは引き裂かれた。
「やめろ、お前ら正気に返れ!」と俺は叫んだのだが、本より連中が言うことを聞くはずもない。
かつて、散々俺の手により女の前で恥をかかされたんだからな。恨みは相当買っている。
伸びる手を叩き落としても叩き落としても手は諦めず、俺のパンツを引き破ったばかりかキッタネェブツを顔の前に突き出してきて、「おら、しゃぶれよ!」とクリス先生は教師らしからぬ外道発言を俺に向かって吐き出した。
ぎゃあぁぁ、全く冗談じゃないぞ。男のブツなんて口に咥えたくな、ゲボッ、グボッ!
喉の奥にまでクリス先生、いやゲス男のブツが侵入してきて吐き気が喉元まで迫り上がる。
あぁ。
俺は、このままイケメンなれど外道なチンカスどもにマワされて人生の幕を閉じるのか。
儚き令嬢生活だったぜ……
――気がつくと、俺はいつものベッドで身を起こして呆けていた。
今までのは全部夢だったのか。
良かった、夢で。
だが、何故あんな気持ち悪いオチつきの夢を見たのか。
きっとアレだ。前の旅で、やたら俺とユンをくっつけたがっていた女の子、アンナの影響に違いない。
首を振って、おぞましい夢の記憶を消し去ると、俺は花柄のネグリジェを脱ぎ捨てた。