アクア

21周年記念企画:たとえば、こんな海水浴

海は我が故郷だ。
大地震で地上へ打ち上げられた今は故郷へ戻ることもないが、たまに懐かしくなる時がある。
たまの休日、サザラは沙由を連れて海に来た。
兄は家に残った。沙由が居ない間に家の掃除をするのだと言う。
恐らくそれは建前で、二人きりにしてあげたい兄流の気遣いなのだとサザラは受け止めた。
大災害から二十年ほど経つ頃には、瓦礫の山だった街並みもすっかり復旧しており、二人は電車で海へ向かう。
沙由へ席を譲ったサザラが微笑みながら「お土産は何にしましょうか」と問うと、沙由は少し考えてから、やはり微笑んで答えた。
「そうですね……スイカを買って帰りましょう」
彼女の家族が生きていた頃、夏にはスイカを食べるのが風物詩だったという。
最寄りの駅で降りた後は、のんびり歩きながら景色を楽しんだ。
「ここへ来るのは初めてです」
物珍しげにあちこちを見やる夫へ沙由が笑う。
「サザラさんは、どこも初めてでしょうに。これからは、外へ出歩く機会を頻繁に設けましょうね」
街は魚人との共存化が進み、魚人が外で出歩いていても、道行く人に奇異の目を向けられることもなくなった。
子どもたちは大きくなり、二人だけの時間が戻ってきた。
これからは少しばかり遠出をして、良い思い出を作っていこうとサザラは考える。
人間の寿命は魚人よりも短い。生きているうちに、できるだけ多くの喜びを彼女に与えてやりたい。
ふと、沙由が足を止める。
「どうしましたか」
問うサザラに「見てください。綺麗でしょう?」と彼女が指さしたのは、陽を受けて煌めく水平線であった。
「あぁ……」
陸から眺める海は、サザラの知る海とは違った顔だ。
まるで星屑が海の上に散りばめられたようで、キラキラ反射する光を掬い取ってみたくなる。
「美しい、ですね」
「えぇ」
しばらく二人で眺めに浸ってから、再び歩き出す。
海水浴場の看板を通りすぎ、混み合った場所を避けるようにして岩場で立ち止まった。
ぐるりと見渡したサザラは、どこかホッとした様子で呟いた。
「ここなら二人きりになれますね」
「あら。二人きりになりたかったんですか?」と沙由は悪戯っぽく笑い、夫の側で腰を下ろす。
「……ありがとう。私に気を遣ってくださったんですね」
沙由は内気な少女だった。
しかし、ある事件を境として、彼女は魚人と人間との共存運動を始めて有名人になった。
人前に出れば、嫌でも注目の的になってしまう。
そんな彼女を海水浴場へ連れて行くわけには、いかなかった。
「ここでなら静かに海を楽しめるかと思いまして」と囁き、サザラは波間をかき分けてゆく。
目線で尋ねてくる沙由へ「少々お待ち下さい」と言い残して、すぐに彼の姿は海に消えた。
潜ったのだ。だが、何故一人で?
泳ぐのであれば自分も誘ってほしかった。
泳ぎは苦手だが、水着は持ってきている。彼には泳ぎを教えて貰いたかったのに。
夫の唐突な行動に困惑するも立ち去るわけにいかず、沙由は浜辺で帰りを待つ。
じりじりと太陽が全身を照りつけて、沙由の腕が、足が、暑さの限界を訴え始めた頃にサザラは戻ってきた。
「すみません。見つけるのに手間取りましたが、これを貴女に見せたくて」
手渡されたのは大きな二枚貝だ。
陽の光にかざすと、貝の表面は虹色に煌めいた。
「わぁ……」
「最後に見た時よりも増えていました。きっと、海が綺麗になったおかげでしょうね」
大災害を経て、海へ流れ込む汚水がパタリとやんだ。
文明が復旧した今も魚人との共存を踏まえて、汚水を海に捨てる行為は厳しく罰せられる。
それもこれも全ては沙由の功績だ。
彼女が勇気を出して、全世界へ呼びかけた結果なのだ。
沙由が生き延びた事こそが、魚人にとっても人間にとっても最良であったとサザラは思う。
もちろん、自分にとっても。
そっと沙由の腕に濡れた手を置き、サザラは誘いをかける。
「さて……それじゃ、泳ぎましょうか。今度は二人で」
「えぇ。どうか、手を離さないで下さいね」
沙由は水着へ着替えるとサザラの手を取り、冷たい水へ身体を浸した。


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