アクア

2022誕生日短編企画:シズクのお誕生日

誕生日なんてものは、深海で暮らしていた頃は一度も祝った覚えがない。
ただ、生まれたというだけの日だ。
なのに地上に出て一年が過ぎる頃、唐突に弟が言い出したのだ。
兄さんの誕生会をやろう、などと。
大方あの少女、拾ってきた人間の子供に感化されたのであろう。
いつ生まれたのかは覚えていても、自分が何年生きているのかは記憶の彼方にある。
何年生きているかを覚えていることに、何の意味があろうか。
彼ら魚人は、長い時を深海で過ごしてきた。
それこそ人間が地上に誕生するよりも、遥か昔から。
そのまま、ゆるゆると、あんな大災害さえ起きなければ、深海の底で命つきるはずであったのに。
地震の影響で海底を押し出され、多くの仲間が浜辺へ浮上せざるを得なくなってしまった。
最初はビチビチ鰭で宙をかいて死ぬだけだった定めの生き物は、やがて互いに融合して一つの肉体を作り出す。
今のシズクは一人であって一人ではない。
この肉体には何百何千の仲間が宿っている。
地上にあがった魚人は皆そうだ。弟も、誰かとの融合で生き延びた。
それでいて思考は一人、意識の融合だけは阻止したおかげだろう。
だからこそ。
今が何歳で、次は何歳になったと祝う意味が彼には判らない。
それでも弟を悲しませたくなくて、何回かは祝うのを許してやった。


今年も、その誕生日がやってくる。
明日だ。明日になればサザラが、いそいそと持ちかけてくることだろう。
そして自分は嫌々ながらも祝われて、あの女、沙由にも社交辞令でおめでとうと言われるのだ。
もう、慣れっこだ。何回も同じことをやっていれば。
社交辞令なんて、余計な言葉まで覚えてしまうほどには。
最初の頃こそ沙由は居候らしく、わきまえた態度を取っていたのだが、図々しくもサザラの嫁気取りで子を何人も産んだ今は、すっかり居直ってしまい、家主たるシズクが相手であろうとタメで接してくる。
かくも人間とは、しぶとい種族だ。
だが、まぁ、いい。
沙由の無礼も、そろそろ許してやろう。
あの女が前に出て代弁した結果、魚人と人間は共存の道を歩めるようになったのだから。
何処かで、おじいちゃんと呼ぶ声が聴こえる。
あの女の孫だか曾孫だかが、庭で騒いでいるようだ。
おじいちゃんというのはシズクを指しているらしい。
どれ、多少は相手をしてやるか。そうしないと、いつまでも騒いで近所迷惑だ。
がらりと障子を開け放った途端、どこまでも澄みきった深海を思い起こさせるかのような青空が眼窩に広がって、シズクは目を細めた。


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