1971年4月4日、いよいよ出航。 行きは荷物が多かったので、横浜から船で行きました。 |
船室はDELUX ROOMだったので、居間と寝室、浴室が別になっていて、 とても広くてそのころの我が家(公務員住宅)より広い? |
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ノヴォシビルスク空港に到着 船でナホトカに着いた後は、シベリア鉄道でハバロフスクまで行って そこからアエロフロートの国内便でノヴォシビルスクへ。 二日がかりの旅でした。 |
アパートが空くまでホテル住まい。 写真の奥の建物がHOTEL「黄金の谷」。ホテルはこれ一軒のみ。 手前は郵便局 |
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←日本語の話せる大学の先生(フロローワ夫人)のお世話になりました。 近くの森へフロローフ夫妻とお散歩です。(春の森) ↓森は白樺と松が生えていてとてもきれい。 秋になると紅葉して「黄金の谷」になる。(秋の森) きのこ狩りをしてバター炒めにしたら美味しかった。 |
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アパート暮らしが始まる。日本でいうところの3LDK。 電話器は1台なのになぜか電話線が2本引き込まれている。 ロシア人曰く 「1本は盗聴器だよ」!? |
町に一つの百貨店。といってもスーパーマーケットのようなもの。 なんにも無いけど毎日買い物に行った。 |
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研究所の部長の一家とオビ湖のほとりでバーベキュー。 オビ湖はオビ川を発電ダムでせき止めてできた人工湖だけど 対岸が見えないぐらい大きい。ロシア語では「オビ海」という。 |
夏はみんなオビ湖で海水浴?気温は日向では30℃程度まで上がるが 湿気が無いので日陰ではひんやりするぐらい涼しい。 遠くに見える島影はちょうどオビ湖の中央にある島。 |
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9月。秋の訪れは早い。急にさむくなる。 |
長女誕生。ロシアの赤ん坊はぐるぐる巻きにされている。 そのころロシアは医療費は無料! |
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冬は雪はあまり多くないけど、気温はー40℃まで下がって 樹氷ができる。テレビの天気予報で各地の最低気温がながれる。 カメラが凍ってしまう。 |
みんなホームパーティが好き。ほかに楽しみが無い。 昼食から始まって、深夜まで大騒ぎ。 |
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クリスマスには子供のいる家にサンタクロースが来る。 ロシア語ではサンタのことを「寒さのおじいさん」という。 |
研究所の仲間とパーティ。もうすぐ帰国 |
余談 -- ロシア人の好きなジョーク
ヤブ蚊が森に沢山いるけど、街にはいない。
なぜって、蚊は共産党がきらいなのさ。
バスに乗るときは一番きれいなやつを選んだほうがいいよ。
なぜならそれはチェコ製だから。(ロシア製は故障が多い)←これをいったのは共産党の幹部
今回はここまで。
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