第四話 結末
実際にはどうやるのと尋ねる風村に対し、草間は遠呪法を使いますとだけ答えた。彼が取り出したものは一本の髪の毛、これを泥人形に練り込んで使うという。
その泥人形を目の当たりに見て「本格的だね」とだけ風村は応えておいた。
茶化すつもりはない。
本当に本物の呪術らしい道具を見て、少々肝を冷やしてしまったのだ。
草間は義兄に仕返しをするつもりでいる。
大人しく、どことなく頼りない草間らしからぬ発言であった。
そして髪の毛を練り込んだ泥人形。
一体どんな呪いをかけるつもりなのだろうか。
「殺したり、しないよね?」
こわごわ尋ねると、草間は僅かに笑みを浮かべて風村を見た。
弱々しい笑みだった。
「まさか。……兄ですよ?」
そう言いながらも丹念に髪の毛を練り込んでいくと、机の上に立たせる。
次に懐から取り出したのは、小さな壺と三角の形をした物だ。
中国の香に似ている。
火がつくと線香によく似た匂いが漂ってきたから、香で正解かもしれない。
草間はすでに口の中で、ぼそぼそと何事かを呟いている。
それが呪詛だと風村に判るわけもなく、だからといって作業を邪魔するわけにもいかず大人しくしていた。
不意に。
コトリ、と音を立てて泥人形が動き出した。
ぽかんと口を開けたまま凝視する風村の前で、泥人形はコツコツと机の上を歩いていく。
あと少しで机の端から落ちるかという処で、いきなり軽い亀裂音と共に机の上に倒れた。
見ると、泥人形の体には細かい亀裂が走っている。
そして草間はというと、床に手をついて荒い息を吐いていた。
しばしの静寂の後、風村は尋ねた。
「せ……成功したのかい?」
草間から返ってきたのは、否定の意であった。
「気づかれました……僕が送った念を念で弾いてきました」
汗だくの顔を、渡して貰ったタオルでぬぐいながら草間はそう言った。
呪詛が向こうにばれて、呪詛返しをくらったのだ。
もちろん草間とて御当主様、向こうの呪詛にむざむざとやられるほど呪力は弱くない。
さりとて呪詛返しをさらに返せるほど余裕があるかというと、実力は五分と五分。
張り合っているうちに泥人形のほうにガタがきて、押し返されてしまったという。
「……もう、これは使えませんね。別の術を考えなくては」
溜息と共に泥人形をゴミ箱へ捨てる草間を見て、風村は思ったことを正直に尋ねる。
「兄さんを懲らしめるの……呪術じゃないと駄目なの?」
「えぇ」と、短く頷くと草間は続けた。
「これは僕と兄の怨冥道士、二人の戦いですから」
なにやら腑に落ちぬものを感じながら「失敗した術、成功してたらどんな風になってた?」と風村が怯えた顔で尋ねると、あまり浮かない顔で草間は答えた。
「家の崖から落ちて複雑骨折といったところでしょうか。種山さんと同じぐらいの怪我を負わせてやろうと思ったんです。僕、酷い事といったらこれぐらいしか思いつかなくて……風村さんだったら、どんな仕返しを考えてみますか?」
酷い報復といったところで、風村には死ぐらいしか思いつかなかった。
だが、それをそのまま言ったのでは、この若い友人から顰蹙を買うことは目に見えている。
義理とはいえ、そして酷い目に遭わされたとはいえ、兄なのだ。
まさか兄を殺せなどと言うわけにもいかない。
勇気を貸してくれと彼は言った。
それはつまり、全面的に協力して欲しいということでもあろう。
現に自分を見つめる顔は、期待に満ちた表情を見せている。
年上の面目を守るためにもナイスアイディアを出さねばならないところだ。
「うーん……」
もっともらしく腕など組みながら風村は唸ってみせた。
「きみがどんな術を使えるかによって変わってくると思うな。今やってみせた術の他に、どんなのが使えるの?」
「えぇと……」
ポケットの中からごそごそと呪術の道具類を取り出しながら、草間は指折り数えている。
「幻を見せる術……それから人を操り意のままに動かす術」
「それはやめよう」
即座にそんな言葉が出たのは、風村の本音が入り交じっていたせいかもしれない。
草間も頷いた。
「そうですね。他人を巻き込むのは気が進みません」
「他には?」
「あ、はい。姿を見えなくする術……と、全てを忘れさせてしまう術」
思わず風村は聞き返す。
「全てを?」
「はい。暗示の一種です、記憶そのものを封じてしまう術……とでもいいますか」
あの運転手も、そうなのだろうか。
操られた上、記憶まで封じられてしまったとしたら不幸すぎるという他はない。
自分の欲を優先し見知らぬ他人にそんな術をかけるような男を野放しにしておいて、大丈夫なんだろうか。
怪我程度じゃ退院した後に、また同じ事を繰り返すのでは……?
風村の危惧が伝わってきたのか、草間は悲しそうに呟いた。
「怪我だけで済まそうとしてる僕は、甘いんでしょうか……」
だが家族とはいえ、義理の家族だ。
風村はさっきとは全く逆のことを考えていた。
次いで思い浮かぶのは包帯ぐるぐる巻きになっていた種山の姿である。
そうだ、奴は無関係のタネさんまで巻き添えにしたではないか。
種山や風村など、放っておいても全く無害であったというのに。
驚かす作戦にしたって冗談の一つであり、命まで脅かすような物にはならなかったはずだ。
それなのに――!
種山は一歩間違えば死んでいたところだ。
もしかしたら、わざと生き残るように加減したのかもしれないが、それでもやりすぎだ。
押し黙る風村の横顔を見て、草間も同じものを思い浮かべたのかもしれなかった。
「……やります、僕。兄を呪殺します」
呪殺。
その意味に気づくまで数秒を要した風村は、気づくや否や慌てて友を止めにかかった。
「だ、駄目だ!そんな、殺すなんて」
驚いたように見つめ返す草間に、畳みかけるよう言った。
「そんなことしたら お兄さんと同じ……いや、お兄さんより悪くなっちゃうだろ?」
握っていた道具を取り落とし、項垂れる草間を優しく諭す。
「俺達は俺達なりのやり方で お兄さんに判ってもらおう。そうだな……記憶を封じる術、それをうまく使えないかな。相続権のことだけを忘れさせてしまうとか……」
「それは一番最初に考えました。でも、兄の意志は思ったより強くて……遺産相続に強い思い入れを持っているみたいなんです。僕の力では消せないくらいに」
他人を使ってでも地位を手に入れようとする男だ。当然といえば当然だろう。
「それじゃこれはどうだろ……ちょっと耳貸して」
きょとんとする草間の耳に近づけて、ぼそぼそと囁いた。
くすぐったさに首を竦めながらも草間は聞き返す。
「うまくいくでしょうか?それに……いいんですか?あなたを、その……」
「やってみなきゃ判らないさ」
不器用なウィンクを返しながら、風村は相当の自信を見せた。
「俺のことなら心配ないよ。きみの力になるって言ったろ?」
草間家までの道のりを、うつろな目をした男が歩いていく。
男はぎこちない動きで草間家の扉を二、三度ノックすると、中へ侵入していった。
手慣れた動作で書庫の扉も開け、中へ入る。
ぐるりと見渡しながら何かを捜した。
すごい本の数だ。おまけに部屋は汚いし……
風村は内心舌打ちしていた。
もっと楽に探せるかと思っていたのに、とんだ大誤算だ。
義兄と接触する前にひとまずビデオテープだけでも没収してやろうと思ったのだが、これは後回しにしたほうがよさそうだ。
――うつろな目で歩いてきた男は風村本人だった。
風村の案としては、こうだ。
まず草間に操られているふりをした風村が草間家へ潜入する。
義兄が風村の動きに気を取られているうちに、今度は草間本人がこっそり戻ってくる。
ただしカメラを手にして、だ。
うまく接触できたなら、風村は兄と交渉をつける。
一つは、二度とこんな真似をしないこと。
それから、家督は兄に譲ってやるから今まで通り兄弟で仲良くやっていくこと。
これは草間が後から言い出したものだ。
それを聞いた時、風村はそれで義兄が納得するかどうか非常に疑問を感じたのだが、他人の家の問題であるのに口を挟むのもおかしいと思い、それ以上は突っ込まなかった。
それらをカメラに収めて言い逃れができぬようにするのが草間の役目となる。
この作戦は風村に全てがかかっており、危険に晒されるのも風村であった。
草間が心配するのも無理はない。
だが呪術を使わず穏便に済ませる手段がないと判ると、草間は渋々案に承諾した。
書庫を出た途端、横合いから声をかけられた。
心臓がすくみあがるかと思ったが、極めて平然――否、うつろな目を向ける。
「遅かったじゃないか、サト。それで?交換条件は考えてきたのか」
背の高い男が玄関口を塞いでいる。彼こそが草間の義兄であり、名は晋一という。
「と言っても俺は家督以外はノーだがな……どうなんだ?譲るか、それとも」
「……にいさん。ぼくは、あのあとどこへいったとおもいますか?」
感情のない声で、とつとつと話し出す風村。
「あァ?」
「けいさつですよ、けいさつ。にいさんは、ぼくが、たいめんをおそれるこどもだとおもってるみたいですけど、ぼくは、そんなのきにしません」
たどたどしく話しながら、風村は理性で相手の様子を伺う。
「にいさんが、ぼくにしたこと、ぜんぶはなしました。どうじょうしてくれましたよ。おまけにいまからかたくそうさに、ふみきるっていってくれて――」
「馬鹿かお前、なんて真似しやがんだ!」
いきなり殴られ飛ばされた。
ドアに体をぶつけた瞬間、あまりの痛みに息が詰まる。
ゲホゲホやる暇もないまま襟首を掴まれて、無理矢理立ち上がらされた。
「お前の代で草間の家系が途絶えるとはな。ッたく最後の最後まで俺を邪魔しやがって……警察なんか立ち入ってみろ?暗殺依頼が来なくなって、事実上お家は断絶だ。お前は自分の身を守りたいばッかに、代々親父が守ってきた物までパァにしちまったんだ!」
腹を蹴られて、風村は情けなく床に這い蹲る。
あっと思う間もなく喉元まで苦い胃液が迫り上がってきて、たまらず嘔吐する風村を眺めていた晋一の目に残忍な光が宿った。
彼は風村の髪の毛をひっつかみ、見えぬ弟に向かって大声で呼びかける。
「おいサト、来てるんだろ?こいつ……お前の大事なトモダチってやつじゃねぇのか?」
首まで引き抜かれそうな痛みに、もはや風村は演技どころではない。
腹は痛いし背中はジンジン痺れているし、口の中は胃液が苦くてたまらない。
この上まだ晋一は風村を痛めつける予定であるらしい。
まったくもって冗談じゃない。
術など使わせなくても、充分に危険な男ではないか。
「殺してやろうか?術がなくても簡単だぜ、人を殺すのなんかなぁ……」
晋一とまともに目が合い、とうとう風村は本性をさらけ出してしまった。
怯えの色を前面に出してしまったのである。
さすがに晋一も気づいたか、にやりと嫌な笑みを浮かべた。
「……なんだ、操ってたわけじゃねぇのか。なら殺すのはヤメだ」
操っていたのではないなら殺すのはやめるとは、どういった了見だろう。
訝しがる風村は次の瞬間視界が逆転し、ゴンという鈍い音と共に気を失った。
晋一が風村の足を掴んで引き倒したのだ。
気絶した風村の上にまたがると、再び弟に話しかけた。今度はやや優しい声色で。
「サト、お前は俺の一番大事なモンをお前の手で壊してくれた……お返しに俺もお前の一番大事なモンを壊してやろう、とさっきまでは思ってた。だが、そうやってもお前はたぶん平気なツラしてやがるんだろうよ。だから方法を変えることにした」
気絶している風村のこめかみに指をあてると、何事かを唱え始める。
呪詛だ。
呪術を風村にかけている。
その術が何であるかを草間が理解した時、風村は別の意識と共に蘇っていた――
怨冥の極意。
敵を眠らせることでも記憶を消すことでもなく、相手の自我を壊すことにある。
操るのとはまた少し異なり、相手の自我を消し去った上で新しい記憶を与えるのだ。
サトの知りうる限りでは、その極意は当主である自分にしか伝わっていないはずである。
だが、今、義兄が唱えた術は……
晋一の前には、前より一層うつろな顔の風村が立っている。
その目には、ある意志が宿っていた。
殺意。
草間に向けた殺意、それだけだ。
そこに風村本人の自我は存在しない。
風村は晋一に操られてしまったのだ、それも完璧に。
どうすれば直るのか。
暗示なら簡単である。軽い衝撃を与えれば良いのだ。
催眠でも同じ事が言える。
だが怨冥術の中でも極意と呼ばれる術、無音の刹だけは違う。
普通のやり方では絶対に解くことはできぬと父は言っていた。
解く方法は一つだけあった。あるにはあったが――
それを試すのが怖い。
確実に風村が助かるという確証が持てないというのもあるが、この期に及んでまだ草間は義兄を倒すのを躊躇っていたのである。
「出て来いよ。それとも怖くて隠れてるしかできないか?」
兄が挑発してくる。
出ていかないわけにはいかないが、足がすくんで動かない。
少し間をおいて、再び声をかけられた。
「出てこない気か?なら、それでもいいさ。こいつを使って人を殺しまくってみるか!」
「やめて!!」
思わず飛び出していた。
まともに風村の姿が目に入り、草間は再び身がすくまる思いを感じる。
風村は、いつもの風貌とは全く異なっていた。
目が白目をむいている。口元からは、だらしなく涎が垂れていた。
まるでホラー映画に出てくるゾンビのようだ。
暗示をかけられた者だって、もう少しまともな顔をしている。
そして風村をこのようにしてしまったのは、他ならぬ晋一なのだ。
「やれ」
草間の首に両手がかけられて、ゆっくりと締め上げられていく。
「や……やめて、風村さ……ん」
操られているのであろう風村は、恐ろしく強い力で草間の首を絞めてゆく。
その顔からは微塵の感情も読みとることはできない。
助けてくれた人に最期まで迷惑をかけていくんだ……
そのことが、ひどく悔やまれる。
だが兄の術を解くことは、兄の死を意味した。
怨冥の奥義を破るということは、そういうことなのだ。
媒体を通し、術より遙かに強い念を送ってやれば術は破れる。
その代償に呪詛返しをやられた方は命を落とすであろう。
生前の父が、そう言っていた。
強すぎる念に、術を抑えている心が耐えきれなくなるのだという。
だから心を鍛えよ、とも言った。
精神修行をおこたれば死が訪れる。
当主であろうがなかろうが関係ない。
強い者が生き残り、それが当主となり次世代へと血を残してゆくのだ……
かすむ意識の中で兄の声が聞こえる。
「どうだ?命の恩人に殺される気分は。安心しろよ、お前が死んだ後も俺がこいつを使ってやる。どうせお前もそうするつもりだったんだろ?こいつと仲良くなったのは」
次の瞬間、草間の意識は義兄に向けて一点に放たれた。
――"憎悪"というかたちになって。
後日。
無事に退院できた種山は、帰る道すがら隣を歩く男に尋ねた。
「そういや、どうしてる?あれから、例の彼」
一瞬だけ曇った顔を見せた後、風村はぽつりと答える。
「最近ですか?全然会ってないんですよね、その……草間くんでしょ」
意外だなと驚く種山を見て、風村も苦笑いを浮かべる。
そうなのだ。
あれから――草間の義兄と対決してからかなりの月数が経っている。
あの対決の後、風村は原因不明の頭痛と嘔吐に見舞われて病院送りとなった。
退院した今も、病院行きとなった直接の病名は不明である。
医者は言葉をにごし詳しく教えてはくれなかった。
悪質な風邪だと教えられたが、とても納得いくわけがない。
自分の中で意識のない空白の記憶があるのも気になっていたのだが、それを唯一知る人物であるはずの草間は、一度も自分の元へ現れてくれていない。
病院を出た後、こちらから草間にかけた電話は何度かけても通じることがなかった。
この電話番号は現在使用されておりません、というメッセージが流れるばかりなのだ。
引っ越してしまったのだろうか。
風村に何の連絡もよこさずに……
当然のように、あれ以来草間が風村の家に遊びに来ることもなくなっていた。
風村の前から文字通り姿を消してしまったのである。
寂しい話だ。
あんなに慕ってくれていたのに、あれも幻だったというのか。
自分の前で、子犬のように喜ぶ姿が瞼に浮かんでは消えた。
押し黙る風村につられるように、種山も言葉が減っていく。
そうして二人黙って交差点まで歩いてきた時だった。
種山が突然素っ頓狂な大声を張り上げたのは。
「あれ!あれ、あれっ!おいショーヘイ!前見ろ、前っ!」
言われるまでもなく、そして指をさされるまでもなく風村は走り出していた。
その目はまっすぐ正面の相手を捕らえて――逃げ出そうとする相手の腕を掴んだ。
「草間くん!」
人違いですと弱々しく呟く彼を、逃がさないように掴まえたまま謝った。
「逃げないでくれ!俺が悪かったなら謝るから!」
ひたすら謝った。
覚えがなくとも謝った。
そうするしか草間を引き留める方法が思いつかなかったからである。
謝り倒す風村を見て、草間のほうも観念したようだった。
力無く首を振ると、謝り続ける風村に対して逆に許しを請うた。
「謝らないでください、風村さん。僕は……僕は、あなたに会わせる顔がなくて、それで、逃げてしまいました。でも、よけいに傷つけてしまって、ごめんなさい」
今にも泣き出しそうな顔。
風村はその顔を直視できず、視線を逸らしたまま謝った。
「……つらかったろ、兄さんと戦った時。力になれなくて、ごめんな」
草間の口から嗚咽が漏れる。
泣き出した彼を見て、種山は困ったように声をかけた。
「あー、お二人さん。とりあえずつもる話はそこの茶店でやらないか?ここじゃ目立ってしょうがない」
喫茶店で俺が悪い、いや僕が悪いと押し問答を繰り返したあげく。
風村と草間が落ち着いた頃合いを見計らって、種山が口を挟んできた。
「で、結局兄さんはどうなったんだい?きみがやっつけちゃったのか」
「タネさん!」
なんて無遠慮な、と憤慨する風村を制したのは他ならぬ草間本人だった。
彼は短く応え頷くと、どこか遠い目をしながら語り始める。
あの時自分が発した"憎悪"というかたちの念は、兄の心を破壊するに充分値する力であった。
風村を操るのに精一杯だった兄の精神は、横合いから来た強い力に押し流されて崩壊してしまったという。
例えるなら突風で倒される看板のように、いともあっさりと。
彼の兄・晋一は今、都内のある精神病院に入院している。
いつ行っても面会謝絶の札がかかっており、身内であるサトにも会うことはできない。
でも――と彼は言葉を続けた。
「兄が死ななくて良かった、と今でも思っているんです。おかしいでしょうか?僕……」
種山が、しみじみとした口調で呟く。
「そりゃまぁねぇ。どんなに悪さをしたって肉親だけは憎めないもんだよ」
「でも、風村さんが戻らなかったら……僕、兄を殺していたかもしれません」
それを聞いた風村は、思わず腰を浮かしかける。
「風村さん……戻って良かった」
心底嬉しそうに呟く草間を見ながら心の中で唸った。
自分が元に戻らなかったら、この笑顔は失われていたかもしれなかったのだ。
本を正せば、風村が操られたのは己が立てた穴だらけの作戦が原因ではないか。
あの時、自分がのこのこ出向いていかなければ、結果は違ったものになっていたかもしれない。
風村は今までの自分の振るまいが、非常に恥ずかしいものに思えてきた。
つらい思いをさせたくなくて協力を申し出たというのに、結果的には二重苦を与えてしまった。
だが謝れば謝るほど、この若い友人は自身に責め苦を負ってしまうであろう。
そういう性格なのだ、草間という少年は。
それならば許してもらうのではなく、安心してもらおう。
未来という安心へ向けて仲直りをするのだ。
風村は、あの日以来浮かべることもなかった笑顔を浮かべて友人に言った。
これからもよろしく。
たった一言だけの挨拶に、草間がこの上なく喜んだのは言うまでもない。