4.最終戦

「さぁーて!本日も、とうとうラストバトル!第三回戦まで勝ち登ってきたのは、ソロンとティルの男女ペアだ!!」
場内アナウンスに導かれ、大声援の中を二人は歩いていく。
「何か良いコンビ名でも登録しとくンだッたな」
余裕ありげに呟くソロンの戯言を背に、ティルはキリリとリング上を睨みつけた。
リングで待ちかまえているのは羽仮面の二人組。
一人はフィリアと判明している。そして、もう一人の正体も予想がついていた。
「そう緊張すンなッて。まずは俺が先に出て様子見してみッからよ」
シリアスに構えるティルの肩を、ソロンが気安く叩いてくる。
くるっと振り返り、ティルは尋ねた。
「あなたこそ、緊張してないの?」
「緊張?俺が?……どうして」と答えるソロンはリラックスそのもの。
緊張のキの字すら、浮かんでいない。
「どうして、って」
これにはティルのほうが拍子抜けで、彼女はリング上を指さして憤る。
「あの羽仮面、あれって絶対キーファよ。あなたとコンビを組んでいた。彼と戦うのは怖くないの?」
「なンで俺がキーファ如きを怖がらなきゃいけねェンだ?」
質問に質問で返された。それに、如きって何だ。
昔の仲間を捕まえて、その言い草はあんまりである。
ティルが憤れば憤るほど、ソロンは肩を竦めておちゃらけてみせた。
「お前らと戦ッた時、俺が何で、お前を相手に選ンだのか……判るか?」
咄嗟に「分かんないわよ」と答えてから少し考え、ティルは訂正する。
「……キーファがフィリアと戦いたいって希望したから?」
ソロンは苦笑し「違う」と首を真横に振ると、ティルの頭を軽く撫でた。
「お前のほうが、フィリアッてのより強そうだッたからだ」
それはつまり、ソロンのほうがキーファより強いという遠回しな弁でもある。
そこまでハッキリ言えてしまうほど、二人の能力には差があったのか。
彼らと戦った時を思い出そうとするティルだが、あの日の試合など後半からは記憶がない。
どちらもスピードタイプの戦士であった、ぐらいしか思い出せなかった。
ティルを追い越し先にリングへ上がると、ソロンがニヤリと笑う。
「俺が先に出る。文句ねェよな?」
「う、うん」
先の試合では息巻いた挙げ句、無様な試合を晒したティルなだけに言い返す言葉もない。
渋々頷き、それでもティルは注文をつけるのを忘れなかった。
「あ、でも殺すのはナシにしてね?フィリアは何が何でもロイスへ連れて帰りたいし、キーファは、あなたの昔馴染みなんですからね!」
「了解」
ソロンは軽く笑い、腰の剣を引き抜いた。
ランスリーに買ってもらった量産型のロングソードだが、切れ味の鋭さは一回戦目で試し済みだ。
羽仮面を外し、フィリアが一歩近づいてくる。
「何が何でも、連れ帰る……?フフ、ティル隊長殿は相変わらず強気ですこと。でもね、隊長。私は二度とロイスには戻らなくてよ。王宮よりも素晴らしい生活を見つけてしまったんですもの」
「素晴らしい生活?」とリング下で首を傾げるティルを鼻で笑うと。
両手を広げ、すこしオーバーに芝居がかったポーズでフィリアは告げた。
「そう、この闇闘技場でのスリリングな死闘こそが、私の求めていた真の生活ですわ」
「闘剣士って、そういうものなの?」
まだよくわかっていないティルは、ソロンに尋ねる。
なんでコッチに振るんだ?と、彼は一瞬面食らったようであったが、それでもちゃんと答えてくれた。
「まァ……人によッちゃ、スリリングな生活と感じる奴もいるかもな」
奥歯に物でも挟まったような歯切れの悪さに、ティルも、そしてフィリアも首を傾げる。
人によっては?じゃあ、ソロンは、そうは思わなかったのだろうか。
幼少の頃から闘剣士としてリングに上がっていたのに?
戦うのが好きそうに見えて、実は温厚派だったとでもいうつもりか。
いやいや、まさか。
一回戦や二回戦の非道な戦いっぷりを見る限りでは、ソロンは百パーセント勝ち気で戦闘好きな人間とみて間違いない。
「あなたは、そうは思わなかったみたいね。どうしてかしら?」
ソロンは剣を構え、問いかけてきたフィリアへ不敵な笑みを浮かべた。
「決まッてンだろ。それしか生きる道がなかッたから仕方なくやッてたンだ。ま、王宮で生ぬるい生活をしてきた奴には貧乏生活が目新しく感じるンだろうぜ」
面と向かっての嘲笑に、フィリアの表情も険しくなる。
「……馬鹿にしているの?」
「あァ」
ソロンは頷き、フィリアの肩越しに羽仮面の男を急かす。
「くだらねェおしゃべりはコレぐらいにして、さッさと始めようぜ……最終戦をよ!」
「やる気は充分のようだな。それでこそ、お前だ。ソロン」
もう一人も羽仮面を外し、会場が大いに沸き立つ。
左右の席からは早くもコールがあがり、ティルが予想していた通りの名前が叫ばれた。
「やっぱり……キーファだったのね」
羽仮面の下から現れたのは、やや垂れ目のニヤケ面――いや、今はニヤケておらず、口をへの字に結んでいたが。
ソロンの幼なじみにしてティルにも見覚えのある男、キーファ=ジェネストであった。
「予想通りでガッカリか?」と尋ねてくるソロンへ首を振ると、ティルは呟く。
「予想通りで良かったわ。だって、どっちも顔なじみならソロンが手を汚さなくて済むもの」
「どうかねェ」
ガリガリ頭を掻きながら、気のない返事を寄越したソロンも呟いた。
「キーファはともかく、フィリアは俺にゃ関係ないヤツだぜ?手加減できねェかもしンねーぞ」
「大丈夫よ。フィリアはキーファより弱いんだから。キーファに手加減できるなら、フィリアにもしてよね」
といったティルの少々無茶なお願いを背に、高々とゴングが鳴り響く。
キーファコールが響く中、それを上回る大声で場内アナウンスが叫びまくった。
「さぁ、最終戦のゴングが鳴りました!挑戦者を迎え撃つのは我等が守護神、フィリア=セシリーズとキーファ=ジェネストだッ!!」
向こうの先鋒はフィリアだ。
キーファはゴングが鳴り終わる前に、リング外へ降りている。
じりじりと間合いを狭めながら、ソロンが呟く。
「ふゥン……守護神、ねェ」
フィリアとキーファが頂点に立てるぐらいでは、ここの闘技場のレベルも大したことがなさそうだ。
「あの頃と同じだとは、思わない事ね」
同じく間合いを測りながら、フィリアも呟き返してくる。
……そういえば、こいつ。
こいつは、どういう戦い方をするヤツなんだろうか。
あの時はキーファが秒殺してしまったから、どういうタイプなのかを観察する暇もなかった。
ティルの部下だというのなら、武器は当然素手だろう。
小刀を隠し持っているようには見えないし、何かを隠せるような服でもない。
フィリアの着ている服は、体にぴったりフィットしたスーツである。
あれでは飛びナイフすら隠せない。
そういえばロイスの誰かが、素手でクマを締め落とすとか言っていたような。
ならパワータイプの格闘家なのか、こいつは?
ギリギリ剣が届く、或いは足が届くという範囲でピタリと両者の足が止まる。
あとは、どちらが先に仕掛けるか――だ。
互いに睨み合う二人を急かすように場内のフィリアコールが激しくなり、アナウンスも大声で喚き立てた。
「にらみ合いが続いておりますッ、どちらも動かない!」
いきなり来た横からの突風に、ソロンが身を逸らす。
先に動いたのはフィリアであった。
続いて撃ち込まれる正拳、肘、そして回し蹴りをもスレスレでかわし、猛攻をかいくぐって逆に斬りつける。
剣先はフィリアの頬を軽く撫で、赤い線を一筋つけたに過ぎなかった。
だが、この攻防だけでも両者の実力に大きく差のあることが、よく判る。
ソロンが余裕で避けているのに対し、フィリアは彼の攻撃を避けきれなかったのだ。
「あの頃と違うッて言われてもなァ。俺とお前は戦ッてねェだろが」
軽口を叩くソロンへ、一旦後ろに飛び退いたフィリアが再び間合いを詰めてくる。
「戦わずともッ!互いの実力は知っているはずよッ」
唸りをあげて振り下ろされた肘を難なくかわすと、すぐさま飛び退こうとする彼女に足払いを仕掛けた。
避けきれず、転倒するフィリア。
だがソロンは追い打ちをかけるでもなく、彼女が起き上がるのを待っている。
「……ッ!」
それがフィリアには屈辱と感じたのだろう。
カァッと赤くなった彼女が再び懐へ潜り込んでくるのを、今度はソロンも本気で迎え打つ。
襟首目掛けて伸びてくる手を、思いっきり剣の背で叩いてやった。
恐らく彼女には、ソロンが剣を持ち替えるのすら見えていなかったはずだ。
場内アナウンスも、そしてリング下にいたティルにだって、ソロンの動きは捉えられなかったのだから。
掴んだ――!そう思った直後の激痛に耐えきれず。
手を押さえて無様に転がるフィリアへ、ソロンがボソリと吐き捨てる。
「止まッて見えるンだよ、お前の動きは」
いくら剣の背とはいえ、叩いた瞬間には骨の折れる嫌な音もした。
当分、彼女の右手は使い物になるまい。
「あ……がぁぁッ」
苦痛に呻くフィリアを見ていられず、ティルは思わず視線を外した。
こんな生活がロイスで暮らすよりもいいなんて、絶対に間違っている。
涎を垂らしてリングでのたうちまわるフィリアなんて、全然フィリアらしくない。
この試合がカウント制だったら良かったのに。
どうしてK.Oしか認められないルールなんだろう。
ティルに出来ることは、せいぜい声援を飛ばす程度だ。
「ソロン!フィリアを、これ以上苦しませないで!!」
倒すなら、一気に倒してほしい。実力差は歴然なんだし。
そう思っての気遣いだったのだが、ティルの声援はソロンではなくフィリアのハートに火をつけた。
「ちょ……調子に乗るんじゃないよ、このマナイタ女がァッ!!」
顔に似合わぬ怒号を上げると、右手を押さえたフィリアが向かうのはソロンではなくリング下のティル!
「へ?」
突然のことにポカンとする彼女の顔面をフィリア渾身の跳び蹴りが捉えて、二人は一緒に客席へともつれ込む。
この不意討ちにはソロンも意表を突かれたか、反応が遅れた。
我に返った時には、フィリアの攻撃を食らったティルが激しく客席に突っこんでいた。
慌てて「ティ!」と彼女の元へ駆け寄ろうとするも、行く手をキーファに阻まれる。
「どけよ、お前の相手は後でしてやるッ」
ソロンは強引に斬りかかり、突破口を作ろうとしたのだが――
なんと紙一重で剣先を見切ったキーファが、ふぅっと生暖かい息をソロンの首筋に吹きかけてきたものだから。
あまりの気持ち悪さに、ソロンのほうが後退する結果に終わってしまった。
見切られたのもショックなら、今の気持ち悪い攻撃もショッキングだ。
かわしざまに飛びナイフでも投げつけてくるかと思っていたのに、あれでは剣でも防げない。
「なッ!テ、テメェ、何いきなり……!」
まだ首の辺りがゾワゾワしている。
フッと声を出さずにキーファが笑う。両手を広げて彼は言った。
「どうした、ソロン。私が怖いのか?」
まるっきり隙だらけで、どこからでもブッた斬れそうではある。
しかし、奴はソロンの剣撃を見切るまでに成長している。
迂闊に斬りかかるのは得策ではない。
警戒するソロンとは対照的に、キーファは無防備に間合いを詰めてくる。
ソロンを上から下までジロジロと眺め回し、彼は芝居がかったポーズで溜息をついた。
「美しい……美しいな、ソロン。やはり、お前は神に愛された戦いの男神に相応しい」
「ハァ?」と、思わずソロンがトンマな声をあげてしまったのも無理はない。
別れる前までのキーファは、このように気取ったポーズなどを取る男ではなかった。
気障ったらしいセリフを並べる男でもなかったし、ましてや男を美と崇める変態でもなかったのだが……
どちらかというと性格はソロンとそっくりで、だからこそ二人は悪友にして相棒、そして親友だったのだ。
「ソロン、さぁ、私の胸に飛び込んでこい。今こそ私達は一つに結ばれるべきだと思わないか?」
キラキラと瞳を輝かせて言われても、ソロンは首を真横に振るしかない。
「いや……思わねェし」
というか、会話の前後がおかしい。
ソロンが美しいからといって、何故キーファと一つにならなきゃいけないのか。訳がわからない。
そもそも俺は美しくない。
それに戦いの女神というのなら判るが、男神って何だソレ?そんな神様、いないだろ。
また一歩近づいてくるキーファに、ソロンは一歩後ずさる。
妙な違和感があって、それが攻撃の手を出しそびれさせていた。
羽仮面を外してからの言動が、ソロンの知る彼のイメージとは程遠いような気がするのだ。
顔はまるっきりキーファそのものなのに、性格だけ別の人と入れ替わっている。そんな印象だ。
一人称もおかしい。
キーファは『私』なんて使わなかった。始終『俺』と言っていたはずだ。
それに斬りかかっても、またかわされて、先ほどのような気持ち悪い反撃をされるのでは――という予感もある。
警戒色極まるソロンに対し、キーファは頬を薔薇色に染めて微笑んでよこした。
「どうして後ずさるんだ?怖がることはない……さぁ、私の胸に飛び込んでおいで」
「いや、飛び込みたかねェよ……大体」
背中がロープに当たった。
「何で、お前の胸に飛び込まなきゃいけねェンだ?」
ソロンの質問もごもっともで、キーファはしばし天井を見上げて考える素振りを見せたが、すぐに答えた。
「決まっている。お前が近づいてくれなければ、愛し合えないからじゃないか」
「いや、愛し合わねェし……」
どうも会話が噛み合わない。
それはキーファも同じく思っていたようで、動いたのは彼が先だった。
「フフッ、ソロンは奥手だなぁ。だが、そこがいい。いくぞ、ソロン。私の愛を受け止めろォォォ!!」

そよ、という風すら感じられなかった。

動いたと思った瞬間にはキーファの姿を見失い、咄嗟に頭だけは庇ったものの。
実際に狙われたのは下のほうで、ズボンのベルトがぱらりと落ちる。
避けられなかった、どころではない。
奴のナイフが切り裂いた時の軌跡すら、見切れないとは。
キーファは両手にナイフを構え、先ほどと同じ位置に立っている。
「見えなかったか?」
口の端を吊り上げてキーファが笑う。
ソロンは応えず、ジリジリと真横へ移動する。額を汗が伝った。
無言の彼を悠然と見つめ、やはり無防備なポーズを取りながらキーファが囁いた。
「私は成長したのだよ。ソロン。そう……『シーフ』の資質に目覚めてから、な」

リング外でも激しい戦闘が繰り広げられている。
この試合にリング外カウントなどない。
どちらかが血反吐と共に倒れるまで続ける、K.O形式の試合だ。
「マナイタって言ったわねぇ!」
ティルの拳が唸りをあげフィリアのボディを強打すれば、フィリアだって負けちゃいない。
ティルの髪の毛を掴みヘッドバッドを食らわして、間合いから逃れ出た。
「ツルッツルの胸なしを、マナイタと言って何が悪いのよ!!」
風を切って放たれた蹴りを客席の椅子で受け止めるが、椅子は木っ端微塵に吹き飛び、破片がティルを直撃する。
「ツルッツルじゃないもん!ソロンは可愛いムネだねって褒めてくれたんだからぁっ」
つぅっと垂れてきた血などお構いなしに、ティルはフィリアの懐へ飛び込むと、再び腹を狙って拳を繰り出した。
それは読まれていたようで、カウンター気味に拳は拳で潰されて、両者はバッと飛び退いた。
「いッ……たぁぁぁっ!もうっ、何するのよ、痛いじゃない!」
ヒステリックにフィリアが騒ぎ、ティルも涙目でやり返す。
「こっちだって痛かったわよ、お互い様でしょ!?」
運命の対決というよりは、単なるヒステリー女の喧嘩みたいになってきた。
「ソロンは、ソロンはって、そんなにあの男がイイわけ?あんな目つきの悪いゴロツキが!」
両手が使いものにならなくなったというのに、フィリアの意欲は萎えることなく、ますます燃えさかる。
一方のティルも、カレシをゴロツキ呼ばわりされたおかげで戦意はマックスまでヒートアップ。
口から唾を飛ばして怒鳴り返した。
「彼は、すごくイイヒトよ!ゴロツキなんかじゃないッ」
「あら、そぉ。公衆の面前で犯されたくせに!ピーピー泣きわめいて嫌がってたくせに、庇っちゃうんだ」
「そ、そんなの……」
思いがけぬ反論にくじかれた処をフィリアの蹴りが薙いで、防いだ腕ごとティルは吹っ飛ばされる。
体勢を立て直す暇も与えず、素早く駆け寄ったフィリアは転倒したティルへ蹴りの嵐をお見舞いした。
「ぐっ、うッ」
一撃が目を掠め、ティルが苦痛に呻きをあげる。
今の衝撃で目が、片目が見えない!
ここぞとばかりにフィリアは元上司を嘲ってやった。
「アーッハハハ!いいざまね、ティ!!」
だが、ティルだってやられっぱなしで負けるほどには弱くない。
伊達に特殊部隊の隊長を務めてはいないのだ。
なおも蹴りつけてくるフィリアの足に、思いっきり爪を立ててやる。
「調子に……乗らないで!」
鋭い痛みに「きゃあ!」と慌てて飛び退くフィリアだが、太股には赤い線がミミズ腫れとなって浮き上がる。
「なんてことすんのよ、この猫娘!人の柔肌に爪を立てるなんて、それでも女なの!?」
「女だからこそ、よ!あなただって、人の顔を踏んづけてくれたじゃない!!」
体勢を立て直し、構えを取りながら怒鳴りつけた。
「あの試合で先にくたばったのは、あなたの方でしょ!?なんで、あなたが私の末路を知ってるの!!」
彼女がキーファにアンアン言わされていたのを、ティルは覚えている。
あの状態でティルがピーピー泣き喚く様子を観察していたのだとしたら、すごい余裕だ。
対してフィリアの答えは「キーファから聞いたに決まってんでしょ!」であった。
それも、そうか。
合流した時期は判らないが、ともかく今は一緒の組織にいるのだ。
彼に話を聞いていても、おかしくはない。
カァッと頬が熱くなるのを感じながら、ティルはポツリと呟いた。
「お……おしゃべりな奴ね」
赤くなるティルを、フィリアが挑発してくる。
「公衆の面前で犯されて、なのに、その相手を庇うなんて、あなたって真性のマゾね。それとも変態なの?」
その挑発にまんまと乗り「マゾじゃないわよ!だって、ソロンは優しいから」と惚気るティルへ再び猛攻が襲いかかる。
上段、そして下段の二段蹴りが、潰された目の死角側から飛んでくる。
ごうという風の音を頼りに上段は何とか腕で防いだものの、下段を避けきれずにティルは、またまた転倒した。
だが追い打ちを転がって避けると、起き上がりざまに足払いを食らわす。
今度はフィリアも転倒し、勝負は床の上へと持ち越された。
「痛い!イタイ、イタイ、痛ぁぁぁっっい!!!」
肉、もとい二つの胸の膨らみを力一杯握りしめてやると、フィリアが絶叫をあげた。
それにしても大きな胸だ。
何を食べたら、ここまで大きくなるのだろう?ってぐらい、デカイ。
しかも握って初めて判る、ただ大きいだけではなく弾力も相当あることが。
この胸で何人もの色男を悩殺してきたのだと思うと、ティルの私怨もどんどん濃度を増していく。
「何よ、こんなのタダの脂肪でしょ!?」
握る両手に、力がこもる。
なにしろ、大の男を力づくで黙らせる怪力のティルである。
その握力たるや、ハンパではない。
おまけにギリギリと爪を食い込まされて、フィリアも鼻水と涙で情けない形相になってきた。
「や、やめてよ、ツルペタの僻みなんてみっともないわ!」
何とかしてティルの両手を外そうとしているのだが、両手が潰された彼女にできる抵抗といえば足をバタつかせるだけ。
ついには藻掻いても外せないと悟ったか、フィリアの脳裏にピンと閃くアイディアがあった。
「ツルペタちゃんの胸はちっちゃくて、握りかえそうにも握りかえせないわね」
などと呟きながら、ティルの胸に顔を寄せると。
何をするのかと不思議がる彼女の膨らみに、がぶりと噛みついたのである。
「ひゃぴぃぃぃ!!」
これにはティルも哀れ全開、子豚ちゃんみたいな悲鳴をあげ、フィリアの胸から手を放さざるをえず。
彼女の頭をボカボカ殴って抵抗を試みたのだが、スッポンのように噛みついたフィリアを引きはがすのは困難を極めた。
噛みついているばかりではなく、舌がシャツの上から乳首を刺激してくる。
ゾクゾクする快感に、ティルはぶるっと体を痙攣させた。
「や、やだっ……」
まさか女相手に、こんな攻撃を受けるなんて。
フィリアは女でもイケるクチだったんだろうか。
しかし、だからといってティルがフィリアにやり返したりできるはずもなく――否、そこまで頭が回るわけもなく。
床上での攻防は、フィリアが一方的に有利な展開となりつつあった。


審判の末裔を名乗る組織に、それぞれ資質を名乗る奴がいることは、ソロンも知っている。
ダークエルフのシャウニィが教えてくれたのだ。
だが、それがまさかキーファだったとは思いもよらなかった。
「『シーフ』の資質だと……?」
そう呟いたのは、ソロンだけではない。
客席に紛れたチャリオットも、同じく呟いていた。
『シーフ』の資質がキーファにあるとすれば、彼はフール・ジャッジメントの役目を背負っていることになる。
確かにソロンを遥かに凌駕した脅威のスピードには、チャリオットも目を奪われた。
しかし審判が下界に現れるのは、世界の崩壊が始まった時ぐらいなものだ。
今のところ、地上は平和そのもの。崩壊を予期させる不穏な動きも全くない。
デスを探すという名目を与えられ、下界へ降りてきたチャリオット。
彼とデス以外の審判が地上にいるなど、本来ならば有り得ない話である。
キーファの言うことが嘘なのか、或いは誰かがファーストエンドに干渉しようとしている――と考えるしかない。
誰かとは、すなわち異世界への門を開ける術の遣い手。
別の世界に住む召喚師か、門使いだ。
案外『ファイター』の資質を探す依頼を出したのも、そいつの仕業なのかもしれない。
リング上では、ソロンを抱きしめんとばかりにキーファが躙り寄っている。
「そうだ。お前が世話になったという『メイジ』、あれも12の審判の資質を持つ者を支持する組織だ」
誰が資質持ちだったのか、それすら判らないままバラバラになってしまった『メイジ』……
本来は、『ファイター』の資質持ちを調べるために近づく予定だったはず。
それが結局、手がかりを見つけるどころか別のゴタゴタに巻き込まれて、このザマだ。
「メイジの資質持ちッてな、結局誰がそうだッたンだ?」
ソロンが問うと、キーファは肩を竦める。
「それを知って、どうするつもりだ?」
同時に彼の手の中で煌めくものがあり、ソロンのシャツがパラッと切り裂かれる。
またしても全く見えなかった。
だが最初の一撃といい今の一撃といい、ほとんどダメージには、なっていない。
手を抜いているのか、それとも服を着る程度の威力しか持たないのか?
いつまでも動かない二人に焦れて、観衆が野次を飛ばし始める。
「どうした、キーファ!そんな弱虫野郎、さっさと細切れにしちまえェェッ」
「挑戦者ァー、ちったぁ動いたらどうなんだ!?後ろに逃げてばっかで、勝つ気あんのかぁ!」
そうだ。彼らの言うとおりだ。
この程度で怖じ気づいているようでは、試合に勝てるわけがない。
スピードではキーファの方がソロンを遥かに凌駕するようだが、ならば力の攻防ではどうだろう。
当たらなくてもいい。
攻めて攻めて、キーファが動き疲れる時まで攻めまくってやる――!
剣を握り直すと、一転してソロンは飛びかかる。
左へ飛んだかと思うと、右、と激しいフットワークで移動しながら、徐々に間合いを狭めた。
アナウンスでさえも追い切れない、残像すら見える動きに、しかしキーファが動じた様子はない。
「ほぅ、いよいよ本気のお前が見られるという訳か。……だが!」
耳障りな音を響かせ、両者が勢いよく後方へ飛びずさる。
振りかぶったソロンの剣を、キーファがナイフで受け止めたのだ。
完全に死角を取ったはずだった。なのに、キーファには読まれていた――?
瞬間、飛んでくる何かの気配を感じ取り、ソロンは身を捻る。
「ちぃッ」
こめかみを掠めて飛んでいったのは小型のナイフだ。
それを振り返る暇もないまま、ソロンは再びキーファの元に斬り込んだ。
「くらえッ!!」
叫びとは裏腹に、直前でソロンの姿が消える。
かと思えば、キーファの真後ろに気配が出現した。
それすらも読んでいたキーファは「甘いッ!」とばかりに背後へナイフを投げつける!
再び響く金属の擦れ合う音――
そして驚愕の表情を浮かべたのは、キーファであった。
「くッ……」
ボタボタと赤い滴が、リングの上を汚す。
血に染まる腕を押さえ、彼は間合いから転がり出た。
ナイフを額当てで受け止めたソロンに、斬りつけられたのだ。
剣撃は重たく、そして深くキーファの腕に食い込んで大量の血を流出させる。
だが体勢を立て直す暇など、ソロンが与えてくれるはずもなく。
落ちた剣を拾いあげると、しつこく斬り込んでいく。
対するキーファは片腕をやられた動揺か、動きが鈍い。
それでもギリギリでソロンの剣をかわしていたのだが、自分の流した血溜まりに足を取られて転倒した。
「とどめだァッ!」
突っ込んできたソロンが大きく剣を薙ぎ、受け止めようとしたキーファのナイフが天井に舞う。
ピタリ、とキーファの喉元に剣をあてた恰好で、ソロンの動きが止まる。
「……勝負アリ、か?」
「そう思うなら、首をはねるといいさ」
観念したのか、キーファは目を瞑って動かない。
首をはねればソロンの勝利が決まる。
しかし彼を殺さないでと、ティルには念を押されている。
ソロンは少し思案し、そして剣を降ろした。その瞬間を、キーファは見逃さなかった。
「甘いぞ、ソロンッ!」
突如ガバッと身を起こし、彼はソロンに襲いかかる。

一瞬、何をされたのか。
ソロンには判らなかった。

生暖かいものが唇を塞ぎ、半開きの歯と歯の間を割って、ぬめっとしたものが入り込んでくる。
ぬめりのある、それでいてザラザラしたものは、ソロンの舌を絡め取り口の中でいやらしく動いた。
――キーファにキスされているのだ、と気づいた時には、体勢までもが逆転していた。
キーファにのし掛られ、リングに押し倒されている。
やっと唇を開放され、ソロンは怒り狂って喚いた。
「テ、テッ、テメェッ!!降参するンじゃなかッたのかよ!?」
「何を言ってるんだぃ、ソロン?私がいつ降参するなどと言ったんだ」
キーファの鼻息は異常に荒い。
いや、荒いのは鼻息だけではなく、吐く息も荒かった。
彼はハァハァと息を弾ませながら、ソロンの体をナデナデと撫で回してはウットリした目線を寄越した。
「ハァハァ、良い匂いがするな……ソロンの体は」
なんてことだ。
ヨセフに尻を撫で回された時よりも、数倍気持ち悪い状況に陥っているではないか。
「しねェよ!バカ!!」
膝を曲げて股間を狙おうとすれば、唇を吸われて力を奪われる。
じっくり舐ってからスンスンと鼻を動かし、キーファが答えた。
「いや、するよ?甘酸っぱい汗の香りが」
動いた分の汗で、二人の体はびっしょり濡れている。
それで抱き合っているのだから、ソロンの体にもキーファの汗や血が密着してウワァァァァ、なのである。
言葉で言い表せないほどの不快感。
そう言えば、ソロンの気持ちも判ってもらえるだろうか。
「ハァハァ、ソロン、可愛いよソロン」
気づけばズボンを引きずり降ろされそうになり、慌ててソロンも抵抗する。
「バ、バカ、やめろ変態!」
するとキーファは口を尖らせた。
「なんでよー?ラーとは、やっちゃったんだろ?」
――どうか、今の会話をティルに聞かれていませんように。
心の中で祈りながら、ソロンが怒鳴り返す。
「なンでテメェがソレ知ってンだ!」
「フフ、簡単な推理だ。ラーが、お前の部屋に行った。そして朝まで戻ってこなかった……」
得意げに語りながら、グイグイとソロンのズボンをズリ降ろす。
ソロンも勿論抵抗しているのだが、体勢の違いによる不利か下げられるズボンに為す術もない。
「暗い部屋に男女が二人となれば、お前がラーと朝までお楽しみだったなど誰にでも予想できる」
そういえば朝、キーファが言っていたような気もする。
夕べはお楽しみだったか、とか何とか。
あれはラーとの情緒を指して言ったつもりだったのか。
何のことか判らず、ソロンはスルーしてしまったのだが……
ティルは判っていたみたいだった。
ソロンの腕をギリギリ握ってきたのは、絶対そうだ、そのことで怒っていたのだ。
「ハァハァ、ソロンのココ、モッコリしてて可愛いよ。ツンツン♪」
パンツの上から突かれて、ソロンはハッと我に返る。
物思いに浸っている場合ではなかった。
「なッ、何がツンツンだ!可愛く言ッても駄目だ、さッさと俺の上から降りやがれ!!」
大体、キーファは何処から何処まで本気なのか。
本気で、こんな真似をしているんだとしたら、イカれている。
鼻の穴おっぴろげた彼と、さっきまで死闘を繰り広げた彼とが、どうしても同一人物に見えない。
しかし腕から滴り落ちる生暖かい血が、彼を先ほどまでの相手だと嫌でも認識させてくれる。
斬りつけた傷からは絶えず血が流れ出ているというのに、その痛みすら今のキーファは感じていないようだ。
「ウフフッ、突いたら大きくなったネ」
語尾にハートでも着けかねない調子でキーファが囁く。
パンツの上から捏ねくりまわされ、気持ちいいんだか気持ち悪いんだか、ソロンも段々判らなくなってきた。
いや、気持ちの上では気持ち悪いんだけど、感覚としてはキモチイイ?
ついにはパンツまでもを脱がされ、スンスン匂いを嗅がれた。
「ハァハァ、ソロンのココ、良い匂いがするぅ」
相手が女の子なら、女の子なら!スンスンされようが咥えられようが、我慢もしよう。
相手は男、しかも顔なじみの男とあっては。
「匂いを嗅ぐなァァッッッ!!!」
絶叫するしかない。
嗚呼、哀れなりソロン。絶体絶命の大ピンチ――!?
「いっただっきむぁーすっ」
そそり立ったソロンのナニを、キーファが意気揚々咥えるかといった刹那。
客席から唸りをあげて飛んできた椅子が彼の頭を直撃して、ソロンから無理矢理引きはがしたのであった。
「もう!やめてよねッ」
なんとなんと、投げたのはティルだ。
足下に倒れているのはフィリアか?
顔に青あざ、鼻血を出して気絶しているあたり、やったのはティルで間違いない。
女同士のヒステリックな勝負は、ティルの怪力に軍配があがった模様。
「ティ!」
その隙に立ち上がり、パンツごとズボンを引きずり上げたソロンの元へティルも走ってくる。
「ソロン、この貸しはつけておくわね!」
にっこりと微笑まれ、ソロンは心なし照れた調子で頷いた。
「お、おゥ」
ティルが犯された時、自分は助けられなかった。
その自分が、ティルに救われるとは。
組織襲撃に続き、二度も彼女には助けられたことになる。
急激に、ティルが愛おしくてたまらなくなった。
「ティ、キーファを叩きのめせば俺達の勝ちだ。一気に行くぞ!」
「オッケィ!」
まだ体勢の整わぬキーファに、二人して突っ込んでいく。
そして試合終了のゴングが鳴り響くまで、そう時間はかからなかった。

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