7.一路、コーデリン

ザイナロックから見て、大陸の西に位置するのがコーデリン国である。
「さて。問題はどうやって、あの国に入るか、だな」
タイゼンの呟きに、ティルが手を挙げる。
「私に良い考えがあるの。任せてくれる?」
ソロン達一行は、グロリー帝国の宿屋にて作戦会議を開いていた。
コーデリン国はケンタウロス族の支配する国。
普段、人間族は入国すら許されない。
従って、入国するための方法を考えねばならなかった。
自信満々なティルを怪訝な目つきで眺め、ランスリーがボソッと呟く。
「すいぶんと自信がおありのようですけど。話して下さらねばゴーサインも出せませんわ」
「そうだな」
タイゼンもランスリーの肩を持ち、ティルを促す。
「やってみて、ハイ駄目でしたーでは洒落にならん」
「何よ、偉そうに」
たちまちブスッとなりティルはブツブツぼやいたが、ひとまず案を聞かせた。
「要するに見張りを騙せればいいわけでしょ?だから、布を買ってくるの。茶色い布をね。それを被って馬のフリをすれば、きっと騙せるわよ!」
得意げなティルの一言に、メイジ組は思いっきりな溜息を大袈裟につく。
「なによぅ」
ムッとするティルの前で、ソロンまでもが大きく溜息をついて突っ込んできた。
「あのな、ティ。ケンタウロスッてのは、かぶり物程度で簡単に騙されるほどバカな種族なのか?」
「そんなはずないでしょう」
すかさずランスリーが訂正し、傍らのノッポ魔術師も肯定する。
「もし騙される奴がいるとしたら、目の前の格闘家さんぐらいなもんッス」
「何よ!目の前の格闘家って、私のこと!?」
激しく机を叩いて激昂するティルを、まぁまぁと押し宥め。タイゼンは会議を続けた。
「言い合いはやめてくれ、何の進展にもならん。ランスリー、君は何かいい作戦がないのか?」
「私は」
コホン、と咳払いをしてランスリーが語り出す。
「見張りに眠りの魔法をかけて、忍び入る方法を提案します」
わぁ〜さすがランスリー様、などと隣でヨイショするケルギを横目にタイゼンが尋ね返す。
「眠りの魔法が効かなかった場合、彼らは我々に襲いかかってくるかもしれないぞ?」
「それはありえません。我々がザイナ住民だったとしても、彼らは四国法廷で定められた法を守るでしょう」
騎士ですものね、と締めくくり、ランスリーは真っ向からティルを見つめる。
その視線は、どこか挑戦的でもあり高圧的でもあって、ティルの神経を逆撫でした。
ピリピリするティルを心配しつつも、ソロンが突っ込みを入れる。
「襲われないにしたッて警戒させちまう。もっと穏便に入る方法はねェのか?」
少し考え、タイゼンが発言する。
「コーデリン国においてファイターというのは、どういった扱いを受けているのか知りたい処だな」
「どういう意味ですか?」と尋ねるランスリーへ、彼が言うには――

ソロンの望む『穏便な方法』を取るには、用件を素直に言えばいいだろう。
しかしケンタウロス族が『ファイター』の存在を、どう捉えているかで、すんなり事は運ばないかもしれない。
そんなものいないと言われたら入国すら諦めざるを得ないし、更なる言い訳も難しい。

「馬鹿正直に言ったって、あの馬どもが信じるワケねぇッスよ」
鼻息荒く却下したのはケルギ。
軟弱な外見に似合わず強気に吐き捨てると、魔術師は腕を組んだ。
「奴らは誘拐という罪を犯してるんだ。そいつを騎士が傍観していたなんて事実、認めるハズがねぇっす」
「……姉様達を誘拐したのは、『ファイター』なのでしょうか?私は違うと思うのですけれど」
ランスリーは小首を傾げ、タイゼンも同意する。
「同感だ。俺の予想では、さらったのは『シーフ』の残党で『ファイター』の連中に預けたか売り飛ばした。そんなところじゃないか?」
ケルギの肩を持つ訳じゃないが、焦れたティルが口を挟む。
「ファイターの処にいるなら結果的には同じよ。問題は誰が誘拐したかじゃなくて、誘拐されてきた人物を見張りが中へ通したって点でしょ。そのあたりを突いてやれば素直になるんじゃないの?」
「しかし」と、タイゼンは渋い顔。
「ヘタを打つと、国際問題になる」
四方敵だらけのザイナロックとしては、今の段階でコーデリンと戦争したくないのだろう。
ロイスにしたところで、そうだ。
騎士の国が騎士を脅迫なんて、あまり褒められたものではない。
「やッぱ、変装しかねェかなァ……」
ソロンも呟き、ちらっとティルを見る。
途端にティルの顔は晴れ晴れとしたものになり、輝くような笑顔でランスリー達へ勝ち誇った。
「そうよ、だから布を買ってきて。馬男の二人組に変装して、堂々と入国するわよ!」


かくして。
茶色の布を大量に買ってきた面々は、手縫いの急作業で馬のかぶり物を造りあげると、各々それに潜り込んだ。
「俺が言いたかッた変装ッてのは……まァ、いいや」
ティルを担ぎ上げてソロンがブツブツ言うのへは、真上からの声が黙らせる。
「何?ソロン、この案じゃ不服なの?なら、あなたの案を聞かせてよ」
さらに後ろからは「そうだぞ、ソロン。お前が穏便な方法を望むから、この手で行く事になったんだ」との声も。
ソロンの腰に捕まり、前屈み九十度の角度で腰を折り曲げたタイゼンだ。
馬の尻尾は彼のお尻で挟んでいるから、ある程度なら自在に動かすことも可能である。
「でも本当に、この手で大丈夫なんでしょうか?」
ゴロゴロと引きずられる大きな籠からも小さな声がして、先頭のティルに怒られる。
「コラ!荷物がしゃべらないっ。ランスリー、入国できるまで雑談は禁止ですからねっ」
ランスリーとケルギの二人は馬男となるには人数が足りず、大きな籠に詰められた。
コーデリン国王へ献上する荷物の役……らしい。
設定では、馬女が国王へ珍しい生き物を献上するために帰郷してきた――ということになっていた。
「で、ですが」と、荷物は話すのを止めずに心中を申し立てた。
「もし荷物改めという事になったら」
「安心しろ。そん時ァ、ティが迫真の演技で止めに入るから。な?ティ」
と馬の前足が言い、その上に肩車されたティル――いや、馬女となったティルも頷く。
「えぇ、任せといて。自分で言い出した案だもの、必ず成功させてみせるわ」
「それが一番心配なんスけどねぇ」
ぼそりと荷物が呟き、以降は大人しくなった。
「なによ、ホンット心配性なんだから!さ、行くわよソロン。足並み揃えて、一、二、一、二!」
タイゼンとソロンは、いちにのリズムで歩いていく。
なんとなく二人とも、情けない気分になりながら。

足並み揃えて歩いていくうちに、高い壁で囲まれた門が見えてくる。
あれこそがケンタウロス族の国コーデリンの入口だ。
門の前にいるのは、見張りが二人ばかり。
ケンタウロス族というものをソロンは今日、生まれて初めてお目にかけたわけだが……
何故ティルが馬の仮装をさせたのかが一目でわかり、彼は一人納得する。
ケンタウロスとは、馬の体に人間の上半身を生やしたような生き物であったのだ。
まさに今のティルが、そのまんまの格好とも言える。
見張りは二人とも鎧を着込んでいたが、鎧がガードしているのは上半身だけである。
あれでは下半身を弓矢で射貫かれたらアウトだな、などと思いながらソロンは歩調を落とした。
「止まれ!」
見張りに制され、後方のタイゼンも足を止める。
「見かけん顔だな?」
ジーロジロと顔を舐め回されるように睨まれて、用件を問われた。
「貴様、コーデリンに何用だ!」
コホン、と咳払いしたティルが言い返す。
「そう喧嘩腰になるでない。珍しいものを見つけた故、国王へ献上しようと帰郷したまでだ」
多少ぎこちないが、さすがは王宮育ち。騎士っぽいしゃべり方は、お手の物か。
「帰郷?では貴様――冒険者か?」
危うく頷きかけるティルを制したのは、布の中のソロン。
彼女の太股を軽くつねり、囁いた。
「頷くなよ?冒険者カードなンて持ってねェンだからな!」
「いッ……!」
つねられた痛さで飛びあがりかけたものの、ティルは何とか我慢して再び咳払い。
「……いや、冒険者ではない。私は長らく旅をしていた。そう、長い、長い旅へ……」
「旅?」
訝しげに首を捻る門兵へ、ティルが遠い目をして答える。
「そうだ。国王に頼まれ、旅をしていた。密命でな、内容を詳しく語ることはできぬが」
咄嗟の事とはいえ、よくティルに嘘をつく頭があったものだ。
などと失礼なことをソロンは考えたが、もしかしたら、これも彼女の作ったシナリオ通りなのかもしれない。
だとしたら、俺はティルに対する認識を改めなければいけない――
ソロンが感心する横で、門兵の一人は疑惑全開な突っ込みを入れる。
「密命ぃぃ〜〜?騎士でも冒険者でもない、お前が?おい、試しに現国王の名前を言ってみろ」
げッと小さくティルが呟くのを、ソロンもタイゼンも耳にした。
「まさか知らないのか?彼女。まずいぞ」
後ろ足が話しかけてきたので、ソロンは軽くタイゼンのスネを蹴っ飛ばして黙らせる。
「そ、それは、その……」
厳格だった話し方すらも忘れて、ティルは汗ダラダラ。
ヤバイ、シナリオに破綻が見えてきた。そろそろバケの皮も剥がされる。
慌てるソロン達を救ったのは、他ならぬ大きな籠。
いきなりガタンガタン!と大きな音を立てて暴れ出した籠へ、ティルが大声で喚く。
「こ、こら!静かにしろ、貴様らッ」
怒鳴ったのは籠へではない。見張りの二人に対してだ。
「貴様らが静かにしないから、珍獣が怒ってしまったではないか。こいつを逃がしてみろ?貴様達の頭など、一口でがぶりと飲み込むであろうッ」
一体どういう珍獣設定をしているのか。
一度、ティルの頭を開いて中身を調べてみたいものだ。
五歳の子供でも騙されないであろう彼女の嘘に、見張り二人は青くなっている。
「ほ、本当か!?」
「その籠、開けるんじゃない、開けるんじゃないぞ!」
口々に騒ぎ、こわごわ及び腰で籠を見つめている。
騎士というにしては、かなり情けない。
「こら、珍獣!またやられたいのか?」
勝ち誇った顔でティルがバシバシと籠を叩き、大人しくさせる。
すっかり動かなくなった処で見張り達を振り返り、彼女は命じた。
「さぁ、ここを通してもらおう。珍獣は獰猛だが食すると寿命が延びるのだ。新鮮なうちに王の元へ届けねばな」
えぇっ、食べるのぉ!?
ソロンやタイゼンは勿論の事、籠の中の二人も突っ込みたいのを我慢しながら、ティルと一緒に門をくぐった。

「一体どういう設定なんですか。あまり、ひやひやさせないで下さい」
コーデリンに入り、宿を取った後。
籠の中から這い出したランスリーが小声で文句を言うのに対し、ティルは澄ました顔で受け流す。
「いいじゃないの、うまく言ったんだから」
「そうは言うが」
後ろから抜け出たタイゼンも、むっつりと口をへの字に曲げて苦言する。
「こっちも冷や汗をかかされたぞ。せめて現国王の名前ぐらい調べておけ、事前にな」
「まぁまぁ。いいじゃねぇッスか」と何故かケルギは上機嫌で二人を止めると、窓の外へ目をやった。
「それより、この国はドコを見ても馬、馬、馬ッスよ。出歩く時は、常にあの格好じゃないと駄目ッスね」
ちらりと籠に目をやり、「勿論、俺とランスリー様は珍獣役に徹しますけど」と付け加えて、グフフと笑う。
籠の中でランスリーと密着できたのが、相当嬉しかったらしい。
「マジでか」
タイゼンは呟き、そっとお尻に手をやる。
「なぁ、ソロン。せめて尻尾は布に縫いつけておく方法に切り替えないか?いや……アレを突き刺しているとな、尻の穴がムズ痒くて堪らないんだが」
ソロンが答えるよりも早く、ティルに断言された。
「駄目よ」
「どうして?」
「馬の尻尾なのよ?自在に動かせなかったら変じゃない」
残念ながら彼女の言い分は正当で、タイゼンは尻をさすりさすり別の案を出したのだが。
「なら、今度はソロンが後ろ足役に回ってくれ」
これもティルに秒殺された。
「駄目」
「どうして!?」
少々涙目になるタイゼンへ横目をくれて、彼女が答える。
「だって……あなたに触られたくないんだもん。ソロンならOKだけど」
女の敵扱いされては、タイゼンだって憤慨するというもので。
「誰が、あんたの太股を触って喜ぶもんか!」
プンプン怒るマッチョ魔術師に、ついついティルの声も跳ね上がる。
「誰も太股とは言ってないのに太股だと特定するなんて、本音じゃ触りたいんじゃないの?このエッチ!」
慌ててランスリーが「し、静かに!」と二人を宥めるも、カッとなったタイゼンは止められない。
「いいや、今の目!確かに太股を触るなと言っていた!!だがな、俺は女の太股を触って喜ぶほど変態じゃないッ」
「そうか?」と、まるっきり空気の読めない発言で横入りしたのはソロン。
「俺は結構気持ちよかッたけどな、ティの太股。ま、お前が嫌だッてンなら仕方ねェ。俺がずッと前足をやってやるよ」
仕方ねぇと言いつつニヤニヤしているあたり、彼もケルギと同じくピンクな気分に浸っていたようだ。
たちまちティルの顔は真っ赤に染まり「ソ、ソロンッ!」と怒鳴るのとは反対に、ランスリーは露骨に眉を潜める。
「ソロン様……フケツですわ。作戦中だというのに、何を考えておいでですの?」
「俺は、いつだッてティの事ばッか考えてるぜ。な?ティ」
臆面もなく言い放ち、ソロンが服を脱ぎ始める。
「風呂に行ってきてもいいか?」などと言う彼を見て、メイジのメンバーは失意の溜息をついた。
「こいつらに助太刀を頼んだのは、失敗だったかもしれん。すまんな、二人とも」
「いえ、どのみち三人だけではコーデリンへ入ることも、ままなりませんでしたから。タイゼンが謝ることでは」
「メイスローさん達、無事ですかねぇ……」
遠い目をして呟く三人、及びソロンにもティルが声をかける。
「ソロン、お風呂は駄目よ。この部屋で体を拭くだけにしてちょうだい。後でお水を持ってきてもらうように言うから。それと、そこの三人?救出作戦を練るから会議に参加して」
「……そういえば」
ティルの言葉など聞こえなかったかのように無視して、ランスリーが呟く。
「全員、この部屋で雑魚寝するのですか?結婚前の男女が、同じ部屋で……フケツだわ」
彼女の不安を慰めようにも慰められず、仕方なくタイゼンは頷いた。
「そうなるだろう。我々は全員揃っていないと宿を出ることすら、ままならんのだからな」


コーデリンの宿で、ソロン達が絶望にくれている頃――同刻、ロイス王国では。
騎士団長ワルキューレが、冒険者からの報告を聞いていた。
「ザイナロックがグロリー侵攻した裏には、12の審判を名乗る組織の暗躍があるみたいですね」
腰にダガーを差した軽装の盗賊が頭を掻き、傍らに立つ戦士も同意する。
「騎士様は、ご存じでいらっしゃるでしょうか……シーフ、メイジ、ファイターの三つ。あいつらって、お互いに争ってるらしいんですよ。誰が本物の子孫なのか決めるために」
初耳だったが、いかにも知っていたという風にワルキューレは頷いてみせる。
さすが騎士様、と呟いて冒険者は話を続けた。
「これも酒場での聞き込みで判ったんですが、つい最近、メイジの連中が国を出たらしいんです」
「理由は?」
短く問われ、冒険者達は首を捻る。
「さぁ、そこまでは……」
たちまち落胆の色を見せるワルキューレに、「あ、それと」と慌てて魔術師が付け加える。
「例の手配をかけられた冒険者ソロン=ジラードについて面白い話を聞けました。ザイナロック城で」
「ほぅ?」
促されて魔術師が話したのは、こういった内容だった。

賞金首が危害を加えたのは、さる貴族のご子息である。
奴は酒場で有無を言わせず子息の腕を切り落とし、子息の友達だった妖精を拉致して逃亡した。
ただちに冒険者ギルドへ手配して賞金をかけたが、奴は凄腕だと聞き及ぶ。
ザイナロックが誇る警備隊にも、多数の被害が出ている。
とにかく奴を間合いに入らせるな。
遠方から一気に仕掛けろ、でないとやられるのは貴様らだ。

さる貴族のご子息とやらが、親にでも泣きついて賞金をかけてもらった。
意訳すると、そんなもんだろう。
「よし、諸君らは引き続き、その貴族と12の審判グループの関係について調べてくれ」
新たに作戦を命じて冒険者が頷くのを横目に、さらなる情報の提供を促した。
「あぁ、あと賞金首になった冒険者自身についても、彼らは、こんなことを言ってました」
蛇足かもしれませんけどね、と言い訳しながら盗賊が言うには。
「ソロン=ジラードは元々賞金がかけられる対象であったそうなんです。奴隷を売買する非合法の組織、クランツハートってトコに所属していたらしいですね。そこの生き残りでもあるとか、なんとか」
あの犯罪組織に名前があったことをワルキューレは今、初めて知った。
ソロンを捕虜にしたことを、ロイス王国はザイナロック側へ報告していない。
何処で情報が漏れてしまったのだろう。さる貴族とやらが、そこでも関わっているのだろうか?
やはり冒険者には、徹底的に調べてもらうしかない。ザイナロック王家との繋がりもだ。
ワルキューレは念入りに命じ、冒険者達が退室した後、部下の一人を呼び寄せる。
「ティはまだ、グロリーを調べているのか?」
「いえ、先ほど伝達が届きました。ティル様はソロンと無事合流し、コーデリン国へ向かわれたそうです」
「ソロンと?」
疑問を口にするワルキューレへ、騎士が頷く。
「グロリーのシーフを調べている際、奴らのアジト付近で見つけたそうです」
きびきびと答える騎士へ頷き、彼に伝令を頼んだ。
「そうか、ならば手間も省けて好都合。二人に伝達を頼む。コーデリンにあるファイターという組織、及びケンタウロス王家の内情を調べてこい、とな」


ティルの提案に従い、一行は部屋で体を洗うことになった。
といっても部屋にタライを持ち込んで行水するわけにもいかないので、せいぜいタオルで拭く程度であったが。
「ランスリー様、お背中をお拭き……ぐはァッ!!
鼻の下を全開に伸ばしてランスリーへ飛びかかろうとしたケルギは哀れ、ティルの拳の前に一撃で沈んだ。
「あなた達は、そっち!ベッドを挟んだ向こう側でやってちょうだい」
なんといっても、そこは慎み深い王宮育ち。
それに、この中には未成年だって含まれている。
男女仲良く肌の見せ合いっこというわけには、いかないだろう。
「え〜」と文句に口を尖らせたのは一人だけではない。
ソロンはともかく、ランスリーまでもが不満そうだ。
「ソロン様のお体をお拭きするのは、愛人のつとめですわ」
恥ずかしい事を平気でくちにする少女をキッと睨みつけ、ティルは怒鳴りつけた。
「誰が誰の愛人なのよ!それに嫁入り前の娘さんが愛人なんて名乗って、恥ずかしくないの!?」
「そ、それは……」
あとはソロンだ。
「せッかく、お前の体を拭いてやろうと思ったのになァ」などとブツブツ言う彼へ、そっと耳打ちする。
「それは後でやってもらうから……皆が寝た後に、ね?だから今は、大人しくしててちょうだい。あの子の為にも」
「あァ、約束だぞ」
ソロンはニヤリと笑い、なんとか納得してくれたようだった。
「よっしゃケルギ、さッさと洗おうぜ?ンなトコで寝てねーでよ」
「ソロン、ケルギは寝ているんじゃない。気絶しているんだ」
男二人はケルギをズルズルと引きずっていき、ベッドの反対側に陣取ると、さっそく服を脱ぎ始めた。
「じゃ、ランスリー。私達も拭いちゃいましょう。ソロン、それからマッチョな魔術師さん?伸び上がってコッチを見たりしたら、撲殺の刑ですからね!」
反対側から聞こえるティルの忠告に、タイゼンは「誰が覗くか!」と怒鳴ったが、ソロンは軽口でやり返す。
「お前らも覗くンじゃねェぞ?見たりしたら、ソッコーで変態女ッて言いふらしてやるかンな」
ソロンの軽口にタイゼンも機嫌を良くしたか、頷いた。
「あぁ、そうだな。ロイスの英雄様は痴女だとして街中に噂を広めてやろう」
「なんで私だけに特定するのよ!もしかしたら、ランスリーが覗くかもしれないでしょ!」
反対側からはキーキー反発も聞こえたが、ランスリーの宥める声で次第に収まっていった。

ゴシゴシ体を拭いているうちに、ふと、ソロンは誰かの視線に気づく。
ティルが覗いているのかと思えば、そうではない。
真横でタイゼンが、惚れ惚れとソロンを見つめていた。
「ほぅ、鍛えているな。見事な筋肉だ」
そう言っている本人だって見事にムキムキである。
以前より疑問に感じていたことを、ソロンは素直に尋ねてみた。
「なァ。タイゼンは何で体を鍛えてるンだ?必要ないだろ、魔術師なンだから」
率直な質問に、タイゼンは困ったように苦笑し、頭をかく。
「仕方ないさ、恋人がメイジのメンバーになっちゃあな。俺は元々魔術師じゃなかったんだよ。昔は剣士をやっていた。この体は、その名残さ」
「恋人?お前の恋人ッて」
誰なんだ、そう尋ねるソロンの耳元で彼が囁いた。
「リオンだよ」
「リオン……?」って、誰だっけ?
一瞬考え、すぐに答えの出たソロンは慌ててマッチョに尋ね返す。
「リオンッて、ありゃァガキじゃなかッたか!?男のッ」
「少年って言えよ。そうだ、リオンは男のガキだ。だが下手な女よりも柔肌で、あっちのほうも上手いときた。まぁ、お前には判らんだろうがな」
満足そうなタイゼンにドン引きしつつ、ソロンはさりげなく彼と距離を置く。
変態男色家などヨセフだけで手一杯である。
それに男の柔肌なんて判らないし、知りたくもない。
抱くなら女の子、それも可愛い子が一番だ。
「それでティの太股にゃ興味がねェッて騒いでたワケかよ?」
「ま、そういうことだ。それよりも」
タライごと近づいてきたタイゼンにサワサワ太股を撫でられて、ソロンは飛び上がりそうになった。
「なッ、何しやがる!!」
牙を剥くソロンに顔を近づけ、マッチョが囁いてきた。
「お前も、なかなか可愛いな」
一体何を言い出すのやら。
彼はリオンみたいな少年が好きではなかったのか?
言っちゃなんだがソロンは少年というには、とうが立ちすぎている。
加えて、童顔という訳でもない。
「ハハハ、可愛いってのは顔じゃない。性格を言っているんだ」
なら太股をサワサワしたのは、どういう了見だ。
こいつ、結局男なら誰でもいいんじゃ――?
身構えるソロンへ微笑むと、色黒の魔術師はベッドのほうへ視線を向けた。
「お前こそ、あのティルという女とは、どういう関係なんだ?ただの恋人ではあるまい。……いや、」
不意に目を細め、がらりと気配をも変える。
「お前の名前、どこかで聞いた覚えがある。12の審判と同じってだけじゃない、もっと他の場所でだ」
他の場所といえば闇組織時代しか思い当たらないが、剣士だったタイゼンが何処かで耳にしたとすれば。
闇闘技場の存在を知っていたということになる。
となれば、タイゼンもまっとうな剣士ではあるまい。闇の世界へ足を踏み入れていた人間か。
隠すことなくソロンは、あっさり白状した。
「昔、闘技場にいたンだ。もッと言うなら俺はロイスで生まれたンじゃねェ」
「やっぱりな」
満足げにタイゼンが頷き、ソロンの肩へ手をかける。
反射的に、ソロンは後ろへ退いた。
「ハハハ、何を警戒している?安心しろ、俺が好きなのは少年だけだ」
「い、いや、別に……それよか、やッぱりッて、どうしてそう思ったンだ?」
タライを盾に尋ねるソロンへ、タイゼンが答える。
「根っから魔術師の皆は気づかなかったようだが、俺にはすぐ判ったよ。お前は厳しい環境で育ったんじゃないかってな。剣のトレーニング中、しばしば殺気を放っていただろう」
そうだったか。誰かに見られていたかなど全く気づかなかった。
たかが練習で殺気が滲み出てしまうとは、まだまだ己は未熟だとソロンは恥じた。

体もさっぱりしたところで、さぁ次はどうしようかと話し合っていると。
不意に、窓をコンコンと叩く音にティルもソロンも反応する。
「誰?」
訝しげに小首を傾げつつティルが窓を開けると、勢いよく飛び込んできた者が。
「ティル様、ティル様、ティル様ぁぁ〜!私です、ライムです、あぁ、無事に会えて良かったぁ!」
「ライム!?」
背の丈ティルの半分もない、この少女。
背中の羽根を見ても、見間違えようもない妖精である。
いや、ティルの小間使いライムではないか。
ロイスで留守番の彼女が、何故コーデリンへ?
「あなた、どうやってコーデリンに来たの?それに、ここを突き止めたのだって」
「あれ?あ、そっか……ティル様は人間ですから、入国には苦労なされたんですね。妖精族はコーデリン、フリーパスで通れるんですよ。今の国王が定めた法で」
そんなことよりと話を切り替え、ライムは早口にまくしたてる。
「ワルキューレ様より伝達です!コーデリンにある『ファイター』っていう組織を調べて下さい。あ、それとですねティル様?私、ここへ来る途中、すっごく怪しい場所を見つけたんですっ」
小間使いのマシンガントークに目を白黒させながら、なんとかティルは尋ね返した。
「あ、怪しい場所?それってどういう」
「もう、見るからに怪しいんです!目つきの悪いケンタウロス達がウロウロ――あ、ケンタウロスだけじゃありません!人間族らしき方や、魔族っぽいのもいたんですよ〜!?でも、おかしいですよね。人間も魔族も、この国には入れないはずなのに!」
人間なら権力さえあれば可能かもしれないが、誇りと正義の国で魔族の入国は有り得ない。
ライムの言うとおり、すっごく怪しい。
詳しい場所を聞いたら、さっそく調べなくては。
「また馬女の格好で出歩くのか?あまり外をうろつかないほうがいいんじゃないのか。怪しまれても知らんぞ」
しかしタイゼンの心配を余所に、ランスリーとティルは盛り上がっている。
「きっと、その場所にメイスロー姉様達が囚われているに違いありません!」
「そうよ、きっとそう!そこがファイターの隠れ家だわ。だってファイターの資質がある者は、ケンタウロスだけとは限らないものね」
きゃいきゃい騒ぐ女達を黙って眺めた後、ふぅと溜息をついてタイゼンはソロンへ話題を振った。
「どうする?彼女達、調べる気満々のようだが」
「構わねェンじゃねェか?」
ソロンは至って気楽に答え、窓の外へ目をやる。
宿屋からでも王宮は、よく見えた。石造りの古風な外見だ。
「どのみち国王へ荷物献上ッてのは方便なンだ。俺達の目的は拉致された仲間の救出だろ?なら正体がバレないうちに、さッさと事を運んだ方がいい」
やめろと言ったところで言うことを聞くティルでないことは、よく知っている。
とにかく敵のアジトに乗り込んでさえしまえば、後は何とでもなる。
ライムへ「ンじゃ、ソコへ案内してくれるか?」と頼むと、颯爽と馬のかぶり物に潜り込むソロンであった。

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