6.再会

「い……」
一旦は硬直してしまったものの。
「いやいや、好きッてのは仲間として、だろ?」
ソロンは明るい調子で言いながら、そっとランスリーから体を離す。
すぐにまた抱きつかれて叫ばれた。
「違います!男女として、男の人として愛しているんですッ」
言うまでもないが、ランスリーは可愛い少女だ。
美少女と形容しても差し支えない。
その美少女がムニュッと胸を押しつけてくるのだから、タマラナイ。
本人曰くランスリーは十七歳だそうだが、胸の大きさは二十四のティルよりも遥かに大きい。
ローブ越しの柔らかな感触に、ソロンは思わず喉をゴクリと鳴らした。
そうでなくても、ここしばらくメイジのアジトに引きこもりっぱなしの日々を送っている。
スリットから見え隠れするメイスローの生足に、多少心が惹かれないでもなかったのだ。
ティルに会いたいと頻繁に考えるようになったのも、それが一つの原因だ。
ソロンが黙っている間にも、ランスリーは胸の内に秘めた想いを打ち明けた。
「ソロン様に恋人がいるのは判っています!ですから、私を一番大事にして頂けなくても構いません。私があなたを好きでいることを、お許し下さいッ。そして……たまには私のことも愛して下さい」
一番じゃなくてもいいから、たまには可愛がって欲しいと言う。
それは、つまり。
「愛人にしろッて言いたいのか?」
とても十七歳の小娘が吐く台詞ではない。
驚愕のソロンにランスリーは頷き、おずおずと彼を見上げて呟く。
「駄目……ですか?」
ポリポリと頭を掻きながら、ソロンが歯にモノでも詰まった調子で逆に尋ね返す。
「駄目ッてンじゃねェが……ランスリーは、それでいいのか?」
間髪入れずコクリと頷き、ランスリーはソロンを見つめた。
熱っぽい視線。まさに恋する者の視線そのものである。
「はい。してほしいことがあったら何でも言えとおっしゃいましたよね」
言った。ついさっきの話だから、忘れるはずもない。
だがしかし、そういう頼みを言えというつもりで言った訳じゃないのだけは確かだ。
ソロンの困惑を余所に、ランスリーはモジモジと恥じらいながら小さな声で囁いた。
「ですから……私、その……ソロン様に、だ、抱いて欲しいと思いまして……」
抱くというのは、つまりヤッてほしいというお願いである。
聖女様にしては、破廉恥なお願いだ。
「じょ、冗談だろ?」
及び腰で一歩下がると、ソロンは再びランスリーから逃れた。
別にランスリーが嫌いだから嫌がっている訳ではない。
彼女のことは好きだ、仲間としても女として見ても。
ソロンだって、喜んで抱いてやりたいぐらいなのだが……
浮気は駄目だ。ティルに嫌われる。
ワルキューレの時とは違い、誤解では済まない。
美少女と肉体関係を結んでしまっては、どうにも言い逃れできないではないか。
いくら本人が愛人でいいですと納得していたって、こっちは納得できない。
いや、納得できないのはソロンではない。ティルが納得しないであろう。
しかし、ランスリーには借りがある。
彼女が蘇生呪文をかけてくれなかったら、ソロンは今頃この世にはいなかった。
彼女がリハビリを手伝ってくれなかったら、剣術の復帰は遅れに遅れまくっていただろう。
食事も全てランスリーが作ってくれているし、彼女には恩を受けまくりである。
一つぐらいは返しておくのが、人情というものではないのか。
ソロンが茶化したせいで、ランスリーの目元には見る見るうちに涙が溜まっていく。
「ソロン様には、私の想いも冗談にしか見えないとおっしゃるのですね」
言っている側からポロポロと大粒の涙が流れ出し、ランスリーは肩を震わせて泣きじゃくる。
「ま、待て!茶化したのは悪かッた。ただ、お前、本気で俺なンかが相手でいいのかよ。もッと待ってりゃ、そのうちイイ男が見初めてくれンじゃねェのか?」
慌てて慰めるも、泣いていたはずの彼女にキッと睨まれ怒鳴られた。
「私はソロン様が好きなのです!他の誰でもありません、あなただけが好きなんですっ」
前にも誰かと同じような会話をしたような気がする。あれ?これってデジャヴ?
まぁ、冗談はさておき。
この場をどうやって言い逃れようかと、ソロンは真剣に悩んだ。
最初に考えたのは眠いから後でね、で引き伸ばすという手だった。
だが、これだと毎日催促されるハメになるであろうことはバカでも予想できる。
駄目だ。
次に考えたのは、渡り鳥作戦。行きずりの男だから諦めてくれ。
――と言ったところで、ランスリーは思い詰めるタイプのようだから無駄であろう。
むしろ一夜限りの想い出でもいい、などと逆に押し切られそうだ。
故郷は何処なのかと追求される恐れもある。ロイスだとは、絶対に答えられない。
ムムゥと悩んだ後、ソロンは一つの結論を出すことにした。
あまり長く悩んでいると、またまたランスリーを泣かせる羽目になりそうだったので。
「参考までに聞くが、今までに男とヤッた事はあンのか?」
身も蓋もない質問にランスリーの頬はボッと赤く染まり、彼女はブンブンと勢いよく真横に首を振った。
「あ、ありませんっ!ソロン様が初めて好きになった男性ですもの」
「そッか」
なら次の手が使えると内心ほくそ笑みながらも、平然とした顔でソロンが結論づける。
「じゃあイキナリ入れンのはキツイから、とりあえず最初はキスだけでいいよな?」
「キスだけ……ですか」
明らかにランスリーはガッカリしたようであったが、それでも彼女は無理に微笑み自分自身を納得させた。
ティルと違って我が儘を言ったりしないのが、ランスリーの長所である。
素直というか、従順というか。
「判りました。それでは、その……お願いします」
目を閉じて待っている様が、何とも初々しくて愛らしい。
彼女には聞こえないよう静かに唾を飲み込むと、ソロンはゆっくり顔を近づけ――

「大変だ!ランスリー、メイスローがシーフの奴らに捕まった!!」

いきなりバァンッ!と勢いよく扉が開けられ、タイゼンが飛び込んでくる。
あまりにも勢いが良すぎて、蝶番もぶっ飛んでしまった。
魔術師のくせに、なんという馬鹿力。
だが飛び込んで、すぐに「って、ぅえぇぇ!?」と彼は間抜けな悲鳴をあげて、その場に硬直する。
折しもソロンはランスリーにキスした直後で、彼女を抱きしめ唇を貪っていた。
ランスリーもランスリーで、しっかり抱きついた格好でソロンのなすがままにされている。
「お、あ、えぇぇぇええ!!?」
あまりにも驚きすぎたのか、タイゼンは奇声をあげるしか出来なくなってしまった。
ちょっと前まで普通にしていた二人が、二人っきりになった途端イチャイチャしていようとは。
夢にも思わなかったに違いない。
いや、ほんの数分前までは、当のソロンも思わなかったのだが……
「どうしたんスか、タイゼンさん!何があった――うぉあぁぁあああ!!?
続いて飛び込んできたのは背高ノッポのケルギだが、こいつも入るや否や絶叫をあげる。
かと思えば素早く懐に手を入れて魔術書を取り出すと、パラパラと手早くめくり始めた。
「おのれ、ソロンッ!我が敬愛する奇跡の聖女様に、なんという破廉恥な真似を!!」
なんと、屋内で攻撃魔法を使う気満々である。
よく見ると目が血走っている。マジギレ百パーセントだ。
おかげでタイゼンの硬直も解け、マッチョ魔術師はケルギを背後から羽交い締めにした。
「よ、よせ、ケルギ!アジトを火事にするつもりかッ!?」
「離せェ〜、はなすぇぇ〜!あの野郎、ちょっとイケメンだからってフザケンなッスゥ!!」
泣き叫びながらジタバタしているが、筋肉野郎に両手を押さえられていては魔術書もめくれまい。
駄々っ子のように泣きわめくケルギを、タイゼンは呆れた調子で優しく諭した。
例え彼が嫉妬に目をくらませて、全然聞いていなかったとしても。
「いいから落ち着け!我々は誇り高き『メイジ』のメンバーだぞ。つまらん嫉妬に魔法を使うなど、やってはいかん。子供じゃないんだ、それぐらい判るだろう!?」
「ソロンてめぇ、コンチクショー!俺だって、俺だってランスリー様とチューしてぇよぉ、うわぁぁぁんっ」
ケルギの燃えさかる嫉妬など何処吹く風、全く無視してランスリーと長々キスを楽しんだ後。
ようやくソロンが唇を離した。
「メイスローがシーフに捕まッたッてェンなら、俺の出番だな?ランスリー」
ランスリーはまだポォッとしていたが、熱冷めやらぬ顔のままコクリと頷く。
「……はい。姉様を、助けて下さいますか?ソロン様」
「あァ、任せろ」
不敵に笑い、ソロンも頷いてみせる。
「ちょッと早くなッちまッたが、リハビリの成果を見せてやるぜ」


その頃――
ティルはグロリー帝国に滞在していた。
ワルキューレが指揮してザイナロック調査を冒険者にやらせている間、ティルはグロリーの調査を任された。
ザイナの傭兵団が盗賊ギルドを襲った理由は、すぐに判った。
ギルドのメンバーが、あっさり教えてくれたのだ。
彼らはウォーケンを名指しして引き渡しを求め、力づくで拉致しようとしたのである。
狙われる原因はないかと尋ねたところ、ウォーケンは即答した。
身振り手振りで大袈裟に話しながら「ザイナでソロンが事件を起こしたので、賞金首になってしまった」と。
しかし仮にも国の名を背負っている傭兵団が、賞金首を追いかけるだけで攻め込むとは思えない。
もっと他に隠している事があるのではないか?
そう思い、何度も尋問をかけたが無駄であった。
ウォーケンは本当にそれ以上、何も知らなかったのである。
ただ、彼はこうも言っていた。
もしかしたら奴らは俺が狙いなのではなくて、ソロンが目的なのでは?
そうだとしても、それはそれで何故ソロンだけが狙われるのか。判らない。
だから、ティルは一人残って調査を続けているというわけである。
懐から手配書を取り出し、じっと眺めてみる。
罪状は『冒険者を襲い、片腕を切り落とした罪』となっていた。
ウォーケンの告白と一致する。
それで賞金額が五十万とは、正気の沙汰ではない。
冒険者ギルドも、よくこの手配書を発行する気になったものだ。
ソロンは一体、誰の腕を切り落としたのか。
それは今、ワルキューレが調べてくれている。
ティルが調べるのは、この国にある『シーフ』という組織の実態と、彼らと盗賊ギルドとの繋がりだ。
それから、もう一つ気がかりがあった。
ウォーケンと話した時、彼は開口一番「アナが、そっちに行きませんでしたか!?」と尋ねてきた。
アナというのは妖精の名で、酒場でソロンが問題を起こすきっかけとなった人物である。
二人がザイナ警備隊に襲われた際、ソロンは彼女に己の冒険者カードを持たせたと言う。
冒険者カードを他人へ渡してしまうなんて、一体何を考えているのか?
カードは冒険者にとって身分証明書でもある。
あれがないと、ソロンを賞金首から保釈することも出来ない。
一刻も早く、取り戻してあげなくては――だが、手がかりは一つもない。
再発行には時間を要する。しかも今は罪人の身だ。再発行できるか、どうか。
「……ま、いざとなったら冒険者を辞めさせて、騎士にするって手もあるしね」
ぼそっと独り言を呟き、ティルは手配書を懐にしまい込む。
まずは任務を終わらせてから、考えよう。

酒場へ足を踏み入れると、むわっとした酒の臭気が体を包み込む。
ここ数日グロリーを歩き回って判ったのは、この国――というか集落には、女性の数が極端に少ない事。
そして、見事なまでに盗賊や暗殺者とおぼしき気配の持ち主だらけであるという事実だった。
これでは誰が盗賊ギルドのメンバーでシーフのメンバーなのかも、判らない。
一人一人に尋ねたところで彼らが正直に話すわけもなく、情報収集もままならないまま無駄に日数が過ぎた。
ティルは度々ロイスへ使いを送ったが、ソロンが戻ってきたという報告も、まだない。
彼は、どこまで逃げていってしまったのだろう。
これもワルキューレに任せるしかない歯がゆさに、ティルは悔しい思いを抱いた。
グロリーの酒場は、どんな時間帯でも混んでいて、テーブルがほぼ満席で埋まっている。
陽気な種族が歌を歌い、酒飲みが大声で笑い、雑談のざわめきで包まれる。
それが、いつもの酒場の情景だった。
だが今日の酒場は、いつもとは少し雰囲気が違っていた。
やけに人が少ない。
奥のテーブルに二〜三人、盗賊らしき連中が腰かけているぐらいで。
それに、とても静かだ。
吟遊詩人もいなければ、大酒飲みのドワーフすら居ない。
「今日は、やけに閑古鳥じゃない。何かあったのかしら?」
カウンターに近寄りマスターへ話しかけると、マスターが小声で返答した。
「12の審判を名乗る奴らが衝突したんでさァ。死傷者もいっぱい出たって話で、皆、家で縮こまってんですよ」
盗賊はともかく暗殺者を名乗る輩までもが、死を怖がって家でビクビクしているとは笑わせる。
だが問題はそこではなく、12の審判を名乗る組織同士の衝突とは穏やかではない。
ティルは尚も尋ねた。
「12の審判って、シーフと……どこが?」
「メイジですよ、メイジ。ほら、ザイナロックに巣くってる魔術師の軍団」
傭兵団のみならず、メイジまでもがグロリーを襲っていたとは初耳である。
「いや、今までだって何度か小競り合いはあったんですがね?今回みたいに死者まで出したのは初めてでさ」
と言って、マスターは肩を竦めた。
さらに身を乗り出してティルが尋ねる。
「死者って、死んだのはどっちのメンバーなの?」
「シーフに決まってるでしょうがよ。メイジの連中は遠くからボンボン魔法を撃ってくるんだ、とても勝てやしねぇ」
そんなの当たり前の常識だろ、と言わんばかりな口調でマスターは言った。
聞いても無駄だろうとは思いながら、ティルは尋ねてみる。
「彼らのアジトって、どこにあるの?」
すると意外や意外、マスターではなく奥のテーブルに座っていた連中が答えてくれた。
「シーフのアジトか?なら、公園にある大きな穴でも覗いてみるといいや。でもな。焼け跡なら残ってるけど、あそこにはもう、誰もいやしないぜ」

果たして公園に駆けつけたティルが対面したものは――
「あれ、ティ?」
「え!?ど、どうして貴方がココにいるの?」
腰に新品のロングソードを差したソロンと、魔術師の一行であった。
傍らには白いローブに身を包んだ可憐な少女もあって、ティルの機嫌は一気に悪くなる。
「……ふ〜ん、そぉ……音信不通だったのは、そういうワケなのね?」
再会するなりジト目で睨まれ、ソロンはガラにもなくオタオタしながら言い訳した。
「い、いや、連絡が遅くなッたのは悪かッたけどよ。そこまで怒られるような真似をした覚えは」
「遅い遅くないの問題じゃないわ!ったく人が心配してあげていれば、すぐそういう真似をするんだから」
言うだけ言って、ティルはプイッとそっぽを向いてしまう。
いきなりの地雷爆発に手の尽くしようもなく呆然としていると、背後の魔術師連中の様子までおかしくなる。
「もしかして、その顔、その格好……ロイス王国のティル=チューチカか!?」
タイゼンもケルギも殺気だち、そしてランスリーまでもがティルへ警戒を放っている。
しまった。うっかり話しかけてしまったが、ティルの事は何一つ彼らに話していない。
話せるわけがなかった。
彼らは『メイジ』メンバーにして、ザイナロックの住民なのだから。
「ソロン様、これは一体……?」
訝しがるランスリーへ、すかさずケルギが入れ知恵する。
「一体もクソもねぇッスよ、こいつはロイスのスパイだったってだけッス!きっと、メイスローさんの作戦が失敗したのも全てはコイツのせいだ!!こいつがシーフに情報を流したッスよ!」
とんだ言いかがりだ。
ずっとアジトにいたソロンが、どうやればスパイになれるというのやら。
「まてケルギ、それはおかしいぞ」
さすがにタイゼンはケルギほど嫉妬に狂っておらず、冷静に突っ込みを入れる。
「ソロンがロイスのスパイだったとしても、どうしてシーフへ情報を流す必要があるんだ?」
二人の会話を聞いていたティルも、眉をひそめた。
「ソロンがスパイ……?何言ってるのよ、こいつら」
話を聞く限りでは、彼らの敵はシーフであると見える。
となると、こいつらはメイジのメンバーか?
ソロンも必死になって弁解している。
「待てよ、俺ァ確かにロイスから来た冒険者だ。そいつをお前らに言わなかッたのは悪かったが、スパイ扱いするッてのは酷すぎるぜ?」
だが、白いローブの少女には怪訝な顔つきで言い返される。
「それに、その女性とは、どういう関係なのですか?恋人はロイさんだけではなかったんですか」
「それはだなァ」
「ロイさん?」
ソロンとティル、両方の声が重なり、お互いに互いの顔を見合わせた。
「ティ、これは」
「ロイさんって誰?」
たちまちティルの眉はキリキリと吊り上がり、ここからは、いつものパターンの始まりである。
ビシッとランスリーを指さして、憤怒の表情でソロンに詰め寄るティル。
「ロイさんって誰なのよ?それから、この子とは、どういう関係なの!?」
さされたほうだって良い気はしないのか、ランスリーがティルに負けないほどの大声で怒鳴り返す。
「私は、ソロン様の愛人一号のランスリーです!」
「ら、ランスリー様ぁ!?まだそんなこと言ってるッスか!」
「ランスリー、目を覚ませ!あいつは、とんだフタマタ野郎だぞッ」
傍らの男二人も喚いているが、それはどうでもいい。
ランスリーの一言にティルの怒りがますます燃え上がり、ソロンは仰天する。
「ランスリー、お前、何言ッて」
「愛人一号ですってぇ!?ソロン、きっちり説明しなさい!」
怒りのティルに答えたのは、ソロンではなくランスリー。
――いや、ソロンは答えようにも答えられなかった。
近づいてきたランスリーに、いきなり唇を重ねられてしまったので。
「んなッ!?」と驚愕に目を見開くティルの側では、パラパラと勢いよく魔術書をめくる音が。
ケルギだ。目を血走らせたケルギが、嫉妬に燃えた勢いで魔術書をめくっている。
「まてケルギッ、攻撃呪文はヤバイと言ってるだろう!ここは敵地だぞ、状況を弁えろォォ!」
「んッむ……ら、ランスリー、バカッ、お前一体何を考えて」
開放されたソロンはランスリーに掴みかかるも、後方からグイッと髪の毛を引っ張られ血の気が引いた。
振り向かなくても判る。
これ以上はないというぐらいに怒っている、ティルの気配を感じられた。
「バカはソロンよ!しばらく見ないと思ったら、ザイナロックで愛人なんか作っちゃって!!どれだけ心配したか」
途中でティルの言葉は「いたッ!」という悲鳴に変わる。
ソロンの髪の毛を引っ張っていた手を、ランスリーに叩かれたのだ。
普段は大人しいランスリーの見てはいけない裏の顔を見た気がして、ソロンは再び背筋がゾォッとなる。
そんな彼の気持ちなど知る由もなく、ランスリーはこれ見よがしにソロンへ抱きつきながら言い放つ。
「ソロン様、私、何番目でも構いません!ソロン様が浮気したって私は許して差し上げますッ。こちらの女性ほど私、心が狭くありませんものッ」
「な、何よぉ!後から出てきたくせに!!私だってソロンが浮気したって、浮気したって……」
つられて怒鳴っているうちに、ティルの両目にはジワッと涙が浮かんできた。

ソロンが浮気しても、許せるかって?
何番目でもいいから愛して欲しい?

許せるわけがない。
ソロンが他の女性と愛し合うなんて、考えるだけでも嫌だった。
だってソロンはやっと見つけた、私だけの王子様なんだもの。
私だけを見てほしい。他の人に気を向けたりしないで……
「う……うわぁ――――んっ!
お前今年で幾つだよ?と聞きたくなるほど恥も外聞もなく大声で泣き出したティルに、一番慌てたのはソロンだ。
「ティ、悪かッた!俺が悪かッた!!だから泣くなよ、なァッ!?」
ポカーンとするタイゼンやランスリーの前で、赤子をあやすかのように背中をさすってやったり抱きしめてやる。
抱きしめられているうちに安心したのか、ティルもぎゅっと抱きついてきた。
涙はポロポロと頬を伝っていたが、至福の表情を浮かべている。
そんな彼女の頭を、ソロンは優しく撫でてやった。
「な……何なんだ、一体」
二人抱き合う姿を呆然と見ているタイゼンの横で、ランスリーが呟いた。
「……きっと、この方がロイさんだったのですね」
「なんだって?」
聞き返すマッチョ魔術師に、彼女が言う。
「ロイス王国だから……ロイさん。ね?」
「あぁ、なるほど……ロイス出身をごまかすための嘘、か」との納得に、ランスリーはコクリと頷いた。
嘘をつかれたのは、悲しい。信じていたのに裏切られた思いだ。
だがロイス王国出身となれば、それも仕方のない話なのかもしれない。
何故ならロイスとザイナは今もまだ、冷戦の真っ直中にあるからだ。
魔法を唱えかけていたケルギも、いつの間にかランスリーの肩に手など置きつつ小さな声で報告する。
「ランスリー様、もうこの跡地には何の証拠も残されていないみたいッス。しかし、そうするとメイスローさん達は何処へ?」
肩に置かれた手をさりげに振り払い、ランスリーはタイゼンへハンカチを手渡す。
「タイゼン、これに追跡魔法をかけて貰えますか?姉様の気配を探しましょう」
マッチョも「わかった」と頷き、さっそく懐から魔術書を取り出して呪文を唱え始めた。
「……便利なモンだな、魔法ッてのは」
話しかけてきたソロンに対し、ランスリーは顔を背けてしまったが、タイゼンは真っ向から彼を見据える。
「お前がロイスの人間だったとはな。驚かされたよ」
「悪ィな。ザイナはロイスを嫌ってるッて聞かされてたから、言えなかッたンだ」
軽く言われて、タイゼンは苦笑する。
冷戦だなんだと言ったところで、一部の人間以外には大した問題じゃないのかもしれない。
ソロンは恐らく、戦争とは無縁の世界で生きていたのだろう。
彼は嘘をつきたくて、ついたんじゃない。
周りの人間が冷戦の噂を彼に吹き込んだから、仕方なくその通り従ったに過ぎなかったのだ。
「……お、反応が出たぞ」
ふわり、とハンカチが宙に浮かび上がり、くるくると回り出した。
やがてピタリと角を向けたのは、西の方角――コーデリン国のある方角であった。
ハンカチに目をやったまま、タイゼンが尋ねてくる。
「ロイスの人間であるお前さんに、こんなことを頼むのは筋違いかもしれんが……我々は、なんとしてでもメイスロー達を助け出したい。手を貸してくれないか?」
聞かれるまでもない。間髪入れずにソロンは頷いた。
「当たり前だろ?元々、その為にココへ来たンだからな」
ソロンが笑うのへタイゼンもニヤリと不敵な笑みを浮かべ、二人の男は黙って拳を合わせる。
まだグスグス泣いているティルや、怒鳴ったことを恥じて俯くランスリーにもタイゼンは声をかけた。
「そういうことになったが、お嬢さん達はどうする?泣き足りないなら宿で泣いていたらどうだ、ロイスの英雄さん。ランスリーも喧嘩したことが恥ずかしいなら、先にアジトへ戻ってもいいんだぞ?」
「いきます。治療の手は必要でしょうから」
そっぽを向きながらランスリーは即答し、ティルも鼻水をすすると強気に出た。
「私も行くわ!ソロンを一人で行かせたら、また音信不通になりそうだもの」
「よし、良い子だ」
タイゼンは満足そうに頷き、ちらっとソロンへ目をやる。
「あんたに惚れるお嬢さんは、どいつも素直で良い子ばかりだな」
ソロンは肩を竦め、素っ気なく応えた。
「へッ、どうだかねェ」
少なくともティルは素直じゃねェだろとソロンは思ったのだが、言わないことにした。
また泣き出されては、たまらない。
「ま、待って下さいッスゥ!俺も、俺も一緒に行きますよぉッ」
ぞろぞろと歩き出した一行を、一人放置されっぱなしだったケルギも慌てて追いかけた。
向かうはコーデリン国。
人間には禁断の地とされるケンタウロス族の王国であるが、さて――?

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