3.解放

西大陸ザイナ地方には、四つの国がある。
南部に位置するのは三百年の歴史を持つ騎士の国、ロイス。
誇りと正義を尊重し、闇に属する種族、及び犯罪行為をけして許さない。
そして、北部に位置するのが魔導帝国ザイナロックだ。
古くは創世記の時代から存在するとされ、魔導大戦の折には魔族側に味方した。
ザイナロックは妖魔と人間が共存している、ファーストエンドでも数少ない国である。
自由の意味を取り違えた者も多く住み着き、治安は月日を重ねるごとに悪化していった。
他にザイナロックとロイスの中間地点には、広大な森を支配するエルフ達の国ファインドが。
そして森を抜けた先にあるのは、ケンタウロス族の国コーデリンがある。
ファインドとコーデリンは同盟国であり、コーデリンとロイスも先の魔戦より同盟を結んでいる。
つまり魔族を支持したザイナロックだけが孤立しており、どの国からも嫌われているといった状況であった。


ロイス城・王の間――
両手を縛り上げられ捕虜と化したソロンは、ロイス王の前に引き出されていた。
王の横には、ティルの姿も見える。
心配そうに眉をひそめ、成り行きを見守っているようだ。
王とソロンの間に立つのは、白い鎧に身を固めた騎士。
ワルキューレと名乗った眉毛の濃い騎士は、尋問が始まるや否や声を張り上げ、ソロンと組織の罵倒に入った。
「あっけないものだな。ザイナ最大のシェアを誇る闇組織も我等の前では、全く敵ではなかったようだ!」
大袈裟な身振り手振りのオマケつきで話す騎士を白けた目で見つめながら、ソロンも受け応える。
「こッちだッて驚いたぜ?まさか、テメェらロイスの騎士がザイナの魔術師連中と手を組むたァな。お前ら、仲悪いンじゃなかったのかよ?」
ザイナロックとロイス王国は、先の大戦――第二次魔導大戦の頃から犬猿の仲とされている。
ザイナロックが魔族側に荷担し、ロイス王国が人間側に荷担した為だ。
ソロンの疑問をワルキューレは鼻で笑い、高々と言い切った。
「フン、悪を根絶やしにするにあたり、ザイナの魔術師どもは喜んで我等に手を貸したぞ。それにな、密告者がいたのだ。騎士様の手を借りたいと申し出てきたのは向こうが先なのだからな!」
その魔術師連中に両足を燃やされたおかげで、ソロンは捕虜の身となった。
足さえ炭化させられていなければ、有象無象の雑魚どもに遅れを取る彼ではない。
「共同で戦ッた相手にしては、随分と刺々しい言いッぷりじゃねェか。騎士ッてのは礼儀を重んじる職じゃなかッたのか?」との嫌味に、ワルキューレは顔をしかめる。
「確かに共同作戦は取ったさ。だが……あいつらは我等の作戦を無視して、組織の連中を全滅に追いやったのだ。何名かは人質に取る予定だったというのに。おかげで、貴様一人しか捕らえられなかったのだぞ。そればかりではない。奴隷達まで根絶やしにしてくれたのだ、あの馬鹿どもは!」
だが、とティルを振り返り、ワルキューレは言った。
「ティだけでも無事だったのは不幸中の幸いであったな。彼女を失うことは、我がロイス王国にとって最大の痛手となろう」
王の側に立つティルを一瞥し、ソロンは「へッ」と唾を吐く。
「そンなに大事な女なら、鍵かけて部屋にでも閉じこめとけよ。勝手に危ない任務に出しといて、何が不幸中の幸いだ。下手したら死ンでたんだぜ?そいつは」
憎まれ口を叩く捕虜に、騎士のこめかみにはビキビキと青筋が張りつめる。
慌てたティルは「ソロン!今の立場を考えて……」と注意を促すが、それすら遮るほどの大声で、ワルキューレが怒鳴った。
「黙れ!貴様はティを乱暴に扱った組織の一員だろうがッ!さぁ、言え!彼女と一緒に潜入したフィリアは一体どうなったのだ!?殺したのか!」
金切り声で尋問されたからといって、素直に応じるソロンではない。
却って反抗的になり、上向き加減にガンを飛ばした。
「さァな、知らねェよ。つーか、たとえ知ッてたとしてもテメェだけにゃ教えねェ」
さっきからずっと、気に入らないことがあった。
ワルキューレがティルを呼ぶ時、ティと愛称で呼んでいる点である。
王の前だというのに、同僚を愛称で呼ぶとは随分親しそうな間柄じゃないか。
それに、このワルキューレという騎士。
眉毛が極太いのを除けば、結構な男前でもある。それがまた、気にくわない。
シャツを掴まれ怒りに燃えた顔を寄せられようと、絶対に教えてなどやるものか。
頑なになるソロンを見かねたか、ティルが横合いから口を挟んだ。
「あ、あのね、ワルキューレ!フィリアは、その……奴隷として売り飛ばされて……」
「なんだと……!」
衝撃の事実に騎士は勿論、王までもが硬直する。
「クマの背骨をも、へし折るフィリアが奴隷として売られただと!?」
どうやら、別の意味で驚いていたようだ。
ロイス王も口髭なのか髪の一部なのかが判別つかない白い毛を動かして、もしょもしょと呟いた。
「フィリアほどの豪腕戦士が売りに出されるとは……惜しい人材を亡くしてしもうたのぅ。だが、ティ。お主が無事で何よりじゃ。儂は、お前だけでも無事に救出できて嬉しく思うぞ」
「そんな……ありがたき、お言葉です。王様」と言って、ぺこりとティルは会釈する。
王様までもがティと呼んでいる事に、ソロンは驚いた。
彼女を愛称で呼ぶのは、ワルキューレだけの特権ではないようだ。
「そうか、フィリアは既に行方知れずとなってしまったのか……残念だ」
黙祷でも捧げるかのように天井を仰いだが、すぐにワルキューレは尋問を再開した。
「フィリアの顛末をティが知っていて、組織の一員である貴様が知らぬはずもあるまいッ。罪を隠した隠蔽罪!及びにティを、我等がロイスの同胞を痛めつけた罪は極めて重い!よって貴様は死刑だ!!ギロチンで一刀のもとに首をはねてくれるわッ!」
唾を飛ばし勝ち誇る騎士を見て、ソロンはふてくされたように視線を外した。
裁判も何もない。悪事に荷担する者は、捕まった時点で死を宣告されるのだ。
正義を重んじる国が、聞いて呆れるぜ――
だが。
「待って!待って下さいッ」
死刑宣告をしようと片手をあげた王の前に飛び出したのは、ティルであった。

「ティ?何を待てと言うんだ。こいつは、お前を酷い目に遭わせた組織の一員なのだぞ?」
怪訝な顔で尋ねるワルキューレをキッと見つめると、ティルは必死で懇願する。
「確かに、彼の組織は私を奴隷として売ろうとしたわ!でも彼は、彼は悪くないの!!」
「どッ――」
言葉に詰まる騎士をフォローしたのは、背後の王様。
「どういう意味じゃ?ティよ」
何を言い出すつもりだろうと見守っていたソロンも、次のティルの言葉には仰天した。
「王様、彼は組織の中で私を庇ってくれたんです!」
庇う?俺が、ティルを?
そんなこと、した覚えが全くない。
不良在庫として見送られた商品を、ボスから押しつけられた覚えならあるが――
ポカンとするソロンの首筋に抱きつくと、ティルは下向き加減で呟いた。
「それに……」
「それに?」
同じく呆気にとられて尋ね返す騎士へ、恥じらいの視線で答える。
「彼は、私に優しくしてくれたわ。えぇ、とても優しくて、私……彼のことを」
「……愛してしまったんじゃな?」と、王。
何故か王様までもが恥じらいの上目遣いで、ほんのり薔薇色に頬を染めながら。
素直に頷くティルを見て、またしても騎士が金切り声を張り上げた。
「どういうことだ!?貴様、ティに何をしたッ。彼女を惑わすような罪、けして許されんぞッ!!」
怒られたところで、ソロンにだって判るわけがない。
無理やり犯した相手に女が惚れるなんて、そんな酔狂な与太話があってたまるものか。
「しらねェよ。そりゃァ、同じ部屋で暮らしたことは何日かあッたが」
「同じ部屋で何日も暮らしただとォ!!?」
「だから!たんに暮らしたッてだけで、別に恩を売った覚えは」
「妙齢の女性と同室で何もないわけがなかろうッ!貴様、まさかティに狼藉を働いたのではあるまいな!?」
半狂乱のワルキューレを手で制し、ティルがトドメの一言を放つ。
「そうよ。私、彼と寝たわ」
「なッ……!」
「なんじゃってェェェ!!」
王とワルキューレがハモりで大合唱。
ソロンは、ひたすら呆気にとられるしかない。
あれは絶対、合意の元で行われたわけじゃない。
やった本人が言っているのだ、百パーセント断言してもいい。
衝撃の告白をしたティルは、どこか誇らしげでもある。
一体、何を考えているのだろう?
「あぁ……二十四年目にして、純潔は散ってしまったのか。残念じゃ、残念ぞよ、ティ……」
王様は立ち上がり、はらはらと涙をこぼす。
ワルキューレの硬直は未だに解けていない。
ティルは構わずソロンに抱きつきなおすと、王様を上目遣いに見上げて言った。
「王様。この者の処置を、私に任せていただけませんか……?処刑するよりも、いい方法があるのです」
すると泣いていたはずの王様、すぐに立ち直り彼女へ問い返す。
「よい方法?何をするつもりじゃ」
かと思えばズサッと後ずさりして、わなわなと震えだした。
「まッ、まさか!目には目を、歯には歯をで、彼を公開陵辱の刑に処すつもりじゃな!?」
「誰がしますか、そんなこと!」
思わずノリで突っ込んだ後、ティルはコホンと咳払いを一つ。
「組織は壊滅しましたが、依然として姫様達の行方は知れぬままと聞きました」
「あ、あぁ……そうだ。ザイナの魔術師どもが組織の連中を締め上げた処によれば、本部のあった場所とは違う場所に隠したらしいのだが」
やっと硬直の解けたワルキューレも話に参加し、ティルは騎士に頷くと、王へ向き直る。
「そこで彼を私の部下とし、姫様探索の調査に加えたいのです。彼は私よりも腕の立つ剣士です――必ずや、役に立ってくれる事でしょう」
剣士としてのソロンを見たこともないくせに、ティルはやけに自信たっぷり言い切った。
身体能力の差は見せつけてやったような気もするから、それでだろうが。
しかし惚れた腫れただのと、いきなり言い出すから何事かと思ったが、要はそういうことだったようだ。
ソロンをフィリアの代役として連れて行くために、命乞いの演技をしたのだ。
「だが、何もコイツでなくともフィリアの代わりなら、他にもいるだろう?カチャやアイリンも、お前と一緒に行きたがってたじゃないか」
ワルキューレは下がり眉で彼女を説得するが、ティルは全く聞く耳を持たず。
「駄目よ。フィリアですら危ない目に遭ったのに、未熟なあの子達を連れて行くのは可哀想だわ」
彼女の言うことも、もっともだ。
それに、ソロンなら失ってもロイス国としては痛くない。
元々処刑が決まっていた相手だ。
どうせなら死ぬまで、こき使ってやろうではないか。
ワルキューレは難しい顔をしながら、内心では腹黒い事を考えつつ承諾した。
「……仕方ない。だがティ、くれぐれも気をつけるんだぞ。一度奪われた純潔は、二度奪われることもあるやもしれんからな」
純潔は、一度きりだから純潔と呼ぶのである。
王を振り仰ぐと、王も口元の毛をモショモショさせて頷いた。
「うむ。ティ、姫救出の作戦は全て、お主に一任しておる。その者の命も、お主へ預けよう」
「ありがとうございます!」
輝く笑顔で敬礼したティルはソロンから身を離し、勢いよく立ち上がる。
「では、さっそく彼を司祭の元へ連れて行きます。ワルキューレ!」
「なんだ?」
渋い顔で応える騎士の背中に、ソロンの体を押しつけると。
「ティ、何をするッ!?」
嫌がる様などそっちのけで、先に歩き出した。
「何って、彼をおんぶしていってちょうだい。私一人で運べるわけないでしょ?」

王宮お抱えの宮廷司祭による、神聖魔法は実に素晴らしいもので。
消炭と化していたソロンの両足も、瞬く間に元の形へと復元されたのであった。
ここまでソロンを運んできたワルキューレは治療の最中、ずっと文句を言っていた。
帰り際ティルを呼び寄せると、彼女の耳元で何やら囁いてから去っていく。
それを横目で伺っていたソロンだが、ティルが側へ戻ってくると何事もなかったかのように振る舞った。
「捕虜から一転して、お前の部下扱いか。まァ、死ぬのと比べりゃ悪い処置じゃねェな」
「でしょ?」
嬉しそうに身をすり寄せてくるティルを一瞥し、そっと体を離す。
「ここじゃ、ティッて呼ばれてンのか?」
「えぇ。皆、ティって呼んでるわ。だからソロン、あなたもティって呼んで」
ティルは屈託無く笑うと、ソロンとの間に空いた間合いを詰めてくる。
「あぁ、じゃァ、遠慮無くティッて呼ばせてもらうぜ」
応えながら、なおも後ずさりする彼の腕をティルが捕まえた。
「ちょっと。どうして、どんどん後ろに逃げていくの?」
「あぁ、いや、演技だッたンだろ?なら、もう続ける必要はねェんじゃないかと思ッてな」
「演技?演技って、何が?まぁいいわ、ソロン。ここじゃ色々と話しづらいから、私の部屋へ行きましょ」
目線まで外して気まずそうなソロンに疑いなど微塵も持たず、ティルは彼を誘導した。
廊下を歩きながら、どことなく嬉しそうに彼女は話し始める。
「ごめんね?ワルキューレって悪い子じゃないんだけど、ちょっと思いこみが激しくて。今回のことでも、すっごく私のこと心配しててくれたの。だから、あなたに対しても嫉妬してるみたい」
なんとなくモヤモヤしたものを胸に抱えながら、ソロンは尋ねた。
「その、ワルキューレッてヤツだがよ。お前とは、どういう関係なンだ?恋人じゃねーのか?」
するとティル、プッと吹き出して、お腹を抱えて大爆笑。
「恋人?ワルキューレが?あっははは!そんなわけないでしょ、あはは、あは……ソロン、あまり笑わせないで」
笑われた方は、訳がわからず憮然とするしかない。
というか、そんなに笑わなくても……
「ソロン、ここが私の部屋よ。ちょっと狭いけど、適当な処に座っていいから」
気がつけば私室に到着したようで、手招きされるままにソロンは彼女の部屋へお邪魔した。

ティルの私室は組織にあったソロンの私室とは対照的で、家具が溢れかえっていた。
どれも年代もののアンティークだ。
いうなれば年季が入りすぎており、椅子なんぞは座ると耳障りな音がする。
「王様はね、私が十歳の頃から目をかけてくれたのよ。ここにある家具も全部、王様が買ってくれたの」
机を撫でて、懐かしさに思いを馳せるティル。
彼女の思い出話を遮るように、ソロンは尋ねた。
「さッきの話だが」
「ん?なぁに?姫様探索のアテはあるのかって、こと?」
「あァ」
ティルはベッドに腰掛け、ソロンも何処かへ腰掛けるよう指示する。
彼はギーギーきしむ椅子に腰掛けた。
「あるといえばあるわ。組織を襲撃した時、ザイナの魔術師達が聞き出した情報があったのよ」
彼女曰く、これは騎士ヨセフから聞いた話なのだが――

奴隷商売組織のボスが吐いた処によると、場所は光の森。
森の奥には自然洞窟があり、姫様達は、そこに隠されているのだとか。

「ただ、森といっても広いし、今のロイスは探索に人手を割ける状態でもないのよね。それに具体的な場所を聞く前に相手が死んじゃったっていうのもあるし、捜索は困難を極めそうよ」
「……ちょッと待て」
「ん?」
キョトンとするティルにマッタをかけ、ソロンは再度問い直す。
「その話、誰に聞いたンだ?」
「え?ヨセフだけど。彼はザイナの人達が、そう言ってたって教えてくれたわ」
「嘘だ」
「えっ?」
「ボスが死ぬわきゃねェ。だから、そいつらの言ったことは全部嘘だ」
ソロンは立ち上がり、戸口へ大股に歩いていく。
慌ててティルも立ち上がり、彼の前に立ち塞がった。
「ちょっと、何怒ってるの?それに嘘だっていうけど、あなたは本当の事をどれだけ知ってるのよ?」
「ホントの事なンざ一つも知らねェ。だが、ボスが死ぬわけねェんだ。それだけは知っている」
「は?何言ってるの?あなた達のボスって人間でしょう?人間なら死ぬことも――きゃッ!」
ドンッと強く突き飛ばされ、ティルは転んでしまった。
ほとほと困惑の体で見上げれば、怒りに燃えるソロンと目があう。
「たとえザイナの連中が死を確認したとしても、俺は絶対信じねェ!」
ぐいっと腕で目元を拭い、彼は出ていった。
ソロンは泣いていたのだ――とティルが気づいたのは、ドアが大きな音をたてて閉まった後であった。

急いで追いかけるも、ティルはソロンを見失う。
足を先に治してしまったのは失敗だったかもしれない。
でも……
信頼を得るためには治療を急いだ方がいいという己の判断が、間違っていたとは認めたくない。
ふぅ、と溜息をついたティルは、廊下で立ち止まる。
酷いことを言ってしまった。
組織のボスが彼にとって、どのような存在であるか考えなかったばかりに。
父親は不明、母親は娼婦だと彼は言っていた。
きっと父親のいない彼にとって、ボスは父のような存在だったのだろう。
なのに、無遠慮に死を連呼してしまった。ソロンが傷つくのも当然だ。
「ティ」
消沈して廊下に佇んでいると、声をかけられる。
かけてよこしたのは、騎士のヨセフであった。
ワルキューレの配下であり、立場は一騎士にしか過ぎない彼だが、ティルにとっては大事な幼なじみの一人。
感情の起伏が激しいワルキューレと違って、ヨセフは落ち着いた人物でもある。
ティルは先ほどの失態を相談した。
「……というわけなのよ。どうしたら、いい?」
「すぐにでも追いかけて、謝るのが宜しいかと思います」
「それは判ってるの!ただ問題は、どういうふうに謝るかで」
即答され、憤慨したティルが問えば。
「なるほど……あなたの周りには、そのように不幸な人間などおりませんでしたからね」と、苦笑される。
ヨセフは、しばらく考えていたようだが、やがてポツリと意見を述べた。
「あなたのほうが年上なのでしたよね?ならば母親の如く、慈愛で優しく諭してあげると宜しいでしょう」
「え、えぇっ!?慈愛ッ?」
慈愛と言われましても、そこは悲しいかな独身女性二十四歳。
子供なんて苦手だし、母性本能だってあるんだかないんだか。
慌てふためくティルを見て、ヨセフはまた苦笑したようだった。
「死というものは理性では判っていても、なかなか受け入れられないものです。あなたが優しく諭してあげれば、彼も追々認めていくことでしょう」
「それは……断言するんじゃなくて、暈かして教えろってことなの?」と尋ねるティルに、ヨセフは頷いた。
「最初はね。死んでないと彼が言い張るのでしたならば、無闇に否定しないで下さい。少しずつ、自然なかたちで、彼に現実を教えてあげるのです。いいですか、少しずつ……ですよ?」
「う……うん、わかった。自信ないけど、やってみるわ」
おずおずと頷き、ソロンは何処にいるんだろう、と周囲を見渡す彼女へヨセフが助言する。
「王や上司に叱られた時、あなたは何処で泣きはらしましたか?それを思い出してみて下さい」

泣いた自分を見られたくなくて、ソロンは部屋を飛び出した後。
なんとなく、足は中庭へ向かっていた。
庭で剣でも振り回していれば、気が落ち着くかと考えたのである。
もっとも、ロイスへ到着した時に剣は没収されていたが。
中庭には先客がいた。
人型の的を切り払っていた人物が、ふと、こちらの気配に気づく。
「――なんだ、ティのお気に入りではないか。一人で何をうろついている?」
極太眉毛の、名前はワルキューレ=J=アンダスタン。
ロイス騎士団の団長を務める者だ。
「別に。部下になッた記念に、あちこち見学して回ってンだよ。悪いか?」
ふてぶてしく答えると、騎士の側へ近づいた。
汗を拭き休憩に入ったワルキューレは、不意に淡々と話し始める。
「私とティ、そしてヨセフは幼なじみであり、昔からロイスに忠誠を捧げる戦士である。ティの事ならば私もヨセフも幼い頃から、よく知っている」
何を言い出すのだろうと黙って聞いていると、騎士は剣を鞘に収め、ソロンの方へ向き直った。
「彼女が自分の意志で選んだというのならば、私がとやかく言う権利もないのだろうが……ソロン。ティを泣かしたり不幸にしてみろ。地獄の果てまで追いかけて、必ず首を叩き落してやる!」
逆さ八の字に眉毛を吊り上げた。
すぐ怒るところは、幼なじみとよく似ている。
「お前、ティのことが好きなのか?」
軽口を叩くソロンにビシッと鞘を突きつけ、ワルキューレは唾を飛ばして怒鳴った。
「貴様がティと呼ぶなッ!」
「いや、でも本人がティと呼んでくれッて言ってたぜ?」
「本人が許可だと……ぐむむ、でもッ、駄目だ!私が許さんッ!!」
そんなふうに顔を真っ赤にされても、ソロンだって困ってしまう。
というか「お前に許可されたいたァ思ってねェよ。文句があンなら、ティに言ってやンな」……である。
「またティと呼んだなッ!?貴様はティの部下になったといえど、立場的には捕虜であることに代わりないのだぞ!まったく……ティも、どういう趣味をしているのか理解に苦しむな」
ふるふる、と絶望に首を振るワルキューレに、ソロンは尋ねる。
「そういや、お前に聞きたいンだが――」
「お前ではないッ。私のことはワルキューレ様、または騎士団長と呼べィ!」
「じゃー騎士団長サマ、一つお聞きしたいことがあるンだが、いいか?」
小馬鹿にした調子のソロンをジロリと睨みつけ、それでもワルキューレは渋々妥協した。
何度小言を言っても、彼が言うことを聞きそうには思えなかったので。
「……なんだ?」
「ティの趣味ッてのは、本来どういうタイプなンだ?あァ、もちろん男の趣味だ」
するとワルキューレはウゥムと唸って考え込む素振りを見せたが、割合すぐに答える。
「正直にいうと、あの子は男に全く興味がなくってなぁ……今回が初恋ということになろうか。それで王も私もヨセフも驚いているのだ。まさか、貴様のように下卑な輩が好みとは思ってもみなかったぞ」
無礼なことをサラリと言いつつ、騎士団長はソロンを見つめた。
「貴様。もしかして、強いのか?」
「あァ」
間髪入れずソロンは頷き「だが、ティが俺を好きだと言ッたのは嘘だろうぜ」とも付け加える。
「どういうことだ!?貴様、まさか無理やりティをォ!!?」
たちまち憤る相手にニヤリと意地悪く笑いかけ、ソロンは頷いた。
「あァ。無理矢理ヤッた。嫌がるアイツは、なかなか可愛かッたぜ?」
「キッッッサマァァァ!!!?」
怒りに燃えたワルキューレは、電光石火の早業で剣を引き抜くも。
次の瞬間には、斬りかかった格好のまま後方へと吹っ飛んだ。
剣を振りかぶった瞬間、二人の間に飛び込んできた人影がワルキューレの鳩尾に肘鉄をかましたのだ。

「ティ!?」

驚くソロン、そして吹っ飛ばされて壁に激突したワルキューレも同時に声をあげる。
飛び込んできたのはティルだ。
ハァハァと息を切らせているから、ここまでノンストップで走ってきたのだろう。
そのティル、キッと強い眼差しでソロンを睨みつけた。
「たとえ最初は無理矢理だったとしても!あなたを好きなのは嘘じゃないんだからッ」
気迫に負けて後ずさる彼に詰め寄り、壁際まで追い詰めると、不意にティルが泣き顔へと崩れる。
「……だから……ごめんなさい。さっき、すごく酷いこと言っちゃった……私が、あなたの立場なら絶対悲しくなると思う……気がきかなくて、本当にごめんなさい」
ぽろぽろと泣き出した彼女を見て、ソロンのほうが落ち着かなくなった。
ヨセフは慈愛でソロンを説き伏せろと言っていたが、これではティルが慰めて貰う側である。
内心オロオロしながら、彼はティルをそっと抱き寄せる。
「あァ、まァ、俺もガキみたいに八つ当たりして、さっきは悪かッたよ……ただボスは死んでないッてのを、信じたかっただけなンだ。それだけは判ッてくれるか?」
コクンと素直に頷くティルを見て、ソロンがホッと溜息をついた時。
ガラガラと、破壊された壁の瓦礫から立ち上がったワルキューレが、呆れた様子で突っ込んでくる。
「……なんだ、痴話喧嘩か?帰ってくるなり見せつけてくれるじゃないか、ティ」
それを聞いた途端、ティルは耳まで真っ赤になり、焦って否定した。
「ち、違っ!痴話喧嘩なんかじゃないんだからぁっ」
顔が赤いので、全然説得力もありはしなかったのだが。

ティルと一緒に彼女の私室へ戻ってから、もう一度ソロンは尋ねた。
どうしても、自分の中で納得がいかなかったからだ。
「なァ……俺を好きッて、本気なのか?」
「えぇ」
まだ目の周りが赤い彼女、大きく頷くと「もしかして、好きになっちゃ迷惑だった?」と尋ね返してくる。
「いや、迷惑ッてワケじゃねェんだが……納得いかなくてな」
ぽりぽりと頭を掻きながら、ソロンは言った。
「俺はお前を酷い目に遭わせた男だぞ?」
「でも同時に、優しくもしてくれたわ」
ベッドに腰掛けた彼の横へティルも腰掛けると、彼女は訥々と話し始めた。
「フィリアとも離ればなれになって、ひとりぼっちになっちゃって……凄く心細くて、いつ殺されてもおかしくないような状況で。そんな時に優しくされちゃったら……好きになるしかないじゃない」
ぎゅっとソロンの腕を掴み、なおも続ける。
「ひどいことされたっていうけど、私ね。キス以降のことは記憶にないの。だから……リセット!なかったことにして、もう一度やりなおさない?」
どうやら彼女、頭の中のリセットボタンを押してしまったようである。
悪い想い出には全部リセットをかけ、いい想い出だけを残してしまったようだ。
思い出そうにも記憶がないから、ソロンのことは恨んでいないという。
なんとも単純な脳細胞だ。
だが記憶があるこちらとしては、彼女ほど単純に受け入れるわけにもいかない。
「……あのな」
ソロンは溜息をつき、身を寄せてきたティルから逃れた。
「一度やッちまったことを、なかったことにはできねェんだよ。お前が何と言おうと、俺はお前に対して一生、罪の十字架を――」
「私が許しても、駄目?」
「いや、だから、許す許さないの問題じゃなくてな?」
やばい。また、ティルの目がウルウルし始めている。
知らないうちに地雷を踏みつけた予感。
泣いている彼女は本当に可愛くて、年上という事も忘れてしまいそうになる。
もっと言ってしまえば子供みたいで、ぎゅうっと抱きしめて慰めたくなるのだ。
「ソロンは……私のこと、好きになってくれないのね。あなたの恋人になりたいって思うのも、駄目なのね……」
べそをかくティルを前に、ソロンは慌てて慰めにかかる。
「いや、まてよ、別に嫌いたァ言ッてないだろ?それに恋人になりたいって、恋人ォ!?
素っ頓狂な声をあげてしまったが、いやさソロンの驚きも、もっともで。
リセットをかけた挙げ句、恋人になりたい宣言とか、どこまで単純な女なのだろう。
このティルという脳筋は。
優しくされたから懐くってだけでも、単純だなぁと呆れたものだが……
或いは、よっぽど甘やかされて育ったのかもしれない。
俗に言う、世間知らずというやつだ。
「そう、恋人。……駄目かなぁ」
上目遣いに見つめられ、彼は返事に窮した。
「駄目たァ言わねェが俺なンかでいいのか?もっと他にイイ奴がいるンじゃねェのか、ここには」
「いないわよ」
即答だ。
まぁ、いたら二十四年も恋人いない歴を誇ってはいまい。
「もう!他の誰でもないの、私はソロンが好きなのよ!!」
しまいには、はっきりしないソロンに焦れて、ティルは怒り出した。
さっきまで泣いていたと思ったら、もう怒っているとは、相変わらず読みづらい機嫌の変わりようである。
「ソロンはどうなの!?私のこと、好きなの?それとも嫌いなの!?はっきり答えて!!」
逆ギレとも言える剣幕で迫られて、ソロンはタジタジとなりながら壁際まで追いやられた際に答えた。
「まァ……好きだ」
「ホント!?」
「あァ。嫌いじゃァねェな」
「ホントに、私のことが、好き……?」
「あァ」
「ホントに?」
「あァ。って、なんべん言わす気だよ?お前のことが、好きだッつってんだろうが」
「……嬉しいっ!」
いきなりティルに飛びつかれ、背後が壁のソロン。
ゴチンと勢いよく、頭を壁にぶつけたのだった……

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