南国パイレーツ

6話 混乱の中で

黒船の壁にタッチするのと、ボートが崩壊するのとでは、どちらが先であったか。
マリーナ達海上警備隊の面々は考えるよりも早く、沈みゆくボートからの脱出を試みた。
目の前で、ぶくぶくと沈んでいくボートを横目に彼らは泳ぎ出す。
黒船は幸いなことに動き出す気配もなく、停止を続けていた。
「……静かすぎませんか?甲板が」
立ち泳ぎをしながらのリッツからの質問へ「立て続けに色々あったから、中に引きこもったのかもしれないわ」と、マリーナのくちから出たのは、あまりにも的はずれな返答であった。
彼女の頭は、ジェナックを助けることで一杯だったのだ。


「ぶつかるぞ!全員衝撃に――」
ベイルが言い終えるよりも前にドシンという衝撃が南国の船全体を襲うと、同時に船内からラピッツィが飛び出してきた。
「船は限界突破!板をかけたら、全員向こうに渡ってちょうだい!!」
「ヤー!軍船を乗っ取るぞ!!」
勇ましい声をあげて、マルコが砲台の上に飛び乗った。
「板をおろせ、ティーヴ!」
非力なベイルは自分でやる代わりティーヴに命じ、ティーヴは皆が思ったよりも迅速な動きで、渡し板を対面の甲板に降ろす。
「撃ってくるわよ!」
対面の甲板では、既に銃を構えた雑兵の姿がチラホラと見える。
怒鳴ったラピッツィはといえば、船底から引っぺがしてきたであろう鉄板を数枚抱えていた。
「これを盾にしながら前進して!ぶつけちゃってもいいわね」
何気なく放り投げられ、慌てて受け止めるも、鉄板はずっしりと重たい。
こんな重たい物を持ちながら前進だって?
できるわけないだろ!
そう怒鳴り返そうかと思ったベイルであったが、女性のラピッツィや幼いマルコが軽々と鉄板を持ち替えるのを見ているうちに、言い出すのも何となく気が退けてしまった。
「やー。ボクが先頭行くから、みんなは後からついてくるといいんだな」
言うが早いか鉄板を盾に、ティーヴがドスドス走り出す。
次いでマルコ、ラピッツィと続き、鉄板をズルズルと引きずりながらベイルも後を追いかけた。

「海賊どもが乗り込んできました!甲板で応戦中でありますッ」
見れば分かることを叫ばずともよい、と心の中でツッコミながらジュユはキリキリと歯がみする。
彼の見立てでは、今日の昼までには一通りの賊退治が終わる予定であったのに。
それがどうだ。
昼を過ぎてもまだ、海賊どもは抵抗を続けている。
おまけに何故かは判らないが、ファーレンの軍人までがジュユの邪魔をしてくるのだ。
これでは昼どころか、夜通しかかっても終わるかどうか。
モニターに映し出された甲板の攻防は、驚いたことに互角の戦いとなっている。
銃の前には海賊でも屍の山を築くとばかり思っていたのだが、奴らは船底から引っぺがしてきた鉄板を盾に銃弾を弾き返していた。
しかも乗り込んできた海賊の数は、僅か四名ばかりである。
もっと大勢で乗り込んでくるかと思っていただけに、拍子抜けもいいところだ。
まさか、あの船に乗っている人数が、これっぽっちということもないだろう。
軍艦相手に余力を残して戦うとは、なんと生意気な海賊どもだ。
ジュユがナメられる、というのはレイザース海軍がナメられているということにもなる。
こうなったら明日の朝までかかってもいい。
絶対に全滅させてやろうではないか。
怒りに燃える彼は、矢継ぎ早に部下へ命令を下した。
「手の空いてる者から銃を持て!海賊どもを絶対に生かして返すな!!南国の船も暗黒の船も沈めろ、完膚無きまでにだッ。魔砲【豪雷】、用ー意ッ!」
雑兵達が走り回り、砲台へ次々と弾が込められる。
今日の海賊退治は赤字覚悟、いや、魔砲まで使うとあっては間違いなく大赤字の決戦だ。
これで負けたらジュユは官位剥奪、部下にも当然とばっちりは来る。
兵士は、いつになく真剣な表情で銃の点検を行った。

頭の上を、銃弾がかすめて飛んでゆく。
ベイルは最後方で舌打ちした。
ティーヴを先頭に行かせたのは失敗だった。
勇ましく駆けだしたところまでは良かったのだが、一斉に始まった銃弾の嵐が彼を襲い、根が臆病なティーヴは、なんと渡し板の中央で立ち止まってしまったのである。
先頭が詰まっていたのでは先に行くこともままならず、全員立ち往生するしかない。
「こらッ、止まってたら板ごと落とされるだろ!進め、デブ!!」
ドカドカと背中を蹴飛ばされているにもかかわらず、ティーヴの足は前に一歩も進めない。
デブと言われようが臆病と罵られようが、怖いものは怖いのだ。
銃弾はひっきりなしに飛んでくる。
あれが一発でも当たったら、と思うと足が竦んでしまう。
何故あの時、先頭を行くなどと言ってしまったのか。
ティーヴは自分でも判らなかった。
「だ、だったらマルコが銃を止めてくれよぅ。そしたら前に進めるからさぁ」などと言ってみたが、甲高い声は即座に却下した。
「だから!お前が先進まなきゃどうにもなんないだろ!」
こんな時、ティカなら――
ティカなら、迷いもせず一直線に走り抜けるだろう。
マルコやラピッツィが勇ましい女キャプテンの勇姿を脳裏に思い浮かべた時、状況は一転した。

悲鳴は最初、軍の後方で起こった。
だから何が起きたのかはベイル達は当然のこと、軍人達にも判らなかった。
それが判るようになってきたのは、悲鳴の波が後ろから前へと移動してきてからだ。
誰かと誰かが斬り合っている。
一方的に斬られている。
斬られているのは、軍人だ。
「う、撃てー!撃てーッ!!」
金切り声をあげながら、軍人が銃を発射する。
撃ってはいるが、肝心の相手には全く当たっていない。
それもそのはず、一人は壁際に隠れているから当たりっこなかったし、もう一人は猿のように身軽な動きでかわし、残る一人は手にした剣で銃弾を弾いていた。
壁際に隠れている奴はともかくも、残る二人は並みの人間ではない。
余裕の動きで飛んでくる弾を避けながら、ビキニの女がマストを駆け上る。
「あそこだ!」と誰かが言い終えぬうちに、今度は反対側のマストに飛び移る。
おかげで銃を持った軍人は狙いも定められずに、右往左往するばかり。
余裕の表情で銃撃を弾きながら、黒服の男はニヤリと口の端を釣り上げた。
「フン。レイザース軍といっても海軍は弱ェもんだ。なぁ?隊長サン」
即座に壁際から抗議の声があがる。
「お前らは穏便に乗り込むこともできんのか!? 騒ぎを大きくする必要などなかったはずだ」
壁際に隠れているのは、ジェナックであった。
ティカのように素早く銃弾を避けたり、ヒスイのように剣で銃弾を弾くなんて技が彼に真似できるはずもなく、銃撃の嵐が始まるやいなや壁際に飛び込んだ。
手を組む前は強力な仲間ができたと喜んだものの、いざ実際に手を組んでみるとティカとコハク、この二人は、かなり最悪なパートナーだったかもしれない。
まさか、まっすぐ軍人の群へ切り込んでいくとは思わなかった。
事前に決めていた作戦では、こっそり忍び込んで司令官を捕らえるはずであったのに……
早くもジェナックは後悔しつつあった。

軍人の混乱は、海賊も伝わったのであろう。
「キャプテンだ!」
渡し板から甲高い声があがる。
マルコの歓喜だ。
「進めーデブ!キャプテンに続けェーッ!!」
再度背中を蹴飛ばされ、ティーヴがよろよろと前進する。
その上を、マルコがポンと飛び越した。
「進軍ラッパは鳴らされたーッ!トテチテトテチテトテチテターッ」
前と後ろから攻め込まれ、甲板に動揺が走る。
その隙を見逃したとあっちゃ、一流の海賊とは呼べない。
マルコは飛び上がり一番、手前にいる軍人の顔面へ手にした鉄板を思いっきりぶつけてやった。
軍人が物も言わずにぶっ倒れるのを横目に、傍らにいた一人の脇腹へ銛を打ち込んでやる。
残りの奴らが銃を構えるよりも早く、物陰へと転がり込んだ。
そんなマルコの突然な進撃を、ラピッツィ達も黙ってみていたわけではない。
ティーヴが渡り終えると同時に、ベイル、ラピッツィ、三人は同時に三方向へと散開した。
まとまっていたら囲まれる。
それくらいは馬鹿でも判る。
ティーヴは壁際で防戦、ラピッツィは手当たり次第に近場の物を投げつけて応戦。
ベイルは壁づたいに移動しながら、肉眼でティカの姿を追い求めた。
――いた!
マストからマストに飛び移り、銃弾をかわしている。
さすがは俺の見込んだ女。
あの様子なら、自分がティカの手助けをする必要などなさそうである。
視線を今度は後方へ移した。
悲鳴が絶えず聞こえてくる方向に。
なんと、剣で銃と対等に渡り合っている男がいるではないか。
あの黒服には見覚えがあった。
そうだ、キャプテンをボコボコにした憎たらしい剣士じゃないか!
なんであいつが、キャプテンと一緒に軍艦へ乗り込んできたんだ?
キャプテンと一緒に――そう考えるだけで、ベイルの胸はチリチリと痛んだ。
いけない、今は嫉妬している場合じゃないのに。


水に濡れた手が縄を掴んで登っていく。
船の縁を触る前に、手首を掴まれ引き上げられた。
「大丈夫かい?レナ。息が整うまで、ここで待ってるといいよ」
そう微笑んできたのはリッツだ。
少しだけ先輩な彼は、ずっとレナに優しくしてくれる。
ぜぇぜぇと荒い息を整えながら、レナは無言で首を振った。
ついていきたい。
彼女は願ったが、残念ながら副隊長もリッツと同じ事をレナに命じた。
「レナ、あなたに荒事は無理そうね。他の皆と待っていてちょうだい。リッツもよ」
「えーっ!?副隊長、俺も行きますよっ。俺だって男ですから」
思いっきり不満そうなリッツをレナの隣へ押しやり、マリーナは甲板を見渡した。
人っ子一人いない。
倒れている者すらも、いない。
静かだ。
あまりにも静かすぎる。
船内へ続く戸口は、全開に開け放たれていた。
「罠……でしょうか?」
恐る恐る戸口を覗き込みながら、隊員の一人がマリーナに尋ねる。
マリーナだって聞き返したいぐらいだ。
だが、こんなあけすけな罠を海賊が張るだろうか?
海賊達が沈黙しているのも気になるが、もっと気にかかるのは乗り込んだはずの二人の消息だ。
まさか、もう海賊に捕らえられて――?
嫌な妄想が脳裏に浮かび、マリーナは慌てて首を振ると、妄想を脳裏から追い出した。
「人の……気配が……全く、しません……」
はぁはぁ、とまだ荒い息ながらもレナが呟く。
それはマリーナにも判っていたことで、再度戸口を覗き込んでから彼女は意を決した。
「少し見てくる。皆は ここで待機していて。……大丈夫、すぐに戻るわ」
皆が口々に心配だの何だのと言い出す前に付け加えると、一人船内へと降りていった。

閉じた扉の前で気配を殺し、ゆっくりと開ける。
開いた部屋は全て、ハズレであった。
誰もいない。
見事なまでに空部屋ばかりだ。
海賊達は、一体どこへ行ってしまったというのだろう――?
なおも進んでいくと、通路の突きあたりに扉が見えてくる。
やはり扉は開け放たれていたが、中に入る。
すぐ目についたのは数々の計器、ここは操舵室のようだ。
ここにも、誰一人いない。
いや、先ほどまでは誰かがいたようだ。椅子が僅かに暖かい。
パネルの一つが赤く点滅している。
モニターには【エンジントラブル】の文字が何度も瞬いていた。
――エンジントラブル?
とすると、海賊達は既に逃げ出した後だろうか。
ジェナックは、そして一緒にいるはずのコハクは?
彼らも脱出してしまったのか。
「行き違い……?最悪ね」
呟き、元来た道を戻ろうとした一瞬、マリーナはもう一度モニターを振り返る。
モニターに映し出された軍艦の、通常なら見えるはずもない場所に人影を見た気がしたからだ。
パネルを操作し拡大してみて、マリーナは、それが目の錯覚ではないことを確認する。
人が飛び回ったりするはずもないマスト間を空中移動していたのは、南国の女海賊であった。

「入れ違いになった可能性が高いわ!私達も救命ボートで脱出を――」
「副隊長、その救命ボートがありませんっ。どこにも!」
甲板へ戻ってきて開口一番命令を下そうとした矢先、隊員に出鼻を挫かれる。
「そう……じゃあ、やっぱり彼らは逃げたのね」
壁際を見、あるべきはずの浮き輪がないことも確認して、マリーナは頭を巡らせる。
またしても水泳するしか移動の手段は、なさそうだ。
「それよりも隊長は!?隊長も、逃げたんですかッ」
「船内には誰もいなかった。全部の部屋を探してみたけど、ネズミ一匹いなかったわ」
最悪のパターンとして二人の死体が転がっていることも想定していたのだが、二人はおろか海賊の死体も見つからなかった。
ジェナックやコハクも逃げたと考えるのが正解だろう。
問題は、どこへ逃げていったのかだが、ここで考えても埒があかない。
何しろ黒船は依然として軍艦からの砲撃を受けて、グラグラと揺れている真っ最中なのだ。
甲板に座り込んだレナは、真っ青な顔をしている。
彼女をつれてくるべきではなかった。
本人がついていくと言って聞かないから、仕方なく連れてきたのだが……
街で待機しろと命じるマリーナに対し、二人が怪我をしていたら治せる人が必要です、とレナは頑固に言い張った。
いつもの気弱な彼女からは考えられないほどに。
ジェナックを、というよりはコハクを心配しているようにも見受けられた。
自分の上司よりも風来坊の傭兵を。
これもまた、いつもの彼女を知る者にとっては意外に思えたことだろう。
……一目惚れかしらね?
こんな時だというのにマリーナは、そんなことを考えてみた。
一目惚れ、そして片思いの気持ちなら彼女にだって、よく判る。
好きな人が危険にさらされていたとしたら、街で待っているなど出来るわけがない。
だからこそ、危険を承知で助けにきたんだし。
「仕方ない、泳いで渡りましょう。リッツ、あなたはレナをおぶってあげて」
言われるまでもない、とばかりにリッツはレナに背を貸してやった。
レナには、これ以上無理をさせたくない。彼女は心臓が弱いのだ。


次々と撃ち出される砲弾が黒船と、そして南国の船をも徐々に傾けていく。
両船のマストは見るも鮮やかにへし折られ、波間へと消えていった。
「次ィ!【豪雷】発射、目標は黒船!!」
「【豪雷】発射!」
ジュユの金切り声を受けオペレーターが命令を繰り返し、手元のスイッチを押すと、黄色く塗られた砲弾が風を突っ切り、うなりをあげて黒船へと突っ込んでいった。
ぶつかる瞬間それは自ら弾け、船を電撃で包み込む。
【豪雷】――
砲弾に雷の呪文を封じ込めてあるタイプの中でも最強と言われる魔砲だ。
雷の魔砲は、船乗りの間では一番厄介な代物とされていた。
手こぎや帆船といったクラシックな船ならともかくも、近代船は機械仕掛けである。
計器という計器は皆故障を免れず、最悪動力までもが止められてしまう。
しかも普通の魔砲ならいざ知らず、被弾する・しないは【豪雷】にとって関係ない。
攻撃範囲内まで届くと弾が勝手に破裂して、雷を降らせる仕様になっているのだ。
撃たれたら負ける――そういう代物であった。
それだけに一発の値段も破格に高い。
使う場合は、指揮官が自腹切っての覚悟も必要とされた。
そして、そんな物を撃ち込まれた黒船が無事であるわけもない。
皆が見ている前で、徐々に波間へと沈んでゆく。
「黒船撃沈!」
最初にそう叫んだのはオペレーターではなく、指揮官ジュユ本人であった。

「危ないとこでしたね」
傍らで泳ぐ誰かが、そんなことを呟く。
本当に、危ないところだったわ。
立ち泳ぎで沈む船を見送ってから、マリーナは再び泳ぎ出す。
黒船が沈む前に脱出し、海上警備隊の面々が目指すのは軍艦の甲板。
コハクやジェナックの消息は気になるが、ひとまず調べておくことがある。
あの軍艦は、何故海賊達を攻撃するのか?
レイザースは何の目的で領土侵犯してきたのか?
先に攻撃を仕掛けてしまったのは拙かったが、なんとでも言い訳はできよう。
ただ最悪の状況をシミュレートした時、さすがに彼女の心は重かった。
もし捕らえられるような事があれば……その時は、自らを犠牲にしてでも部下を逃がさねば。
ゆっくりとだが、軍艦が見えてくる。
その縁に縄がかけてあると報告を受けた時、マリーナの顔には再び光が差し込んだ。

なおも甲板で撃ち合いを続ける両者には、双方疲れが見え始めてきていた。
撃ち合いといっても片方は銃、もう片方は剣と素手の戦いである。
軍人は後方から乗り込んできた二人に苦戦していた。
乗り込んできたのは正確には三人なのだが、甲板で戦っているのは二人だけだ。
薄笑いを浮かべ、容赦なく斬りかかってくる黒服の男ヒスイ。
獣の動きで相手を翻弄し、隙をついては引っ掻き殴り、蹴り飛ばす女海賊ティカ。
もう一人、一緒に乗り込んでいったはずのジェナックは、どこへ行ったのか。
――ジェナックは一人、混乱のどさくさに紛れて船内へと潜伏していた。
彼にも一応考える頭はあったようで、しっかり軍服を着込んでいる。
ヒスイに倒された軍人から拝借した服だ。
襟元にはレイザースの国旗ボタンがついていた。
『南国撃沈!残る敵は甲板にいる者達だけであるッ。総員甲板にて戦闘せよ!!』
不意に響き渡った金切り声に、ジェナックは顔をしかめる。
通路を慌ただしく駆けていく一人が、ジェナックへ声をかけて寄こしてきた。
「おい急げ!銃を持ったら甲板に出るんだ、早く行かないと指揮官にどやされるぜ」
「わかった。銃を取りに行ってくる!」
ナチュラルに返事をかえし、ジェナックも走り出す。
もちろん向かう先は武器庫じゃない。
指揮官がいると思われる、操舵室が目標だ。

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