SEVEN GOD

act5-5 荒涼たる大地にて


屋上から三十六階に瞬間移動した神太郎も、階段を駆け上っていた。
肩に傷を負ったマッドを支えているせいか、登るスピードは芳しくない。
「敵は司令室を真っ直ぐ目指しているようですね」
気配はマッド達のいた階を素通りして、今や四十四階の階段を登っている。
まるで、このビル内の構造を知っているのかのような足取りだ。
だがリーガルが何故、連邦軍基地の間取りを知っているというのか。
「上の階にも多数の気配を感じます。一挙に乗り込んできたということは、連携を取っている可能性があります」
対して、こちらは四名しか能力者がいない。
いくらダイゲン大尉率いる百余名の下級兵士が詰めているとはいえ、劣勢は免れまい。
ビクリ、と肩をふるわせて神太郎が足を止める。
「また気配です。今度は一階に二人」
「もう何人来ようが、驚かなくなってきたよ」
ぞんざいにぼやき、マッドはニヤリと口元を歪めた。
「向こうもこちらも総決戦って処だ。なんとも余裕のない戦いじゃないか」
神太郎も負けじと、やり返す。
「ですが、こちらは氷山の一角。向こうは総本山のお出ましです。まだ我々は負けていません」
「そうだな、連邦軍は負けちゃいない。そして、俺達もだ」
マッドは神太郎の肩から降りた。
二、三度、腕を軽く振り、痛みに顔をしかめる。
「……諦めたのでは、なかったのですか?」
訝しげに尋ねてくる神太郎に、マッドも尋ね返す。
「諦めるって、誰が?」
「貴殿が、です」
怪我していないほうの腕で軽く神太郎の胸を叩くと、マッドは彼の瞳を真っ向から覗き込む。
そして、笑った。
「最後まで諦めないのが、軍人ってやつだ。君だって教官に、そう教わったはずだろ?」
呆然とする神太郎を促し、歩き出す。
「追うぞ、リーガルを。他の皆も司令室前に集結している」
他の皆とはダイゲン大尉の部下、つまり元から北欧支部に配属されている下級兵士の事だ。
階段で待機するのは無意味と知ったか、階段から砦を守る作戦へ変更されたようだ。
「しかし、トウガ殿……いえ、ライガ殿と合流しなければ我々に勝ち目はありません」
神太郎の言葉を軽く聞き流し、マッドは軽い足取りで階段を登っていく。
「なぁに、大丈夫だ。リーガルが司令室を目指しているのなら、彼らとも扉の前で合流できるさ」
数段登ったところで彼は大きくよろけ、肩から壁にぶつかり、顔をしかめる。
神太郎に巻いて貰った包帯は、すっかり血の色に染まっていた。
「大丈夫ですか!?」
どう見ても大丈夫ではないマッドを下から支えあげ、神太郎もウッと呻く。
体格のいいマッドに対し、あまりにも神太郎は非力だった。
ここまで登ってくる間にも、相当な体力を消費している。
今、この状態でリーガルと出会ったら、充分に戦えるかどうかも怪しい。
「あまり、無理しなくていいぞ」
あげく、マッドにまで心配されてしまう始末。
それもまた、屈辱だ。
「二人は、どこを歩いているのかな。能力者の気配ってのは、どこにいるかが判るだけなのか?」
「……はい。お役に立てず、申し訳ありません」
項垂れる神太郎。
その頭を優しく撫でられて、慌てて彼は下げた顔を上げ直した。
「そんな言葉は、言いっこなしだ。誰が役立たずだと言い出したら、きりがなくなる」
誰が役に立たないかと言い出したら、マッドこそ最大の役立たずではないか。
屋上にいながら能力者の一人も仕留められず、部下に抱えられるまま逃げ出してしまった。
おまけに逃げ出す際、怪我を負って、このざまだ。
部下の重荷になっている。
ふと、神太郎が小さく叫ぶ。
「能力者の気配が一つ二つ、近づいてきます!」
「なんだと……どこからだ?」
左右を見渡したって見える物ではないにも関わらず、マッドは左右に視線を走らせた。
「一つは窓です、上から降りてくる気配が一つ。もう一つは、この真上に」
マッドが、そろりと尋ねる。
「味方だと思うか?」
神太郎は首を傾げた。
「この状況で、それを判断しろとおっしゃるのですか?」
さらに何かをマッドが問いかけようとした時、天井から声が降ってきた。
「そこをどいて、二人とも」
降ってきたのは声ばかりではなく、真っ二つに割れた床がガラガラと降り注ぎ、ついでに人影が二つ、破片と共に落ちてきた。
一人は刀を持ったアリスで、もう一人は白い頭の若者、シンだった。
「なんだ、危ないな。二人揃ってショートカットか?」
間一髪、瓦礫の下敷きになる処を神太郎に救われて、マッドが憎まれ口を叩く。
「一階一階、階段を降りていたのでは間に合わないから……」
アリスは悪びれるでもなく淡々と言い返し、再び刀を構える。
この方法で延々、床をくりぬいて移動してきたのだとはシン談。
彼も、危うく天井の下敷きになりかけた犠牲者の一人であったようだ。
連邦軍が誇った北欧ビルも、すっかりボロボロだ。
それも、全て能力者の仕業で。
内心苦笑するマッドの横で、神太郎がアリスへ尋ねた。
「屋上は、どうなった?神宮殿と神女を置きざりにしてきたのか」
刀を垂直に降ろし、アリスが応える。
「神宮さんは、死んだわ。向こうの能力者と相討ちになった」
「何ッ!?」と声をあげたのはマッドだけで、神太郎は微かに眉を潜め、シンは悲しげに俯いた。
「御門さんは、私が到着した時には居なくなっていた」
「御門さんも……」
押し殺した声で、シンが後を繋ぐ。
「……殺されました。壁を降りていく時に腕を払われて、真下まで……一直線に」
握りしめた拳が小刻みに震えていた。
「リュウは?彼も殺されたのか!?」
彼がシンと一緒ではない事に疑問を持ったマッドが問えば、シンは真横に首を振る。
「五十二階にいます。アユラ、いえ、能力者の一人を足止めする為に」
でも、と続けて言い足した。
「リュウさんは約束してくれました。絶対に殺さないって」
「手加減して勝てる相手なのか?」
神太郎の問いにシンはビクリとなり、代わりにアリスが答える。
「リュウの相手がアユラ=マディッシュなら、彼は必ず勝てる。電気は水と相性がいいもの」
手配書やブラックリストでの知識しかない相手だが、リュウの勝利は確信を持って言える。
でなければ、リュウだって一人で残ったりすまい。

ジープで爆走した甲斐があったか、ジンと神矢倉は予想以上に早く支部へ帰還することが出来た。
だが、手放しで喜んでもいられない。
地上の入口は開放されっぱなしで、辺りは全くの無人。
おまけに、墜落死した死体まで見つけてしまった。
死体はシーナであった。
遺体は壁際に横たわっていて、突きだした骨や飛び散る血肉の凄まじさが落下の勢いを物語っていた。
アイリンクとパーマのおかげで、かろうじてシーナだと判るような状態だった。
「うぇ……もしかして、屋上から真っ逆さまに突き落とされたのか?」
呆然と呟くジンだが、神矢倉がさっさと歩き出したので、すぐさま彼を追いかける。
走りながら能力者の気配を感知して、小さく呻いた。
「なんだよ、これ……そこかしこにいるじゃねぇか。一体、何人入ってきちまったんだ?」
「エレベーターは全て停止中ですか。当然ですね」
壁のスイッチを調べていた神矢倉が呟き、目線を階段へ向ける。
階段は廊下を挟んで二つあった。
「元気くん、君は向こうの階段を登って下さい。僕は気配を消した上で、こちらを登ります」
「なんで二手に分かれるんだ?一緒に行った方がいいんじゃあ」
ジンの質問を、神矢倉は微笑で受け流す。
「まとまって行って、強力な攻撃で一網打尽になりたいですか?君には悪いですが、僕は御免です」
さわやかな嫌味にジンは口をとがらせ、ぶぅたれた。
「……判ったよォ。今は一人でも多く、司令室前に到着した方がいいもんな」
「その通りです。では、司令室前で落ち合いましょう」
見る見るうちに神矢倉の姿、そして気配は消えてゆき、完全に感知できなくなった。
ふぅっと大きく溜息をつき、ジンは階段の側へ移動する。
一段ずつ見上げていき、再び溜息をついた。
「これを四十八階まで登っていけっての?冗談でしょ」
文句を言っても階段がジンに併せて都合良く短くなるわけもなく、みたび大きく溜息を吐いてから、彼は階段を駆け上っていった。

至る所に仕掛けられた監視カメラを軒並み潰し、リー=リーガルは一息つく。
ひたすら屋上を目指して登っていたが、目的地にいるはずの気配は、いつの間にか分散していた。
エリスやアッシュは、もう突入した頃だろうか。
仲間の身を案じていると、不意に脳へ直接語りかけてくる者があった。
「リーガルさん、ご無事ですか?」
このような能力を持ち、且つリーガルを知っている能力者となれば、一人しかいない。
「オハラか、今どこにいる」
「五十七階へ下りる階段手前で、雑魚どもと交戦中です。ですがリーガルさん、俺達のことはともかく、その場から動かないで下さい」
「何故?」
話している間にも廊下の反対側からは、わらわらと雑魚兵士が姿を現している。
リーガルを見つけるや否や、腰を落として銃を撃ってきたが問題ない。
体の周りに発生した、黒いもやが全ての攻撃を受け止めてくれる。
「アッシュが、あなたの元へ向かっているからです。互いに動いちゃ行き違いになる」
「そうか、判った。それで?アッシュと合流した後は君達を捜せばいいのか?」
「そうですね……我々は司令室へ向かいますので、そちらで合流しましょう」
「司令室?そこに能力者の気配は感じないぞ」
「いえ。能力者を捜す為にも、まずは司令室の監視モニターを、わっ!」
短い叫びを残し、オハラの返事が長らく途切れる。
辛抱強く待っていると、銃は効かないと判断した兵士達が、こちらへ突撃してくるのが見えた。
――無駄なことを。
殴り合いをするのも面倒とばかりに、黒いもやの一部を彼らに向かって飛ばす。
もやに包まれた兵士は次々と姿を消し、やがて廊下に立っているのはリーガル一人となった。
「どうした、オハラ。何があった?」
すっかり静かになった廊下でリーガルがオハラに問いかけると、ややあって彼の返事が来る。
「……マレイジアがダウンしました。エリスさんは子供をつれて別階段へ向かって」
「マレイジアが?」
結界に頼りすぎだったとしても、攻撃に時間がかかりすぎている。
「ジャッカルは、どうした?」
「あ、ジャッカルさんは屋上に一人で残って……」
オハラが言葉を詰まらせる。
サリーナへの遠慮か?
「……俺も、腕と足をやられました。もしかしたら、司令室まで行き着けないかも……」
弱気になる彼を、リーガルは叱咤した。
「馬鹿なことを。君の側にはマレイジアとサリーナがいるんだろう?彼女達を守るのは君の役目だ」
「わ、判っています!」
涙声だが弱気の虫は一応、オハラの心を退散したようであった。
「ロナルドも向かっているはずです。とにかく、アッシュと二人で司令室へ向かって下さい!」
その言葉を最後に、オハラとの対話は途切れた。
今すぐにでも駆けつけてやりたい、その衝動を無理矢理抑え込み、リーガルはアッシュを待つ。
能力者の気配は今やビルの上から下まで、あちこちに感じられた。
その中でも五十階付近に、能力者の気配が集まりつつある。
そこが司令室のある階に違いない。
廊下の中央で座り込んで休んでいると、バラバラと走り寄ってくる兵士の姿を視界の隅に捉えた。
ちょうどいい。
アッシュが来るまで、少しでも兵士の数を減らしておこう。


アッシュとリーガルの両名が司令室へたどり着く頃までに、司令室前の戦闘態勢も整っていた。
にも関わらず、彼らが二人を見つけるなり総攻撃を開始しなかったのには訳がある。
北欧支部の指揮官ダイゲン大尉は、最後の最後まで諦めていなかった。
シンがリーガルを説得する、という作戦を。
能力者ならば、同じ能力者を説得できるのではないか――
わずかな望みに、かけていた。
これからやってくる相手は、能力者全てを束ねる総リーダーだ。
彼さえ説得してしまえば、各地に残るゲリラなど大した敵ではない。
その役目を、たった一人の青年に預けた。
元異世界の住民、シン=トウガという青年に。
「アッシュ……リーガルさん」
背後に多くの兵士を従えて、司令室の前で立ち塞がっていたのはシン。
傍らにはリュウや神太郎の姿もある。
リュウに首根っこを掴まれているアユラをめざとく見つけ、アッシュが騒いだ。
「アユラ!死んじゃったのか!?」
「死んではいない」
リュウが答える。
「気絶させただけだ。もっとも、諸君等の返事次第では、どのような処理をされるか判らんがな」
「人質か。姑息な真似を――」
苦み走るリーガル、そして悔しさに顔を歪めるアッシュへ、シンが叫ぶ。
「違います!話し合いが終わったら、彼女は解放するつもりです。だから……だから、俺の話を聞いて下さい!」
「君の話?大人しく投降しろ、とでも言いたいのかね」
ふん、と嘲りの目で笑い飛ばし、リーガルは逆に尋ねた。
「君は、ここで何をやっている?まさかとは思うが、君がトクムナナカミだったのか?」
即座にシンが答える。
「違うッ!」
「じゃあ、なんで連邦軍の奴らなんかと一緒にいるんだよ!?」
アッシュが横から割り込んで来るのを手で制し、リーガルは続けた。
「君は確か、連邦軍の兵士に拉致されたのだったな。だから君が此処にいる理由は判る。しかし何故、意識を取り戻した後も彼らと共にいる?やはり、君は非能力者だったのか?」
「違うよ親父!シンは能力者だってば!!」
くるりと振り向き、アッシュが言う。
「あの怪物をやっつけたのは、シンなんだよ!俺は、この目で見たんだからッ」
「お前には聞いていない」
リーガルは冷たくあしらうと、シンを睨みつけた。
「まぁ、いい。君が能力者か否かは、ここで戦ってみれば判ることだ」
「どうしても、彼の話を聞くつもりはないと?」と、リュウ。
リーガルは肩をすくめた。
「当然だ。数の暴力を従えた裏切り者に説得されて、ハイそうですかと誰が納得できるかね?」
「……ッ、兵士が邪魔だって言うんなら下げて貰います!だから!!」
ダイゲン大尉が許すとも思えないが、シンは言うだけ言ってみる。
しかし、リーガルの態度は変わらなかった。
「我々の仲間が一人も殺されていなければ、君の話し合いとやらに応じても良かったんだがね……」
ちら、とアッシュを一瞥する。
「仲間の話だと、ジャッカルもクロトも殺されたそうじゃないか。これだけ犠牲者を出されては、リーダーである私だけが、おめおめ投降など出来るわけがない」
「でも、あなたが戦いをやめてくれれば、もう誰も死ななくて済むんです!」
叫ぶシンからリュウへ視線を移し、リーガルは彼へ話しかけた。
「そうかな?私にはシンの言うことが机上の空論に聞こえるが、君はどう思うかね」
リュウも視線をリーガルからシンへ移し、淡々と応える。
「君の中では答えが既に出ている質問へ、わざわざ俺が答える必要もないだろう」
「リュウさんッ!」
だがシンの非難へのフォローか、続けて、こうも言った。
「リー=リーガル。君は、自分が倒れても後の者が戦いを引き継いでくれると期待している。しかし人間の心とは、君が思っている以上に脆いものだ。君という絶対的な支えを失った能力者は、君亡き後には連邦軍の配下に収まるだろう。これは予想ではない」
「予想ではない……?では、なんだと言うのだ」
リーガルの問いに、リュウが断言する。
「予知だ」
途端に哄笑。
リーガルは思う存分、高笑いを浴びせた後、シンとリュウの双方を見据える。
「予知?では、ここで私が戦いをやめれば、どうなるというのかね。君の予知は外れて、世界が平和になるとでも?」
「……いや、すぐに平和にはならないだろう」
「そうだろうとも!ユニウスクラウニだけが能力者の組織ではないのだぞッ」
だが、と首を振り、リュウはリーガルの高笑いを封じ込める。
「やがては平和になる。残党退治は連邦軍が、もっとも得意とする戦法だからな」
「なんだよ!」
二人の大人の会話を遮ったのは、アッシュだ。
目に涙を溜め拳を震わせながら、彼は叫んだ。
「結局最後は力づくかよ!話し合うとか言っておいて!!シンまで道具に使って、連邦軍はナニサマのつもりなんだ!」
「違う、違うんだ、アッシュ!俺は連邦軍に使われてなんか、いないッ」
シンがアッシュの前に回り込み、彼の腕を掴む。
その手をブンッと勢いよく振り払うと、アッシュはシンの肩に掴みかかった。
「何が違うっていうんだよ!シン、目を覚ますんだ。君はあいつらに利用されているだけだ!」
「だから……根本から違うんだよ、アッシュ。使うとか、使われるとか……そんなんじゃない。そんなんじゃないだろ、人間ってのは!」
シンの言葉に、ビクリと一旦は勢いを止めたアッシュだが。
「そうかもしれないけどっ、でもっ!」
じわじわと涙がこみ上げてくるに従い、高ぶった感情を抑えきれず、涙と共に吐き出した。
「アヤだってそうだった!利用されていただけだった!彼女が死んでも誰も悲しんでいない!アヤは連邦軍の為に戦って、死んだのに!!」
「アヤ……さん?」
聞き覚えのあるような、ないような名前に、シンがマッドを振り返ると、彼は黙って首を振る。
仕方なくアッシュ本人へ尋ね返せば、アッシュは涙をボロボロこぼしながら答えた。
「連邦軍の兵士だよ!俺の大事な友達、うぅん、好きな人だった!でも、でも、連邦軍なんかに入っちゃったから、俺達戦うハメになっちゃって!それで、逃がそうと思ったのに、逃げて欲しかったのに!死んじゃった!アヤは死んじゃったんだ!!」
「戦いでは何も生み出されない。それが生きている間に判っただけでも、君は幸せだ」
ぽつりと呟き、リュウがリーガルを見やる。
リーガルは、ずっと黙していたが、やがて視線をリュウの背後、つまりは雑魚兵士へと向けて吐き捨てた。
「これだけアッシュが叫んでも、どうだ?誰一人アヤという新兵へ涙を手向ける者などいない。仲間を思いやることもできん組織に、人類の未来を預けろと言うのか?」
背後で、ぼそぼそと呟く声が聞こえ、リュウは耳を澄ませる。
「……決めつけるな。部下が死して悲しまぬ者など、一人もいてたまるものか」
マッドだった。
動くな、と命じられているから大人しくしているのだろうが、握りしめた拳からは血が滴っている。
肩の怪我ではない。
握りしめた掌に爪が食い込み、流血しているのだ。
彼の気持ちを代弁するべく、リュウは発した。
「瞳で涙せずとも、心は泣いている。人前では涙せず。軍人という職業に就いた者の行動だ」
「物は言い様だな」
鼻で一笑し、リーガルは再びシンへ視線を戻す。
「君も同じだ、シン。利用するだけされて、これが終われば他の能力者同様始末されるのが判らないのか?」
「だから」
アッシュの手を退け、シンが一歩前に出る。
リーガルの側へ近づいた。
「その考え自体が、そもそも間違っているんです。連邦軍は、何も能力者を根絶やしにするつもりで戦っているんじゃない。武力で抵抗する者だけを鎮圧しているんです。あなた方のように、力で他人を傷つける人達だけを!」
手をかけようかという寸前、リーガルの側に幾つもの黒いもやが生まれ、シンは慌てて手を引っ込める。
あの黒いもやは要注意だ。
触れば跡形もなく消え去ってしまう、とダイゲン大尉から聞かされている。
「……もはや、何を話しても無駄のようだ。エリス!」
遅れて到着した妻、そして三人の子供達にリーガルが命じる。
「わからず屋の異世界人と、連邦軍兵士に教えてやれ。我々は例え最後の一人になったとしても、絶対に連邦軍の暴力には屈しないとな!」
「や、やめて下さい、リーガルさん!俺は、あなた達とは戦いたくない!!」
シンの腕を引っ張り自分の後ろへ匿うと、リュウが小さく叫ぶ。
「交渉は失敗した。ダイゲンの次の命令は一斉射撃だ、君は俺の側を離れるな!」
「失敗って、まだ俺は」
抗うシンを押さえつけ、リュウは彼を抱え上げる。
細身の割に怪力だ。
耳元で怒鳴り散らすダイゲン大尉の声を聞き流しながら、背後の一斉攻撃を上に飛んで逃れた。
『かかれ!リーガル以外は無視して構わんッ。目標リー=リーガル、撃てェェェッ!!』
兵士の銃が一斉に火を噴き、瞬時にして廊下は煙で真っ白に染まる。
天井の明りにしがみついたまま、シンには悪いが、こっそりリュウは嘆息した。
リーガルやアッシュの言うことは、まんざら間違ってもいない。
ダイゲンは、シンやリュウが手前に出ていると知りながら発砲命令を部下に与えた。
二人の能力を信用していたのかもしれないが、安否を考えるなら下がらせてから撃つのが妥当だろう。
大尉は説得作戦を信じていた。
しかし同時に、失敗すれば自分の首が危うくなることも知っていた。

――証拠隠滅、か。

リュウは、真っ青な顔で自分の背中にしがみつくシンを一瞥する。
ほんの数分前まで信じていた相手に裏切られた、可哀想な青年。
恐らくはショックの為、まともに戦うことも動くこともできやしまい。
俺が守ってやらねばなるまい。
どうせ、ここまで深く関わってしまったのだ。
最後まで彼の面倒を見てやるのも、悪くはない。


何故だ。
どうしてだ。
何故、誰も耳を貸そうとしないんだ?
このまま戦うのが不毛だって事を、本当は皆も、わかっているはずなのに!
シンの叫びも虚しく、硝煙が廊下を覆い隠す。
アッシュ達を襲うのは実弾だけではない。
手榴弾や催涙弾、火炎放射。
連邦軍側は、ありとあらゆる攻撃を行っていた。
だが数分後、兵士は己の無力と絶望を思い知るだろう。
攻撃は、どれ一つとして奴らに当たっていなかったのだから。
やがて兵士は全弾を撃ち尽くし、廊下の煙が晴れてゆく。
「ご苦労な事だ」
煙の向こうから聞こえてきた呟きに、全ての兵士の動きが止まる。
「諸君等は、何故こうも無駄な消費が好きなのか……理解に苦しむな」
煙が完全に晴れ、リーガルと、そして後方にはアッシュ達の姿も見えてくる。
予想通り、彼らは全くの無傷であった。
リーガルとアッシュ、二人の能力で全ての攻撃を防いだのだ。
「――さて、今度はこちらから仕掛けるとしよう。アッシュ、行くぞ!」
うん、と頷いたアッシュの体を炎が包み込む。
同じくリーガルの周辺にも無数の黒いもやが出現し、それらが一斉に兵士へ向けて放たれた。
「うっ、うわぁぁぁぁっっ!」
黒いもやを避けられず、さりとて防ぐ弾も残っておらず、兵士は咄嗟に頭を庇ったが、もやが触れた瞬間、もやに飲み込まれるようにして消えてしまった。
仲間が消えていく恐怖に耐えられず、逃げようとする兵士もアッシュの炎の餌食になる。
恐怖が混乱を呼び、司令室前の廊下はダイゲン大尉の指示も及ばぬ錯乱状態となった。
逃げまどう兵士が、片っ端から黒いもやに消されていく。
リュウの背にしがみついたまま、シンは呆然と現場を見下ろしていた。
目でマッドを捜すと、兵士の中には居ない。
神太郎も居なくなっていた。
またどこかへ、瞬間移動したというのか。
「シン、シン、降りてきて!」
不意に声をかけられシンが廊下を見下ろすと、真下にアッシュが立っていた。
「シン、あいつらは君も一緒に殺そうとした!それでも君はまだ、奴らを信じるのか?」
「違う……あれは、何かの間違いだ」
そんな言葉が、ぽろりとシンの口を飛び出す。
そうだ、きっと何かの間違いだったんだ。
ダイゲン大尉は、言っていた。
このまま人間同士で戦い合えば、どちらが勝っても人類の未来は闇しか残されないと。
能力者が能力のない者の話を聞かないというのなら、能力のある者が彼らを説得すればいい。
だから私は信じている。
能力者であり異世界の住民である君こそが、彼らを説得できる唯一だと――
そう言ってくれたんだ、ダイゲン大尉は。
連邦軍で偉い地位にある人が、言ってくれたんだ。
彼がアッシュと一緒にシンも殺そうとしたなんて、そんなの絶対、ありえない。
きっと今のは、誰かの手違いによるミスだったんだ。
「間違いって、何が!?間違っているのはシンのほうだよ!」
ヤケクソで向かってくる兵士を焼き払い、なおもアッシュはシンへ呼びかける。
「シン、俺は君をリーガルに殺されたくない……お願いだから、俺の言う通りにして!」
「無駄だ、アッシュ」
アッシュの背後に駈け寄ってきたオハラが、小さく毒づく。
「あいつは連邦軍の犬に成り下がってしまった。俺達の言葉など、もう届かない場所に行っちまったんだ」
現実逃避中なシンの代わりに、リュウが応えた。
「アッシュ、シンを本当に助けたいのであれば、この戦いを止めるようリーガルを説得しろ」
「何だと!?お前なんかに命令される謂われはないッ!」
シンは良くてもリュウには反抗的なのか、アッシュが炎を飛ばしてくる。
そいつを雷で防御して、平然とリュウは続けた。
「リーガルさえ戦いを止めてくれれば、シンは満足する。お前達の元へ帰ると言い出すだろう」
直接本人に確認を取ったわけではないから、本当に言い出すかどうかはリュウにも判らない。
だが、戦いが終わって欲しいとシンが願っているのは本当だ。
いうなれば、連邦軍側に残ったという行為自体が戦いを終わらせるためだったとも言える。
「アッシュ、そんなやつの言うことを聞いちゃダメだ!!」
甲高い怒号が飛んできたかと思うと、三つの光弾がリュウの掴まっている明りを破壊する。
ひらりと身軽に降りてきたところをアッシュが殴りかかるが、すれすれでリュウには避けられた。
「光の弾か、珍しい能力を使う」
弾の飛んできた方向を見ると子供が三人、こちらへ掌を向けて立っている。
「あの幼い子供らの命までも、ここで散らすつもりか?」
リュウが問えば、アッシュは憤慨して答えた。
「殺させないさ!俺と親父がいる限りッ」
「シン!」
子供の一人に名を呼ばれ、シンは落ち着きのない目で振り向いた。
幼い子供が眉尻を上げて、自分を睨みつけている。
名は確か、ココルコといったはず。
「シンのバカ!バカ!アッシュに助けてもらった恩も忘れて、連邦軍に味方するなんて!!」
続けて、リュウの呟きを耳にする。
「シンを助けた?次元崩壊から?ほう、随分と英雄に持ち上げられたものだな、アッシュも」
どこか笑いを含んだような、面白げにも感じられる口ぶりであった。
やはり、あの時、シンが思ったのは真実だった。
次元崩壊からシンを助けてくれたのは、アッシュではなくリュウだったのだ。
アッシュが叫ぶ。
「シン、どうなんだ!戦いが終わったら、シンは俺達の元に帰ってきてくれるのか!?」
途端に周りからは非難が上がった。
「アッシュ!?連邦軍の言いなりになる気なの!?」
「アッシュ、馬鹿な事を考えるな!」
「ジャッカルもクロトも死んだ!みんな殺されたのよ、アッシュ!!アユラだって、ホラッ」
サリーナの指さす方向を見た瞬間、アッシュ、そしてシンの顔も青ざめる。
混乱する兵士の側で、横たわっている少女が一人。
アユラは、ぴくりとも動かない。
兵士に踏みつけられ、蹴飛ばされ、おまけに首筋を流れるのは大量の血。
喉を一刀のもとに、カッ切られていた。
一斉射撃の直後、硝煙で廊下が見渡せなくなった。
あの時に、どさくさに紛れて殺されたのだ。
「そんな……だって、大尉は、終わったらアユラを逃がしてくれると、約束して……」
リュウの元を離れ、よろよろとシンが廊下に跪く。
青い顔で呟いた。
アユラを殺害したのは、一兵士の独断に過ぎない。
彼女を生かしておくことに、何の意味もないと考えた馬鹿な兵士がやったのだ。
リュウは、そう考えたが、何を言っても言い訳に聞こえるばかりだと思い直す。
「どうだ?判ったか、裏切り者!連邦軍の犬め、死んで皆に詫びてこい!!」
オハラの罵倒も、今のシンには聞こえていまい。
だがシンを狙う三つの光弾、あれを退けねば彼が死んでしまう。
光の弾に雷が効くとも思えないが、いざとなればリュウはシンの盾になるつもりでいた。
もっとも、その覚悟は、今ここで使わずとも済んだ。
風を切って飛んできた三つの光弾はシンに当たる直前で、何者かによって跳ね返される。
連中の元へ光の弾が戻っていく。
同時に鋭い殺気までが、彼らに向かって飛んでいった。
「あぎゃあッ!」
短い絶叫を残し、ココルコ、シャラ、ニレンジの三人が、バタバタと崩れ落ちる。
どの顔も真っ二つにかち割られ、近くにいたマレイジアとエリスの服を真っ赤に汚した。
「ひ……ィ……ッ!」
喉の奥で引きつった悲鳴を上げ、エリスは立ちつくす。
マレイジアが、血の海にしゃがみ込んだ。
「ココルコ!ニレンジ?シャラッ!!」
順番に子供達の名を呼び、それぞれを抱え上げて揺さぶった。
だが絶命した彼らが応えるはずもなく、断ちきられた顔の下半分が振り子のように揺れるばかり。
「な!何をされたんだ!?それに、はじき返された!?」
一瞬の惨事に動揺するオハラ。
その横で、アッシュが唐突に叫ぶ。
「あいつだ!あいつらの顔は、シンがさらわれた時にも見たぞ!!」
シンを庇う位置に立つ者こそは特務七神のメンバー、元気神と神崎アリスであった。
二人の背後には、神太郎やマッドの姿もある。
神矢倉の姿はないが、きっと何処かで気配を潜めて隠れているのであろう。
「各地分散しておけば、各々の生存率も上がったというのに……」
リュウの呟きに、ジンがニヤッと笑って応える。
「悪いな。俺達は、マッド大尉の部下なんでね。上司が危ねぇって判ったら、戻ってくるのが当然なんだよ」
「……戻ってきたことを、すぐに後悔するようになるぞ」
リーガルが、ゆっくりと振り向く。
廊下にいた雑魚兵士を、あらかた一人で片付け終わっていた。
彼の脅しに受け応えたのはマッドだ。
「なぁに。後悔するのは、諸君達のほうかもしれんぞ?ダイゲン大尉は聡い御仁だ。もうすぐ増援がやってくる。いつまで能力が続くかな」
肩の出血は止まっていないはずだ。
青ざめた顔で強がりを言っているが、彼のほうこそ、いつまで保つか判ったものではない。
「大丈夫」
リュウの視線を見て察したか、アリスが不意に口を開いた。
「大尉が倒れる前までには決着をつけるわ。リー=リーガルさえ倒せば、後は烏合の衆」
オハラとアッシュが同時にハモる。
「烏合の衆だと!?」
そう言われたとしても、仕方ないかもしれない。
アッシュとリーガル以外、戦える能力の持ち主は、いないのだから。
せめてロナルドが到着してくれれば、戦局も変わってくるのだが……
未だに辿り着かないという事は、どこかでやられてしまった可能性が高い。
「言ってくれたな!だが、あの時とは違う。お前らとは、思いっきり戦える!」
アッシュの炎が勢いを増す。
ごぅ、と燃える音が、ここまで聞こえてきそうな気がした。
「シンと戦う覚悟が出来たの?」
問うアリスに、アッシュは真横に首を振った。
「違う。お前らを倒して、シンを取り戻させてもらう!!」
「俺達がシンを盾にするかもしんねーとは、考えねぇのかよ?」
ジンの憎まれ口にも首を振り、アッシュは七神全員を真っ直ぐ見据える。
「お前らは、シンが信じた仲間なんだろ?だったら仲間であるシンを人質にしたりするもんか!」
つくづく、どこまでも、お人好しなのか。
或いはシンという男を、どこまでも信用した結論が、それなのか。
思わずリュウは苦笑したが、苦笑したのはリュウだけではなく、マッドも苦笑を漏らした。
「君の推理通り、我々はシンを人質にする気など一切無い。リー=リーガルの身柄さえ確保できれば、残りの面々も解放するつもりでいる」
「何故だ?リーガルがユニウスクラウニを率いているリーダーだからか?」
オハラの問いに、マッドは考える仕草を見せる。
「それもあるが……彼は全世界に住む能力者にとって、カリスマ的存在だ。彼を押さえれば各地に散らばるゲリラも鎮圧できると、上層部は考えているのだろう」
どうだろう、とリーガルのほうへ振り向くと、マッドは説得を試みた。
「君さえ応じてくれれば、そこの彼らも傷つかなくて済む。考えてみてくれないか?」
「全世界の能力者に対する人質になれと?そんなのは御免だ」
リーガルは、あっさり却下し、黒いもやを幾つも出現させる。
「人は生まれながらにして自由な存在であり、死ぬまで自由を貫いてこそ人生と呼べる。誰かの手によって自由を奪われるというのならば、力づくでも取り戻す」
「……それが、ユニウスクラウニの出した結論か」
「そうだ」
リーガルはマッドに頷き、声には出さずアッシュへ合図を送った。
俺が動いたら、同時に仕掛けろ。
目標は、非能力者の黒人ではない。
側にいる能力者、小娘と小僧、それから後ろの眼鏡の三人だ。
「御託は終わりだ。――行くぞッ!」
リーガルが吼え、一斉に黒いもやが放たれる。
ジンはマッドを庇う位置に転がり込み、それを妨害しようとアッシュの炎が廊下を奔る。
アリスは刀に念を込め、目標をアッシュに定めた。


このままじゃ。
このままでは、皆、死んでしまう。


「い……や……だ…………ッ」
シンの脳裏に次々と、死の場面がフラッシュバックする。
真っ二つに顔を割られた、ゾナとニーナの死体。
ニレンジ、シャラ、ココルコの三人も、アリスの一刀で顔を断ちきられて即死した。
アッシュに燃やされ、消し炭と化してゆく兵士達。
シーナの墜落死体までもが、はっきりと脳裏に浮かび上がる。
頭を吹っ飛ばされたスミスが、横たわる。
その側には、サムもいた。
頭を打ち砕かれ、血に沈んでいる。
クロトに心臓を貫かれて即死した、神宮紀子。
クロトもまた、神宮に頭を吹っ飛ばされて死んだ。
全身に銃弾を浴び、脳味噌にも数発食らいながら、それでも兵士を全滅させるまで戦い抜いたジャッカル。
壁ごとアリスに一刀両断され、血塗れで転がるロナルド。

なんだ、これは。
シンにとって見覚えのない場面が、さらに続いてゆく。

炎にまかれ、互いに互いを庇いあう男女。
男はクィッキーだ。
二人は煙にむせながら進むが、やがてクィッキーは胸を銃に撃ち抜かれて倒れ込む。
女の絶叫が、森に木霊した。
森の別の場所では女が二人、炎の攻撃に晒されている。
連邦軍兵士と思われる連中の歪んだ笑み。
彼らは笑顔で、火炎放射器を人間へ向けていた。
「ヴィオラァァァッ!アンナァァッ!!」
叫んでいるのはスミスだ。
声に聞き覚えがあった。
首根っこを掴まれ、アユラに引きずられるようにして去っていく。

「も……もう、嫌だ。やめて……くれッ……!」

場面は、このビルの内部に切り替わる。
火災報知器が鳴り響く中、不安そうに辺りを見渡す老婆はマダムだ。
そこへ飛び込んできたのは覆面の男達。
悲鳴を上げて床に座り込んだマダムを引っ張り上げ、男の一人が凶刃をかざす。
危ない。
シンの目の前で、刃が振り下ろされる。
飛び散る鮮血。
崩れ落ちるマダムの体。
何もかもがスローモーに見えた。
頭の中が、真っ白に染まっていく。
何も考えられなくなった。

「や……め……ろォォォォッッッッ!!
シンの中で、冷たい氷の刃が弾けた。


シンの能力発動。
それはリュウにしても、一か八かの賭けだった。
しかしリーガルの黒いもやに対して雷も効かず、ジンの反射も駄目とあっては、もはや彼の能力に頼るしかなかった。
次々と死の場面をシンの脳裏に送り続け、最後に最愛の人の死を見せつけた。
その効果たるや、リュウの思った以上に絶大で、シンの体から放たれた氷の渦は、廊下の端から端までを一瞬で氷に変えてしまった。
そればかりではなく、廊下に立っていた全員も氷に襲われる。
リーガルは勿論のこと、アッシュやエリス、そしてマッドと七神の面々も凍りつかせた。
亜空間へ逃げる暇があったのは、リュウただ一人。
予めシンの発動を知っていた、彼だけであった。
「……凄まじいものだな」
自分で仕組んだとはいえ、一瞬で決着をつけてしまったシンの能力にリュウは感嘆する。
そのシンも、廊下で氷の彫刻と化している。
制御できない能力を、無理矢理引き出したのだ。
自らを巻き込んでしまうのは致し方ない。
「援軍が来るまで、放置しておくか。だが……」
シンを連邦軍へ預けたままにしておくわけには、いかない。
彼は、七神のメンバーとは違う。
使われるために生きている能力者ではない。
空間を飛び、地球へ戻ってきたリュウは、シンを慎重に床から引きはがし担ぎ上げる。
あとはマダムだ。
彼女も連れて、ここを出て行こう。
沈黙の廊下を後に、再び彼は空間を越えた。



そして――
あの戦いから、十年が過ぎた。
二十四だったシンも三十四歳になり、マダムが天に召されて三年経つ。
彼は今、戦争とは程遠い世界に住んでいる。
そこには能力者もなければ、非能力者もいない。
リュウに連れられてきたのは地球とは異なる世界、亜空間であった。
マダム亡き後、シンはリュウと同棲している。
この世界で困らされるなど、何一つない。
誰かと誰かが争うことも、一切無い。
ここに住むのはリュウとシンの二人だけなのだから。
軽快に階段を降りてきた人物に向けて、シンは笑顔になった。
「あ、リュウさん。おはようございます。朝食なら用意してありますよ」
リュウも笑顔で受け応える。
「ありがとう」

あの戦いは、一体何だったのか。
どうして、俺は最後まで止めることができなかったのか。
今でも悪夢に悩まされ、飛び起きる夜がある。
だが、こうも思うのだ。
所詮部外者が何を言ったって、彼らは聞く耳など持たなかったのではないか。
あの世界での自分は大きな川の流れの中に飛び込んだ、小石のような存在だった。
小石が流れをせき止めようとした処で、川は変わらず流れてゆく。
望んで飛び込んだ川ではなかった。
それに、どこかで楽観視している自分がいた。
顔見知りだから、絶対に話を聞いてくれる。
確固たる証拠もなしに自信があった。
それがシンの説得から、説得力というものを奪っていたのではないか。
亜空間へ逃げてきた時、リュウが言っていた言葉を思い出す。

君に両者の掛け橋となれといったのは、確かに俺だ。
だが俺も君と同様、人間というものに対して楽観していたことを認めよう。
人間だから、必ず話を聞いてくれる――
俺と君の間違いは、ここにあった。
彼らは人間であるからこそ、同じ人間である俺達の話を聞いてくれなかったのだ。
君も俺も、人の形を取っていなければ。
そうすれば、彼らは話を聞いてくれたかもしれんな。

全てを凍りつかせた自分の能力のことは、リュウの口から告げられた。
あの後アッシュがどうなったのか、シンは知らない。
地球に住む人々は、今も戦い続けているのであろう。
彼らも、いつかは気づいてくれるだろうか。
戦うのが、如何に無意味で愚かな行為だということを。
たとえ自由を勝ち取ったとしても、あくまでも一時的な自由に過ぎない。
戦いは、何も生み出さない。
生み出されるのは、悲しみと憎しみだけだ。
いや、彼らは必ず気づいてくれるはずだ。
だって、彼らも人間だから。
別の空間に住むとはいえ、シンと同じ人間なのだから――

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