北海バイキング

エピローグ

あの戦いから数ヶ月が過ぎた。
海賊の反乱など無かったかのように、メイツラグは日常へ戻りつつある。
いや、変わったことは色々とあった。
その中でも一番喜ばれたのは、重税がなくなったこと。
これは国民の顔に笑顔を、取り戻させた。


真っ白な壁紙が眩しい病室にて――
「まったく、無茶をするなァ。お前は。魔銃が切れたからって、あんなバケモノと殴り合うことはなかったんだ」
ジェナックは空いているベッドに腰掛けて、先ほどから一人でしゃべっている。
彼の上半身は、肩から腹にかけての大部分が白い包帯で埋め尽くされていた。
そればかりではない。
右足はびっこをひいていたし、左足の踝にも包帯が巻かれている。
腫れあがった顔に貼られた湿布と、三角巾で吊られた腕も痛々しい。
マリーナ自身も頭から爪先まで包帯グルグル巻きで、無事な姿とは到底言い難い。
痛々しさからいえば、マリーナのほうが上だろう。
御自慢の白い肌は海賊の刃でズタズタにされ、今でも無数の傷跡が残っている。
剣でつけられたキズは一生残るというのが定説だ。
だが医者の話によれば、刀傷を消す魔法が亜人の島に存在するらしい。
その話を聞いたジェナックは、動けるようになったら一緒に探しに行こうと言ってくれた。
大方いつもの思いつきで言ったのだろうが、それでも今のマリーナには充分嬉しい。
長いこと面会謝絶となっている間、マリーナは毎日彼のことを考えていた。
考えていたというか、夢に見ていたといったほうが正しい。
面会謝絶中、彼女は意識不明になっていたからである。
途中で気絶してしまったから、あの女海賊が最後どうなったのかは覚えていない。
彼女の記憶にあるのは、血相を変えて飛び込んできたジェナックの姿だけ。
彼が自分を見た後の真っ青な顔、そこから先は空白が続いた。
次に目を覚ましたのは、この部屋に置かれたベッドの上でだった。
戦いの後から病院に運ばれ手当を受け終えるまで、丸々意識不明であったらしい。
彼女の意識が完全に戻ったと見て、医者は面会謝絶の看板を外した。
まず、見舞いに来てくれたのはメイツラグ海軍大尉のリズ。
次に来た見舞客は上官カミュと同僚達で、ジェナックの姿は無かった。
そのことを問いただすと、カミュは複雑な表情で「彼は後処理に忙しくて」とぼやいた。
パーミアを退治した張本人は誰か、という件で事情徴収を受けているらしい。
結局ジェナックが見舞いに来てくれたのは、それから数ヶ月も後のことであった。
病室に入ってきた彼を見て、マリーナは驚いた。
それはジェナックも同じだったようで、しばしお互いの変わり果てた姿を凝視した後、矢継ぎ早に質問が二人の口から飛び出した。
ようやく落ち着き、今はジェナックが一人でベラベラとしゃべっている。
マリーナも話したいことは多々あったのだが、彼の気が済むまで待つことにした。
ジェナックの話はとりとめない上、殆どが、どうでもいい雑談であった。
メイツラグの近状報告から始まり、同僚が何度も、くちにしたことを彼もくちにする。
ただ、同僚達が慰めの意味合いで言ったのとは異なり、彼は賞賛する意味で言った。
「だが、まぁ、逃げ出さなかったのは偉いな。あのバケモノ相手に殴り合ったというのは誇りにしてもいいと俺は思うぞ。もし、あそこで逃げ出していたら、俺はお前を一生軽蔑していたかもしれん」
うんうん、と頷き一人で納得している。
お世辞で言っているのではない、というのは彼の身振り手振りからでも、よく判る。
本当にそう思うから言っているだけであり、嘘や社交辞令を言える男ではない。
褒められるのは今日が初めてではないが、こうも手放しで褒められると少々くすぐったい。
それに、あの戦いは彼女の中では追及点であったので、褒められると困ってしまうのだ。
魔銃を使い切ってしまったことが誤算なら、魔銃がパーミアに効かなかったのも誤算だった。
――こんなことなら、カミュが最初から出しゃばって全ての船を沈めれば良かったのよ。
マリーナは心の奥底で憤慨する。
さすがに口に出して言うのは憚られたが。
満身創痍のマリーナに悪いと思ったのか、カミュは自前で病院費を受け持ってくれた。
そればかりでなく軍からも補助金が出た。
雀の涙程度だが、出ないよりはマシというものだ。
だが雀の涙な補助金が出たことよりも、カミュが入院費を受け持ってくれたことよりも、マリーナを一番喜ばせたのは、退院するまでジェナックが見舞いに通うと言った事であった。
「でも、ジェナック。あなたは退院できそうなの?」
全身包帯だらけの彼を見上げると、ジェナックは肩を竦めた。
「何を言ってるんだ、俺が怪我をするのは日常茶飯事だろうが」
開き直られても困るのだが、確かに彼ならマリーナよりも先に退院していきそうではある。
メイツラグの軍医も驚いていたという、ジェナックの回復力の早さに。
「さてと。次に来る時には何か持ってきてやろう。何がいい?」
一方的にしゃべるだけしゃべって飽きてしまったのか、ジェナックが腰を上げる。
「持ってきてくれるのも嬉しいけど……」
「けど?」
聞き返す彼へ一瞬戸惑いの表情を浮かべた後、マリーナは気恥ずかしげに微笑んだ。
「……何でもないわ。それよりも、私が退院するまでは毎日見舞いに来てね。約束よ」


風で白い花が揺れている。
メイツラグはこれから本格的に白い雪に覆われる季節へ入る。
「どうしても、行っちゃうの?」
風に髪を嬲られるまま、コハクは無言で頷いた。
背後でファナが、そっと溜息をつく。
「そっか……しょうがないよね、武者修行の途中だったもんね」
リズに見合う男になるまで、俺の武者修行は終わらない。
そう言おうとして、コハクはやめた。
リズのことで、ファナに気を揉ませるのは良くない。
ファナが自分に想いを寄せていると知ったのは、ほんの数日前のことだ。
自分で気づいたわけではない。
酔ったゼクシィが全部ゲロしたので判明した。
孤独で無口で無愛想だった自分のどこが、ファナの気を惹いたのかは判らない。
判らないが、そしてファナには悪いが、コハクがリズしか眼中にないのも事実であった。
あの日、泣きじゃくる自分を助けてくれた年上の女の子。
清らかで聡明な天使様――とまでいったら本人には怒られるかもしれないが、コハクにとってリズはまさしく天使様であった。
だが、天使様は同時に神でもあった。
神レベルの強さの持ち主だった。
その神に、ある日思いきって告白したが、見事にコハクは玉砕した。
神はあっさりコハクの告白を却下したうえ、困った表情で「ごめんね、私、自分より弱い男の子はちょっと……」と悪魔の呟きを漏らしたのである。
神と見合うには、自分も神になるしかない。
そう決心して武者修行の旅に出たわけだが、結局ファナと共に凱旋するまでリズより強い敵には一度も出会わなかったように思う。
それとも、いつの間にか慢心していたのだろうか。
カスミとの戦いで一度は見る影もなく惨敗したのも、苦い思い出だ。
やはり世界は広い。
自分は修行が足りない。
――風が冬の気配を運んでくる。
雪は明日に降るかもしれない。
「そういえば……コハクが最初に旅立ったのも、今日みたいに寒い日だったよね」
呟くファナの声が鼻がかっている。
泣いているのかもしれないと思うと、コハクは余計に振り向けなくなった。
女の子は苦手だ。リズ以外の女は。
リズならコハクが旅立つと言っても、こんな風に泣いて引き留めたりしないだろう。
相づちをうつでもなく、否定するでもなく、コハクはふらりと歩き出す。
ファナの瞳には、自分は、どんな風に映っているのだろう。
風が強くなってきた。明日は雪だ。
ファナの声が次第に小さくなってゆく。
さようならと言うのを忘れたが、今更戻って言うのも辛い気がしてコハクは足を速めた。

あの日とは違い、見送りには誰も来ない。
たった一人の旅立ちだ。
だが、これこそが自分の修行に似合っているとコハクは思う。
見送りに保護者が来て喜んでいるようじゃ、まだまだ甘ちゃんなのだ。
次に戻ってくる時には、自分は、どれだけ強くなっているだろうか。
そして神には――リズには、どれだけ近づけているだろうか。
様々な思いを胸に秘めコハクは一人、レイザース王国行きの船へ乗り込んだ。


End.
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