北海バイキング

6話 休日

首都を、のんびり歩くのも久しぶりだとリズは思った。
メイツラグの首都は彼女の生まれ育った街である。
レンガで敷き詰められた大通りを歩いていくと、街の中央へ出る。
幾つもの商店が並ぶ表通りを抜けていけば、憩いの広場が見えてくる。
そこから細道に抜けて、坂道を下っていくと、海岸へと辿り着く。
直接海に出ることは出来ないものの、潮風を楽しむことぐらいはできた。
表通りの花屋で季節の花を探すのは、いい気分転換になるだろう。
本屋に入って、出たばかりの新しい本を立ち読みするのもいい。
――今日は、どこへ行こう。
しばし考えた末、リズが行くと決めたのは酒場であった。
戦いの場から身を遠ざけて休息を楽しむのは、人間に必要な行動かもしれない。
しかし、それよりも人々の声に耳を傾ける方が重要だと、軍人である彼女は考えたのだった。

港町を後にしたファーレン海軍は、休む間もなく首都へと直行する。
目的は国王、及びメイツラグ海軍との面会であった。
だが今日は軍が休日とのことで、司令官はおろか雑兵にも会えそうにない。
「……仕方ない。僕らも休息といくか」
国王との面会を終えた後、カミュは部下に一つの命令を下した。
たった一日限りではあるが、メイツラグ観光を楽しんでこい、という命令を。


この街には活気がない。
ジェナックが、それに気づいたのは、幾つかの細道を曲がった時だった。
往来には絶えず人の姿があり、道ばたでは露を開く者と眺める者で賑わうのが、"街"の、かくあるべき姿だと彼は思っている。
港町も閑散としていたが、首都も人通りは寂しい。
人が全くいないというわけではないが、ざわめきが聞こえてこないのだ。
街を歩く人々には、どの顔にも憂いの陰りが見えた。
これもそれも、バイキングが逆賊として無法を働いているせいか。
――そこまで考えて、ジェナックは後ろを振り向いた。
一緒に買い物へ出たはずの、マリーナの姿が見あたらない。
途中までは一緒だった。
そう、宿を出た時までは。
表通りを抜けて幾つかの細道を歩いた頃には、いなくなっていた。
「まったく。いい歳して迷子か……」
大袈裟な溜息をつき、彼は肩を竦めて呟いた。
今頃は必死の形相で、こちらを探しているかもしれない。
まさか泣き出したりはしないだろうが、大事にされても厄介だ。
しかし彼女が何処へ行くかなんて見当はジェナックにつくはずもない。
従って、彼は最も安全と思われる策を選んだ。
自分が人の多い場所へ移動すれば、彼女も探しに来るだろうと踏んだのだ。

一見あばら屋と見間違うほど、あちこちにガタの来た安酒場。
掠れた文字で『エンタニティ』と書かれた看板が、ぶら下げられている。
ジェナックが その店へ足を踏み入れたのは、たまたま一番最初に目に入った酒場が、そこだったのだ。
一歩入った途端、店の喧騒が彼の耳を劈いた。
「ちッとばかしカワイイからって、ナメてんじゃねぇぞ!!」
口汚い怒声が聞こえたかと思う間もなく、直後に悲鳴があがる。
悲鳴と言っても女の金切り声ではない。
先ほど口汚く罵った男の声だ。
何事かと見てみれば、奥のテーブル前には大勢の人だかりが出来ていた。
人垣の中には小柄な女性が一人、不敵な笑みを浮かべて座っている。
男のように短い髪に、利発そうな顔立ち。
丈の短いスカートからは、すらりとした足が伸びている。
そんな彼女を、猛々しい雰囲気の男達が数人で取り囲んでいた。
どいつの顔も相当赤く、殺気立っている。
大方、女につきあえと言い寄って、断られたのだろう。
さっき悲鳴をあげていたのは、床でへたばっている。
みっともないことに、かなり良い体格の大男だ。
テーブルに叩きつけられたのか、背中にバラバラの木片を敷き詰めている。
誰に?
言うまでもない、男達に取り囲まれた女がやったに違いない。
自分の背丈の二倍はあろうかという大男に囲まれていても、女の顔からは余裕が伺える。
「女一人に数人がかり?メイツラグの荒くれ者も質が落ちたものね」
「うるせェ!ガキは大人しく家でミルクでも飲んでりゃいいんだよッ」
飛びかかった男の手に光るものがナイフだと判ったのは、男が投げ飛ばされてからだった。
突っ込んできた男の腕を絡めとり、勢いを殺さず流して後方へ投げ飛ばす。
「失礼ね、ガキじゃないわ。こう見えても私は大人なの」
柔よく剛を制すというやつだ。
見事な返し技に、ジェナックは思わず口笛を吹いた。
彼だけではない。
周りの人だかりも思い思いの歓声をあげている。
「いいぞ、リッちゃん!」
「全員畳んじめぇ!!」
その声援に手を振って応えると、ならず者達に向かって女が啖呵を切った。
「そこのテーブルみたくバラバラになりたくなかったら、さっさと帰りなさい!私は皆の話が聞きたいだけ、酔って暴れるだけの乱暴者に用はないの!!」
威勢の良い啖呵は残りの男達全員に火をつけて、囲んでいた奴らが一斉に斬りかかる。
振り回される刀を避けた矢先、がくんっと足元に異変を感じて女がよろめいた。
「あっ!」
足首に巻きついているのは頑丈なロープ。
ちょっとやそっとじゃ外れそうにない。
ロープを握る男がにやりと笑い、目の前には刃物が突進してくる。
――斬られる!
彼女は思わず目を瞑る。
だが!
「形勢逆転、さらに大逆転ってとこか」
不意に後方へとロープが勢いよく引っ張られ、先を握っていた男は後ろに仰け反った。
反動で女も引っ張られて、斬りかかっていった奴らは目測を誤り、机と派手に大激突。
「だ、誰だ!せっかくのチャンスを邪魔しやがって、一体ナニモンだ!?」
床にぶつけた後頭部をさすりながら、ロープを握った男が振り返れば――
こんがり日に焼けた褐色の肌に、屈強な筋肉で覆われた体。
片目の潰れた人相の悪い大男が、ロープの端を掴んで不敵な笑みを浮かべている。
「女一人に刃物で斬りかかるたぁ、雪国の連中ってのは物騒だな」
言うまでもない、ジェナックである。
ロープを手放すと、相手は思いっきりひっくりこけた。
その間に女は素早く立ち上がり、男達から間合いを取ると、今の言葉を訂正させる。
「雪国の民全員が物騒なわけじゃないわ、こいつらだけが物騒なの。一緒にしないでくれる?」
「そいつは失礼。この国へは来たばかりなんでね」
肩を竦めるジェナックを、女は黙って睨んでいる。
かと思うと、恐い顔から一転して、どきりとするような笑顔になった。
「残りの奴らもやっつけるから手を貸してくれる?それと、助けてくれてありがとう!」
彼女が無邪気に浮かべた笑顔は、まるで少女のように初々しくて、柄にもなく胸の高鳴りを覚えつつ、ジェナックは素直に頷いた。
「いいぜ。どうせやることもなくて暇だったんだ」
それから数分とかからないうちに、ならず者を全て片づけてしまった。
男達をまとめて表へ蹴り出すと、女はうーん、と背伸びをする。
「あ〜、スッキリしたっ!喧嘩なんて何年ぶりだろ」
清々しい顔で、まだ無事な椅子へと腰を下ろす。
隣にジェナックも腰掛けた。
ウェイターを呼び止め、「エールを二杯。俺と、彼女の分を」と注文する。
「あら、飲むって言った覚えはないけど。奢ってくれるの?」
ジョッキを二つ、両手に持った店員が陽気に彼女へ笑いかけた。
「リッちゃん、せっかくだから奢ってもらいなよ。女の子は男に奢ってもらうもんだよ、こういう店ではさ」
ジョッキを手渡しで受け取ると、ジェナックは片方のジョッキへ軽くぶつける。
「そういうことだ。君の勇猛ぶりに乾杯」
微笑みかけてから、一口煽った。
「勇猛振り、ねぇ。あまり褒められてる気がしないけど」
女もつられたように笑いながら、ジョッキを手に取り、高く掲げてからグビッと豪快に煽る。
「でも、せっかくだから好意に甘えておくわ。ありがとう」
そのまま、ごびっごびっと喉をエールが通っていく。
「っぷはーっ!うまいっ」
一気にジョッキを空にした彼女は、さも満足そうに口元を拭った。
利発そうな顔立ちのわりには、やることが豪快な女だ。
同じく一杯目を空にしたジェナックが尋ねる。
「この国は、いつもこうなのか?」
「えっ?こうって、何が?」
閑散とした店内を素早く見渡し、客の入りが少ないことを認めてから彼は聞いた。
「酒場にしちゃあ、いやに静かすぎると思ってね。北国の人間は酒を飲まないのか?」
女は、あぁ、と納得した顔で頷いた。
「そりゃ……今はね。謀反者を警戒してるから」
「謀反者?海賊か?」
かまをかけるジェナックに、女は重ねて頷く。
「あなたみたいな余所者――ごめんなさい、旅行者でも知ってるのね。えぇ、そうよ。今、この国はバイキングの反乱で混乱してる。正確にはバイキングと逆賊が戦ってて、街の人達が巻き添えになってるって処ね」
「大変だな」
手をあげ、エールのおかわりを頼んでから、ジェナックは更に探りを入れる。
「だが、この国には軍隊があるんだろう?海や街が荒らされるのを黙って見てるわけでもあるまい」
「……軍隊なんて、所詮は貴族の番犬よ。全ての民を守れる訳じゃないわ」
二杯目も、あっさり空にすると、女は拗ねたように肩を竦めてみせた。
「それにね、この国じゃ海賊が英雄視されてるの。討伐作戦が遅れたのだって、国王が余計な心配するからよ。英雄を倒したら国民の怒りが向けられる?そんなの、やってみなくちゃ判らないじゃない!」
最後のほうは誰に怒っているのか、誰に向けての愚痴なのか。
彼女はジェナックの頭上を通り越し、とろんと据わった目で遠くを見ていた。
「り、リッちゃん、お酒は程々にしておきなよ?あんまり強くないんだし」
慌てる店員に空のジョッキを ぐいっと差し出すと「おかわり!」と彼女が叫ぶ。
三杯目も空にしグデングデンになり始めた女を見て、ジェナックは溜息をついた。
――やれやれ、俺は泥酔したこいつを送っていくハメになりそうだな。
「リッちゃん、もうやめなよ。自棄酒は体に悪いよ!あんたも何か言ってやってよ」
考えている側から、さっそく火の粉がかかってきた。
自分の肩を揺さぶる店員の手を跳ねのけ、机に突っ伏してる女を横目に捉える。
「何かって言われてもなぁ……俺はまだ、彼女の名前も知らないんだぞ」
「リズ」
間髪入れず、女がポツリと答える。
「ん?」と聞き返すジェナックに、顔をあげたリズが問いで返してくる。
「リ・ズ。リズっていうの、あなたは?」
「ん、あぁ。ジェナックだ」
「ジェナック、いい名前ね。それじゃジェナック、さっそくだけど、お願いがあるの」
何を?と尋ねるよりも早く、彼女が背にもたれかかってきたもんだから驚いた。
背中越しに柔らかな感覚が伝わってくる。
スレンダーな体格だと思っていたが、意外と胸があるようだ……
「……送ってって。私の家、ここからスグだから」
リズの声は途中で寝息に変わってしまう。
これでは送ろうにも送れない。
困っていると、横合いから店長が助け船をよこしてきた。
「リッちゃんを送ってくれるのかい?彼女の家までの道を教えてあげるよ」
えぇい、余計な真似を。
しかし、こうなったら乗りかかった船だ。送るしかない。
かくしてジェナックは店長から道を尋ね、彼女を家まで送ってあげたのであった。


次の日。
眠りから覚めたリズを待っていたのは、頭の芯を直撃する不快な痛みだった。
昨日は何時頃に帰宅したのか。
帰宅直前、何をしていたのかすら思い出せない。
安酒場で情報収集したのは覚えている。
言い寄ってきた荒くれ者を一人残らず、ぶちのめしたことも。

――そうだ、あの時助けてくれた人がいたんだっけ。

リズは懸命に記憶の糸を辿ってみた。
色黒で、背の高い大きな男だったはず。
黒髪ではなかったから、メイツラグ住民ではないことは確かだ。
かといって灰色なんて髪の毛はレイザースでも、あまり見かけない。
亜人の島か、それとも、もっと遠い南の国から来た船乗りなのかもしれない。
南の国と言えば、ファーレンの軍隊が派遣されていたはずではなかったか?
もう到着したとの報告も受けている。
そこまで考えて、リズは、がばっと跳ね起きると、慌てて軍服に着替え始めた。
そうだ、のんびり寝ている場合ではなかった。
歓迎式だ。
今日は歓迎式をおこなう予定が入っていたのだ。
遠方から来た客――ファーレン、いや今はレイザース海軍か――を迎えねばならない。

その歓迎式も終わり、場が解散となった後。
カミュはメイツラグ海軍本部にある司令室へと招かれていた。
奨められるままに着席し、右手から順に紹介される面子へ会釈する。
「ようこそ、メイツラグへ。我々は貴方がたの助力を心より楽しみに……あぁ、いや楽しみというのは不謹慎ですな。しかし、これは期なのです。英雄などと思い上がった海賊達を一掃できるチャンスは、今しかない!」
最初に紹介された参謀長官、名はグラーニンといったか、老人は拳を振り上げ熱弁を奮っている。
噂で聞いたのと実際の住民の感情とでは天地の開きがあるな、とカミュは思った。
バイキングは確か、街では英雄として祭られているのではなかっただろうか。
だが老人の目に浮かんでいるのは、紛れもない憎悪の色だ。
「その通りだ、グラーニン卿。民衆の心も奴らから離れ始めた今こそ、我ら海軍が動かずして何とする。民を守るのは英雄ではない、国家なのだ」
熱く語る老人の横で、鬱蒼とした髭のウェイラー少尉が頷く。
中央に座る女性大尉も彼らの言葉を受けて、力強く繋いだ。
「そうだ。国王の信頼を失わぬ為にも、我らは今回の討伐で残らず海賊を倒さねばならない」
「海賊を?今回の共同作戦は、あくまでも逆賊討伐ではなかったのですか」
カミュは思わず口を挟む。
そんな彼を女大尉リズは真っ向から見据え、きっぱりと言い切った。
「残った海賊を放っておいては、第二第三の逆賊も出てこよう。我々の任務は、メイツラグ海峡における全ての海賊を打ち倒すことです」
「海賊退治は海軍の務め。まさかレイザースの一個小隊を任された少尉ともあろう御方が海軍の本懐を、ご存じないはずもない。そうでしょう?」と言ったのはリズではない、彼女の隣に腰掛けた年若い男だ。
角張った鼻。
細長い目は刃物のように鋭く、冷たい印象を人に与える。
「バルセクツ卿、口を慎みたまえ」
グラーニンが諌めるも、ゲイツは聞く耳を持たず話を続けた。
「それとも、さしものレイザース最新鑑でも、一隻だけでは心細いと申されるのですか?」
カミュが言い返すよりも早く、髭面の少尉が勢いよく机を叩く。
「バルセクツ殿、言い過ぎですぞッ!レイザースは我らの困難を善意で助勢して下さるのだ。その為に一隻とはいえ軍の機密であろう最新鑑を、我々の元へ送られたのではないかッ」
手の内を明かすというのはメイツラグ軍を信頼しているという意味にも受け取れると、ウェイラーは言いたいのだろう。
血気盛んで青い若者だ。
カミュは言葉を選びながらゲイツに返した。
「ご心配なく、バルセクツ殿。レイザースの魔砲は一隻で十隻の船を沈めます。メイツラグ軍の援護をするにあたり、これほど強力な援護攻撃もないかと自負しております」
お前らが使っている旧式の砲弾十発よりもレイザースの魔砲一発のほうが強力だよ、とでも言ってやりたかったのだが、ウェイラーに気を遣ってあげたのだ。

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