北海バイキング

5話 到着

コハクがバイキングに捕らわれてから、二週間が過ぎようとしていた。


メイツラグ海軍――
名前は大層だが、中身が伴っていないとゲイツは思っている。
海軍補佐などという大袈裟な階級も、彼にとっては負担なだけだ。
彼の名はゲイツ=バルセクツ。
メイツラグ海軍にて、リズ大尉の補佐を務めている。
幼い頃から海を見て育ち、バイキングの活躍を耳にしてきた彼にとって、バイキングになるのは幼い頃からの夢だった。
なのに、彼の夢は徴兵制度によって脆くも打ち崩されてしまった。
海軍が出来ると同時に設立された、この制度は三年という辛い訓練を成人男性に与えたばかりではなく、貧しい国を更に貧しくしていった。
何故なら軍隊に束縛されている間、彼らは働きにも出かけられなかったからだ。
国民を犠牲にしてでも、メイツラグには軍事力を強化しなければならない理由がある。
日に日に強大な勢力を増していく中央国家レイザースの存在だ。
レイザースの支配下へ置かれぬ為に、メイツラグは防衛力をつけざるを得なかったのだ。
――しかし、とゲイツは考える。
考えようによっては、どこかの国に支配されたほうが国民の為になるのではないか?
国が貧しいのは、今の政治が悪いせいだ。
高い税金を払わせている割に、景気がよくなったという話も聞かない。
聞けば、バイキングが反乱を起こしたのも税が高くなったからだという。
なら、重税を強いる王家が転覆すれば――他の誰かが、政治の指揮を執るとすれば?
そこまで考えて、ゲイツは ふぅと溜息をつく。
なってみなければ判らない結果に頼るのは、無能が思いつく妄想だ。
それに、支配下に置かれたら今より酷くなる可能性だってあるかもしれない。
つまらない妄想に時間を使ってしまったことを後悔しながら、彼は手早く着替える。
せっかく休日を貰ったのだ、この一日を有意義に過ごさねば。

兵舎は思ったよりも人が少ない。
昨日、リズはいきなり暇を出された。
といっても、軍をクビになったわけではない。
今日は一日ゆっくり休んで鋭気を取り戻せ、と将軍に言われて休暇を貰ったのである。
たった一日しか休みが出ないところが、いかにも即席の組織らしい。
ともかく今日は兵舎にいても、訓練はおろか召集さえも、かからないだろう。
兵の殆どが出払っているし、休日を出すということは将軍だって休みたいのだ。
連日、国の英雄相手に戦っていては、精神も体力も限界に近づいているはず。
リズは、しばし考え、街へ出ることにした。
たまには街をぶらつくのも悪くない。
窮屈な軍服を脱げる、それだけでも嬉しかった。


メイツラグ海軍が臨時休業の札を下げた頃、ファーレン海軍は北の海域を突き進んでいた。
ここまで来る頃には肌を刺すほどに冷たい風が吹き荒れ、波も高くなっている。
南の国とは全く異なる風が、南国育ちの兵士達を悩ませていた。
「ジェナック、キミは半袖で平気なのか?寒いんだったら上着をきたら」
へっくしょん!と大きなクシャミをかましてから、カミュが尋ねてくる。
カミュは上着に防寒具、目深に帽子を被っていた。
寒いのか時々手をこすり併せては息をかけたり、忙しなく足踏みしている。
対するジェナックは半袖シャツ、上着は肩にかけている。
出航した時と同じ格好のままだ。
水の入ったバケツを足元に下ろし、彼は答えた。
「いや?寒くはないが……暇だな」
もうすっかり、甲板掃除に飽きているようであった。
「寒くないだって!?」
カミュは大声で叫んでから、まじまじと相手の瞳を覗き込む。
ジェナックが嘘を言っていないと判るや否や、改めて惚れ惚れと彼の顔を見つめ直した。
「さすが、鍛えている人は違うねぇ」
「お前だって軍人だろう?」
すかさず突っ込むと、ジェナックは冷やかすように肩を竦めてみせる。
「海軍ってのはモンスター討伐が専門職だと思ったが」
レイザースの支配下に置かれた今、ファーレン海軍には敵と呼べる国家がない。
従って海軍の敵は、もっぱら海のモンスターや海賊に限られた。
「そりゃ、僕だって雑兵の頃は頑張って戦ってたけど」
遠い目で海を眺めながら、カミュも肩を竦める。
「僕の昇進は戦いだけで得たものじゃないからねぇ」
「ほぅ?」
気になる発言にジェナックの片眉が、ぴくりと跳ね上がる。
「ご教授願いたいもんだな、カミュ少尉が培った昇進術ってのを」
「ジェナック、あなた昇進に興味があるの?」
背後から声をかけられ二人とも振り向くと、そこにはマリーナが立っていた。
カミュと同じく防寒具に身を固めている。
やはり寒いのか襟をたて、吐く息は白い。
「男なら一国一城の主を目指すのは、当然だろ?」と言った後、ジェナックは、こうも付け加えた。
「だがマリーナ、お前なら一国一城の女あるじになるのも夢じゃないな」
どう受け取ったものやら微妙なお世辞にマリーナが頭を悩ませているうちに、雑兵が近寄ってきて「陸地が見えてきましたであります!」とカミュに報告を伝える。
「ご苦労」
片手で答えてから、カミュは水平線に目を凝らす。
霧がかって何も見えない。
少尉は、ぼそりと呟いた。
「意外と早くに着いたな」

船が港に入り、カミュが手続きを済ませている間、雑兵は各自部屋で待機となる。
手続きが済む前に必要な分だけ荷物を、まとめておかなければならない。
これから半年以上は、この寒い国に滞在するのだ。
一番多く要るのは着替えだろう。
「足の踏み場もないっていうのは、こういう部屋を指して言うのね」
ドアを開けた途端、マリーナの口からは呆れた言葉が飛び出した。
ジェナックの部屋は見事に持ち物が散乱しており、文字通り足の踏み場もない。
床に散らかった下着やシャツを踏まないようにしながら部屋の主に近づくと、ジェナックは振り返りもせずに答えた。
両手は鞄の中に衣類を詰め込むので忙しい。
「広い部屋ってのは落ち着かないんだ。物が側にないと眠ることもできんよ」
広い?
ベッドとロッカーがあるだけでも圧迫感を感じる、猫の額ほどの広さの部屋が?
「持って行くのは着替えだけで充分か?」と尋ねられ、マリーナは頷く。
頷きながらも、上着を押し込めようとする彼の手を押さえて首を振った。
「えぇ。でも持っていくのは下着だけで充分よ。向こうで調達するって約束だし」
「約束?」
ジェナックは首を傾げている。
二週間前、自分で言ったことを忘れてしまったようだ。
だから念を押すように、マリーナはゆっくりと言ってやった。
「あなたに似合う服を捜すんでしょ。一緒に見てまわるって約束したじゃない」

相手側からの伝達が届き、カミュは呆れた。
なんでも今日一日、メイツラグ海軍は臨時休業だというではないか。
軍隊が臨時休業とはね。
呆れるカミュとは裏腹に、雑兵達は思い思いの期待を胸に船を下りていった。
初めて見る景色。初めて見る街。
港町は街というよりは素朴な村といった方が似合っていたが、南国育ちしかいないファーレン軍人の好奇心を満たすには、それでも充分であった。
「寒い!息が凍る!」と叫びながら、子供のように瞳を輝かせ街の景色に見入っている。
誰もが十歳以上は若返ってしまったかのようであった。
もちろん、マリーナとて例外ではない。
「ねぇ、見て!」
彼女は港に停まる船を指さした。
「豪華な船よねぇ、軍艦かしら?」
「あれはバイキングの船だよ」
答えたのは、ジェナックではない。
最後に船を下りてきたカミュ少尉だ。
「バイキング?海賊風情が随分と立派な船をお持ちだな」
気難しい顔で応えるジェナックをシィーッと制し、カミュは素早く周辺を見渡した。
地元の連中が、こちらを眺めているが、幸いにも今の失言に気づいた者はいないようだ。
声を潜めてカミュは言う。
「バイキングは海賊じゃない。国の英雄なんだ、言葉には気をつけろよ?二人とも」
「だが今は逆賊だ。逆賊を海賊と言って何が悪い?」
開き直って胸を張るジェナックを見ているうち、カミュの胸を不安がよぎる。
近いうちジェナックはメイツラグ住民と、いざこざを起こすだろう。
それも間違いなく。
そうなったら、そうなったで、僕も開き直ろうかしら。
まずはメイツラグ海軍がバイキングをどう受け止めているかを知るべきだ。
あれこれ考えていたカミュは思いを打ち切ると、皆にも同じ忠告を与えて解散命令を出した。

Topへ