北海バイキング

1話 故郷へ帰る

波しぶきを見るのが、昔から大好きであったように思う。
ざざん、ざざん、と一定のリズムで浜辺へと押し寄せてくる波。
それらは岩に砕けたあと、形をなくして消えてゆく。
砕けた時に一瞬だけ、白い花を咲かせる。
それを見るのが好きだった。

ファーレンから船に乗り、北上すると、やがて大きな陸地が見えてくる。
その大陸の岬にある港町クレストバーン。
クレストバーンはレイザースの占領下にある街だ。
レイザースは世界一の軍事国家として知られているが、それだけではなく学問、魔術、医学においても世界トップの技術最先端国である。
レイザース領を訪れる人の数は多く、街は栄え、行き交う船の数も多い。
港町からは、ファーレンとメイツラグへ向かう船が定期的に出ていた。

「コハク、もしかして、コハクなの?」
船を下りたコハクは堤防にぽつんと立ち、砕け散る波しぶきを眺めていたところであった。
そこへ、不意に声をかけてくる者がある。
声からすると女、それも年頃の少女だろうか?
不審に思い目をやったコハクは、声をかけてきた少女の顔をじっと眺める。
真っ黒な髪の毛は首筋あたりまでの、こざっぱりした長さで纏めてある。
琥珀色の瞳は大きく開けられ、好奇心と興奮で輝いていた。
寒さから彼女を守るのは、赤いイヤーフードとマフラー。手袋も赤い。
襟筋にポワポワとした狐の毛がついた、暖かそうな防寒コートを着こんでいる。
そして、彼女の足元には異様に大きな鞄が置かれていた。
大きいだけではない。
色も無骨で、ゴツゴツとあちこちが出っ張っている。
小柄で可愛い彼女には、およそ似つかわしくもない荷物だ。
「もう、コハク=ハルゲン!当たっているなら返事して!?」
焦れたように もう一度名前を呼ばれ、ようやくコハクは黙って頷いた。

クレストバーンの中央街、そこの一角にある喫茶店『マーラカイト』。
女性客から大絶賛のデートスポットに、コハクと少女は腰を落ち着ける。
正確に言うと、少女に腕を取られて有無を言わさず連れ込まれた。
「それにしてもココでコハクと出会うなんて、夢にも思わなかったよ〜!あ、コハクは何食べる?何か飲む?あたしはー、ミルクサイモンにするけど」
先ほどから浮かれ調子で話している彼女の名前はファナという。
コハクとは幼少の頃に家がお隣同士、という幼なじみの旧友であった。
旅に出てからは一度も会っていない。
ファナが名乗ってくれなかったら、恐らくは一生彼女だと気づかなかっただろう。
「………水………」
「水?お水だけでいいの?まぁいいや。ウェイトレスさぁん、お水一杯ちょうだぁい!」
呟くコハクに首を傾げ、それでも気にせずウェイトレスを呼び、かと思えば、すぐに向き直り、コハクに向かって「へへっ」と微笑む。
好奇心の強そうな瞳が、まっすぐ上目遣いにコハクの顔を覗き込んでいた。
「ねぇ、今は何やってるトコ?武者修行の旅の途中?」
「………」
「そう、まだ続けてるんだぁ。じゃ、どれくらい強くなった?」
「…………」
「ふぅ〜ん。でも世の中には強い人がたっくさんいるからね〜。油断しちゃダメだよ?過信してたらスグ足元をすくわれちゃうんだから!」
先ほどからコハクはウンともスンとも言葉を発していないのだが、ファナは何事か納得したような表情でウンウンと、しきりに頷いている。
幼なじみだけに分かる何かが、あるのかもしれない。
コハクが初めて口を開く。
「………ファナは……?」
「あたし?あたしはねー、旅の武器商やってるんだ。ほら、これが商売道具!」
嬉しそうに、どんっ!と大きな鞄をテーブルの上に置く。
重さでテーブルがギシギシ鳴るのにもお構いなく鞄を勢いよく開けると、中から顔を出したのは、尖った先端のレイピアやらトゲトゲがついた棍棒。
恐ろしくも物騒な武器が見え隠れしている。
少なくとも、喫茶店で見せびらかしていいような代物ではない。
すぐさま鞄のチャックを閉め、コハクは彼女に目で促す。
無言の催促に促されて、ファナは鞄を足元に降ろし、屈託なく笑った。
「でも、なかなか売れなくてねー。あははは!それに最近はヤな噂とかも耳にするんで、商売どころじゃないっていうか……」
おや、とコハクは彼女を見る。
心なしか声のトーンが落ちたように思ったのだ。
見れば、ファナの顔は曇っている。
ありえないほどの落ち込みようだ。
コハクは彼女を促してみる。
「………噂?」
するとファナは、堰を切ったかのように怒濤の勢いでしゃべり出す。
ずっと誰かに言いたくてたまらなかった、とでもいうように。
「あのね、メイツラグのバイキングが、メイツラグの船を襲ってるっていうの!でも、そんなのありえないよね?だって、バイキングだよ?パイレーツじゃなくて!なんで父さん達が、そんなことしなきゃいけないの!? 信じらんないッ」
話しているうちにファナの大きな瞳からは涙がぽろぽろと、こぼれ落ちてくる。
「それで、メイツラグ海軍が打倒バイキングに動き出したって噂も聞いて!どうしようコハク、このままじゃ父さんが!父さん達が殺されちゃう……ッ!!」
ファナ、落ち着いて。
そんな言葉をかける代わりに、コハクは無言で彼女の体を抱きしめてやった。

船は今、メイツラグへと向かっている。
一人で帰るのは危険だというコハクの一言で、二人は一緒に凱旋することになった。
故郷へ帰るだけだというのに一体何が危険なのか?
ファナには、さっぱり判らない。
でもコハクが一緒に来てくれるというのは、素直に嬉しかった。
少年の頃のコハクは恐ろしいほど無口で、自分の感情を表すことなど滅多になかった。
青年に成長した今でも、それだけは全く変わっていない。
昔のままのコハクである。
それでも、ファナには何となく判るのだ。
彼の微妙な気持ちの表れと、彼が何を伝えたがっているのかが。
幼なじみだからとか、そんな理由で判るわけじゃない。
ファナに不思議な力があるわけでもない。
ただ、何となく判ってしまうのだ。
判ると思うこと自体が、ファナの一方的な勘違いなのかもしれないけれど。
「ねぇ……コハク」
傍らに立つコハクを見る。
黒髪が乱暴に風で煽られているのにもお構いなく、コハクは前方を見据えていた。
すらっと背は高く、ファナの頭二個分ぐらいは差が離れている。
昔から背は高かったけれど、歳を取ってから更に背が伸びたのかもしれない。
男という生き物は成長期になると、いきなり背が伸びたりするものだから。
海を見つめているコハクの顔は、先ほどまでの眠たげな表情ではない。
いつになくキリリと真面目に険しい視線で、水平線を睨みつけていた。
「ねぇ」とファナは、もう一度声をかける。
するとコハクが振り向いた。
「………?」
「急に帰る気になったのは、どうして?」
彼は「………おじさん………」とだけ呟き、後の言葉は一向に続かない。
その後に続くであろう言葉を予測し、ファナは尚も尋ねる。
「父さんが気になるから?でも、それだけじゃないんでしょ。理由は」
コハクが訝しげに眉をひそめる。
何故そんなことを聞くのか?と、目が尋ね返していた。
――帰りたいのは、あの人に会いたいから?
彼女の脳裏に一人の女性が浮かび、すぐにイメージは消え去った。
今は惚れただの腫れただのとやっている場合ではない。
「……うぅん、何でもない」
何となく恥ずかしくなり、ファナはコハクから視線を外した。


極寒の地、メイツラグ。
世界地図で見ると北方に位置する小さな島国で、年中雪に覆われている。
街はいつでも吹雪いていて、防寒コート無しでは満足に歩くこともままならない。
このような気候の元では当然、作物などが育つわけもない。
メイツラグの国民は非常に貧しく、毎日が飢えとの戦いであった。
だから、仕方がなかったのだ。
仕方なく、国王は一つの政策を打ち出した。
それが国家海賊バイキングの始まりだとされている。
国王直々から他国への侵略、及び略奪を許される唯一の存在。
それがバイキングと呼ばれる一団である。
彼らはメイツラグの英雄であり、同時に国の恥でもある――と、若き将校リズは考える。
蛮勇といえば格好良いだろうが、所詮は略奪者。
他国からしてみれば、海賊と言い換えたっていいだろう。
それを英雄視し、あまつさえ国をあげて援助するとは、この国の正義は、どちらの方角を向いているのだ!
国がおかしいから、海賊の奴らまでをも増長させる結果を招いてしまったのだ。
ベッドに腰掛けたまま、リズは己が両手で顔を覆う。
国民を守るのは軍人の務め。
それはリズにも、よく判っている。
だが、これから打倒せねばならぬバイキングも国民のうちの一人なのだ。
――私は一体、どっちを守ればいいのだろう?
――私のやろうとしていることは、本当に正しいのか?
一人自室で悶々していると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「ダイナー大尉。そろそろ歓迎式の準備を致しませんと」
そうだった。
悩んでいる暇など、リズにはなかった。
もうすぐ我が国に遠征練習と称して、他国からの海軍がやってくる。
彼らは実のところ、打倒バイキングの援軍として送られてきた軍隊であった。
ファーレン国、いや今はレイザース領ファーレンから派遣されてきた一小隊。
南の国の軍隊が雪国で、どれだけ活躍できるのかは怪しいが、他国からの援助である以上、丁重に出迎えをしなければ失礼にあたる。
「あぁ……」
力なく答え、リズはクロゼットにかけてあった正装へと手を伸ばした。

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