DOUBLE DRAGON LEGEND

第八十八話 最後の関門


猛獣の上で見渡す戦場は、どちらを向いても血飛沫が飛び交い、気分が悪くなる。
そうでなくても、揺れの衝撃で葵野は充分グロッキーになっていた。
タンタンは、よく平気で騒いでいられるものだ。
美羽を捕まえる友喜の手伝いをする――そう言っていたが、大丈夫なのか。
いや自分達がではなく、友喜がだ。
MSに変身しないで伝説のMSへ立ち向かうつもりでいる。
人波にかき消え、すでに彼女が何処にいるのかは判らない。急がなくては。
助けになれるのかどうかは、判らない。でも、友喜を生身で美羽へ立ち向かわせるのは危険だ。

友喜は一直線に美羽のいる場所を目指して走ってきた。
「みんな!そこをどいて、あたしに任せて!!」
血気盛んな仲間は頭に血が上っているのか、友喜の叫びを聞く様子がない。
美羽がいたと思われる付近では、もうもうと砂煙があがり、多くのMSが集結していた。
彼女は小さく舌打ちし、目視で蛇の行方を追った。
どんなに小さかろうと素早かろうと、攻撃する時には必ず動きが止まる。
ギャアッと叫ぶ獣の首筋に黒い影を見つけ、友喜は飛びかかった。
「美羽ッ、やめなさい!」
あと少しの距離で他のMSに阻まれて、手は空を握りしめる。
「もうっ、邪魔!」と癇癪を起こしても仕方ない。
皆は皆で、やはり美羽を捕まえるのに必死なのだから。
大勢で飛びかかっても、お互いが障害になるだけである。皆も理性では判っているのだろう。
それでも理性を忘れて飛びかからせるだけのものが、あの小さな蛇にはあった。
誰だって致命傷を負うのは嫌である。
誰もが己を守るために躍起になって美羽を捕まえようとしていた。
その結果が、この乱闘である。
砂埃は舞い、体の大きいMS同士がぶつかりあい、蛇が何処にいるのかも判らなくなっている。
一旦戦況をリセットする良案はないのか、友喜は脳内で素早く考えをまとめる。
そして、行動に移した。
「みんな、どいて!どかない人は吹き飛ばすわよッ」
この混戦の中、龍に変身したのだ。とっさの事で皆、よける暇もない。
吹き飛ばされる味方の前方に小さな影を見つけ、友喜は叫んだ。
「そこね!」
「何をするんだ、友喜!うわっ」
文句を言ってきた味方を問答無用で蹴散らし、龍は小さな影へ突進する。
踏みつぶそうかという直前で友喜はMS変化を解いて、小さな蛇へと飛びかかった。
手の内に、ぬるっとした鱗を掴みあげ、やった――!
そう思ったのも、一瞬で。
次の瞬間には小指と薬指に鋭い激痛を感じ、友喜は小さく「くぅっ」と呻く。
握りしめた右手を、思わず開いていた。
蛇がぬるりと這い出して地面に落ちるのも、友喜には構っていられる余裕がない。
指の痛みは恐ろしいほどに達している。正気を保っているのも辛いぐらいの痛みだ。
生暖かいものが皮膚の上を伝ってくる。その感触が、さらに嫌な予感を抱かせる。
自分の手を見るのが怖かったが、見ないわけにはいかない。
恐る恐る右手を顔の前にかざしてみる。
小指と薬指が、根本から消滅していた。

美羽を目指して進んでいた司とアモスは、しかし計画変更を余儀なくされる。
混戦を突破した猪が、こちらへ向かって突っ込んできたからだ。
「リオは!リオとアリアは、どうしたんだ!?」
喚くアモスへは、前方を指さしてカメレオンが叫び返す。
「振り切られたみたいだ、今、追いかけてきている!」
こちらへ向かってリオが突進してきており、その背に白いモコモコを見つけたアモスは安堵の溜息を漏らす。
だが、安心している場合ではない。
目の前を尖った牙で突き上げられ、スレスレでかわしたアモスは「おっと!」と叫ぶと大きく後退した。
「油断するなよ、該は強い!」
襲われるよりも前から、司は警戒態勢に入っている。体勢を立て直したアモスも頷いた。
「あぁ、知っている。先に彼を治そう。戦闘はツカサにお任せしてもいいか?」
「勿論だ。僕じゃなければ、彼を捕まえるのは無理だ!」
言うが早いか白犬は猪に突っ込んでいき、素早い動きで翻弄する。
そのスピードたるや、光に洗脳されていた時よりも数倍は速い。さすが、伝説と呼ばれるだけはある。
アモスは内心舌を巻き、司を一番最初に解放できたのは幸運だとも考えた。
何度となく白い疾風が飛び回り、そのつど猪の体毛や血が、そこら中へ飛び散った。
該は苦痛に喉を鳴らし、動きが次第に弱まっていく。
そのうちに、よろっと体勢を崩して地面に倒れ込んだ。
――今だ!
アモスは一気に突進して該との間合いをつめると、彼の瞳をのぞき込む。
「ガイ!判るか、俺だ、アモスだ!頼む、正気を取り戻してくれ!!」
どんより赤く濁っていた瞳が、次第に正常な色へと戻っていく。
二、三度、緩く頭を振って、該が立ち上がった。
「俺は……一体……?」
「君も同じだ、僕と一緒で操られていたらしい」
横から話しかけてきた司へ振り向き、該は首をかしげる。
「操られていた……誰に?」
「おそらくは、トレイダーだ」と答えたのは、アモス。
遙か彼方の水平線へ目をやって、付け足した。
「奴らが何か光線のようなものを撃ってきた。その直後だ、お前達がおかしくなったのは」
「何のために、俺達を操ったんだ」
なおも該は理解できないのか、ぶつぶつと呟いていたのだが。
「後で奴らに直接聞けば判るさ。それより、今は美羽を治すのが先だ」と司に急かされ、共に走り出す。
美羽も治して伝説の三人でかかれば、坂井など敵ではあるまい。

「あっ……あぁぁ――――……ッッ」
引きつった悲鳴が友喜の喉を突き破り、砂塵の中に響き渡る。
指が、指がない。なくなっている。
根本に残っている白いもの、これは骨か?
食いちぎられたように、ギザギザの切断面を見せている。
傷口から、こんこんと溢れ出る血が止まりそうにない。
片方の手で押さえても無駄だ。指の隙間を抜けて、友喜の腕を、服を赤く染めていく。
怪我を治せる仲間はいない。唯一の頼み、龍の力を使える葵野はMSに変身できない。
初めから勝つ気などなかったが、捕まえる事すら出来ないほど実力に差があろうとは。
戦意が己の中から急速に失われてゆくのを、友喜は感じ取る。
絶対に治せない傷を与えるのは虎の印であって、巳の印は精神的な永久ダメージ。
そう、司からは聞いている。
なのに、どうだ。
美羽と戦って傷を負った者達は、一様に闘志を失っているではないか。
圧倒的な力の前には、弱き者は為す術がない。
そして傷の痛みが、その者から生きる気力も奪ってしまう。
自分も、もうすぐ、その仲間入りをする。いや、もう、しているのかもしれない。
脂汗を流し、右手を押さえて蹲る少女に、しかし小さな蛇は遠慮などしてくれなかった。
首筋に焼けるような痛みを感じて、友喜は「くぁっ!!」と悲鳴をあげて倒れ込む。
振り向かなくても判る。傷口からは赤いものが溢れ出て、自分のうなじを赤く染めていくのが。
「う、ぐっ」
もう一度、龍に変身するしかない。このまま、なぶり殺しにされるのは嫌だ。
そう思って起き上がろうとするが、両腕に力が入らない。
震える両手両足に力を込めた瞬間、がぶりと美羽に腕を噛みつかれ、友喜は絶叫する。
「ああぁぁぁ……ッッ!」
視界が狭くなる。
痛みと、そして流しすぎた血のせいで意識が朦朧としてきた。
こんなところで終わるのか。何のために、自分は産まれてきたのか。
戦うために、産まれてきた訳じゃなかったはずなのに。
友喜の脳裏を走馬燈がよぎり、己の作り出した血の海に顔から突っ込みながら、彼女は小さく呻いた。
最後に、最後にもう一度だけ、正気の司と話したかった……
気を失う寸前、友喜の耳に届いたのは、正気とおぼしき司本人の大声であった。
「しっかりしろ、友喜!!諦めるな、諦めたら、そこで何もかもが終わってしまうぞ!」
続いて何者かが自分の襟首を優しく咥えあげ、宙に放り投げる。
柔らかい何かの上に落ち、そこで友喜はアリアの声を聞いた。
「大丈夫、大丈夫です……!指がなくなったぐらいじゃ、人は死にません。ですから友喜さんは絶対に挫けないで下さい、生きるのを諦めないで下さい!」
ポタポタと顔に落ちてくるのは、これは涙か。きっと、アリアが泣いているのだ。
瞼を開いて確かめるのも面倒なほど、友喜は気力を失っていた。
もういい。司が来てくれて、自分の役目は終わったのだ。
「しっかりして!返事をして下さい、友喜さんッ」
アリアの悲痛な叫びが戦場に響く。リオが彼女を振り返り、優しくなだめた。
「そっとしておけ、アリア。この戦いが終わったら、急いでサンクリストシュアの医者の元へ担ぎ込もう」
前方では、司と該が美羽と睨み合っている。
「該、一気に畳みかけるぞ」
ぼそっと司が囁き、該も頷く。
「判った」
英雄の二人がかりでいくなら、一気に巳の印を捕まえられるだろう。
残る問題は坂井一人だ。

その坂井にはゼノとシェイミーが標的になりながら、少しずつ誘導を始めていた。
美羽のいると思わしき場所から、かなり離されてしまった。
これではアモスが移動するまでに時間が空いてしまう。
それまで囮をやっていられる余裕は、ゼノにもシェイミーにも残っていない。
足が悲鳴をあげていたし、体中に刻まれた傷が、じくじくと痛んだ。
坂井達吉は英雄三人と違って、格段に強いわけではない。
肉弾戦のみで語るならば、ゼノと同等の強さだろう。
にも関わらずゼノとシェイミーが苦戦しているのは、虎の印の力のせいだ。
今の坂井は能力をフルに使っている。たとえ掠り傷でも、その傷は一生治らない。
ゼノとシェイミーが受けた傷は絶えず血を吹き出し、人間が生来持つ治癒能力を妨害する。
傷が自然には塞がらなくなっている。このままでは二人とも、遅かれ早かれ出血多量で死ぬだろう。
治せるのは龍の印だけだが、肝心の葵野は何処まで走っていったのやら、どこにも見あたらない。
いや、たとえ見つかったとしてもMSに変身できないのでは、どうしようもない。
死ぬと判っていて、尚、ゼノとシェイミーの二人は囮になるのを止めなかった。
どうせ人間、いつかは死ぬのだ。早いか遅いかの違いである。
「シェイミー、坂井はまだついてきているか?」
後ろを振り返らずにゼノが走る。背に乗った小兎が背後を見やって、小さく頷いた。
「うん。脇目もふらずにボク達だけを狙って走ってきているよ」
ゼノとシェイミーが囮になった瞬間から、坂井は他の者には目もくれず、二人だけを狙うようになった。
操られているにしては明確な狙いにシェイミーは首をかしげたが、ゼノには薄々予想がついた。
何ってトレイダーの狙いに、だ。
奴は試したかったのだ。十二真獣同士を戦わせ、どれが一番強いのかを。
思い返してみれば、彼らとの戦いでは常に十二真獣の姿があった。
サンクリストシュアは、十二真獣をおびき出すための餌として使われた。
砂漠都市も、そうだ。
ウィンキーが操られたのだって、それと関連しているのではないか。
トレイダーは十二真獣をターゲットにしている。間違いない。
今だって、操られたのは全員じゃない。たったの四人だ。
強い者を操って全滅をはかったんだと考えても、友喜やゼノ、アモスを操らないのは、おかしいではないか。
アリアだって、そうだ。彼女を操れば、いとも容易く全滅まで追い込めるのに何故しないのか。
強い者を均等に分けて、戦うように仕向けている。それぞれが、フルに能力を使える舞台を用意して。
「……その手には乗るものか」
ゼノの低い呟きに、シェイミーが反応して伸び上がる。
「えっ?ゼノ、今なにか言った?」
「いや」と首を振り、ゼノは走ることに専念した。
遙か前方には砂埃が、もうもうと舞い上がっている。アモスがいるのは、きっとあそこだ。
あそこまで坂井を誘導すれば、自分達の役目は、そこで終わる。

美羽と該&司の戦いは一瞬でついた。
美羽の動きは素早かったが、司は更に上をいくスピードだったのだ。
司が押さえ込み、噛みつこうとする美羽の口は、該が頭ごと踏みつけ無理矢理閉じさせる。
あとはアモスにお任せして、美羽は無事に正気を取り戻す。
タンタンと葵野を乗せた猛獣が到着したのも、その直後で、飛び降りて周りを見渡したタンタンが「あれっ?」と奇声をあげるのは無視して、該が美羽を背に乗せる。
「怪我は痛まないか?美羽」
「平気ですわぁ」
美羽は不快げにチロチロと舌を出し入れしたが、それが怪我による不機嫌ではないのは該も承知だ。
彼女は自分が正気を失っていた、誰かに操られていたのが不快なのだ。
「このワタクシを意のままに操るとは……絶対に逃がしませんわぁ、トレイダー」
「トレイダーを捕まえるよりも今は、坂井を元に戻すのが先だ」と先手を打った司が、遠方へ目をこらした。
それぞれの戦いを繰り広げているうちに、部隊はバラバラに切り離されてしまった。
最初に立てた作戦も何もなくなっているだろう。皆、本能の赴くままに戦っている。
「ゆ、友喜……!」
猛獣から降りてきた葵野が、青い顔で立ちすくむ。
視線の先には、リオの背中でぐったりと横たわる友喜の姿があった。
ボロボロの有様だ。
体中血まみれで、特に酷いのが包帯の巻かれている右手。
包帯は血を吸い、真っ赤に濡れている。
友喜はピクリとも動かない。まさか、死んでいるのか?
葵野を安心させようと、アリアが応える。
「大丈夫です、今は意識を失っているだけ……でも、あまり時間の猶予はありません」
「急ごう。坂井を元に戻したら、リオとアリアは最優先でサンクリストシュアへ撤退しろ」
指示する該へ、タンタンが尋ねる。
「他の皆は、どうすんのよ?」
答えたのは美羽で、未だ水平線の先に浮かんでいるであろう相手をキッと睨みつけて言った。
「トレイダーを捕まえるに決まっていますわぁ。あの戦犯ども、けして生かして帰さなくってよ」
そこへ割り込んできたのは、司だ。
「彼らへの処罰を決めるのは僕達じゃない。多くの被害を被った、国を治める統治者の仕事だ」
「あらぁ、ワタクシ達だって被害者の一人ですのよぉ?何もしない統治者に任せるなんて」と美羽は言いかけ、途中でやめた。
言い争っている暇は、ない。
こちらへ向かって全速力で走ってくる影がある。遠目に見ても、黒馬と虎であるのは判った。
ゼノは満身創痍だが、坂井に追いつかれる事なく引き離す事もなく、囮の役目を果たしている。
「正直な話、ゼノがここまで使える男だとは思っていなかったな」
感嘆する司に該が同意を示す。
「次世代へ向けた芽は、確実に育っていたという事だ」
美羽は小さく舌打ちし、前方を見据えた。
「感心している場合では、ございませんわぁ。次世代で最も厄介な男が残っていましてよ。あの男の攻撃、一度でも受ければワタクシ達は全員死にますわねぇ」
考えようによっては、坂井を一番最後に残したのは失敗だったかもしれない。
だが、司の強さをアモスは信じている。
司なら、必ず坂井の動きを止めてくれるだろう。

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