DOUBLE DRAGON LEGEND

第六十四話 ディクション


その建物は、ひっそりと、誰にも知られぬまま東の大陸に存在していた。
表向きは、奇病研究施設として。

白い壁で囲まれた一室に、十二人の子供がいる。
どの子も、この施設で生まれて、この部屋で育った者ばかりだ。
横にも縦にも幅のある大柄な少年が、手にした車の模型をコロコロと走らせている。
胸につけられた名札によると、この子の名前はシーザーというらしい。
【猪突猛進】の因子を持つ「寅の印」だ。
その傍らにいるのは、赤毛の少年ミスティル。
「酉の印」の因子は【猛者】だ。
丸太ん棒みたいな足を投げ出して、一心不乱に羊皮紙へ赤い丸を描いている。
この二人だけじゃない。
ユキ、コータロー、キース、アイリーン、アオイ、ベネゼイ、チュロ、ミワ、ガイ、ツカサ。
どの子供にも核となる「印」と、性格を位置付ける【因子】が組み込まれていた。
『ガイが、また孤立しているな』
剣持の視線が、部屋の片隅で立ちつくす黒髪の少年に止まる。
幼い瞳の中に宿された根暗な光を見れば、一目でわかる。あれは亥の印だ。
ガイは何をするでもなく、一人でポツンと立っている。
周りの子供達は彼に声をかけようとせず、好き勝手に各々やりたいことをやっていた。
『アイリーンかミワと組ませてみては、如何でしょう?』
剣持の横に立つ女性が提案し、剣持は片眉を上げた。馬鹿なことを、とでも言わんばかりに。
『指導者と女王様をか?ガイは繊細だからな、傷ついてしまうかもしれん。ツカサ!』
剣持に呼ばれて部屋の中央、緑髪の女の子と一緒に絵本を読んでいた黒髪の少年が、すっくと立ち上がる。
先ほどの映像でもチラリと姿の見えた、あの少年だ。戌の印、総葦司である。
『なんですか?マスター』
とてとてとガラス越しまで歩いてきたツカサに剣持は微笑み、ガイを指さした。
『ガイが寂しそうだよ。遊んでおやり』
『わかりました』
かしこまってお辞儀をすると、ツカサはガイの元へ走ってゆく。
『ガイ、ぼくといっしょにツミキで遊ぼう』と話しかける側から、甲高い声が、それを遮る。
『どうして!?ツカサはユキと絵本を読んでいたのに!』
腰に手を当て、仁王立ちしているのは緑色の髪の少女。頭から湯気が出そうなほどの、ご立腹だ。
『だって』とツカサも口を尖らせ、反論する。
『マスターが、ガイと遊べって』
少女は全く聞く耳を持たず、プイッと勢いよくソッポを向いてしまう。
『途中で放り投げるツカサなんて、知らない!もう、一緒に遊んであげないんだから!』
一連の喧嘩をガラス越しに見守りながら、剣持の隣で観察を続ける女博士が呟いた。
『我が強すぎますね、ユキは。あれでは他の十一人を潰してしまいかねません』
『いやぁ』
頭の後ろに手をやってボリボリ掻きながら、剣持が苦笑する。
『当分は様子見でいいんじゃないか?ユキはツカサと実に相性がいい。ツカサがユキを良い方向へ』
『うわぁぁぁ〜〜〜んっっ!』
剣持の言葉は、途中で泣き声に遮られる。
誰だと思って部屋を見やれば、泣いているのはツカサではないか。
『ユキの、ユキのばかぁぁーっ、いじわるー!』
『なによー!ツカサが、勝手にユキと遊ぶのやめたんじゃない。ツカサが悪いんでしょ!?』
怒鳴るユキの目にも涙が浮かんでいる。
彼女が続けて泣き喚くであろう事は、簡単に予測できる範囲だ。
『ツカサのバカ!バカバカ!そんなにガイが好きなら、これからはガイと遊べばいいじゃないッ』
なおもユキに罵倒され、ツカサは反論もままならず泣きじゃくるばかり。
ツカサとユキに挟まれたガイは、ビクビクオドオドと視線を彷徨わせ、困惑の表情を浮かべている。
とても二人の喧嘩を止められそうにない。
他の十二真獣は、というと、やはり誰一人止めようとせず、ぽかんと見守っている。
いや、ユキが放り投げた絵本を拾い上げ、小さな声で読み上げた少女がいた。
『……こうして、二人は仲良く暮らしました。とさ』
雪のように真っ白な髪の毛を二つに縛り、三つ編みにして垂らしている。
彼女の名はアイリーン。卯の印、因子は【指導者】であるらしい。
『空想の主人公達は仲良くできるのに、あなた達ときたら。すぐ喧嘩しちゃうのね』
幼顔に似合わぬ嫌味を吐き、わざとらしいほどの溜息をついた。
『だって、ツカサが!』『わぁぁーーんっ』
ツカサとユキが同時に抗議を申し立てる。
二人を見比べ小さな溜息をつくと、アイリーンはユキの腕に絵本を押しつける。
『泣いている弟を宥めるのは、お姉さんの役目よ?ユキ、あなたがやれないっていうなら私がやるけど……』
ユキは目一杯くちを尖らせて、怒鳴り返した。
『やるに決まってんでしょ!?ツカサのお守りが出来るのは、ユキだけなんだから!』
なおもベソベソと泣きじゃくるツカサの頭をポンポンと優しく叩き、ユキが猫なで声で囁きかける。
『ほらほらー、ツカサ、いつまでも泣いてないの!ユキが絵本を読んだげるから、いらっしゃい』
ついでと言わんばかりにガイへも視線をくれてやって、誘ってやった。
『ガイも!一緒に絵本を読みましょ』
『あ……う、ぅん』
『返事は、ハイ!』
『あ、は、はぃ……』
『も〜。グズねぇ、ガイは。ほら、さっさとついてくる!』
ユキは片手にツカサの腕を取り、もう片方でガイを引きずりながら、部屋の中央へ戻っていく。
どうなることかと成り行きを見守っていた二人の博士は共に安堵の溜息を吐き出して、ふと気づいたように、顔を見合わせて苦笑した。
『いやはや』
ポリポリと顎髭をかき、剣持が引きつった笑みを浮かべる。
『エルシーク、確かに君の言うとおり、ユキの因子は強すぎるようだ。調整が必要だね、ありゃあ』
そうでしょうとも、と言わんばかりに白衣の女性は大きく頷いた。

また映像が切り替わる。
幾つものビーカーや試験管が並べられた、研究室のような場所に出た。
白髪の老人と眼鏡をかけた黒髪の男が二人、色とりどりの液体が入った試験管を前に立っている。
二人は小声で、囁きあっていた。まるで誰にも聞かれまいとするように。
『カマタは、まだ怒っているのかね……?その、私がミワの体を、ああした件について』
しょぼくれながら、そっと上目遣いに見上げてくる老人へ、眼鏡の男が頷いてやる。
厳しい視線を扉へ向け、吐き捨てるように呟いた。
『の、ようです。何年経っても、一向に芸術を理解できない彼女にも困ったものですね』
壁にかかったポスターを一瞥し、再び老人を見つめた時には男の視線も幾分和らいだものになっていた。
『安心して下さい、ビーンズ。私は、あなたの美学を高く評価しています。ミワは我々の想像以上の女神に育つ事でしょう。私は、そう信じています』
『ありがとう、ミクリヤ。そう言ってくれると嬉しいよ』
そう言って笑ったビーンズは、感謝の気持ちが心の底から表われていた。
それに無言で頷き返し、ミクリヤと呼ばれた細身の男が壁のポスターへ近づいてゆく。
ポスターに描かれているのは、髪の長い女性だ。
よく見ると、彼女の股間からは女には生えていないものが天を向いて、そそり立っていた。
女だか男だか判らぬ人物は手に剣を携えて、巨大な蛇と戦っている。
愛おしむように、そっと表面を撫でながら、御厨は羨望の眼差しでポスターを見つめた。
『かつて神話の時代には、両性具有の人物が両手に余るほど存在していたという。男の力強さと、女の美しさを併せ持つ、究極の生命体……今の時代に、それを我々が創り出したとして、何が悪いというのです。つまらない道徳に囚われていたのでは、新しい進化など望めない。釜田は何も判っていないんだ』
カマタの名前を呼んだ時だけ、御厨の瞳に暗い光が宿る。
だが光はすぐに消え、彼とビーンズは物音に振り向いた。扉がノックもなしに開いたのだ。
『なんだ、こちらにいらっしゃったんですか。二人とも』
ひょいっと顔を突っ込んできたのは、他のメンバーより遥かに歳の若そうな青年だ。
どこか軽薄な印象が漂っている。
茶髪にピアスという格好も浮いており、白衣を着ていなかったら、彼らの仲間には到底見えなかっただろう。
『リミッツ、部屋に入る時はノックをしろと、いつも言っているだろう』
御厨の小言を、あっさり聞き流すと、リミッツ青年はビーンズへ微笑みかけた。
『ケンモチ所長が呼んでます。会議室に至急集まって欲しいそうです。あぁ、勿論全員、ね』

数分後。
ずらり顔を並べた仲間達を見渡して、剣持穣治はゴホンと一つ咳払いすると苦々しげに切り出した。
『皆も知っての通り、日に日にストーンバイナワークの侵攻は激しくなってきている』
侵攻といっても、表立って何処かの国で戦争が起きているわけではない。
彼らの示す侵攻とは、MS研究における学会抗争――
正しくはMSを人間として扱う奇病対策組と、MSを兵器として扱う人体改造組の派閥争いである。
剣持博士率いる【ディクション】は奇病対策組にあたる。
対して【ストーンバイナワーク】は、人体改造組に含まれるといっていい。
しかも彼らは、ここ数年の間だけでも仲間を数多く増やしている。
スポンサーの数も、奇病対策組の比ではない。
このままではMSが人間として扱われるどころか、使い捨ての兵器にされてしまう日も遠くない。
奇病対策組としては、何らかの対抗策を考えねばならなかった。
『どうなさるのです?まさか、アルフレッドのように武力行使で対立するとでも?』
当時【ディクション】の他に大きな施設を持っていたのは【アルフレッド】と呼ばれる機関だけであった。
そのアルフレッドが、先日ストーンバイナワークの研究所に奇襲を仕掛けたというニュースは、東と西の全大陸を震撼させた。
結果?……勿論、言うまでもない。
ストーンバイナワークの防衛の高さに、アルフレッドは尻尾を巻いて退散した。
元々学者は学問を研究する輩であって、戦闘が得意な人種ではないのだから、この結果は当然だ。
ましてやMSを武器化させようとしている輩に武力で対抗するなど、愚の骨頂だ。勝てるわけがない。
『いや……民衆の心を、説得で惹きつけよう。その為に【優等生】の因子まで入手したんだからな』
『では、ツカサを里子に出すんですね?』とのリミッツの問いに、剣持は首を真横に振った。
『ツカサだけじゃない、十二真獣は全員だ』
彼らが十二真獣と名付けた実験体は本来、奇病研究の為に生み出された人工生命体である。
奇病感染者からMSのDNAを採取し、因子と呼ばれる自動制御ロジックプログラムを脳に組み込んだ。
既存の方法では治せないと知った剣持が考えた、彼オリジナルの制御方法であった。
因子とMSが混ざり合った時、どのような結果が生まれるのか。
その答えが出るのは、彼らが大人に成長した時だ。
『全員……?でもガイは、まだ因子が安定していません』
異議を唱えたのは、黒髪を短めにまとめた女性。
『やれやれ、またか。カマタ、一人だけを依怙贔屓するのは感心しないな』
すかさず嫌味を飛ばしてきた御厨を、きっと睨みつけ、何か言いたげに釜田は口元を震わせる。
だが言葉は出てこず、代わりに彼女は剣持を振り返り、激しく食いさがった。
『せめて十年、いえ、五年だけでも待って下さい!全員が完璧な状態でなければ革命も成功しないでしょう』
『五年、か……五年で、あの子の引っ込み思案が治るとは俺にも信じがたいんだが』
『大丈夫です!私が、なんとかしてみせます』と、釜田の鼻息は荒い。
御厨が言うように、彼女は亥の印へ並々ならぬ愛情を注いでいるように剣持の目にも映ったのだが、あえて、そこはスルーして、彼は傍らの女性博士、彼の愛人にして副所長のエルシークに意見を求めた。
『と、ミナコくんは言っているわけだが。君は、どう思う?』
『カマタさん』
真っ向から釜田の目を見つめ、エルシークが問う。
『はい』
『あなた、五年でガイの因子を安定させると言ったわね。根拠を聞かせてもらえるかしら?』
『ここだけの話ですが……』
ひそひそと釜田が耳打ちしてきたので、知らずエルシークも中腰になって耳をすませる。
『ガイは、ミワに興味を持っているようです』
『ミワに?』
副所長の驚愕に、ピクリと御厨の眉毛が跳ね上がる。
ビーンズも興味津々、二人の女性の間へ割り込んできた。
『それは、性的な意味でかね?』
『嫌だわ、男って。すぐそっちの方面へ行き着くのね』
露骨に嫌悪を示し、吐き捨てる釜田をエルシークが促してくる。
『カマタさん、それはいいから。どうしてガイがミワに興味を持っていると、あなたには判ったの?』
『あの子の視線を辿れば一目瞭然です。ガイは常にミワを見つめているんですよ。羨望の眼差しで』
逆に言えば釜田が常にガイばかりを観察しているという事にもなろう。
だが、それを責める気はエルシークにも剣持にもない。
十二人も子供の格好をした生物の面倒を見ていれば、多少の好き嫌いが出てしまうのは仕方のない話だ。
『では、ミワとガイの件についてはミナコくんに一任しよう』
『了解です』
大真面目に頷く釜田へ、リミッツが軽口を叩く。
『あっれぇ〜?でもミナコって、ミワのこと嫌ってなかったっけ?』
すると釜田、じろっと鋭い目つきでリミッツを睨みつけて、キッパリ言い返した。
『私が嫌っているのはミワじゃありません。あの子を、あんな姿に仕立て上げたビーンズさんと御厨さんです!』
おかげで言われた瞬間、ビーンズはショボーンと項垂れてしまう。
その横では、御厨が神経質に貧乏揺すりを始めた。
剣持は余計な気を回さなくてはいけなくなり、内心舌打ちしながら釜田を軽く諫めておいた。
『あー、ミナコくん。我々はあくまでも、極秘裏に計画を進めなくてはいけない。その為にも喧嘩は御法度だ。例えビーンズの美学が気に入らなくても、彼らの前では仲良くするように』
全く納得のいかない顔で、釜田は不承不承頷いた。
『……判りました』


映像が徐々に暗くなり、やがて完全に消えてしまう。
同時に天井のライトがパッと点灯し、部屋全体が明るく照らされた。
「……デキシンズ、どうした?」
機械の上に、ちょこんと腰掛けて映像に見入っていたレイは、床で蹲っているカメレオンへ目をやった。
デキシンズはヨロヨロと立ち上がると、しきりに鼻の辺りを押さえながら答える。
「いや……ちょっと、鼻血が……」
「何処かにぶつけたのか?」
「そ、そうじゃないよ。ただ、あまりにも可愛かったもんで。英雄様が」
なんと、興奮しすぎて鼻血が出てしまったらしい。
「アホか」
まぁ、デキシンズのことは放っておくとしても、映像がこれだけという事はあるまい。
まだ続きが、或いは、これより前の記録が、何処かに隠されているはずだ。
フェレットは機械の上を歩き回り、他にもスイッチや怪しい物がないか探してみる。
やがて、薄い本のようなものが何冊も押し込まれた棚へと辿り着いた。
「デキシンズ、手伝え。この棚にある物を取りだしてくれないか?」
「う、うん」
首筋をトントン叩きながら近づいてきたカメレオンが、棚戸を開けると。
酸っぱい匂いが一面に広がったが、匂いは、すぐに四散してしまった。
「記録って書いてある。一から十二まであるな、全部見るのかい?」
「勿論だ」
一冊を手に取ったデキシンズが、裏表とひっくり返して首を捻る。
「あれ、でもこれ、どうやって見るんだろ?本ってわけじゃなさそうなんだが……」
本だと思っていたが、開けるページが一枚もない。本というよりは板だ。
「貸してみろ」
レイに催促され、言われるままに一枚手渡すと、フェレットは匂いを嗅いでいたが、不意に何かを思いついたのか、とっとこ機械の端まで歩いていった。
「どうしたんだ?」と今度はデキシンズが聞く番で、振り向いた彼女が言うには「その板を、この隙間に差し込んでみろ」とのことである。
ちょうど、今の板をはめ込む形に隙間が空いている。
レイは鼻を鳴らし、呟いた。
「恐らく、これはR博士の言っていた『磁気ディスク』というものに違いあるまい」
板を差し込んでみると再び部屋が暗くなり、映像が始まった。

一と記されたディスクには、十二真獣誕生の記録が撮られていた。
MSの遺伝子を持つ人工生命体に自動制御プログラムを脳へ組み込んだのが、十二真獣であるらしい。
剣持博士の残した石板にも、作り方のノウハウについては同じ事が書かれていた。
彼らが因子と呼んでいるプログラムも、人の手で造り出されたシロモノだ。
「我々と同じように、英雄様も造られた存在……人間兵器だった」
ポツリと呟くレイへ頷き、デキシンズは鼻を押さえた。
「ますます萌えてきたぜ」
せっかく止まった鼻血が、また出てきそうな案配だ。
「熱を上げるのも程々にしておけ」
薄目で軽くデキシンズを睨みつけ、すぐにレイの意識は映像へ戻る。
二と書かれたディスクには、十二人揃うまでの記録。
三には、彼らが五歳になるまでの記録が映っていた。
先ほど見た映像と、全く同じ内容である。
四は、ぐっと成長している。三の五年後に撮られた映像のようだ。
剣持とエルシークが何か話している。二人とも苦悩の表情を浮かべていた。
レイが丸いスイッチを鼻先で突くと、急に音量は大きくなり、二人の会話が聞こえてきた。

『ばかげている!』
剣持が怒鳴り、どっかと椅子へ腰を下ろす。
エルシークは先ほどからイライラした調子で足踏みし、壁に背をもたれた。
『彼らを、戦争に投与するなど……ありえんッ』
『でも、そうしないと研究援助を打ち切るって言っているのよ。……どうするの?』
状況が急変した。
彼らのスポンサーが路線を変更したのだ。
この頃にはストーンバイナワークが戦争を始め、西も東も混乱の最中にあった。
『十二真獣のちからは、正しいことを行う為に与えた能力だ!戦争で人を殺す為に与えた訳ではないッ』
剣持の怒りが虚しく響く。
五年前とは研究所の風景も、だいぶ変わっていた。物が少なくなっている。
少なくなったのは備品だけではない。人も減っていた。
中央国へ出向いていたビーンズが爆撃の余波で死亡し、その直後、御厨は失踪した。
故郷が心配だと言い残して去っていったリミッツは、徴兵されて戦地で亡くなった。
残っているのは釜田三奈子と剣持穣治、それからエルシーク・アエリナの三人だけだ。
『里子に出しましょう!戦争にかり出されるよりはマシです』
部屋の後方にいる釜田が叫んだ。彼女をチラリと見やり、剣持が尋ねる。
『しかしミナコくん……ガイは、いけるのか?』
あれから五年。
ガイとミワは釜田の献身的な世話により、以前よりは仲良くなっている。
だが剣持から見ると二人の関係は、まだまだで、ガイが一方的に姉さん姉さんとミワを追い回しているようにしか見えなかった。
しかし釜田は自信たっぷりに頷いた。
『プライベートタイムの記録によれば、ミワとガイは性交を何度か重ねています』
以前は性交なんて言葉に出すのも嫌がったくせに、今は冷静に述べると剣持を見上げた。
『ミスティルとシーザーの性交よりも会話が濃密です。ご覧になりますか?』
『いや、いい。ガイご贔屓の君が言うんだ、正しかろう』
ともあれ一番末っ子のガイが完成したとなれば、何も迷うことはない。
十二真獣を全て里子に出し、正しい人生を歩かせるしか道はなくなっていた。
外に出すのは危険をはらんでいた。何かのきっかけで、戦争に関わってしまう可能性も高い。
それでも、剣持は里子に出す家族を信頼しようと心に決めていた。
彼らが。彼らがきっと十二の子供達を、正しい道へ導いてくれると信じて……

場面が不意に変わり、十二の子供達がずらりと勢揃いする。
ミスティルは十代と思えぬほどガッチリ育っており、【鬼神】の面影が垣間見られる。
意外なのはガイで、今の屈強な肉体からは想像もつかぬほどスマートな体格だ。
ミワも今ほど妖艶さを漂わせていない。
どちらかといえば、落ち着いた雰囲気のある美少女といえよう。
ツカサは今と全く変わらない。黒い瞳は、凛と剣持博士を見つめている。
他の面子も順調に育ってきたようだ。
気弱な者、気が強い者など多々いるが、どの瞳にも曇りがない。
皆、まっすぐな精神を持って育ってきた証であった。
剣持がゴホンと咳払いし、話し始める。
『諸君等も知っての通り、戦争は日増しに激しくなってきておる』
『俺達も戦争に参加するのか?』と鼻息荒く尋ねてくるシーザーを手で制し、剣持は先を続けた。
『それはさておき、かねてより諸君等を里子に出そうという計画があった。大人になる為には、世の中も知っておかねばならないのでな』
『なるほど、社会勉強ってわけね』
物知り顔でユキが頷き、隣に立つアオイは小さく呟くと、俯いた。
『皆とも離ればなれになっちゃうの?』
『これが今生の別れというわけでもあるまい』と答えたのは、ミスティルだ。
『その通り』
剣持が後を引き継ぎ、皆の顔を見渡した。
『会おうと思えば、いつでも会える』
『でも、ここには帰って来ちゃいけないんでしょ?』
アオイはまだ不安そうだったが、彼女の肩をポンポンと叩いてコータローが励ましてやる。
『ここじゃなくてもいいじゃないか。アオイが手紙をくれたら俺は、いつだって会いに行ってやるぞ』
『ホント?』
『ホントだよ。約束する。指切りしようぜ』
『うん……』
微笑ましい会話を横目に、剣持は場を締めた。
『では、今から里親の住所を渡すぞ。渡された印から、順次ヘリに乗り込んでくれ』
鼠から順に里親の名前と印を呼ばれ、ヘリコプターへ乗り込んでいく。
中には行きたくないと駄々をこねる者や別れを惜しむ者もいたが、博士は別れの言葉と共に追いやった。
やがて半数以上が乗り込み、残っているのは二人。ガイとツカサだけになった。
ガイは、そわそわとヘリに目をやり、自分の名前が呼ばれる瞬間を待ちこがれていた。
ツカサは暗い表情で俯いている。
剣持の声が響くと、俯いたままの顔を強張らせた。
『次、戌の印!ツカサ、お前がお世話になるのは総葦家だ。東大陸、影廊都市に住んでいる』
ツカサは一歩、一歩とヘリへ歩いていき――乗り込む寸前で振り返ると、ダッと剣持の元へ走り寄る。
『どうした?ツカサ、早く乗り込みなさい』
剣持に急かされてもツカサは、ぎゅっと抱きついて離れようとしない。
再度博士が話しかけると、彼は顔をあげて剣持を見上げる。
その両目には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
『ぼく、僕……行きたくない。マスターと、ずっと一緒に居たいんです』
『何を言っとるんだ、優等生にあるまじき発言だな』
博士は苦笑して、泣きじゃくるツカサの頭を撫でてやる。
『ツカサ、お前は常に我々の期待に応える成果をあげてくれた。だが、お前の旅は此処が終点ではない。むしろ、ここが本当の出発点だ』
『出発……点?』
涙で曇る瞳へ『そうだ』と頷き、なおも剣持は説得する。
『ツカサ、お前を必要としているのは我々……いや、私だけではない。この世に生きる全てのMS、つまり奇病患者達が、お前の活躍を待っている。お前が、この世に平和を導いてくれるんだ。お前に与えた【戌の印】の能力が』
『ぼくの……能力……』
『さぁ、いっておいでツカサ。我々は、ここでお前の活躍を見届けよう。これが最後の別れじゃない。生きている限り、何度でも会える。だから、さようならとは言わないぞ』
すっ、と手を離し、ツカサが剣持へ向けて敬礼のポーズを取る。
『そうだ』と頷き、剣持は微笑んだ。
『いってらっしゃい、ツカサ。頑張れよ!』
『……はい!』
元気よく答えると、ツカサは今度こそヘリに向かって走っていった。一度も振り返らずに。


再び部屋が明るくなり、奇妙な唸り声を耳にしたレイが床下を見下ろすと。
「ふ、ふぉぉぉ〜〜……か、かわいすぎて萌え死んじゃうんだぜ、英雄様ぁ」
なにやら気持ちの悪い戯言を呟きながら、カメレオンが己の出した鼻血の海に沈んでいた……

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