研究所を無事に脱出しても、そこで終わりではなかった。
建物を飛び出した美羽一行は武装した非MS――すなわち、街の住民に襲われる。
「攻め滅ぼしに来たのか、この化け物め!」
口々に騒ぐ連中の攻撃をかいくぐり、一行は逃げの一手に回った。
「なっなっ、なんなのよぉぉぉ!?どーして、あたし達を敵視してるワケ?」
振り下ろされる斧をギリギリでかわし、振り回される棍棒の下を潜り抜けたタンタンが喚く。
「知るか。大方、パーフェクト・ピースの奴らに扇動されているんだろう、愚かな奴らだ」
頭上を飛ぶ鬼神が答え、美羽も人々の足下を縫うように這いながら、それとなく人々の顔色を伺う。
どの顔も怒りと恐怖で強張っているが、洗脳されているようには見えない。
本気で誰かの嘘を信じているというのか。
噂話を鵜呑みにするとは、ミスティルの言うとおり馬鹿な連中だ。
「も〜、なんなんや!ワッケわからんわ!最近のオレ、踏んだり蹴ったりすぎんのとちゃうか!?」
ウィンキーだけは変身していない。
大猿になれば、こんな連中を倒すのもわけないが、倒すなと美羽に言われたせいだ。
人間型で走る彼は四方から街の連中にボコボコと殴られて、顔がすっかり変形していた。
そんな彼を一瞥して、ミスティルは思案する。
この猿、ついこの間までキリングと名乗る牛に体を乗っ取られていたはずである。
乗っ取られていたというのは正しくない。正確には、体を取り替えられていたのだ。
それがどうして、いつの間にか猿に戻っている?
本拠地に残してきた、キリングに何かがあったとしか思えない。
本拠地が心配だ。だが、それにも増して心配なのは該だ。
美羽の話では猿の印と一緒に追っ手を引き受けたらしいが、ここに至るまで合流できていない。
出入り口は、ミスティル達が飛び出してきた一箇所しかない。
落ち合えるとしたら、この場所しかないのだ。
もし、敵の手に落ちたとしたのなら――
最悪の場合は見捨てるしかない。
前大戦時、敵の捕虜となったミスティルの恋人、シーザーを見捨てた白き翼のように。
森の都カルラタータ、その北方にある古い遺跡。
名もなく人々の記憶からも忘れ去られた遺跡に、一台の飛行船が着陸した。
「デキシンズ、遅かったな」
白き翼を捕獲したデキシンズを出迎えたのは、髪の長い女性だった。
デキシンズ同様、黄色い服に身を包んでいる。
「遅い?これでも最大最速ぶっ飛ばしてきたんだけどな」といって、デキシンズが肩をすくめる。
女性は構わず傍らの青年へ目を向けた。
「……そちらが?」
「そうだ。白き翼こと、伝説のMS。英雄様だぜ」
切れ長の目に見つめられ、司も彼女を見つめ返す。
背の高い女性だ。
燃えるように赤い眼、黒々とした藍色の髪を腰の辺りまで伸ばしている。
デキシンズとは、まるっきり印象が違う。
女性からは、どこか落ち着いた雰囲気を感じられた。
「君は?」
司の問いに女が会釈する。
「失礼。私はレイ・アラミス。円卓を守る十二の騎士の一人だ」
聞き慣れぬ名称に司は首を傾げた。
「十二の騎士?」
「なぁに。十二人いるのさ、俺やレイを含めた戦士がね」
面白くもなさそうに答えると、デキシンズは司の背を押して促す。
「それよりマスターがお待ちだ、急ごうぜ英雄様」
無言で頷き、レイの横を通り抜けた時。彼女が、ぽつりと呟いた。
「……伝説の勇者か。まさか、本当にデキシンズが捕まえてこようとはな」
え?となって司は目で彼女の背中を追った。
だが、それ以上レイが何かを言うことはなく、デキシンズに押されるようにして司は遺跡へ入っていった。
中へ入ると薄暗い廊下が続いていたが、歩いているうちに目が慣れてくる。
古びた遺跡だと思っていたが、内部は意外や綺麗に整備されている事に司は気がついた。
外壁には苔や蔦が一面を覆い隠すほど生えていたのに、内側には草の根一本も見あたらない。
「君達は、ずっとここに隠れ住んでいたのか?」
司が尋ねると、デキシンズは曖昧に頷いた。
「一部の奴らは、ね。だがマスターは最初、蓬莱都市に住んでいたんだ」
蓬莱都市といえば、パーフェクト・ピースの本拠地である。
「俺も蓬莱都市の生まれさ。で、俺達を連れて、最近こっちに引っ越してきた」
「君は、幾つなんだ?」
なおも問うと、デキシンズが顔を覗き込んできた。
「俺の歳なんか聞いちゃって、どうするんだい?つきあってくれるとでもいうのかな」
「えっ……」
思いがけぬ切り返しに司が赤くなっていると、横合いから捻くれた声が飛んできた。
「よぉ、ダメシンズ。英雄様を捕まえて、ついでにナンパしよう腹ってか?ケッ、調子に乗ってんじゃねーぞ」
反対方向から歩いてきたのは小柄な少年だ。
派手な柄のバンダナを頭に巻き、やはり黄色い服を着ていた。
黄色い服は彼らの陣営の制服であるらしい。
やぶにらみの三白眼でデキシンズを睨みあげ、かと思うと、わざとらしいほどの大声をあげる。
「おっや〜?全員捕まえたのかと思ったら、一人足りないじゃないか!まさかK司教ご自慢の騎士様が取り逃がした、なんてこたぁないよなァ?」
「ご覧の通りさ」
仲間の嫌味に凹むことなく、すました顔でデキシンズは肩をすくめた。
「寅の印は取り逃がしちまった。俺の実力は知ってるだろ?二人も捕まえるなんて無理だよ」
「ケッ、開き直ってんじゃねーよ」
ペッと廊下に唾を吐き、少年が憎まれ口を叩く。
「ったく、K司教も大変だな。テメーみてぇなクズの帳尻併せを毎回押しつけられんだからよ。ま、もっともクズを生み出した責任を取るのは、マスターの役目でもあるんだけどな!」
真っ向から罵られている。本人だけじゃなくマスターまで貶められた。
創造MSにとってマスターは絶対の存在であり、親であり、崇拝すべき存在だ。
いくら仲間とはいえ、尊敬する親を罵られてはデキシンズだって、いい気はしまい。
それまでクールに徹していた彼は、K司教を罵られた瞬間だけ反応を見せた。
ぎゅっと眉間に皺を寄せ、眉尻があがる。口元が微かに震えたのを、司は見逃さなかった。
だが、それも一瞬のことで、すぐにデキシンズは飄々とした笑顔を浮かべる。
「兄さん達は?戻ってきているのかい」
「もう中にいるぜ。あぁ、キャミサもな。皆で、テメーの帰りを待ってたんだ」
「皆で?しかしレイとは表で」
デキシンズの声は少年が足で蹴り開けた扉の音に掻き消され、行儀の悪い行為に眉を潜める司を一瞥し、少年は顎で促した。
「入りなよ、英雄様。皆がお待ちだ」
部屋の中も薄暗かったが、壁に取り付けられた蝋燭が人影を浮かび上がらせていた。
「デキシンズ、ご苦労だった」
中央と思わしき場所に誰かが座っている。
口元に髭を蓄えた男だ。恰幅もよく、威厳に満ちた顔をしている。
年の頃は四十から五十半ばぐらいか。この男がK司教だろうか?
男の傍らには、ひょろりと痩せた黒眼鏡の男。黄色い帽子を被った少女の姿もある。
「ネスト、下がれ。デキシンズ、それが白き翼か?」
バンダナの少年が頷いて、一歩下がる。
逆にデキシンズは一歩前に出ると、男へ微笑んだ。
「その通りです、マスター。思っていた以上に物わかりがよくて、大した抵抗もされずに済みましたよ」
K司教はニコリともせず、デキシンズから司へ視線を移す。
「これが白き翼……なるほど、伝承の通りだ。さっそくR博士の元へつれていけ、キャミサ」
黄色い帽子の少女がコクリと頷き、司の元へ歩いてきた。
「いきましょう、白き翼。R博士が貴方を、首を長ぁくしてお待ちですわよ」
RだのOだのという呼び名は彼らのコードネームではないか、とは美羽の推理である。
K司教がデキシンズのマスターであれば、彼ら全員が研究者だったとしても、おかしくはない。
初代十二真獣の出生は謎に包まれている。
MS研究をする者にとっては、是非とも解き明かしたい謎であろう。
キャミサに連れられ司が出ていき、K司教も立ち上がる。
「部屋に戻る。デミール、ネスト。お前達もご苦労だった」
「ヘィヘィ」
わざとらしく畏まり、K司教の背中を見送った後、ネストは振り向き、黒眼鏡の男とデキシンズ両名を意地の悪い笑みで見比べた。
「お前ら、同じギルギスでも、だいぶ違うよな。かたや二匹引っ捕らえ、もう片方は一匹しか捕まえられねぇときた」
「俺とこいつを比べる、それ自体が愚問だ」とは、黒眼鏡デミールの弁。
デキシンズは少し寂しそうな表情を浮かべ、彼を見た。
「そう言わないでくれよ、兄さん。これでも一生懸命やっているんだ」
「一生懸命やったって成果がないんじゃ意味ないぜ」
吐き捨てるネストの横で、デミールも吐き捨てた。
「これ以上、マスターの顔に泥を塗るようなら俺にも考えがある。覚悟しておけ、デキシンズ」
「考えって何だい?まさか俺を処分しようってんじゃないだろうな、兄さ……」
言い終える前に顔面を強か拳骨で殴られて、デキシンズは床を転がる。
「俺を兄さんと呼ぶな。それと、後で俺の部屋に来い。来ないなら……判っているな?」
ぎろり、と黒眼鏡の奥が光ったような気がした。
デミールは踵を返し、さっさと出ていく。
殴られた鼻がズキズキと痛む。
ぬるりとした感触が鼻の下を伝ってきたので、そっと拭ってみると、血が手の甲にこびり付いた。
「お〜、怖い怖い!さすがK司教が溺愛しているギルギスは厳しいねぇ」
遠巻きに眺めていたネストが茶化し、彼も部屋を出て行って、一人取り残されたデキシンズも、しばらく蹲っていたが、やがて溜息と共に立ち上がる。
「……酷いよ、兄さん。これでもホント、一生懸命考えてるんだぜ。俺だって」
寅の印を捕らえなかったのは、わざとだ。
坂井と葵野は敵に回すよりも味方につけた方がいいと思ったのである。
二人とも根が素直だ。
特に葵野は、助けられたことに恩義を感じているようでもあった。
葵野を味方につけておけば、中央国との交渉でも役に立つであろう。
だが兄とマスターは、理由すら聞いちゃくれなかった。
兄の目を思い出し、デキシンズは憂鬱になる。
眼鏡の奥で光るデミールの目には蔑みしかなかった。
いつになったら、兄は自分を認めてくれるのか。
同じ『ギルギス』の名前をもらった、マスターの子供として。
遺跡の中は広く、何も知らない輩が迂闊に入り込めば、ものの五分と経たずに迷子になるであろう。
幾つもの部屋に細かく分かれ、娯楽室や酒場もあった。
何年も何十年もかけて彼らが整備したのだ。
彼らとは無論、ジ・アスタロトに所属する者達だ。
「ギルギスの片割れも戻ってきたってな」
乱暴にグラスを置いて、巨漢の男が立ち上がる。
彼の名はダミー・ライデン、円卓を守る十二の騎士の一人でもある。
「手土産は白き翼と中央国の虎だったか?」
ほろ酔いで尋ねる彼の目線には、グラスを傾ける女性の姿があった。
エンディーナ・アグネイト。彼女も騎士の一人だ。
桃色の髪の毛を無造作に束ね、後ろに流している。
化粧気などまるでないくせに色気を感じるのは、服がはち切れそうなほど大きな胸のおかげか。
「ふふ……虎の捕獲には失敗したそうよ。キャミサがカンカンになってた」
「キャミサか。あのガキ、どうせ自分は手伝わずに遠目で見守ってただけなんだろ?そりゃあ、デキシンズも失敗するよな。あいつら、自分達が二人で一人前ってのを理解してやがらねぇから困るぜ」
ダミーは、ぐいっと一気にグラスを煽り、二杯目をドプドプ継ぎ足した。
その横に男が一人腰掛ける。
横目で彼を見たダミーが、さっそく話しかけた。
「鴉か。首尾はどうだった?」
名を呼ばれ、男も横目でダミーを見る。
覆面の下で唇が動き、くぐもった声で答えた。
「完璧だ。未の印と牛の印、両名を捕らえ既に引き渡し済みだ」
「二人とも捕らえたの?ってことはクリュークを墜としたのね、あなた一人で!」
なんとしたことか。
司達が留守の間に、旧クリュークことレヴォノースは敵の手によって壊滅させられたらしい。
思わず腰を浮かしたエンディーナだが鴉の頷きを見て、すぐに座り直す。
「そう……なんだ。強くなったね」
どこか上の空で呟く彼女とは対照的に、心底嬉しそうなのはダミー。
「ばぁっはっはっはっ!」
酒場一帯に響き渡るほど大爆笑し、続けて二杯目を空にした。
「これで奴ら、帰る家無し宿も無しってなったわけだ!策士策に溺れるたぁ、この事だな」
音もなく立ち上がり、鴉が小さく呟く。
「策など立てるから自爆するのだ。正攻法で真っ向勝負すればいい」
「飲んでいかないの?乾杯しましょうよ」というエンディーナの誘いを断り、鴉は酒場を出て行く。
「……つまらん仕事だった。次はもっと、強敵と戦いたいものだな」
去り際に小さくぼやいた声が、エンディーナとダミーの耳にも届いた。
なんとなく白けた気分になり、ダミーはブツブツとぼやいてみる。
「なんだ、クールな奴め。もっとネストみたいに大喜びしたら良かろうに」
三杯目を注ぐ彼の手を押さえ、エンディーナが大袈裟な溜息をついた。
「大はしゃぎする鴉ってのも気味が悪いわ。それよりダミー、あなた飲み過ぎよ?また仕事があるでしょうから、今のうちに酔いを覚ましておいて」
「へいへい」
立ち上がったダミーは肩をすくめて、脅える真似をする。
「エディ、お前さんにゃ嫌われたくねぇからな。この辺でやめておくか。もしヘボカメレオンが甘えに来たら、適当にあしらっておけよ?優しくしすぎると、あいつ調子に乗るからなァ」
「えぇ、そうするわ。どうせ来ないと思うけどね」
ダミーの背中を見送ってから、もう一度溜息をついたエディはグラスを二つ、洗い桶へ乱雑に放り込んだ。
「兄さん、来たぜ。……いるのかい?」
真っ暗な部屋へ呼びかけるが、返事はない。
少々疑問に思いながらも、デキシンズは部屋に入る。
同時に後ろから羽交い締めにされた。
「うっ!?」
そのまま、ぐいぐいと首を締め付けられる。
デキシンズは闇雲に藻掻くが、一つとして拳は当たらず空を切った。
ふとした拍子で放り投げられたかと思うと、いやというほど床に顔面を打ち付けた。
「ぐぅ……」
もう、嫌だ。
どうせ後ろから襲いかかってきたのは兄さんで、勝ち誇った調子で甘いなデキシンズと言うに決まっている。
いじけていると、頭上から兄の声が降ってきた。
「甘いな、デキシンズ。貴様には警戒心が足りん」
思った通り、襲ってきたのはデミールであった。
勝ち誇った調子で言い捨てると、助ける手も差し伸ばさず、さっさと部屋の電気をつける。
「さっさと起きて、こちらへ来い」
ベッドを示され、起き上がったデキシンズは足を止めた。
「どうした、早くこい」
再度急かされても行く気になれない。
ベッドに寝ころべば、次に言われる言葉も予測がついた。
「……またなのかい?兄さん、俺は」
「兄さんと呼ぶな。そう言ったはずだぞ、デキシンズ」
黒眼鏡の向こうから冷たい視線で脅されて、渋々ベッドに座ったデキシンズはデミールに片手で押さえつけられ、否応なくベッドに横たわる。
押さえつけたまま、デミールが命じた。
「ズボンを脱げ。すぐにだ」
苦しい姿勢で、デキシンズも言い返す。
「嫌だと言ったら?」
言うだけ無駄な、虚しい抵抗であった。直後に顔面を殴られて、またも鼻血が出た。
血の味が唇を割って、口の中に染みこんでくる。
「毒でやられたいのか?さっさとズボンを脱げ」
きっとデミールは、デキシンズの顔面がボコボコに腫れ上がろうと、お構いなしにやるつもりだ。
この間だって、そうだった。
デミールはデキシンズへ暴行を加えた後に、今からやろうとしている事と同じ行為をしたのだ。
毒で痺れさせられて無理矢理されるよりは、まだ自分の意志で従った方がマシだろう。
そう思い直し、鼻血を手で拭ったデキシンズは弱々しい笑みを浮かべる。
「わかった、脱ぐよ。だから……押さえる手を少し緩めてくれないか?」
「ふん、反撃を考えるなよ。貴様には勝機など万が一にもないのだからな」
束縛が弱まり、体を起こしたデキシンズは兄の前でズボンをズリ下げる。
下着も下げた途端、グイッと首根っこを押さえつけられ、土下座の格好を強いられた。
「何度も何度も失敗しやがって……十二人中、一度もまともに依頼を達成できていないのは貴様だけだぞ、デキシンズ」
兄の罵倒が降り注ぐ。
概ね言っていることは正論だが、一つだけ心に不満がないこともない。
依頼を達成できていないのはキャミサも同じではないか。
キャミサと自分はコンビを組んでいるのだから。
なのに、彼女が誰かに折檻を受けたという噂を一度も聞いたことがない。
何故、自分だけが――
「うぐっ!」
尻の穴へ突っ込まれた指の感触に、デキシンズの思考は四散する。
指の動きは、それで終わることなく、無造作にデキシンズの中を引っ掻き回した。
「くっ……あっ……」
濡れてもいない場所へ、唐突に突っ込まれたのだ。普通ならば苦痛が伴うはずだ。
だが何度も同じ折檻をくらい続けているデキシンズの体は、意外な方向へ反応した。
「あっ、はぁッ、や、やめて……くれ、兄さん」
目元に涙を浮かべ、デキシンズは哀願する。
それでいながら尻を兄の指へ擦りつけるように動かした。
「やめろだと?やめられたら困るのは、貴様のほうだろう」
彼の反応にデミールの口元も愉悦に歪む。
「折檻でよがりやがって、この変態が」
容赦のない罵倒を浴びせ、デキシンズの股間で揺らめくものを握りしめてやる。
「んぁッ、や、やめっ、やめて、兄さんっ」
起き上がろうと無駄な努力を重ね、終いには力を失ってデキシンズはベッドに腹をついた。
うつぶせでは、ろくな抵抗も出来ない。我知らず、シーツを握りしめた。
「出来損ないが、一人前に体だけは成長しやがって!なんだ、このヒゲは?汚らしいッ」
片手で尻の穴をほじくる一方、竿を握っていた手が伸びてきて、デキシンズの顎髭を数本引きちぎる。
そんな痛みですらも別の快感を引き起こし、思わず喘ぎそうになったデキシンズはシーツを強く噛みしめた。
出来損ない。
ずっと言われてきた言葉だ。
十二人の中で一番弱い彼を罵る時、デミールはいつも出来損ないと罵倒した。
罵倒が今の体罰に変わったのは、いつの頃だっただろう?
「図体ばかりでかくなる割には、ちっとも強さが変わらないな。それでよく『ギルギス』の名を貰ったもんだ!貴様にギルギスを名乗る資格があると思うなよッ」
ギルギスの名前についても、だ。
兄は執拗なほど、その名前に拘り、ことある事にデキシンズに突っかかってきた。
マスターのつけてくれた名前だから、デキシンズにだって思い入れがないわけではない。
だが、デミールの拘りは彼の思い入れを遥かに凌駕していた。
デキシンズとデミール、実力に差のある二人が同じ名前だから、よくなかったのかもしれない。
どちらか一方だけが『ギルギス』の名前を与えられていたのなら……
今ほど兄が、自分へ辛辣に当たる事態も免れていたはずだ。
デミールの指が第二関節を越えて根元まで差し込まれようかという時、部屋の扉がノックされ、長き折檻も中断される。
「ギルギス、いるか?招集がかかった。用意が出来次第、外へ来い」
鴉の声だ。十二の騎士に名を連ねるMSの一人である。
「行き先は何処だ?」との兄の問いに、鴉が短く応える。
「蓬莱都市。奴らの残党を狩りにゆく」
すっと鴉の気配が消え、デミールは身を起こす。
押さえつけていた手から解放され、デキシンズも、ようやく身を起こした。
「聞こえたな?用意ができ次第、飛行船まで来い。全員一緒の任務なら、貴様がヘマをする暇もないだろう」
去り際に嫌味を残してデミールの気配も部屋を遠ざかり、デキシンズは一人、肩を落とす。
鴉が来てくれなかったら、きっと果てるまで折檻は続いたはずだ。この間のように。
ズボンと下着を拾い上げて、履き直した。
一分一秒でも遅くなれば、また全員にグズだのノロマだのと嫌味を言われてしまう。
急いで飛行船に戻らなくては。
だが出て行きがけ、不意に白き翼の姿が脳裏に浮かび、デキシンズは足が止まりかける。
彼の率いる軍団の残党を狩りに出向くわけだが、そのことを彼が知ったら、どんな顔をするだろう?
少し見てみたい気もしたが、すぐに妄想を打ち消して廊下を走っていく。
彼はR博士の元へ引き渡されたのだ。
R博士のテリトリーはデキシンズの管轄が及ぶ処ではない。
デキシンズが立ち入りを許されているのは、一部の娯楽施設とK司教の近辺だけだ。
白き翼とは多分、二度と会えない。会う必要もない。
そう思いつつも飛行船へ向かう間、白き翼の顔は、ずっとデキシンズの脳裏に留まっていた。