闇へ続く階段を、堅い足音が降りてゆく。
扉の前で立ち止まったトレイダーは、軽くノックをしながら呼びかけた。
「起きているかね?」
ごそり、と物音。続けて低い声が答えた。
「……起きている」
「ならば、さっそく君に指令だ」
「やっと出番か?」
「そうだ」
トレイダーは口元に含み笑いを浮かべ、キーを鍵穴に差し込む。
ゆっくりと扉が開き、真っ暗な部屋の中に光が差し込んだ――
『侵入者を発見!全戦闘員は直ちに奴らを捕獲せよ!繰り返す――』
やかましいほど、頭上を警報が鳴り響く。
「どうすんのよ!?ばっちり見つかってんじゃないっ、あたし達!」
息を切らしながらタンタンが怒鳴れば、振り返りもせずに美羽が怒鳴り返す。
「ここまで来てしまえば、見つかるのも時間の問題でしたわぁ!」
最初にドジを踏んだのは誰だったのか。
誰、と決めつけることはできない。いうなれば全員がドジを踏んだ。
ゼノの案内でカメラの死角を縫いながら走っている最中、ばったりと出くわしてしまったのだ。
明らかに戦闘員と思わしき軍団と。
奴らは次々に「いたぞ!猿だ」だの叫んだ挙げ句、MSへ変身した。
こちらの言い訳も、当然聞く耳持たず。初めから猿を捕獲にきたとしか思えない。
突破口はゼノが切り開いたものの、今も倒し損ねた何人かが追いかけてきている。
「大体!あいつら全員別練に行ってたんじゃないのォ!?」
八つ当たり気味に怒鳴ってくるタンタンへ、ルックスも困惑の表情を向ける。
「僕に怒鳴られても……向こうも作戦を変更したんでしょう」
「そもそも奴らは別練で何を守っていたのか……」
小さく呟いた該の言葉は、先頭のゼノに掻き消された。
「新手だ」
見れば、向かう先からはバラバラと人影ならぬ獣の影が待ち受けている。
タンタンが騒いだ。
「やっだ、挟み討ちじゃん!」
「一気に駆け抜けますわ」と美羽が言うのへは、ゼノが待ったをかける。
「さっきの奴らとは違う……見ろ」
顎で示す方向を見やれば、彼が何を危惧しているのかが美羽にも該にも判った。
獣軍団の中に、いやに細いシルエットが一人。一人だけ人間体型の奴がいる。
捕獲対象がMSと判っているのに、何故あいつは変身しないのか?
――決まっている。手の内を直前まで隠す為だ。
「真打ち登場か」
走るスピードを落とす該に、美羽が尋ねる。
「アナタが戦いますのぉ?」
頷きで返す彼にゼノも目線で応えると、他の面子を促した。
「ここは該に任せ、俺達は突破する」
「待って下さい」
異を唱えたのは小さな猿、ルックスだ。
身軽に該の上へ飛び乗ると、有無を言わせぬ強い視線で皆に言う。
「僕も残ります。僕の能力なら奴らにひけを取りません」
「猿の印の力か」
ぼそりと呟き、ゼノが頷いた。
「二人も十二真獣が残れば充分勝てる」
奴らとの距離が狭まる。
人間体型の男の口元が微かに動いた、ような気がした。
「行け」
彼の号令で、周りにいたMSが一斉に躍りかかってくる。
剥き出された牙をかいくぐり、振り下ろされる爪を避け、真っ先に反対側へ飛び出したのは小柄な蛇だ。
続けて兎が「ひゃああぁっ!」と情けない声をあげながら駆け抜けて、巨大な熊をゼノの大剣が斬り払う。
断末魔を残し、巨体が崩れ落ちる。
そいつを無造作にカタパルトにし、さらには壁を蹴って狼が反転する。
逃げるタンタンの背中へ噛みつこうとするも寸でのところで該に邪魔され、一旦飛び退いた。
ルックスが叫んだ。
「後で落ち合いましょう!」
美羽の返事はなかったが、見る見るうちに三体の背中は遠ざかってゆく。
大丈夫だ。
ゼノの案内がある限り、そして美羽とゼノがいる限り、彼らは必ずシェイミーの囚われている部屋へ辿り着くだろう。
それより今は追っ手を蹴散らす。それを考えなくては。
該の背中に乗ったまま、ルックスは素早く前後に視線を巡らせる。
完全に挟まれていた。
手前の男は、未だMSへ変化しようとしない。
腕を組み、余裕の笑みを浮かべて、こちらを伺っている。
研究員じゃないのは格好を見れば一目瞭然だ。
白衣ではなく、上下共に黄色い服を着ていた。
黒い眼鏡をかけている。
あれでは、猿の印の能力をかけるのは無理だ。
眼鏡を外す瞬間、すなわち戦いに入った瞬間を狙うしかない。
睨み合う中、男が口を開いた。
「……十二真獣か。それも二人とは、俺もついている」
「僕を知っているのか?」
ルックスの問いに、男は微かに頷いた。
低く、だが、どこか掠れた声色で男が話す。
「猿の印、だろう?マスターの話通りだ」
「マスター?」と尋ねたのは該だが、男は軽く無視してルックスを見据えた。
「十二真獣をつれていけば、我がマスターも喜ぶだろう」
「僕達を捕獲するつもり、ということは君もMSなのか」
該の背から降りて、ルックスが身構える。一時も男の目から視線を離さずに。
対して男のほうも視線をルックスに併せたまま、不敵に微笑んだ。
「そういうことだ」
じっと様子を見ていた該は、おや?と首を傾げる。
おかしい。猿の印を知っているのなら、男の行動は不可解である。
猿の印の力は相手に狂気を与える視線だ。ならば、けして目を合わせてはいけない。
なのに男は、ずっとルックスだけを見つめている。黒い眼鏡の向こう側から。
「……ルックス」
注意を促そうと該は囁くが、それよりも前に敵が先手を打った。
「総員、目標は亥の印だ!猿は俺に任せろッ!」
吼えると同時に、男の腕がぬめりとした光沢に包まれる。
周りの連中が飛びかかってきたので、該は咄嗟に身をかわす。
襲い来る狼を牙で突き上げた。
断末魔と共に、鮮血が噴きだし視界を赤く染める。
次いで飛びかかってきた猫には、背中に深々と爪を突き立てられる。
該は歯を食いしばって体を一振りした。
「ブギャアァッ!!」
振りほどかれた猫が、嫌というほど壁に激突して情けない悲鳴をあげた。
狼の屍を乗り越え、ルックスの下へ駆けつけようとする該へ、猛禽の鋭い嘴が急直下してくる。
真上からの攻撃を寸前でかわすと該は一転、床を蹴って、降りてきた奴に体当たりをかます。
この不意討ちには鷹もかわしきれず、猪の突進に任せて一緒に壁へ激突する。
茶色の羽根が辺り一面に飛び散った。
しばらくして、ずるり、と鷹の体が力なく床へ落ちてくる。
壁に残るのは血の痕だ。派手に飛び散った血の量が、突進の勢いを表わしている。
いずれにせよ鷹の断末魔を聞くことなく、再び該はUターンすると、数々の屍を飛び越えルックスの元へようやく辿り着いた。
ルックスと男の戦いは既に始まっており、該の到着に気づいた猿が身軽にこちらへ飛びずさってくる。
「気をつけて!あいつ……普通のMSじゃありませんッ」
「効かなかったのか?」
該が尋ねると、ルックスは首を振って叫び返してきた。
「まだ試していません!いえっ、試せません!!」
同時に危ないと叫ばれ、吹き付けられた何かを寸前で伏せてかわす。
霧状に放散された何かであることだけは、目視でも判断できた。
「何だ、今のは」
該の問いに、間髪入れずルックスが答える。
「毒です!」
「毒?」
毒を吐きかけるMSなんて、いただろうか?
いや、ここはパーフェクト・ピースの所有する研究所。
改造MSや創造MSがいる以上、どんな能力のやつが出てきたとしても、おかしくはない。
ルックスの視線を追って、奴の姿を確認する。
天井にぺたりと張り付いて、緑色の物体がこちらを見下ろしていた。
小さな体だ。恐らくは蛇化した美羽と同じぐらいの大きさで、全身がヌメヌメと光っている。
歪に潰れた頭の両側には、ぎょろりとした目がくっついていた。
ゲッゲッゲッと喉の奥で引きつった音を鳴らし、奴が話しかけてくる。
「意外とすばしっこいな、亥の印。マスターの情報よりも上を行くじゃないか」
「……貴様のマスターとは、誰だ」
低く構えたまま、該が問う。天井の奴が答えた。
「俺と共にくれば教えてやる」
「僕達を捕まえて、どうするつもりなんだ?君のマスターは!」
ルックスの問いには二度三度、忙しなく瞬きをしてから、緑色の生き物は低く笑った。
「さぁてね。デキシンズも俺も、聞かされちゃいない」
「ただ十二真獣を連れてこい……と?」
該の言葉へ「そうだ」と頷き、緑色が目を細めた。
「さて……おしゃべりは終わりだ。何、殺しはせん。少し動けなくさせてもらうだけさ」
言うが早いか再び紫色の霧が、ブゥッと眼下へ吐き出される。
難なくかわしたルックスは次の瞬間、思いもかけぬ方向から勢いよく殴打されて床に転がった。
「何……ッ!?」
今の攻撃、該にも見切れなかった。
目の前でルックスが突然跳ねとばされたかと思うと追い打ちで緑の弾丸が猿にぶつかってゆき、両者は激しく床に激突する。
先に立ち上がったのは緑のほうで、勢いよく壁を蹴って猪の方へ飛んでくる。
「くっ!」
スレスレでかわした――
そう思ったのもつかの間で、頬にピリピリとした痺れを感じて猪は膝をつく。
なんだ?
体が、自由に動かせない!?
肌をひりつかせる嫌な痺れが瞬く間に全身を駆けめぐり、たまらず該は床へ身を横たえた。
ルックスは、まだ起きてこない。激突の衝撃か、苦しげに呻く声が該の耳に届いてくる。
「呆気ないな。伝説の騎士といっても、この程度か」
緑色の嘲る声が、どこか遠くのほうで聞こえる。
「デキシンズは上手くやっているかねぇ……俺のほうが先に完了しそうだ」
なにやら自慢げに呟くのも聞こえたが、次第に該の意識は闇へと薄れ、完全に閉ざされた。
『ギルギスより電信。十二真獣を捕獲したそうです』
「判った。よくやったと伝えておいてくれたまえ」
通信を切り、トレイダーは足を止める。
シェイミーとウィンキー、二人の閉じこめられている”檻”の前に来ていた。
背後をついてくる人物へ振り向き、入るよう促す。
「ここだ。あの子が待っている」
「……本当に、あいつが」
ぼそっと呟く男へ振り返ると、トレイダーは頷いた。
「そうだ。シェイミーは、ここにいる」
「ゼノも……一緒か」
一歩、一歩、よろけるように進んでいき、男の足が扉の前で立ち止まる。
薄汚れた格好の男であった。
もう何十年も風呂に入っていないかのような異臭を放ち、服も肌も、垢にまみれて汚い。
顎を覆う髭には白いものも混ざっている。
老いが男を、更にみすぼらしい物に変えていた。
「いや」
トレイダーはかぶりを振り、扉へ手をかけた。
「今は留守だ。だが彼は必ず戻ってくる」
その間に、とコツコツ扉を叩いて、微笑む。
「君は、あの子を自分の物にすればよい」
「自分の……ものに」
男が、もごもごと口の中で呟く。トレイダーが目を細めた。
「そうだ。老いは君から、あの子を奪ってしまった。だから、代わりに私が君に新しい体を与えた。その能力ならば、君はシェイミーを自分の物に出来る。さぁ」
扉を開き、男の背を押しやった。
「入りたまえ。存分にシェイミーを抱きしめてやるといい」
扉が開いた瞬間、ウィンキーとシェイミーには緊張が走る。
「なんや、またかいな!」
トレイダーの姿を見留めたウィンキーが怒鳴り、シェイミーも扉を一瞥した直後。
「……え……?」
入ってきた人物に釘付けとなった。
「なんや、知っとる人物かぃな?」
怪訝な調子でウィンキーが尋ねるもシェイミーの耳には届いておらず、少年の顔は見る見るうちに青ざめて、唇からは衝撃を隠せぬ言葉が漏れる。
「そ、そんな……まさか……プ、プレイス……なの?」
トレイダーと共に入ってきた男が、こくりと頷いた。
「やっぱり!プレイス、でも、どうして……どうして、ここにいるの?」
「シェイミー」
震える声で彼の名を呼ぶと、プレイスが一歩前に出る。
反射的にシェイミーは後ろへ下がり、自分の行動に自分で驚いた。
どうして?
どうしてか判らないけど、ここに彼がいて。しかも、ボクは彼を怖がっている?
プレイス・トリニオール。
シェイミーとゼノ、二人が所属していたキャラバンを率いるリーダーだった。
あの日、心を失ったMS軍団に仲間が襲われた時、彼は我が身と引き替えに二人を逃がしてくれたのだ。
プレイスはシェイミーに能力の使い方を教え、ゼノには特製の武器を渡してくれた。
ゼノに戦い方を教えてくれた恩人であり、シェイミーにとっては育ての親でもある。
その彼が、何故パーフェクト・ピースの研究所にいるのだ。それも、トレイダーと同行して。
瞬時にシェイミーの脳裏に閃いたのは、人質。
その一言だった。
「まさか、人質にとられたのッ!?そんなの、卑怯だよ!」
彼の反応に、トレイダーが薄く微笑む。
「人質ではない。私は彼の頼みに手を貸してやったまでだ」
「嘘や!」「嘘!!」
ウィンキーとシェイミーが同時に否定する。
だが、当のプレイスも首を真横に振った。
「人質……ではない。私は、己の意志で、ここに来た」
「そ、そんな……」
シェイミーの瞳が驚愕で潤むのを見て一旦は辛そうに視線を外したが、すぐにプレイスは真っ直ぐ彼を見つめ直し、淡々と話し始めた。
「シェイミー、私は……お前達と別れた後、一度死んでいる」
「死んで……?でも」
生きているじゃない、そう言おうとするシェイミーを遮り、プレイスが続ける。
「死んだのだ。肉体を、滅ぼされて。死んでいる間……夢を見た。お前が、私の手を離れて、ゼノの……ゼノの腕で抱かれる様子を」
声が震えている。それも尋常じゃない響きを帯びている。
血を吐く叫びだと感じ、ウィンキーはオヤと片眉を跳ね上げる。
プレイスは両手をブルブルと震わせ、強張った顔で俯いた。
俯いた顔は青ざめ、目からは生気が失われている。どんよりと視点の定まらぬ顔で独白を続けた。
「我慢が、ならなかった。私の大事なシェイミーが、まさかゼノに奪われようとは」
ウィンキーがシェイミーへ目をやると、こちらも絶句している。
「プレイス……」と小さく呟き、悲しげな瞳を中年へ向けて立ちつくしていた。
恐らくシェイミーには、プレイスとやらに対して恋愛感情がない。
しかしながら、プレイスはシェイミーを恋愛対象として見ていた。そういう事か。
「プレイス、ボクは」
またもシェイミーの言葉を遮り「だが!」と勢いよくプレイスが顔をあげる。
瞳に生気が宿っていた。頬にも赤みが差している。
「私は、体を手に入れた!現世に戻ってきた!!お前を……シェイミー、お前を、手に入れる為に!!」
一歩、また一歩と近づいてくる。
耐え難き恐怖に襲われジリジリと後退するシェイミーの背中が、見えない壁に当たった。
「さぁ……おいで、シェイミー。一つになろう」
シェイミーは差し出された手をじっと見つめていたが、その両目には涙が潤んでくる。
――助けて。
そう言われたような気がして、気がついたらウィンキーは彼の前に飛び出していた。
「やめぇや、オッサン!シェイミーが怖がっとんやろが!!」
四つ足を踏ん張って威嚇する。
だがウィンキーの威嚇など、プレイスの目には全く入っていないようだった。
黙ってウィンキーの横を通り抜けようとする。
咄嗟にウィンキーは、振り返ってプレイスへ体当たりをかました。
「やめぇっちゅーとんやろが!」
その直後、信じられないことが起きた。
なんと体当たりをかましたはずのウィンキーが逆に跳ねとばされ、壁際まで吹き飛ばされたのだ!
「なっ……なんやぁ!?」
幸い壁激突のダメージは皆無だったものの、思いがけぬ怪現象にウィンキーは咄嗟の状況判断をし損ねる。
その合間を縫った、ほんの一瞬の出来事であった。
プレイスの手がシェイミーの体を掴んだのは。
「さぁ、シェイミー。私と一つになるのだ……永遠に」
「う、うわぁぁぁぁっっっ!!!」
部屋いっぱいに響き渡る、シェイミーの絶叫。
信じられないものを見る思いで、ウィンキーは目の前で起きる現象に目を見張る。
シェイミーが。
シェイミーの体が徐々に小さくなっていったかと思うと、最後には服だけを残して、まるで煙の如く掻き消えてしまったのだ……!
東大陸から西大陸へ渡る手段は、船あるいは飛行と限られている。
東の空を真っ直ぐ突き進む、この飛行船も、今まさに西へ向かわんとしているところだった。
「……あぁ。そっちへは、あと一時間でつく。え?」
デッキに腰掛けて通信機に耳を傾けていたデキシンズは、己の耳を疑った。
聞き返された相手は彼に聞き違いだとは思わせてくれず、同じ事を二回繰り返して寄こした。
『え?じゃないわよ、残念でしたっ。あんたと違ってデミール兄さんは優秀ですからね、二人まとめて捕まえたのよ!さっすが兄さんだわぁ〜』
少女特有のキンキン声にウッとなり、思わずデキシンズは耳元から通信機を遠ざける。
少女からの報告は、デミールが十二真獣を一気に二人捕獲したとの内容であった。
『それに引き替え』
ガラリと変わって、少女は責めるような口調になった。
『あんたときたら!寅の印と戌の印、両方を捕まえろって言われてたのに、なぁ〜んで一人だけなのよ!このグズッ!変態!ろくでなしッ!!そんなんだから、あんたのパートナーやってるアタシまで』
「あ〜、ハイハイ。気持ちは判るが、落ち着いてくれ」
最大限まで通信機を遠ざけたまま、辟易した調子でデキシンズも言い返す。
どうもキャミサ・アンダンテ、この子は苦手だ。
パートナーは、もっと従順で大人しい子が良かったのに。
しかし、仕方ない。仲間内で半人前扱いされているのが、自分とこいつの二人では。
キャミサとデキシンズは二人で組んで、やっと一人前だと見なされていた。
「考えてもみろ。俺が伝説の英雄様と王子のボディガードを二人相手にして、生き残れると思うか?」
『そうね……どう考えても百パー死亡フラグ、絶対に死ぬわね』
こんな時だけ、しおらしく同意してくれる。かわいげのない小娘だ。
『ったく、兄さんと同じギルギスの名前を貰ってるくせに、なーんで弱っちぃのかしらね、アンタって』
キャミサの放った皮肉に、ピクリとデキシンズの肩が震える。
彼は低い声で呼びかけた。
「……キャミサ」
『何よ?』
「俺はギルギスじゃない。デキシンズだ」
一拍の間を置いて、キャミサも、どこか投げやりな調子で応えた。
『あー、そうでしたっけね、ギルギスの名前はデミール兄さん一人のものでした!あ、じゃあ切るわよ?いいわね、何度も言うけど寄り道厳禁!まっすぐ帰ってくること!それと』
「判ってるよ。英雄様には手を出すな、だろ?」
『そうよ、判ってりゃいーのよ。マスターが首を長ぁくして待ってるんだからね!』
威勢の良い怒鳴り声を最後に、ブツリと耳障りな雑音と共に通信が切れる。
やれやれ、と肩をすくめて立ち上がったデキシンズは、デッキを離れて室内へ戻る。
室内では司が窓の外を眺めていたが、足音に気づいたのか、不機嫌な表情をこちらへ向けた。
「大人しくしていてくれたようだな?英雄様」
デキシンズの軽口にも、やはり司は不機嫌に答える。
「ここで逃げちゃ、わざわざ君についてきた意味がないだろう。それより、この飛行船はパーフェクト・ピースの所有物か?」
デキシンズは正直に教えてやった。
「いや、ジ・アスタロトの所有だ。俺達がこれから向かうのも、ジ・アスタロトの本拠地でね」
「いいのか?僕に教えてしまっても」
「どうせ勘づいていたんだろ?」
デキシンズは司の隣へ腰掛けると、気安く肩へ触れようとする。
その手をパシリと払いのけ、司は更に質問した。
「君のマスターは誰なんだ。トレイダーじゃないのか?」
今度の答えには、間が開いた。
顎に手をやり、少し考える仕草を見せてから。ようやくデキシンズが答える。
「……そうだな。この後すぐに会うんだから、教えてやってもいいか。俺のマスターだが、トレイダーなんて小者じゃない。俺のマスターはクリム・キリンガー……いや、あんたらにはK司教と言った方が、通りがいいのかな?」