日夜、世界各国を暗躍するジ・アスタロトとて、全く休暇がない――というわけでもない。
久しぶりに大きな任務を終えた後、レイ・アラミスはマスターより一日の休暇を貰った。
所謂、ご褒美である。一日ゆっくり体を休め、次の任務に励めという。
さりとて、博士達のように没頭できる趣味があるでもなし。
兄たちと顔をつきあわせて、酒場で飲んだくれているのも御免だ。
考えたのも一瞬で、彼女はすぐに部屋を出て行き、その足でギルギス・デキシンズの部屋へ向かう。
暇つぶしの相手にデキシンズを選んだのは、深い意味などない。
奴ならば、何時いかなる時でも時間を持て余している。そう、考えたからだ。
奴の部屋へ向かう途中、鴉に呼び止められた。
「休暇をもらったのか」
「あぁ」
ならば、と彼は真っ向からレイを見据え、話を持ちかけてきた。
「俺も今日は一日休みだ……もし、よければ」
「残念だが、今日はデキシンズと一日を過ごそうと思っている。では、な」
最後まで話を聞かず、さっさと打ち切ろうとするレイを、なおも未練がましく鴉は追いかける。
「約束したのか?」
「いや、まだだ。これから約束を取り付けにゆく」
ならば、と再び彼はレイの真正面へ回り込み、必死の口調で話を持ちかける。
「デキシンズでなくともよかろう。俺を誘っていけ」
「いや、私はデキシンズと出かけたいのだ」
またまたレイは断り鴉の横を抜けていき、鴉は大声で彼女を呼び止めなくては、いけなくなった。
「何故だ!何故、誘う相手がデキシンズでなくては、いけない!?」
するとレイは、くるりと振り向き、眉間へ皺を寄せる。
「鴉。お前こそ、しつこいぞ。お前こそ何故相手が私でなくてはならぬ?」
「そっ……それは……」
少し考えれば、誰でも判るはずだ。彼がレイに好意を持っていることなど。
しかしレイには本気で判らなかったようで、露骨に迷惑を含めた声色で、今度こそ、きっぱり断ってきた。
「今日一日はデキシンズと過ごす。お前はダミアンかダミーでも誘って過ごすといい」
何故、その二人!?
愕然とする鴉を廊下へ置き去りに、レイは、やっと本来の目的であるデキシンズの部屋を訪れた。
「デキシンズ、いいか?入るぞ」
いいともダメとも言われぬ前から扉を開き、ズカズカ入ってみると、ベッドの上に座り込んでいたデキシンズは、いやに慌てた調子でズボンを上にあげた。
「ちょ!ちょっと、れ、レイッ!?入るなら入るで、俺の許可を取ってからにしてくれよ!」
「許可は取ったぞ」
いけしゃあしゃあと応え、レイは立ち上がったデキシンズを眺める。
「どうした?疲労しているようだが、任務で失敗でもしたか」
デキシンズときたら何故か部屋を薄暗くしたままで、ベッドの上に座り込んでいたようだ。
上半身は裸、モジャモジャの胸毛には汗が光っている。
慌てて履き直したところを見るに、レイが入る直前までズボンも脱いでいたものらしい。
薄暗い部屋で、素っ裸になって何をやっていたんだろう?
「い、いや、確かに失敗はしたけど、俺が今疲れているのは、それとは関係ない」
「そうか……」
あたふたと彼が答えるのを横目に、レイは鼻をひくつかせる。
部屋には、妙な匂いが充満している。
これまでの人生で、一度も嗅いだことのない匂いだ。
「ど、どうしたんだい?」
「いや……妙な匂いが」
「そ、それよりッ!今日は何でまた、俺の部屋にわざわざ来てくれたんだい?」
いきなりデキシンズが話題を変えてきた。
唐突さに驚きながらも、そうだったと本来の目的を思い出して、レイも話を併せる。
「今日は一日暇になったのでな。年中暇そうなお前を誘って、どこかへ出かけようと思ったまでだ」
「えっ!それって、俺との恋人フラグかい?」
なにをどう勘違いしたのか、デキシンズは嬉しそうだ。
なにを勘違いしていようと、放っておけばいいだろう。
「行くのか?行かないのか」
再度尋ねると、今度はすぐに返事が来た。
「もちろん行くとも!あぁ、そうだ。着替えるから少し待っていてくれ」
さっそく汗だくのズボンを脱ぎ捨て、タンスから新しい服を引っ張り出す彼を尻目に。
「では、昇降口で待ち合わせるとしよう」
己のユニフォームを見下ろしたレイも着替えることにしたのだった。
いつもの黄色いユニフォームを脱ぎ捨て、無難な色合いに落ち着いた二人は基地を出る。
「それで?何処に行こうってんだい。人気のない研究所跡か?それとも、サンクリストシュアの路地裏?」
やたら人通りの少ない場所をご希望のようだが、何もデキシンズの思い通りに行動する必要などない。
彼の戯言を丸ごと無視して、レイが歩き出す。
「ついてこい。お前に見せたい景色がある」
「見せたい景色?」
首を傾げながらも、デキシンズがついていった先に見たものは。
黄金色に輝く海――
一面に広がる、ススキの草原であった。
「こりゃあ」
ひゅぅっと口笛を吹いて、デキシンズは傍らのレイを見やる。
「絶景だね」
「だろう?」と、この時ばかりはレイも彼の顔を振り返り、得意げに頷いた。
「任務の帰りに見つけたのだ、この場所を。どうしても、誰かと見ておきたかった」
ずいっと一歩彼女に近寄ると、デキシンズが囁く。
「……どうして、俺を誘ったんだ?」
「どうして、とは?」
「ほら……あるじゃないか。例えば、好きだとか、好意を持っているとか!」
また、無駄にはしゃいでいる。
「好きも好意も同じ意味だろう。それに私がお前を好きだと?馬鹿も休み休み言え」
そいつをばっさり一刀両断すると、レイは再びススキの穂を見つめた。
「誰でも良かったのだ。鴉でも、ダミアンでも……ただ、今日はお前を誘ってみた、それだけだ」
それでも一気に「そ、そうかい……」と凹んだ彼に悪いと思ったのか、レイは言い直してやる。
「だが、今日はお前にとってもいい日になったと思いたい。このように、綺麗な景色を見たのだからな」
「まぁ……確かに、ね」
へこんでいたデキシンズも顔をあげ、ススキを眺める。
綺麗だ。
周りの風景に目を取られるなど、これまで一度も考えたことがなかった。
いや、景色に目を配る余裕が、これまでの人生で一度もなかった。
それを感じさせてくれただけでも、レイには感謝せねばなるまい。
「……ありがとう」
ん?と振り向いた彼女へ、再度デキシンズは礼を言う。
「君のおかげで、今日は良い休暇になったよ」
「そうか。では、そろそろ帰るとしよう」
きびきび歩き出した彼女へ、デキシンズは慌てて声をかける。
「えっ?もう帰るのか?もう少し見ていっても」
レイの返事は、にべもなく。
「私は充分気が済んだ。まだ見ていたいのなら、お前だけ残るといい」
いくら景色が綺麗とて、草原に一人は寂しすぎる。
一度こうと決めたレイには勝てず、仕方なくデキシンズも休暇を終わりにしたのであった。