BREAK SOLE

∽13∽ 目撃


「……まァ、とにかく。財布の心配だけは無くなったってわけか」
先ほどの五十万円ショックから立ち直り、猿山が行き先を改めて示す。
道がまだ、まっすぐ続いていれば、駅まで行くのは問題なかろう。
問題があるとすれば――
「その、お髪」
真喜子に指をさされ、きょとんとしたのは当のクレイだけ。
猿山と春名の目線も彼の頭上へ向かい、「あぁ」とばかりに頷く。
「出かける前にヘアスプレーでも借りてくりゃよかったな」
「でも、そう都合良く基地にあるかな?白髪染めなんて」
「持ってそうだけどなぁ。誰かしら、スタッフとかさ」
話す二人を見て、クレイが真喜子に尋ねる。
『二人は何を?』
「クレイ様のお髪が青いので、目立つと言っておられるのですわ」
ここは日本、黒髪の国だ。未だ外人は珍しがられる対象である。
だがクレイの髪について言うなら、日本以外でも彼は目立ってしまうだろう。
地球上に住む人間の中で生まれつき青い髪の者など一人も居ない。
ましてや今は状況が状況だけに、いらぬ誤解を生む可能性もある。
初めて彼と出会った時の子供達のように。
クレイがまた尋ねる。
『髪が青いと何故目立つんだ?』
「目立つだろ!普通に考えてっ」
即座に猿山が突っ込み、この時ばかりは春名もウンウンと頷いた。
「お前、俺達と一緒にいてヘンだな〜って一度も思わなかったのかよ?」
「白い鳩の中に黒いカラスが一羽混ざるようなものですわね」とは、真喜子。
判りやすい例えにクレイも納得したのか、それ以上は尋ねてこなくなった。
急にポン、と手を打ち春名が叫ぶ。
「……そうだ!帽子」
「帽子?」と聞き返す猿山に笑顔で頷いた。
「うん、帽子を被れば大丈夫だよね」
「帽子屋さんが都合良くあれば宜しいのですけれど……」
きょろきょろと付近を見ても、そう都合良く帽子屋などあるわけもなし。
落胆する真喜子と猿山に微笑みかけると、春名はクレイに何かを手渡した。
「これ。使って?私のだから、少しサイズが合わないかもしれないけど」
彼女がポケットから取り出したもの。
それは小さく折りたたまれた帽子だった。
「持ってきたんだ!帽子ッ。なんだよ、用意いいなぁ〜大豪寺」
「まぁ。さすがは大豪寺様」
賞賛を浴びながら、少し照れくさそうに春名も応える。
「ホントは陽射しが照ってきた時、自分で被ろうと思って持ってきたんだけど。でも、さっそく役に立って良かった!」

春名の持ってきた帽子は女物だから、クレイが被るには少々滑稽であった。
それに頭サイズの違いもある。
結局のところ丁寧に辞退したクレイは、三人から離れてついていくことにする。
「そんな離れてて、俺達を守れるつもりでいるのかよ〜?」
十メートル後からついてくるクレイにも聞こえるように、大声でぼやく猿山。
そんな彼を窘めていた春名が、ハッと前方を見やる。
「どうか致しまして?大豪寺様――」
言いかけた真喜子も、余所見をしていた猿山も、彼女の危惧に気づいた。
前方に人影が現れたのだ!
それは、まったくの不意討ち出現と言っても良かった。
駅までの道は確かに、まっすぐ続いていた。
しかし道は一本道ではなく、途中いくつもの小さな脇道があったのだ。
人影は、そのうちの一つから、ひょっこりと姿を現した。

――クレイ、隠れて!

後ろへ叫ぶわけにも振り返るわけにもいかず、祈るような気持ちで春名は願う。
そうしているうちに、向こうもこちらに気づいたようだ。近づいてくる。
「子供か……君達、ここは緊急避難勧告が出ている地域だぞ。何で、ここにいる?」
近づいてきた人物は、年の頃は二十から三十路の中間といった男性だ。
しわのついたシャツをだらしなく羽織り、背中を丸めている。
顎髭がオヤジ臭さを強調しているが、もちろん普通のオッサンではないだろう。
何しろ緊急避難勧告が出ている地域を、一人でぶらついているような奴なのだから。
彼が急に叫んで走り出さなかった事に感謝しながら、猿山が逆に問い返す。
「じゃあオッサンこそ、どうしてここにいるのさ?勧告は無視したってわけ?」
「……まぁ、私用でね。それより、俺の質問にまだ答えてもらってないが?」
男はボリボリと頭を掻いて返答を濁すと、さらに追求してくる。
怪しい。
どう考えても、怪しすぎる男だ。
その怪しすぎる男に、ニコニコと微笑みながら答える真喜子。
「クリスマスパーティーの準備に、お買い物をしようと思っておりますの」
あまりにも正直すぎる答えに、猿山も春名も止めるのを忘れて唖然とするばかり。
男は真喜子に興味を示したか、さらに彼女へ問いかけた。
「へぇ、このご時世にクリスマスパーティーとはね。肝の据わったお嬢さんだ。それで?パーティーは自宅でやるつもりかい?それとも避難キャンプで盛大に?」
「もちろん、自宅に決まっておりますわ。皆様と集まって盛大に行う予定ですのよ」
真喜子の返事は流暢なもので、ヘンにどもったり隠したりしない。
自宅という部分以外、嘘はついていないから、あまり後ろめたさがないのだろう。
いや、真喜子のことだから、基地を自宅と考えている可能性もあるかもしれないが。
「皆様、ねぇ。そいつぁすごい。呼ばれる友達も肝が据わってるや」
「えぇ。でも、外に出てきた今は内心びくびくしておりますのよ」
全然そうは見えない笑顔のまま、彼女は穏やかに言う。
この男が、会話を引き延ばそうとしているのはミエミエだ。
何の魂胆があるのかは判らないが、これ以上の会話は迷惑である。
いつ宇宙人の襲撃があるかもしれない、この場に引き留められるのは。
「ですので私達は、そろそろ失礼させて頂きますわね」
「あっ……と。いけねぇ、うっかり長話で引き留めちまったな。悪い悪い」
こちらも、全然悪いとは思っていなさそうな笑顔で男が謝った。
春名と猿山は、不意に狸と狐の昔話が脳裏をよぎる。
狐と狸の化かし合い。
表面上は穏やかであったが、互いの様子を伺い知ろうとする攻防戦にも見えた。
「それでは」
軽やかに真喜子が頭を下げ、男の脇を通り抜ける。
猿山と春名も彼女に習い、ぺこりと会釈しながら真喜子の後を追った。
男は道の真ん中に立って見送っているようだったので、自然と三人の歩調は速まる。
「な……なんだったんだろ、今の人。警察の人かな?」
ちらと後ろを向き、すぐ前に向き直った春名が猿山に尋ねるが、彼にだって判らない。
「警服着てなかったし、違うんじゃね?たぶん、あれだよ、アレ」
「アレって?」
「ほら、ブンヤっていうんだっけか?週刊誌の記者」
「雑誌記者?それにしたって、それならそうとハッキリ言えばいいのに」
もう一度、後ろを見た。
男がまだ道に立っているのを確認し、さらに春名の歩調は早くなる。
「おい、あんま走ったら却って疑われるぞ?ちょっとゆっくり行こうぜ」
「大丈夫ですわ。私達は、不審者に怯えて逃げている子供ですもの」
真喜子は笑顔こそ絶やさぬものの、ぜぇぜぇと肩で息をしている。
長いスカートで走りづらい上、日頃からの運動不足が祟っているようだ。
「ほ、ほら、有田だって疲れてるしさ、止まれって」
ほどなくして、三人は全員止まることを余儀なくされた。
道が、途中で途切れていたのである。


一方、海底基地アストロナーガのコントロール室では。
オペレーターの顔色がさっと変わり、真正面の大型モニターに異変が映し出される。
「レーダーに反応!タイプβ人型がヒロシマ地上に出現しました!!」
モニターに映し出されたのは、広島の地図。
クレイ達が向かった先の周辺地図のようだ。地図の中で赤く輝く点がある。
悲鳴がかった叫びに、室内の空気も一瞬で変わる。
「タイプβじゃと!?一匹でか!」
R博士の問いに、オペレーターは頷いた。
「ハイ!しかも、このままだとブルーが接触する可能性もありますッ」
ブルー=クレイが広島市内へ買い物に出かけている。
それは既に、スタッフの全員が知る事実となっていた。
皆の視線がQ博士に集まり、この時ばかりは博士の顔からも笑みが消える。
「Bソル、Cソルをスタンバイさせろ!準備が整い次第、発射させる」
「で、ですが!人型ですよ!?それも相手は地上です、もし民間人がいたら!」
いたら、ではない。
クレイと共に買い物へ出ているはずの子供達が、あの場にいるではないか。
ソルを出すわけにいかない。彼らを戦闘の巻き添えにするわけには、いかないのだ。
「クレイと連絡は取れるか!?」
T博士の問いにオペレーターが答えるよりも早く、別の通信が会話に割り込む。
潜水艦に乗り込んで待機していたミグからであった。
『ブルー=クレイより通信がありました。ただちにAソルを射出して欲しいそうです』
淡々とした報告に、驚いたのはU博士。
「Aソルを地上へ射出して欲しいですって!?彼は正気なのですか、Q博士!」
それには答えず、Q博士はミグへ尋ねる。
「合流地点は?」
『タケハラ駅近くにある元フェリー乗り場周辺の空き地、だそうです』
「駅前まで出たのか!だが、街中にソルを降ろすわけにはいかんぞッ」
絶望的な悲鳴をT博士があげる。
『フェリー乗り場の近くには人の気配を感じない、と彼は言っています』
「そりゃそうじゃろ」と受け応えたのはQ博士。
「元、とつくからには、今は廃棄されて久しいはずじゃ」
「タケハラ駅の周辺には」
モニターを転々と映し替えながら、オペレーターも口添えする。
「緊急避難勧告が出されているようです。どこを見ても人っ子一人いません」
それでもR博士らは渋っている。
街中に護衛機を降ろすのは、街を破壊してしまうことにならないか?
目撃されるよりも、そちらのほうが後々面倒事に巻き込まれそうである。
T博士はQ博士と無言で睨み合う。
Q博士が一度言い出したら、どうあっても意見を押し通す男なのは判っている。
しかし、それでも市街戦だけは、どうしても避けなくてはいけない。
極秘裏に戦う使命もあるが、何より今は人の命もかかっているのだ。
しばらく睨み合いを続けた後、先に折れたのは意外にもQ博士のほうであった。
「人がいないのでは店も閉まっとるか。買い物は中止させるかの」
Q博士は一人で頷き、再度ミグに通信を取る。
「ミグ、クレイに伝言を頼む。買い物は今すぐ中止して戻ってくるようにと」
『タイプβを撃退させなくて宜しいのですか?』
ミグは強気だ。Q博士はかぶりを振って、同じ言葉を繰り返した。
「今のクレイの実力じゃ、生身で対決するには苦戦を免れまい。かといって全員の意見が一致せんのでは、ソルを発射するわけにもいかん。それに民間人、ハルナちゃん達の安全を確保するのが第一じゃ。撤退せよ」
『……了解です。ブルー=クレイにも、そのように伝えます』
やや不服そうなものの、了解の意思を告げるとミグからの通信は切れた。


途切れた道を、ぐるりと大回りして、三人はようやく駅前にたどり着く。
かなり遠回りさせられたのか、ついた途端、彼らはヘロヘロと地べたに座り込む。
なのに、しゃがみこんだ三人の頭上へ非情な一言が投げられた。
『博士から通信が入った。買い物を中止して、今すぐここから撤退しろと』
「え〜?やっと、ここまで来たっていうのに!?」
もう一歩も歩きたくない、とばかりに座り込んだまま首だけ振り向く春名。
「そ、そうですわ。ここからが本番でしてよ。せめてケーキ材料だけでも」
ハンカチで汗を拭き拭き、真喜子も抗議する。
その横で、猿山は犬のように荒い息を吐きつつ横たわっていた。
歩き疲れて、抗議する元気もなくなってしまったらしい。
「う……運動不足かな、俺……」
疲労困憊な三人を眺め、クレイは顔を曇らせる。
途切れた道をUターンして、細道を幾つか登っただけで、こうなるとは。
確かに距離としては、人が歩くにしては遠かったかもしれないが……
運動不足という問題ではない。
彼ら三人には基礎体力が不足している。
『のんびりしている暇はない。敵が近づいてきている』
「敵ッ!?」
穏やかならぬ単語に、彼らは揃ってクレイを見上げた。
どの顔にも緊張と怯えが走るのを見てとって、クレイは続ける。
『タイプβは俺が引き留めておく。ミグとの合流地点は元フェリー乗り場だ』
「引き留める?タイプβ?一体何の話なの!?」
春名は尋ねたが、頭の中では既に答えが出ていた。
私達にとっての敵なんて、一つしかない。
「宇宙人が、こっち向かってきてるってのか!?」
猿山も目を剥くが、クレイはあくまでも冷静に三人へ指示を出す。
『タラップで待っていると伝えておいた。合流は三十分の間に行え』
「で、でもクレイは?クレイも一緒に逃げないと、間に合わないよ!?」
春名の問いに、彼は黙り込む。
敵を引き留める――
クレイは囮となって、春名達を逃がす時間稼ぎをするつもりだろう。
しかし相手が相手だ。
都市の機能を崩壊させ、人の住む場所を片っ端からゴーストタウンに変えた元凶。
そんなのと生身で戦うのだとしたら、そいつは馬鹿かキチガイだ。
「そうだ!ソルは?ソルを呼べば互角に戦えるんじゃねーのか!?」
脳裏に例の丸っこい機体が浮かび、猿山は叫んだ。
だが、クレイは静かに首を振る。
『ソルは発射できない。街中での戦闘は禁止だそうだ』
生身で宇宙人と戦うつもりのようだ。
死ぬ。
百パーセント、彼は死ぬ。
そんな無謀な戦いはさせられない、とばかりに真喜子も彼の説得にかかった。
「駄目ですわ、私達と一緒にお逃げ下さいませッ。命を粗末にしてはなりません!」
『時間がない。奴は』
いきなりクレイが背後を振り向き、走り出す。
何か光のようなものが一筋の線となって、春名の目前まで迫ってくる。
彼女らに確認できたのは、そこまでで。
後は目の前であがった鮮血を、恐怖に凍りついて見つめるばかりであった。

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