黒い夜

◆2◆ アドバイザー

レイザース領土内――陸軍宿舎。


「うわぁ〜っ、ひろーいっ!」
「勝手に歩き回るんじゃねーぞ?まず隊長に挨拶しなきゃいけねぇんだからな」

 陸軍宿舎について、まず目に入るのが中央広場である。およそ予想通りの反応を示したシェリルに満足する反面、キリーとアレンの二人は同時に違和感を覚える。広場に出ている人が少ない、というよりも人っ子一人いやしない。この時間ならば、広場で訓練をしている輩が四、五人はいるはずなのに。

「何かあったのかもしれない」
「何かって?」
「奇襲、或いは緊急任務……」

 顎に手をやり考え込むアレン、そして訝しがるキリー。二人の不安を余所に、きょろきょろしていたシェリルは、いきなり駆けだそうとする。が、襟首を掴まれ引き戻された。引っつかんだのは、もちろんキリーだ。

「だから勝手に歩き回るなっつってんだろうが。隊長の許可を貰わないと部外者は、あちこち動き回れねー規則になってんだからよ」
「えーっ、じゃあ早く行こ?隊長って人に許可をもらいに!」
「……キリー、俺は宿舎のほうを見てくる。彼女はお前に」

 任せた、とアレンが口にするよりも早く、先に動いたのはキリーの方。

「隊長への報告は、お前の役目だろ?ついでに、そこのチビの面倒も頼んだぜ」
「え、あ、おいっ!」

 慌てるアレンを置き去りに、さっさと宿舎のほうへ走っていってしまった。だが途方に暮れる暇もなく下からの声に振り向けば、シェリルがキラキラとした瞳で自分を見上げている。

「キリー、行っちゃった……じゃあ、えっと、あなた。名前は?」
「えっ。あぁ……アレン。アレン=ホーク=ジェイト」
「そ。じゃあアレン、隊長の処に案内してくれる?」
「う、うん。それじゃシェリル、ついてきてくれるかな」

 幼女の手を引き、騎士隊長の部屋まで行く。ノック後、入室した二人を待ち受けていたのは、黒騎士団隊長のアレックス=グド=テフェルゼンであった。

「随分と遅い帰りだったな。ご苦労だった」
「いえ。それよりも、宿舎が閑散としているのは何故ですか?」
「その前に――調査の報告と、そこの少女の説明をしてもらおうか」

 あっ、という顔になり、改めて己の手を握っている少女の顔を眺めた後。アレンは順を追って話し始めた。遺跡の中には、見たこともない怪物がいたこと。その怪物に襲われていた少女がいたこと。何とか怪物を倒したこと。

 ――実際には殆ど少女の力で怪物を倒したわけだが、アレンはさすがに真実を告げるのには躊躇った。嘘だろう、と思われるのも嫌であったし、少女が自分達黒騎士よりも強いことを認めるのも、何か釈然としないものを感じる。なので、その部分は適当に暈かしつつ、少女を保護して連れてきたのは彼女が今夜泊まる場所を探していたからだ、といった旨を隊長に告げた。

 怪物の説明の下りまで来た時であった。隊長の顔色が、さっと変わったのは。勿論、それを見逃すアレンではない。全部報告を終えるや否や、勢い込んで彼に尋ねる。

「何か、ご存知なんですね?遺跡にいた生き物のことを」
「……いや。噂は本当だったのだな、と思っただけだ」

 ごまかされてしまった。だが、怪物と聞いた時の隊長の顔は、その程度の驚きようではなかった。もしかしたら、本当に怪物の正体を知っているのでは?アレンは そう訝しんだが、続けて尋ねる前に、隊長に遮られてしまう。

「今晩の宿舎を探している、と。それで、ここに連れてきたのか」
「は……はい」
「……ここは宿屋ではないぞ」
「ですが……彼女の、希望でして」

 嘘ではない。彼女は確かに自分で言ったのだ、陸軍の宿舎に案内して、と。ただ、それは遺跡から一番近いベッドが、ここだったからなのかもしれないが。隊長の前だというのにシェリルは一向に緊張した様子もなく、部屋の様子を見渡しては、感心したような溜息をついている。

「はぁ〜……やっぱり、隊長って言うだけはあって、部屋も広いのねぇ」
「気に入ってもらえたかね?」
「うん! あたし、ここで寝ていいの?」
「……ここで……?」

 きょとん、とする隊長の横からシェリルの手を引っ張り、アレンが小声で耳打ちする。寝る部屋は此処ではなく、兵士達のベッドがある部屋だよと言われ、少し残念そうな顔になりつつも、彼女は元気に頷いた。

「じゃあ、次は兵士の宿舎に案内して?あたし、早く休みたい!」
「あ、あぁ。それでは隊長、俺はこれで」
「あぁ。お休み、シェリル。兵士宿舎内のみの行動なら許可しよう」

 彼女の笑顔に負けて快く送り出してから、テフェルゼンは肝心な事を尋ねるのを忘れていたことに気がついた。

 ――結局、その怪物はどうやって倒したのか?――

 アレンは報告の肝心要ともいえる退治方法を暈かした。倒した、と言っただけで、何を使って、どういう方法で、とまでは報告しなかったのだ。何か やましい、或いは言いたくない真実が隠されていたのかもしれない。何事にも正直なアレンにしては珍しい。あとで問いつめておく必要があるな、とテフェルゼンは思った。


 アレンもまた、隊長から宿舎の異変について聞くのを忘れた事に気づいていた。だが、今更戻るわけにもいかない。隊長の頭の回転は早いほうである。きっと今頃は、アレンが報告の一部を誤魔化したことなど、とっくに気づいているはずだ。それを聞かれるかと思うと、とってかえすのが非常に煩わしく感じてくる。それに、アレンには引き返す暇も与えられなかった。

「ねぇ!ねぇ、こっちでいいんだよね?ベッド!」

 今や道案内の主導権はシェリルにあった。アレンの手を引き、まっすぐ兵士宿舎へ向かっている。彼女は迷いなく歩いていき、どちらが道を教えている立場なのやら判ったものではない。

「う、うん。でも、どうして道を知ってるんだい?」

 もしかして、彼女は一度ここに入ったことがあるのか?――と思いかけ、瞬時に思い直す。まさか。彼女は陸軍関係者などではない、完全に部外者のはずだ。部外者が、ここの地理に詳しいなど、陸軍の誇りにかけても、あってはならない。戸惑うアレンへ振り向くと、シェリルは笑顔で応える。

「道は知らない。でも、こっちのほうから気配が感じられるから!」

 気配?気配って、キリーのか?言われて、アレンがキリーの気配を探っているうちに二人は扉をくぐり抜け、キリーの部屋まで連行された。キリーは「呼びに行こうかと思ってたぜ」と言いながらも、困惑の表情を見せる。何故一直線に此処へ、しかもシェリルがアレンの手を引く形で部屋に入ってきたのか、と彼の顔が疑問に満ちていた。

 その問いに答えるべき答えをアレンが探していると、シェリルが先に応えた。いや、答えたと言っていいものかどうか、彼女は行動を示したのだ。すなわち、キリーのベッドに思いっきりダイブするという行動を。

「べっど〜!あたし、ベッドのある場所は本能で判るんだぁ」
「お、おい!コラ、誰が寝ていいっつったんだ!」
「おやすみぃ〜」

 枕に顔を擦り寄せ、今まさに眠らんとする彼女の襟首を猫のように掴んで、手元に引き寄せる。怒りと困惑でないまぜなキリーと、シェリルの目線がかち合った。シェリルは、きょとんとしている。何故キリーが怒っているのかが判らない、とでもいうように。

「ふぇ?」
「ここはなぁ、俺のベッドなんだよ!お前は、向こう!」
「向こう?」
「……シェリル、女子は女子部屋っていうのが別にあるんだ。君はそっちで」
「あたし、ここがいい!ここに決めたのっ」

 ふかふかと布団に頬をよせたかと思うと、またしても布団に潜り込もうとする。ワガママをいうチビスケに、かっとなったのか。次の瞬間、キリーは自分でも思いがけないことを口走っていた。

「ここに寝てたら、いたずらすんぞ!?それでもいいってのか?」

 もちろん本心ではない。キリーは子供に興味などないし、子供に性的な悪戯をする奴は変態だと思っている。だがカッとなってやり返したのは、言われた当のシェリルではなくアレンのほうであった。彼は、そういう冗談が大嫌いなのだ。

「キリー!今の発言は、冗談でも許さないぞッ!!」
「うるせぇな!なんでテメェに怒られなきゃいけねーんだよッ」
「いいじゃないか、ベッドぐらい使わせてやっても!」

「え?」

 キリーとアレンはハモり、続いて同時に戸口を振り返る。そこに立っていたのは同じく陸軍所属の黒騎士であり元傭兵、ジェーン=クロウツであった。ぽかんと馬鹿面で呆けた二人の前へ ゆっくり歩いてくると、彼女の視線はシェリルのほうへ移る。幼女は安らかな寝息を立てていた。アレンとキリーが喧嘩を始めた時から既に、布団に入り直し眠ったものと思える。

「ジェーン。いつの間に来たんだ?」
「あれだけ大声で騒いでりゃ、誰だって気になって見に来るよ。まったく、大の男がベッドの一つや二つで何を騒いでんだか?」

 そう言われてしまうと口論自体までが馬鹿馬鹿しいものに思えてきて、二人とも黙ってしまう。悔し紛れにキリーは尋ねた。シェリルの顔を、じっと見つめているジェーンに。

「さっきから じっと見てるが、そいつの顔に見覚えでもあんのか?こいつ、お前の隠し子じゃねーだろうな?」
「冗談。あたしに こんな大きな子はいないよ、相手もいないしね」

 再び視線をアレンとキリーの両名へ向け直すと、ジェーンは言った。

「それより、あんた達。こんなとこで油売ってていいわけ?隊長に報告を済ませたんなら、早いとこ出撃しなよ」
「油を売ってたわけじゃ――って、出撃だって!?」

 驚くアレンに「そういやぁよ」とキリーが話したところによると。どうも陸軍に緊急任務が出ていたらしく、一般兵達は出撃を命じられ、隊長はアレンとキリーの帰還を待つ為、宿舎に残っていたらしい。

「で、なんでジェーンまで残ってるんだか、理由を聞きたいね」

 不審がる二人の視線を一身に受けながらも、ジェーンは不敵に答える。

「あんた達が調査しにいった怪物。あれが緊急任務と大きく関わってるのさ。あんた達は見たんだろ?怪物の正体を。どんな奴だったんだい?」
「な……」
「なんで、それが、どうして!?」

 言葉にならない言葉を発していると、答えはベッドのほうから聞こえてきた。

「あぁ、あの子?あの子はねぇ、怪獣ソルバッドっていうの。本当は亜人の島に住んでるんだけど」

 これにはアレンやキリーは勿論のこと、ジェーンも驚いた。まさか的確に答えられる者が此処にいるとは思わなかった。それも、見ず知らずの少女に教えられるとは!そして、驚いたのは三人だけではなかった。勢いよく扉が開き、隊長テフェルゼンが部屋に入ってくる。

「やはり……!シェリル、君は、どこで奴のことを知った?」
「隊長!」
「隊長!貴方は、やっぱり知っていたんですね!?」
「アレン。君達は、どうやって奴を倒した?剣だけで倒したわけではあるまい」

 鋭い眼光で見つめられ、アレンは言葉に詰まる。本当に剣だけで倒した、などとは言えない雰囲気だ。ましてや倒したのが、そこにいる あどけない少女だと判った日には、気が違ったとでも判断されてしまいかねない。緊迫の沈黙を破ったのはキリーであった。

「あぁ。剣で倒したぜ。倒しちゃ問題でもあるってのか?隊長」
「剣で――だと?」

 思った通り、隊長は訝しんでいる。剣が、あのバケモノに効くわけがない。そう言いたそうな表情にも見えた。自分のくちから言わなくてよかった……アレンがそう思った直後、シェリルまでもが口添えする。

「そう、剣で!あたしとキリーとアレンの三人協力プレイで倒したのっ」
「三人……で?ということは、君も戦ったのか。アレンの報告とは異なるが」
「なんだよ、手柄を独り占めしたってのか?アレン。ヒデー野郎だなぁ」
「いや、違う。お前とアレンの二人占めだ」

 隊長の訂正で怒鳴りかえすタイミングを失ったアレンは、所在なくテフェルゼンへ頭を下げる。

「すみません、言っても信じて貰えなさそうだと判断したもので……」
「気持ちは判る。だが、次からは正直な報告を頼む」
「……はい」

 ちらり、とキリーを見ると、いかにもいい気味だといわんばかりの勝ち誇った顔をしていた。嫌な奴だ。シェリルは枕を抱えたまま、ぼんやりしている。本当に眠いのだろう。キリーのベッドから動きたくないと主張していたのも、移動するのも手間と感じるほど眠いに違いない。

「それで……あ、いや、そのまえに場所を変えませんか?」
「何故だ?」
「あ……その、シェリルが眠たそうなので、寝かせてあげたほうがいいかと」
「そうだ、シェリル!そこは俺のベッド――」
「ハイハイ、緊急事態だって言っただろ。いったん部屋を出るよ!」

 最後までシェリルをどかそうと無駄なあがきをしたのだが、結局、キリーはジェーンに引きずられるようにして部屋を追い出された。部屋を出たところで、改めて隊長は二人に詳しい事情を話す。

「二人に調査させた怪物――名は怪獣ソルバッドだそうだが、あれは遺跡だけに出現するわけではないという情報が入った」
「なっ!?」
「ホントかよ!あんなのが他にも沢山いるってのか!?」
「……残念ながら本当のようだ。だいぶ前に出撃した皆が未だに戻ってこないことが、それを証明している」

 深い溜息をつかれ、アレンは恐る恐る尋ねた。

「俺達が遺跡へ調査に出てから、どれくらいの間に皆は出撃したんですか?」
「すぐだ。君達が遺跡へ出発してから、すぐに依頼が届いた。緊急指令として」
「そ、それじゃ、俺達が遺跡を調査したのは無駄足だったんじゃねーか!」
「違う。遺跡にあれが放たれてから一週間以上は経過している。今回の緊急指令は、我々が調査を始めるのを待っていたようにも思える……あれをレイザースに放った者は、我々の動きを監視しているようだ」
「監視……まさかっ!?」

 ジェーンとアレンの目が、背後の扉へ向かう。その反対側、ベッドで熟睡しているであろうシェリルへ向けて。だが、テフェルゼンは被りを振った。

「彼女ではなかろう。彼女が犯人なら、苦労して連れ込んだ怪獣は殺すまい」

 キリーも漠然とながら、ジェーン達の推理は的はずれだと感じていた。確かにシェリルは怪獣の名前と出身地を知っていたし、あっさり怪獣を倒したことだって、怪しいといえば怪しい。しかし――

 うまく言葉にはできないが、怪獣をレイザースに連れ込んだのは彼女ではない。言い換えるなら、彼女は怪獣を連れ込んだのではなく怪獣を連れ戻しに来たのではないだろうか?あくまでも、そう思えるのはキリーの勘、それも漠然とした勘でしかないのだが。

 不意に隊長の目が、キリーを捉えた。ことのほか真剣な眼差しで見つめられ、キリーはどきりとする。

「お前もそう思うか、キリー」
「え……あ、あぁ」

 なにが”そう思うか”なのかも判らないまま漠然と頷く。すると隊長は無言で頷きかえし、キリーの部屋にとって帰す。慌ててアレンが止めるも構わず戸を開けてベッドに近づくと、すやすやと眠っているシェリルに力強く命じた。

「シェリル、君を今から陸軍アドバイザーに命じる。我等黒騎士達の手助けをして頂きたい。……いいだろうか?」

 驚いた三人が それぞれに非難の声をあげるなか、シェリルはぱっちりと目覚めた。目覚めて すぐ、テフェルゼンの顔を覗き込むと、大きく頷く。

「うん、いいよ。あたし、皆を助けたいから、ここに来たの!」

 眠いから一番近い宿に陸軍宿舎を選んだ、というわけでもなかったようである。彼女の言葉がホントかどうかは、ひとまず置いておくとして。
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